019 嬉し涙
「……喋っ……え……嘘……」
「ぼ……僕も……初めて聞いた……」
多分この世で初めて、彼女の声を聞いた俺達。
それはそれは綺麗な声音で、耳心地の良さときたらもう……ハープ? みたいな……。
「どうしてなの?」
「そ、それは……」
「いやお前じゃなくて、その子の方」
俺じゃないんかい!! 話の流れ的にそうだと勘違いしそうじゃんか!! 場の流れ読むの下手なのかこの人!!
「僕……僕は……お姉ちゃんを……助けたい!」
曇り無き眼を、意思の強い言葉を、筋の一本通った心を彼女に向ける樂ちゃん。
その幼い背中に、どれだけ強い覚悟を背負っているのだろうか……。
「……そうですか……分かりました」
「分かりました? てことは……」
「ここを開け放ちます」
「え……ホントに……」
「よっしゃああ!!!!」
「あなただけ」
「俺はハブかい!!」
期待させといてのこれは結構キツい……サディスティックな性格なのこの人……。
いやいやサディスティックじゃなくてもあの一連を見たら冷たくなるわな。
「……断る」
「何故?」
「……僕だけ行っても……お姉ちゃんは助けられない……お姉ちゃんに選ばれたサトルなら、もしかしたら……」
「……樂ちゃん……」
「───僕はサトルに懸けるんだ!! そう決めたんだ!!」
何ともまあ嬉しい言葉だ。
自分にはそれに見合う力も心も持ち合わせていない、残念ながら過剰な期待だ。
せめてあるのは人よりも多少運があるだけ……けど、期待されている。
今まで生きてきて、期待された事は無い訳では無い。
(頑張れよサトル!)
(次は大丈夫だって!)
(諦めんな、ツキは回ってくるから!)
(また……か……)
(大丈夫か? お前が?)
(やめとけ、損するだけだぞ)
(思い切りやれ! 安心しろ! 誰も期待してないから!)
ボロが出るとかそういうことじゃなくて、とにかく上手くいかない。
自分が理不尽なだけならまだしも、周りが自分の悪いところしか見てくれない事が嫌だった。
努力は報われる……認められるかどうかは別として。
弱気で諦め癖、無気力は結局周りの空気に飲まれ同調してしまった自分の弱さ故だ。
ただ樂ちゃんは……俺を見て懸けると言ってくれた。
それが全く知らない感覚に包まれて……震えて……泣きそうだ……心の底から……嬉しい、ありがとうと叫びたい。
「お、おいサトル……何で泣いてんだよ……」
「え……」
ああ……これは……結構ガチな涙だな……。
知らないよ……こんなに嬉しい事は……。
「……俺……生きてて……よかった……」
「そ、そうか……」
こんなに泣いたのはいつ以来だったか……そもそも嬉し泣きが初めてだし……。
「……お前は、何故ここから出ようとするんだ?」
鏡の中の彼女は、笑っていた。
嘲笑なのか、お茶らけなのか、確かな微笑みが俺に向けられていた。
あんなに苦労した笑わせるってミッションは……俺の不意の涙で達成した。
「……自分のためと……樂のためだ」
最高に格好つける、柄じゃ無くてもやってのける……そんな姿勢が、どんな変顔より笑えるかもな。
「───その男同士の友情に免じて、2人をここから出そう」
そう言って彼女は鏡の中からこちら側に手を伸ばす。
鏡は水面のように揺らめき、真白い右手を俺は樂を抱きしめながら掴む。
※ ※ ※ ※ ※
「……え……マジか」
手を引かれ、俺達は鏡の世界に行くのかと思いきや、入っていった洞窟の出口に立っていた。
「すげー……」
「……これが……外の世界か……あぁぁははははは!!! すごーい!!」
「俺は今弟と妹を同時に手にした気がする」
喜び方は間違いなく少年なのに声が活発な少女の中性的な樂に慣れない俺。
しかしそんな幸せな雰囲気をぶち壊す荒ぶる足音が聞こえる。
「な、何だよこの音は……」
「……モンちゃん……忘れてた……」
50メートルという巨躯を凄まじい速さで駆け回す脚力は本当にすごい。
洞窟へ逃げようと背を向ける俺のズボンを引っ張り止める樂、そんな俺達を差し置いて真っ正面に突進してくるモンちゃんの前に立つ鏡の彼女。
「危ねぇ!!」
「問題ない」
モンちゃんに向かって右手の平を向けた彼女に突進する直前、ほんの数メートルの間隔でモンちゃんの足は止まる。
そしてあろうことか、宙を舞いひっくり返って弾き飛ばされたのだ。
「……今……何したの?」
「私の右手はあらゆるモノを弾き、左手はあらゆるモノを吸収する……我が名はミラ
───お前と同じ、転生者だ」




