贈り物――動くぬいぐるみと老女の話――
わたしの手を離れたときから彼らは動き出す。
はじめはおずおずと、やがて、明瞭な意識でもって。
そうしてわたしに聞いてくるのだ。
「ぼく、動いてもいいのかな。なんだかすごく不安なんだけど」
わたしは彼らに微笑んでみせる。
「わたしの前なら、いくらでも構わないのよ。でも、一つだけいっておくわ。あなたたちは人間じゃないのよ。それだけはちゃんと心にとめておきなさい」
わかったような、わからないような仕草で彼らはうなずく。
いくら意識を持っていたって、自由に動くことが出来たって、彼らはぬいぐるみでしかないのだ。
望んでも、本物の生命にはなりようがない。
わたしはそれが、少しだけ悲しい。仕方がないことだとわかってはいても。
最初は違和感を覚えていた彼らも、やがて動くことに慣れ、各々の楽しみを見つける。
わたしの作るぬいぐるみがそういう傾向を持っているのか、それとも彼らの柔らかい材質の問題なのか、体を使うことを好む物はあまりいなかった。
スポーツもせいぜい、少数の物たちがわたしの家の物置を使うぐらい。助かることだ。
もしも運動ばかり好まれていたら、わたしの家の広さでは足りず、彼らの不満が噴出しただろうから。
大多数のぬいぐるみは、本を読むことやおしゃべりを好み、そして彼らはわたしのいい話し相手になった。
同居する家族もいなければ取り立てて参加している活動もない、一人暮らしの老人であるわたしにとっては助かることだった。
はじめはみんな、子どものように何も知らない。
そんなぬいぐるみたちにこの世界の理を一つ一つ教えていくのは大きな楽しみだったし、読書を重ね知的に成熟しはじめたぬいぐるみたちと会話を交わすのは、たくさんの驚きを与えてくれた。
「なぜぼくらはこのように動くことが出来るのですか? ぬいぐるみは普通動くことが出来ない。でも、あなたが作った物だけは、ぼくらがそうであるように、行動し考えることが出来る。それは、なぜなのですか?」
「どうしてあなたはわたしたちを作ったの? 何をさせたいの? どうして欲しいの? そうしてわたしたちは、どこへ行くの? 作ったあなたなら、わかるんじゃないの?」
そうしたいずれの質問にも、わたしには答えることが出来ないのだ。
それにわたしは、単純な知識の上では、飽きもせず本ばかり読み続けることが出来る彼らに及ばない。
だから、一緒に考え、話し合った。
「わたしだって、わからないわ。はじめてあなたたちを作ったときから、そういう力が備わっていたんだもの」
「わたしだって、二人の人間から作られたのよ。そうして、わたしの両親だって、あなたの質問には答えられなかったと思うわ。わたしもまた、同じなのよ」
そういう有意義な時間を過ごしていても、彼らと別れるときは来る。
わたしはただ趣味で彼らを、つまりぬいぐるみを作っているのではない。
生計を立てるためで、生活の一部なのだ。
だから、ぬいぐるみを買主に渡す前に、最後に何度も彼らにいい含める。
「最初にいったでしょう。あなたたちはぬいぐるみ。これからは、他のぬいぐるみと一緒になるのよ。我慢をして、そうして、愛されなさい。今まで動けていたことは、あなたたちへのわたしからの贈り物よ。これからは人間の前では、決して動いてはいけないわ」
そして、こうも言う。
「……もし捨てられそうになったら、そのときは動いてもいいわ。帰ってきなさい。わたしはいつでも迎えてあげるから」
わたしのぬいぐるみは評判がいいのか、今までに帰ってきたぬいぐるみはいない。
あるいはわたしの家にたどり着けなかっただけかもしれないが。
そうでないことを、わたしは祈っている。
そして今、人生の終わりを迎えようとしているわたしに、彼らの言葉が蘇る。
「ぼくたちがそうだったように、あなたの時間も、誰かに贈られたものだったのですか?」
それは、きっとそう。贈った誰かはわたしの両親だったのかもしれないし、神様と呼ぶべきものかもしれない。
神様についてはわたしは知らないけれど、わたしは両親を看取ったし、ぬいぐるみたちもいま、わたしを送り出そうとしてくれている。
わたしは、すごく幸せだ。
わたしが作った、愛するぬいぐるみたちに囲まれているのだから。
悲しむことはない。
ぬいぐるみたちがどこの家庭に引き取られるかは、もう決めてある。
だから、愛され、強く生きていきなさい、あなたたち。
それがきっと、わたしからの贈り物の意味なのだから。