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兄の元へ

 トンネルの暗闇に自分の顔が映った。ごわごわのボブヘアのような髪型にはまだ慣れておらず、少し戸惑ってしまう。自分ではない誰かの顔を見ているようで、急に不安が襲ってきた。


 美月は車窓から目を逸らすと画面を開いたままのスマホに視線を落とした。昨日の夜にメッセージが送られてきて以来、兄である弓弦からの連絡は途絶えたままだ。


「古塚さん、お兄さんから連絡は?」


「まだ、ありません」


「そうですか……」


 ハンドルをしっかり握った弓道部顧問の二俣は横目で美月の様子を窺った。美月は、視線を感じながらも目を合わせることはせずじっとスマホの画面を見続けていた。


 昨夜の出来事のあと、美月は乃愛を連れて一度自宅へと戻った。乃愛の両親には美月から電話を掛けて家族が出掛けていないこと、なのに料理を作りすぎてしまったから乃愛に泊まりに来てもらって、と事実と嘘を織り交ぜたような話をすると、両親はすぐに了承してくれた。長年の付き合いだ。電話越しの声は少しも疑問を感じていないようだった。


 乃愛の心身のことを考えれば、家に帰すべきだというのは当然美月にもわかっていたが、ことはまだ終わっていない。白無垢の化け物は、呪いを実行した者とされた者をつけ狙い行方不明にさせる。加護と森久保の二人の先輩がいなくなったことから、それはきっと確かなことだった。


(違う。行方不明──というよりも、もうあれは──)


 コンビニでの惨劇を思い出す。生々しい赤色は鮮明に目に焼き付いていた。


 乃愛の想い人である東條先輩はあのあとすぐに救急車で運ばれていった。その後のことは美月にはわからない。警察はコンビニの店員には事情聴取をしていたが、客までにはしなかった。叫んだあとに乃愛はへなへなとコンビニの床に座り込み、なんとか肩を貸して人目を避けてトイレへと連れて行く。少ない連絡先の中から二俣に助けを求めたあと、自宅まで送り届けてもらった。


 白無垢の恋唄も呪いも化け物も常識で考えれば荒唐無稽な到底受け入れ難い事実だ。だから、美月は乃愛を守るためにも一緒に自宅へと帰ってきた。二俣が一緒にいることを提案したが、2人きりの方が休まると思いその場は断った。


 ネットニュースでは同じような惨殺死体のニュースが報じられ始めていた。記事では猟奇殺人かと煽る様な書き方をされていたが、白無垢の女との関係性は書かれていない。


 事はひっそりとだが確実に広がり始めていた──。


 長いトンネルが終わると、鮮やかなピンク色の桜の木々が目に飛び込んできた。街中にあるような規則的に植えられた桜とは違い、何者にも邪魔されることなく優雅に咲き誇り、そよ風に揺られている。


 美月は画面を消すと後部座席の方へ顔を向けた。シートベルトを両手で握る乃愛は、流れる景色をぼんやりと眺めているように美月には見えた。


(いつもならきっと視線に気づいて笑顔を向けてくれるのに)


 目を閉じると前へ向き直り、桜の木を視界に入れる。


 家に帰る前も帰った後も、乃愛は涙を流すことはなかった。美月はきっと大泣きするだろうと覚悟していたが、ことはそれよりも深刻だった。


(人は本当に悲しいときには泣けないなんて嘘だと思っていたけど)


 全ての電気をつけた部屋で乃愛がしきりに自分の頬を触っていることに気が付いた美月は、深く考えずに乃愛に「どうしたの?」と質問した。返ってきたのは「表情がわからない」という答え。


 泣いているのか笑っているのかわからない、と言う乃愛の顔からは何の感情も読み取れなかった。今、窓を見ていたのと同じようにぼんやりとした表情としか言い表せない。


 美月はソファに座っていた乃愛の体を抱き締めるとすぐに腕を離し、それ以上何も言うこともすることもやめて考えることにした。


 過ぎ去っていく桜の木々を目で追っていくと、もう一度トンネルに入った。無表情の自分の顔がまた暗闇から現れる。


(こんなとき、普通だったらどう感じるんだろう)


 と、何度目かの疑問が頭をもたげた。あり得ないことが起こっている。そうでないとしても、日常とはかけ離れた異常事態だ。普通なら喚いたり、おののいたり、わけがわからなくなって混乱に陥るのではないか──美月はそうなったときの自分を想像しようとしてみたが無理だった。どうしても今のこの無表情の自分以外を想像することができなかった。


 動揺しなかったわけではない、恐怖を感じなかったわけではない。実際に白無垢の恐怖を肌身に感じたときには、家に一人しかいない心細さに涙が勝手に流れてきた。しかし、たとえば髪を縛れば、弓を射る自分を想像すればすぐに感情を手放すことができる。感情に支配され呑み込まれるよりも、障害や問題に対して何ができるかどう対処するかを先に考えてしまう自分がいる。


 音信が途絶えた兄の心配よりも先に、兄がなぜ白無垢の女のことを知っていたのかが気になってしまったのもそのせいだと、美月は自虐的に笑った。


(私にもっと可愛げみたいなものがあれば、みんなの反応も違ったのかな)


 美月は誰にも悟られないように静かに息を吐くと、目を瞑った。


「大丈夫かい? 古塚さん」


「あっ、え……大丈夫です」


 二俣は、目を丸くする美月に微笑みを返すと、すぐに前方に目を向けた。


「古塚さんから電話があったときには僕も困惑した。でも、二人は実際に大変な目に遭っているわけだから、なんでも言って。遠慮する必要はないよ」


「……はい。ありがとうございます」


 どこかぎこちなくそう返事をすると、美月も前を見つめた。トンネルが終わり、眩い光の下に出る。


(今は、関係ないことを気にしている場合じゃない。とにかく、何が起きているのか突き止めなければいけないんだ)


 兄から送られてきたメッセージは、白無垢の女のことだけが書かれていたわけではなく、助けを求める内容だった。それも美月を名指しでだ。


 家に戻ったあと、美月はSNSで徹底的に兄、弓弦の名前を調べた。白無垢の女に遭遇するには、自分か誰かが呪いを実行するしかない。白無垢の恋唄の呪いは必ず想い人の名前を入れなければ成立しないため、名前を検索すれば絶対に弓弦と書かれた短歌が出てくるはずだった。


 ところが探しても探しても一件も出てこなかった。それはつまり。


(白無垢の恋唄と関係なく、兄さんはあの女に遭遇したことになる)


 どういう理由で原因で襲われたのかはわからないが、もしかしたら兄のところへ向かえば──田舎の旧家へと向かえばこの怪異の直接的な何かが得られるかもしれない。そう考えて美月は旧家へ向かうことを決断した。


 美月は悩んだ末に部活の顧問で白無垢の恋唄のことを知っている二俣に電話を掛けた。電車で向かうことも考えたが、いざというときにすぐに逃げられる「足」が必要だった。


(それに乃愛を一人きりにさせるわけにはいかない。今の乃愛なら、何をするか……わからないから)


 美月はまた後部座席へ顔を向ける。今さっきと変わらない様子で乃愛はじっと窓の外を眺めているだけだった。


(乃愛……)


「古塚さん」


 二俣の呼びかけに前を向くとシートベルトのねじれを直す。


「今までの話を聞いて、白無垢の女についてちょっと考えたことがあるんだけど聞いてくれるかい?」

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