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君と歩んだ地獄手記。  作者: 秋月
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第一章 四項 胡蝶の夢

獄卒は麟太郎を連れて街へ戻り裏路地に入った。

麟太郎はこんなところにきて何をするつもりだと思いながら黙ってついてきていたが、とうとう耐えかねて尋ねた。

「こんなところに何がある」

「僕らの拠点さ」


麟太郎はまさかこんなドブネズミがいるようなところで寝させられるのではないかと内心ドキドキしていたが、実はこの裏路地の先には木製の簡素な扉があり、そこは霊界へとつながっていたのである。

獄卒が扉を開けると、その先には豪華そうな赤の絨毯が敷いてあり、天井にはまるで流れる水のようにビーズの糸が天井から放物線を描き、そのいくつもある水の糸は一つに集まりビーズの雫を作っている。この芸術性の高いシャンデリアの奥には、よく磨き上げられた木製のカウンターに受付人がおりここはまるで高級ホテルを想起させるような風格がある。あまりの豪華さに麟太郎は言葉が出ずにいると獄卒は笑いながら

「そんなに驚いたかい?ここはあの世とこの世をつなぐ連結点の一つなんだ。トイレとか人目につかない場所であれば大抵はあの世につながっているけど、君が汚いところは嫌だといっている気がしてね」


ああその通りだ。大正解だ。と思いながらキョロキョロと麟太郎はあたりを見渡し、ふと獄卒の方に目をやると口元が笑っているのが見える。笑っていたかと思うとすぐに真顔に戻って、受付カウンターの方へさっさと行ってしまった。麟太郎はたとえ元陸軍の将校であるといえどもここまで立派なホテルは彼自身の目で見たことはなかったし、初めての体験ということもあって内心ウキウキで一人で探索を始めようとしたが、麟太郎が獄卒から離れようとした瞬間見えないガラスのようなものにぶつかった。


「ほら、行くよ」


獄卒は麟太郎に向かって大きな声で呼びかけると、エレベーターに向かって歩き出した。

麟太郎は自分が獄卒から大きく離れられないこと、自分が今実質的世界にいないことを瞬間的に理解した。


麟太郎が駆け足でエレベーターまで向かい、獄卒は麟太郎がエレベーターに乗ったことを確認して二重になっている蛇腹式扉を順々に閉じてレバーを勢い良く右に倒す。さすがはあの世のエレベーターでスムーズどころか早すぎるくらいのスピードで籠は上昇し、目的の階へ停まった。あまりの一瞬の出来事に麟太郎は理解が追い付かずにエレベーターの籠の中で呆然としていると、呆れたように獄卒は「行くよ」と声をかけ麟太郎はまるで獄卒のペットであるかのように引っ張られていった。ようやく目的の客室へ着いたのだが、麟太郎は部屋番号をおぼえようと番号を見ると42219と書いてあり、ため息が出た。あまりにも趣味が悪いと思ったのであろう。









「君はあの世に来ると肉体はなくなり実質的に生きている状態ではなくなる。つまりは君自身、霧崎麟太郎自体は概念としてのみ存在することとなるそれは分かってもらえるかな?」

「ああ、そのようだな。お前から離れようとしてガラスのようなものにぶち当たった時に気が付いた」

「今日はもういろいろあって疲れただろうから休んだ方がいい。俺はいったんここから出るけど君の魂はこの部屋に縛り付けられているから出られないからね」

獄卒はそういいながら鏡の前で軍服からスーツに着替え足早に部屋から出て行ってしまった。



一瞬の静寂が出来てから、麟太郎は部屋を見渡して思った。この豪華そうな絨毯も、室内を彩る装飾も、鏡も、寝具も、僕自体もが幻想なんじゃないかと。そんなことを考えながらベットに横たわるとウトウトと夢の中へ落ちていくようであった。この後、獄卒は自分がとった部屋にシングルベットが一つしかないことに気が付くのはそんなに後のことではない。










心地の良い秋風がそよぐ中、静寂の中で師範と少年麟太郎の二人で稽古をしている。

「刀の振りに迷いがある」


麟太郎は師範から技術的な面からではなく精神的面から剣術、剣道に対して注意を受けることが度々あった。

「どうすればいいのですか」と問えば大概の場合には「自分で考えろ」であったり、「簡単に教えてもらおうとするな見て覚えろ」という回答が返ってくる。

ひたすらに竹刀の素振り、木刀の素振り、真剣での素振りが順番で来るだけの単純な稽古である。試合もしないし、組太刀なんかをするわけでもない。正直つまらないと思っていた。


ある日いきなり、道場の庭で「麟太郎、好きに打ち込んで来い」と言われ刃引きされた真剣を渡された。

「真剣なんかでやったら師範が怪我をします」

麟太郎は真面目な顔で言った。

「いいから打ち込んで来い」



相手は刀を中段に構えて手の内は柔らかく楽に構えている。しかし、打ち込む隙がどこにもない。麟太郎の方はというと半身になり上段に構えてジリジリとすり足で彼の師範へと寄っていった。


瞬間、麟太郎の上段に構えた刀が相手の右半身をめがけて振り下ろされた。相手は難なくその第一刀を受け止める。麟太郎はすかさず手の内を変え相手の左半身をめがけ打ち込んだが、これも受け止められた。さらに、右半身めがけて刀を振り下ろし、受け止めた隙を見て、がら空きになった相手の左脇を下から斬り上げようと体をグンッと下げた瞬間、決着がついた。相手の刀が麟太郎の腹部すれすれで止められていたのである。



「もう一回だ」彼の師範は言った。

「何回やっても変わらないと思いますけどね」

麟太郎は気だるそうに言った。




「いいからもう一度打ち込んで来い」

そういうと相手は刀の峰を自身の手の甲にあて、流れるような、しかし静かな納刀をして刀が完全に鞘のうちに入った状態で麟太郎と居合った。


麟太郎は一瞬で片を付けようと顔の横に刀を構え、相手との距離をさっきよりも早いすり足で縮め、一気に振りかぶって叩き切ろうとした。しかし、相手は麟太郎が刀を振り下ろすタイミングを正確に読んで一瞬のうちに刀を鞘から抜きとり刀を力強く、しなやかに上にあげ受け身の形をとったうえで、麟太郎の刀を自身の刀の刃に沿わせて受け流した。刀と刀が打ち付けられた瞬間バチバチバチと火花が飛び散り、さらに体を捻らせて、刀を全力で振りすぎたあまり上半身が前に倒れこんでいる麟太郎の頸めがけて振り下ろした。むろん寸止めである。



麟太郎の目から涙があふれポトポトと零れ落ち、地面をところどころ黒く湿らした。

彼の師範は泣く麟太郎を横目に道場の奥へと消えていった。しばらくすると、師範が現れて道場の縁側に座り、茶を淹れ始めた。


「泣くな麟太郎。悔しいのは分かるが泣いたら本当に負けだ。こっちにこい茶でも飲もう」

気のせいか師範の声が普段よりも穏やかに聞こえた。


「なぜ、お前が私に勝てなかったか分かるか」

「いえ」

麟太郎はぐずりながら今の彼には精一杯の声を絞り出して言った。


「それは、お前が途中であきらめたからだ」

麟太郎にもそれに関しては思うところがあったが息があれているせいで、変な声が出そうで反論しようにもできなかった。彼の師範は続けて言う。


「人は成功や失敗というと簡単な枝分かれの道を想像する。しかし、実際はそうではない。成功や勝利というのは思わぬところで急に現れるものだ。続ければ必ず勝てるわけでも順調に成長するわけでもない。だが、希望を捨てずに粘り続ける者、戦い続ける者に道は開かれるのだ」


その静かな茶会が終わる頃には麟太郎の涙はすっかり止み、荒かった息もだんだんと落ち着きつつあった。

「まだ続けるか?」

「はい」

麟太郎は勢いよく答えた。


彼の師範がこの世を去るのはこれより二日後のことである。






朝、目が覚めると昨日の夜見た光景と全く同じ空間が広がっている。なぜか、ベットの上にいるはずの自分には昨日まではかかっていた毛布が剥がされており、その代わりに柔らかそうな椅子に座る獄卒にその毛布はかけてあった。

「これは悪夢か?」

どっちの方が夢なのか皆目見当がつかない。さっき見た夢であるはず光景は実際に自分が見たはずの光景なのに今彼の目の前に繰り広がっている光景は自分が概念として存在する幻想の世界であるからだ。




「おはようリンタロー君!」


獄卒が起きていると分かった瞬間、麟太郎は頭を抱えた。













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