千切れた髪の毛
女は、暗闇でもよくわかる真っ白な服を着ていた。顔はわからないが乱れた長い髪の毛が生暖かい風に揺られている。白無垢の女、だ。違うとは思えなかった。否定することはできなかった。
あまりにも異様だからだ。背は人並みだが腕と脚は枯木のように細く、何よりも身体のどこかしらが常に蠕動する蛇のように動いている。すぐに人間の動きではない、と美月は直感した。
声を掛けた友人は動けないでいた。まさに、金縛りにあったという表現がピッタリとくるように。美月も乃愛と場所を入れ替えていれば同じように体が硬直しているだろうことがわかる。乃愛が間にいるから直視することは避けられたが、もし忽然と目の前に姿を現したのだったら、体がどんな反応を示すか想像したくもなかった。
「乃愛!!」
もう一度、走りながら親友の名を叫ぶ。気づいているのかいないのかすらわからないほどに反応が見られない。
コンビニの煌々とした光と洞穴のような不気味な暗闇のコントラストが美月の瞳にことの異質さを浮かび上がらせる。
左右に揺れながらひっそりと確実に白無垢の女は乃愛へと近付いていっていた。
『呪いをした者には不可解なことが起こるらしい。結ばれた2人の前に、何か妙な者が現れるらしいんだ。なんでも、白い服を着た、女だとか』
『加護さんと森久保さんはその化物に遭遇して行方不明になったんじゃないかと──』
歯を食いしばり必死に走りながら、美月の脳裏には二俣との電話の会話が浮かび上がった。
(呪いによって、加護先輩と森久保先輩は行方不明になった? 行方不明とはどういうこと?)
目の前からずっと隣で歩んできた幼馴染が消えるのか。それとも──。
どうであろうと美月は懸命に手を伸ばすと、微動だにできないでいる乃愛のふっくらとしたその手をつかんだ。仰け反るように振り返ったその顔には今まで見たことのないような恐怖に歪んだ顔が張り付いていた。眉は上がり、目は大きく開かれており半開きの口からは上手く息を吸えていないのか苦しそうな音が聞こえてくる。
乃愛の瞳の中にある像が美月の小さな顔の形に焦点があったとき、初めて乃愛の口から叫び声が上がった。同時に声に反応したように、ゆらゆらと揺れていた白無垢の女の動きがピタッと止まった。
マズい──美月の全身に再び鳥肌が立つ。蟲が這い回るような感覚が足先から頭に向かって上がっていく。決して離さないように乃愛の手をガっと掴むと、美月は振り向きざまに走り始めた。
得も知れぬ風圧が背中をなぞったのはまさにその瞬間だった。生暖かい息が耳の中に吹き込まれる。
(なっ……? えっ……?)
首筋に氷を入れられたような寒気が走る。目眩が起きそうなほどの強烈な耳鳴りが頭の中を響き、胸の辺りから嘔気が襲ってくる。歯を食いしばると、美月は止まりそうになる足を前へと踏み出しがむしゃらに走り始めた。
(とにかく明るいところへ!)
その一心だった。髪に纏わりつくように荒い息遣いが聞こえるが、美月は絶対に後ろを振り向かないと決めて足を前へと動かし続ける。光のあるところへ行けばきっとなんとかなる──美月がそう祈るような思いでコンビニの自動ドアの前へ立つと、反射したガラスが薄っすらと自分の姿を映し出していた。
首に髪の毛が絡みついている。自分の髪の毛ではない。後ろから糸のように伸びている細く長い髪の毛だった。声を上げようとしたそのときには、扉は開き蛍光灯の光に満ちたコンビニの中へと美月は入り込んでいた。
即座に後ろを振り向いても誰もいない。白無垢の女は影すらも残さず跡形もなく消えてしまった。
「いらっしゃいませ~」
眠そうな間延びした店員の声と店内に流れる音楽が張り裂けそうなほどに収縮を繰り返す心臓の音を和らげてくれた。
きゃあ、と隣から小さな悲鳴が上がる。
「乃愛っ! どうしたの? 大丈夫──」
「か、髪……み、みーちゃんの髪が……」
「え……」
(私の髪……?)
乃愛の手を離すと、美月は震える手で首元を触った。
(今、首に髪の毛がついているように見えたけど、それが……えっ!?)
「ウソ……」
美月は店員に好奇な目で見られていることを気にすることなく、トイレへと駆け込んだ。鏡に映った自分の姿を凝視するように確認する。
「ない……」
見慣れた自分の顔はそこには映っていなかった。長かった髪の毛は首の辺りからバッサリとなくなっている。角度を変えてよく見れば、途中から無理やり引き千切ったか毟り取られたかのように乱雑に切られていた。
「あのときだ」
(乃愛の手を握って逃げたときに首筋に感じた妙な寒気。あのときだ)
「でも……なんでこんな……どうやって?」
ノック音が聞こえて肩が上がったが、乃愛の声がして安堵する。美月はトイレの外へ出ると、赤い目をした乃愛を引き寄せてそっと抱きしめた。
互いに震える体が、今起こったことが現実であると伝えていた。
「乃愛、とりあえず落ち着こう」
「……うん……」
体を離すと、美月は乃愛の頭にポン、と軽く手を当ててトイレの近くにあった雑誌コーナーへと移動した。
ガラスの窓からは当然外の景色が見える。視界に入れたくはなかったが、確認しないわけにもいかない。美月は手近にあったファッション雑誌をペラペラと捲りながら、ちらりと顔を上げて外の様子を眺める。
普段と変わらない景色がそこにはあった。嫌な暗闇が広がっているとは言え、道路には車が行き交っており、少なくない人々の往来もあった。遠くを見つめれば、街灯も家々の灯りも点灯している。穏やかな日常が窓の外では展開されていた。
(怪異は終わったってこと……?)
音楽が途切れると、今、人気のインフルエンサーらしい声が店内に流れてきた。コンビニとのコラボグッズの宣伝らしい。
「みーちゃん……」
「うん?」
隣で乃愛は普段は見ることのない週刊誌を読んでいた。その表情はまだこわばったままだ。
あるページを美月にも読めるように開いて見せる。美月は目を細めた。ページのトップのには「恐怖! 白無垢の怪異!?」というゴテゴテに装飾された見出しが掲載されていた。




