死後婚
美月は横を向いた。運転する二俣の目は真剣そのものだった。二俣はSNSに関して詳しくない、と美月は思っていた。そうなると別のアプローチからの考えがあるのかもしれない。
「お願いします」
「うん、それじゃあ」
二俣は背筋を伸ばして座り直すと、少しくぐもった声で話し始めた。
「確か、これから向かう古塚さんのご実家は300年続く由緒ある家だって言ってたよね」
「そうです。昔、子どもの頃に兄と一緒に連れて行ってもらったときに母からそう聞かされました」
蝉の音とともに美月の記憶が蘇ってくる。暑い日だったと記憶している。田舎へ行ったのはそのとき一度だけで、本当に珍しいことに兄と母の3人で旧家へと遊びに行ったのだった。
母が何かの拍子に昔話をしてくれた。300年前に建てられた家で何度も直しながら維持してきたこと。それから、村役を何代も務めてきた由緒ある家筋だということ。
(そう言えば、あのときお母さんは饒舌だった。普段はほとんど会話らしい会話もないのに)
美月は生気のない母親の顔を思い浮かべた。
(お母さんは絶対に兄さんと一緒にいる。ってことは、お母さんも化け物を見た……?)
「それで少し思ったんだけどね。……でも、これはそういう話もあるかもってことで全然関係ないことかもしれないけど」
急に自信なさそうに声が小さくなる。美月は、構わず先を促した。どんな些細なことでもいい、白無垢の呪いを脱する術に繋がれば。
「古塚さんは『死後婚』って知ってる?」
「しごこん……ですか?」
「そう。死んだ後の婚姻で死後婚。婚姻というのは結婚のことで、他にも冥婚と呼ばれたりいろんな呼び方があるんだけど、不幸にも若くして亡くなった男女をせめて結婚させてあげたいという願いを込めて行う儀式みたいなんだ。今の時代だと余計なお世話っていう感じもするだろうけどね」
美月はすぐにスマホで死後婚と打ち、検索してみた。割と有名な習俗らしく、解説記事が何十件もヒットした。
「白無垢は結婚式で着る衣装だから、もし古塚さんの前に現れた化け物が本当にそんな姿をしているのなら、もしかしたら死後婚と関係しているかもしれないと思ってね」
「白無垢と結婚が結びつくのはわかります。でも、今ではあまり盛んじゃないんですよね。医療の発達していない昔は若くして命を落とすことは割とあったのかもしれないですが……」
「うん、きっと古い家が多いよね。300年も続いていれば、どこかでこの儀式を行ったことがあるかもしれない」
本当にそうだろうか。美月は開いた解説記事を流し読みした。絵馬、人形、生きている人間──死後婚の方法がいくつか載っている。中には、どこかから人を攫ってきて無理矢理儀式を行った後に実際にその人を殺してしまうなんていう残虐なやり方も紹介されていたが。
(まさかそんな、誰かを殺してまでなんてことは……それにあの短歌、あの句は想い人との幸せを願った句だと感じたけど)
「永久に先、君をば待たん暗闇に、花の塵ゆく定めとしても」
二俣が白無垢の恋唄の句をすらすらと読んだ。
「先生、覚えたんですか?」
「あっ、ああ。僕もあのあとSNSで結構調べたからね。国語の教師ではないけど、短歌のリズムだから覚えやすいし。この句が仮に白無垢の女が作った句だとしたら、永久ってところが気になるんだ。なんか強い執念を感じて」
それは美月も最初に感じた違和感だった。誰かを好きになるとは、きっとそういうことなのだろうとすっかり忘れてしまっていたが。
「化け物、幽霊。ほら、強い執念がそういうものを生むとも言う。別に日本でなくても世界中にそういう話はあるしね」
「……一緒になるはずだったのにそうなる前に亡くなってしまったから、その執念が白無垢の化け物を生んだ……ということですか?」
「そう解釈できるかもしれないってちょっと思ったんだけど……300年も経ってたらその間に何が起きてるかわからないから」
カーブを抜けると、見渡す限りの田園風景を車は加速していく。前にも後ろにも車はなく、ギリギリ二車線の狭い道を走るのは美月たちの乗っている車だけだった。
田舎らしい田舎、だと美月は思った。1度しか訪れていないはずなのになぜか鮮明に覚えている。何度もトンネルをくぐり抜け、その度に違う景色が広がっている。田んぼに畑に、鬱蒼と茂る森、蛇のようにうねる川にぽつんと建てられた家々。都会の喧騒から離れれば離れるほど、白無垢の噂話やSNSなどとは無縁の世界にいるような気がしていた。だけどスマホを開けばすぐに繋がってしまう。どこにいても呪いは地続きだと言えた。
(子どものときは電車の窓に張り付いて見ていたっけ)
死後婚。旧家。白無垢の女。
(もし、先生の言う通り本当に白無垢の女があの家と関係があるんだとしたら、お母さんともそして私や兄さんにも関係があることになる)
そう言えば、とはたと気が付き美月は短くなってしまった髪の毛を触った。
(お母さんはほとんど何も話してくれなかった。300年続いてるとか、村役だったとかそれくらいだ)
美月には父親がいない。物心ついたときからいなかった。最初からいないのか、いたとしても離縁なのか死別なのかそれもわからなかった。
(古塚家はどっちなんだ? 父方なのか母方なのか)
祖父と祖母の顔を思い浮かべる。記憶は少しあやふやだが、母と似ているだろうか、と。
(わからない。……あれ、もしかして何もわからない?)
大事なことのはずだ。今まで気にしていなかっただけで、家族構成や血の繋がり、両親と祖父母の関係性──全部が全部自分の出自にも関わる大切なこと。それなのに何も知らされていないこと、自分が知ろうともしてこなかったことを美月は今になって気が付いた。
まるでそれはあたかも牢に入れられているように、兄と自分が他の家族から隔絶されているように美月には思えた。
唐突に、母親の色のない瞳が思い出された。
(あの目だ。……そうだ、あの目だ)
母親が時折見せた自分でも兄でもなく、どこか遠くを見るような目。
(あの目は、拒絶していた。家族や家について知ろうとすることを拒絶──いや、私や兄さんが何かを知ることを恐れていた……?)
車は少しスピードを落として、またトンネルへと入っていく。顔を上げると、美月は邪魔な前髪を直すように首を振った。記憶ではこの先、もう一つ長いトンネルを抜ければ旧家が見えてくるはずだった。
もうすぐ着くと思った途端に体が緊張してきたことがわかった。美月は目を瞑り、何度も深呼吸を繰り返す。頭の中では弓を射るときの動作を何度も繰り返していた。
頭が空っぽになったところで目を開くと、ちょうどトンネルを抜けたところだった。
「もうすぐかい?」
「はい。遠くに見えるトンネルを抜ければすぐのはずです」
美月はもう一度スマホをチェックしたが、やはり連絡は来ていなかった。兄からも母親からも。
(どっちにしても、お母さんは、本当に何かを知っていたのかもしれない。だって、あの目は絶対に普通じゃない)
疑えば疑うほど、今までの生活がおかしなものに思えてくる。美月の母親は空気のような存在だった。いるのかいないのかもわからない。同じ家で同じ時間を共有しているはずなのに、存在感が薄かった。まるで違う次元にお互いが生きているように。それなのにいつも張り詰めたような緊張感が漂っていた。少しでも間違えれば膨らんだ空気が暴発してしまうような。
(そんなことあるだろうか? そんな関係性は普通だろうか? ……きっと、普通じゃない。うちはきっと──)
──異常だ。
トンネルが近付いてきていた。美月には、その入口がまるで暗闇が大口を開けて待っているように見えた。
車が、体が暗闇にすっぽりと包まれていく。後ろから絶叫が聞こえたのは、トンネルに入ってすぐだった。




