第143話 グロックの揺らぎ
兵舎塔を離れたグロックが王宮を抜け、そのまま生家であるエマール家へと向かう。
住居をゼスト宅へと移してから、確実に過ぎていく時間。まだ、大丈夫。まだ、大丈夫とずっと先送りにしてきたが、今日は遂にゼストが初出勤の日を迎えるまでになってしまった。
先ほど、ゼストが新しい職場へと向かう際には、だいぶ緊張した面持ちであった。にも拘わらずその一歩を歩み出してみせた。確かに、緊張していたゼストではあったが、勇気は既に持っていたのだ。ただ単に、緊張のほぐし方にまで、考えが及ばなかっただけ、とも言えるだろう。
一方、自分はどうなのだ?
ゼストの事を、自身にとっては子供と同義の年齢だと言っておきながら、今日まで見て見ぬふりをして先送りにしてきた日々。だが、それも今日までだ。
先ほど新しい職場へと向かうゼストから勇気を貰った。今度は自分の番だと、エマール家の門を潜る。
門番として配置されたエマール家お抱えの私兵がグロックに気付き、頭を下げてくる。グロックは二人に片手を上げ、労いの意を表すと、その横を通り過ぎる。
広い前庭を通り過ぎ、洋館の玄関口まで辿り着くと、その片側の観音扉を開け、中へと入っていくグロック。玄関ホールを見回してみるが、珍しく人が居なかった為、人を呼び寄せるべく声を上げた。
「誰か、おらぬか!」
静かな洋館の中、グロックの声が奥へ奥へと響いていく。そして、消えていく声とは逆に、こちらに駆けてくる足音が微かに聞こえた。
「大旦那様、お帰りなさいませ。出迎えに参らず申し訳ございません」
足音は、メイドを担うメアリーの物だった。
「いや、問題ない。突然押しかけたのはわしじゃからな。それより、メアリー。ヨークとチェルシーさんに話があるんじゃが、今はどこにおる?」
「旦那様と奥様でしたら、先ほどご朝食を召し上がっておられましたので、まだそちらにおられるかも知れません」
「そうか。では、食堂へと行ってみるとしよう。メアリーは良いぞ。何かしておったのだろう? わしに構わず、先ほどの続きをするが良い」
「大旦那様、承知致しました。では、そのように致します」
グロックは、メアリーの言葉を聞くや、歩き出す。グロックの姿が見えなくなるまで、メアリーは頭を下げ続け、見送りとしたのだった。
「邪魔するぞ」
そう言いながら、グロックが食堂の扉を開ける。
「? 父さん!? 朝早くから、どうしたんだい?」
食堂内を見ると、メアリーが予想した通り、ヨークとチェルシーの二人が食卓に着いていた。今は、どうやら食後のティータイムのタイミングだったらしい。話すタイミングとしては申し分なかった。
「急に押しかけてすまんな。ちと、出掛ける用事があったものでな。帰りに立ち寄らせて貰った。いい加減そろそろ話をせねばと思っておるんじゃが、未だ伝えられておらんでな……」
グロックが具体的な話の内容を告げなかったものの、その言い方にピンときたチェルシーが、義父に当たるグロックに話しかける。
「お義父さま、それはベティスの進学先についてですね?」
「ああ。そうじゃ。とは言っても、選択肢は一つしか無いんじゃが、問題はベティスにどう伝えたもんかと思うてな。まず、確認なんじゃが、二人はベティスが初等部に進学するという事に、賛成という事で良いんじゃな?」
ヨークとチェルシーは、グロックの問い掛けにお互いに顔を向け合うと、頷く。
「と、なると問題はやはりベティスに、何と言って伝えるかという事になるかの……」
「父さん、そこはやはり事実をありのまま伝えるしか無いんじゃないかな? こうやって、わざわざ来るくらいだ。一緒に暮らしているとはいえ、父さんからは言い出し難いって事だろう? それに、本来ならばベティスの親である俺たちの役目だ。父さんが言い出し難いって事であれば、俺が出向くよ」
「いや……。わしが伝えよう。お主たちがわざわざ出向いたんでは、ベティスも余計身構えてしまうじゃろうしな。すまぬな。お主たちの顔を見れば、わしの決心が固まるかと思って出向いただけなんじゃよ。食事中のところ済まぬな」
グロックが、息子夫婦である自分たちに気を遣うような言葉を使うものだから、ヨークは席から立ち上がると慌てて否定する。
「何を言うんだ父さん。ここは貴方の家だろう? 何を気を遣う必要があるんだ? ベティスも連れて、時々は顔を見せてよ。それで、あの子は元気にやってるのかい?」
「ああ、それならば問題ない。ベティスは、毎日アルスと一緒に居られると、そりゃあもう大喜びじゃ。まあ、実際この後に帰ってから話をする時は、それを理由に話を進めてみるつもりじゃ」
グロックの提案に、チェルシーが賛同する。
「ええ。それが良いでしょうね。あの子にとって一番の優先事項は、アルス君と一緒に暮らせるという事でしょうから……。それと天秤に掛けられれば、頷くより仕方ない事になりましょう」
そして、チェルシーのこの言葉以降、暫し食堂に沈黙が流れる。
「そうじゃな。よし! やはり、その方向で話をしてみるとしよう。ヨーク、チェルシーさん、済まぬな。わし、一人では決め切れんでな。やはり、お主たちと話をして良かったわい。では、気持ちが冷めぬ内にベティスと話をするとしよう。では、またな!」
グロックは、そう言うや否や、踵を返し食堂の扉を開ける。
「ちょっ! 父さん! お茶も飲んでいかないのかい!?」
ヨークが立ち去りかけるグロックの背中に、慌てて声を掛けたものの、そこには既に当人の姿はない。それは、ここに来るまでのグロックの気持ちが相当沈んでおり、気持ちが盛り上がった今ならば! という気持ちの表れなのだろうと思われる。
そして、食堂内は再び夫婦二人だけとなる。
「でも、あなた。ベティスは納得するでしょうか?」
「それは、先ほど君が言った事が全てだろう。アルス君との暮らしとで天秤に掛けられれば、ベティスに他に選択肢はないだろうさ……。まあ、本人が望まずともね……」
二人ともが、グロックがこれから持ち掛ける話にベティスが頷くより他ないと確信しているものの、果たして素直に、うん。と言うだろうか……。と、残りの紅茶を啜るのであった。




