咎人
さも当然というように言い切ると、美月の祖父は後ろを向いた。
「そして家もこの有り様。最期の瞬間を見届けようと思ってな」
足元から崩れていく。張っていたはずの気が緩み、体の力がストンと抜けてしまった。
「……みーちゃん?」
乃愛は不思議そうな声で美月のことを呼んだが、美月は何も反応することができなかった。
「みーちゃん……どうしたの?」
壊れた人形のようだった。何が起こっているのか理解ができないのか、子どものように何度も何度も美月に呼びかける。
「……ああ。その子は、あてられたのかい? 可哀想に」
「あてられた? 急に失礼ですが、それはどういう──」
「白無垢の女にあてられたのだろう? あの呪い、いや呪いを真に受けて。運良く生き延びても、心が壊れてしまう。特に実行した者は己の罪に耐え切れずに、な」
「……白無垢の女?」
祖父の言葉から出たその単語に、美月は言葉を返した。
「知っているのか? まあ、知っているのだろう。ここまで来たのだからな。まあいい。最期のときだ。本当はお前には関係のない話だったが話すとしよう」
後ろに手を組むと、祖父は美月の方へ体を向けた。一度目を瞑り、また目が開かれたときには美月がずっと恐れていたあの目になっていた。
「白無垢の恋唄。これには、二つの想いが込められている。一つは祝福、そしてもう一つは呪いだ」
(……祝福に呪い?)
「『永久に先君をば待たん暗闇に花の塵ゆく定めとしても』。前半の句は、祝福。想い人との成就を願っている。そして、後半の句は、呪い。それが決して叶わぬ呪いを込めている。なぜなら、この句を詠んだ白無垢の女こそが想い人との契りを結ぶことができずにその命が尽きたからだ」
祖父は、まるで散歩を楽しむかのように美月の前を行ったり来たりしながら話を続けた。
「だからこの呪いを行えば、祝福と同時に呪いがかかる。我々はそれを知っているからこそ、白無垢の恋唄を秘匿とした」
我々、とは誰のことなのだろうと美月はぼんやり考えた。古塚家のことなのか、祖父母、そして母のことなのか、それともそれが──とがびとという存在なのか。
「ところが人は元来噂話が好きらしい。我々しか知らないはずの呪いは、密かに広まり時に実行された。その度にあの化け物が現れる」
「化け物とは、あの……白無垢の女のことですか?」
二俣が質問をした。わかりきったことだが、まだどこかにわかに信じられない気持ちがあるのだろう。
「そうだ。知っての通り女は、呪いの実行者とその想い人を付け狙い惨殺する。見たかもしれないが、噛み付き全身を食すようなやり方でな。呪いが行われれば必ず女は現れ、必ず死体が転がり、行方不明者がある。運良く生き残ったとしても、それは一時的なものに過ぎない」
老人は目を細めて乃愛の顔を見た。視線が合う前に目を逸らすと眉間にシワを寄せて頭を振った。
「もう何十回と繰り返してきた。呪いが広まるのを恐れて、我々は儀式を行う。白無垢の女の想い人と同じ18の男子を添い遂げさせる儀式を」
(18の男子……?)
美月は顔を上げた。
燃え上がる屋根が剥がれ一部が落下していく。その前に佇む自身の祖父は、当然とばかりに言った。
「そう。お前の兄の弓弦は、儀式のために呼んだ」
「……儀式って、その儀式って……何?」
碌な考えが頭に上らない。あの女と添い遂げさせるなんて向かう先は絶望──いや、地獄としか。
「婚姻だよ。白無垢の女だ。結婚を望んでいるに決まっている。だから、弓弦にはハレの紋付袴を着せて女が現れる常闇の祠に入ってもらった。魂が暗闇に沈み、女を受け入れるまで」
死後婚──二俣の言っていた儀式を思い出す。それは、つまりそういうことなのではないか。兄を殺すことなのではないか。
「なんで……なんで兄さんが?」
「だから言っただろう? 我々が咎人だからだ。長きに渡ってこの地に住まう我々の祖先は、子宝に恵まれなかった。村に一人も女がいなかったからの。だから攫ってきたのだ。おいそれと近付くことのできない山を越えた遠くの村から。そして、その女と村の男どもが交わり、子をなした。やがて年を取り、子を産めなくなった女は用済みとなり、住まいにしていた地下牢に閉じ込めて生涯を終えた。その恨み苦しみ、そして年を経てもなお想い続けた願いゆえに白無垢の女となり、呪いを残した。女が死んだ後、我々は子を授からなくなった。子種が途絶えたのだ。だから我々は自身を罪を犯した者として咎人と呼び、女が死んだ地下牢を祠として祀り、白無垢の女が現れるのをひたすら止める役割を担ってきたのだ」
言葉が出なかった。代わりに二俣が老人に聞いた。
「とがびととは、つまり罪を犯した人間という意味ですね。……じゃあ……白無垢の女は……古塚さんやお兄さんの存在は……?」
「ああ。白無垢の女は我々、古塚家のせいで生まれたのだ。そして、ワシもそうだが、子種が途絶えて以降、古塚家は誰も血が繋がっておらん。攫ってきた女と同じように、どこかから攫うか、戦場や戦争で孤児になった者を連れてくるか、お前達はしのぶが赤子の頃に引き取ったと言っていたかの、とにかくあらゆる手段で子を連れてきて、咎人の血筋を絶やさぬようにしてきた。一度、家族に入ったものは誰であれ女の呪いから逃れることはできない。子を持つことはできない」
「そんな……で、でも儀式をしたならどうして白無垢の女は動いてるんですか? さっきもそこのトンネルで!」
また重い溜息が吐き出される。祖父は再び燃え続けている家を見上げた。
「儀式は失敗した。途中、火が起きたのだ。原因はわからないが、そのせいであと少しのところだった儀式が中断し白無垢の女は動き続けている。おそらくはもう地下にある祠もダメだろう」
「そしたら、他の手段はないんですか? あの化け物を止める手段は?」
「あったらこんな手段を取るわけがなかろう。弓弦とは幼い頃からよく遊び可愛がっとった。どこかの馬鹿たれが白無垢の恋唄をネットだかなんだか大勢の見えるところに広めるたりなどするから──だが、どちらにしてももう遅かったのかもしれんの。昔は儀式の後、噂を知った者だけの口を封じればよかったが、今は日本中の人間が瞬きする間に知りよる。一度流れた噂はもう誰にも止められない。白無垢の女が全員を殺し尽くすまでは、な」
「そんな、じゃあ──」
「だから最期の話だと言っておるだろう。もう、終わり。この先待っているのは地獄の苦しみだけだ」
「……違う。まだ、わからない」




