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暗闇の底に堕ちる

 何度目かの夢を見ていた。夢の中では、家に学校に旧家にと、いる場所はバラバラだったが、必ず側には妹と母親の姿があった。3人は何らかの会話を交わし、笑い声を上げて、手を叩き、互いの体を触れ合い、そして決まって「遠い目」が現れる。どこを見ているのかわからない、ずっと見ていると不安な気持ちが増してくるあの目だ。夢から現実へと戻り、目を覚ますのはその後だった。


 何かが滴り落ちる音が変わらず暗闇の中を響いている。が、弓弦はまるで聞こえていないかのように背中を壁にもたれかけると足も手も投げ出して、じっと暗闇の中を見つめていた。どこを、と定められた一箇所があるわけではない。すっかり色を無くしたその瞳はどことも言えぬ宙をぼんやりと眺めていた。あるいは、もう暗闇に囚われてしまい、ただただ暗闇の底を見つめ続けているのかもしれない。


 弓弦は、もう長いことずっと静止し続けていた。一度、上階の祖父が定刻通りに足音を鳴らして訪れたが、その目は煌々と輝く灯りや祖父の姿を追うこともしなかった。様子を見た祖父が何も言わずすぐにその場を立ち去ったときも、眼球はピクリとも揺れ動くことはなかった。


 幾度か。滴る音を吸い込むように音の主が現れる。相も変わらず一心不乱に何かを書き綴ったのちに、歓喜か驚愕か、あるいはもっと別の何かなのかは埋め尽くされるように蟲に覆われたその表情からはわからないが、口──と思われる場所からは空気が漏れて群がる蟲と蟲の間にわずかに空洞ができ、その隙間から声を発していた。強風に揺らめく蝋燭の火のように、か細くすぐにでも消えてしまいそうな震えた声。あるいは、蟲が潰れるようなざらついた雑音のような声が、確かに「見つけた」「見つけた」と同じ言葉を繰り返している。


 弓弦の黒い瞳にはそれが映る。異様なほどに眩い白無垢と、蟲の群れだ。それは、左に右にと揺れながら徐々にその姿を大きくしていく。


「やっと、見つけたぁ」


 耳元で囁かれる声にも無反応なまま、弓弦は冷たい木の床へと押し倒されていく。拍子に何匹か蟲が落ちてきて、弓弦の身体を這いずり回った。しかし、次には大量の蟲が侵食するように覆い被さってくる。胸も、腕も、手も、脚も全身を得体のしれない大小様々な蟲がうごめく。特に顔は酷く、頬も鼻も口も眉もそして目も。まるで舐め回すようにそれは蠕動ぜんどうする。


 弓弦の瞳は、自分が侵食されている一部始終全てを見ていた。見ていたにも関わらず反応することはできなかった。抵抗を試みることもなく、声を上げるでもなくただされるがまま、ただ過ぎゆく時間の流れを過ぎゆくままに景色を見るように眺めていた。


 何度も何度も繰り返しむさぼるように、蟲の群れは一つの生き物のように大きくたわみ、そして跳ね、弓弦の上を行き来する。頭のてっぺんから足の爪先まで一分いちぶの隙も与えないかのように。


 何度も何度も、何度も何度も。繰り返し執拗に延々に。


 やがて何が合図なのか、ことが終わると白無垢が弓弦の身体から起き上がった。同調しているのか弓弦の身体を蹂躙し尽くした蟲ともども、何事もなかったのように常闇の中へ溶けていく。


 後にはただかろうじて息をしているだけの生物と、深い暗闇だけが残される。


 終わるときを見越していたように、そっと階段を降りる足音が聞こえてくる。足音は慎重にゆっくりと格子に近づくと、赤々と燃える光で弓弦の顔を照らし出した。


 弓弦の両の瞳が燃える炎のように赤く染まる。

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