【25】実は仲良し
レアンドロは、その派手な外見ほどには別に癖の強い性格というわけでもなかった。
それどころか彼は、どちらかと言えば繊細なほうだった。
彼は、余所者として外朝で働き始めた日々の中では当然、相応に疲弊を重ねていた。
レアンドロが官職を与えられた財務方は、もともと旧来の聖職者や法律家たちがひしめくガチガチに硬直した組織体だ。
……まあ、直の上司である財務長官オヴァンドは、たぶんもっと上(長官の上席者など、大大臣級かもはや陛下本人くらいしか思いつかないが)から色々と言い含められているらしく、レアンドロや彼が南部から連れ立った家臣団を精一杯「好意的」に受け入れようという気概がまだ感じられる。
問題はその一歩外を遠巻きに取り巻く外野のほうだ。
南部出身者への蔑視にはいちいち腹が立つが、レアンドロの側には口だけの貴族連中を素直に殴り返せない理由が色々とある。
そもそもレアンドロが王都に呼ばれた趣旨は、南部陣営で徒党を組んで他派閥に睨みを利かせることなどではないからだ。
保守的な貴族層とも北部新興派閥ともそれなりに折り合いをつけて、融和ムードをこじつけていけという無理難題を背負わされている。
おかげで、細やかに気を遣う必要がある事象には何かと事欠かない。
事欠かなすぎる。
死んでも口にも態度にも出さないが、レアンドロは人知れず普通に神経をすり減らしていた。
「おお! レアンドロどの」
その日たまたま、レアンドロは職場の財務顧問院の前で見知った顔と鉢合わせた。
「ちょうど良かった、財務長官さまはご在室ですか?」
彼に呼びかけたその男が大事そうに携えている書状は、封蝋の色からも察せるように王妃からのものだろう。
レアンドロはにこやかにその男に接し、上司の部屋まで案内してやることにした。
「ええ。ご在室ですよ。こっちです」
男――シュルデ子爵は、王妃の側付きとして周囲に認知されている人物であったし、今日もベルタの使い走りだろう。
「いやあ、レアンドロどのがいてくれて助かりました。顧問院はいつも古い書物が散らかっていて不気味なのと、官吏たちの顔色が悪くて怖いので」
子爵の素直な感想に、レアンドロは苦笑を返した。
「悪いね、古い帳簿を散らかしているのはだいたいが私の家臣団です」
更に言うなら、財務方の実情の洗い出しという激務を強いて、官吏たちの顔色と健全な職場環境を害しているのもレアンドロ一派の仕業ではあった。
「古い帳簿を見て、何をなさっておいでなのですか?」
似たようなことは方々から問われているが、シュルデ子爵の問いには一切の嫌みの意図がなく、純粋に疑問だという顔だった。
「古きに学ぶことも色々とあります」
「ほお、レアンドロどのは勉強熱心ですな」
子爵の気の抜けた髭面を見かけると、実際結構ほっとする。
このクソみたいな王宮の一服の清涼剤という感じだ。
子爵は、ベルタが可愛がっている乳母の夫という、ズブズブの縁故採用で王妃の側付きの任についているに過ぎないわけだが。
彼があの乳母の夫だと知った時、レアンドロは一瞬意外に思った後に、なんだか妙に納得してしまった。
あの、確かジョハンナとかいう名前の、背が低くて乳がでかい乳母。
一目見た時から、ああベルタのお気に入りだろうなと思った。
見るからにはしっこく、ああやってちょこまかと自分で動き回りたいタイプの女には、こういう穏やかで包容力だけはあるような年上の男が案外似合いなのだろう。
子爵はふとレアンドロの顔を見て思い出したのか、並んで顧問院の薄暗い回廊を歩く最中、話題を先日の婚礼のことに振った。
「先日のご婚儀は、とても華やかで素晴らしいご様子でしたな」
「ああ、ありがとうございます」
「妃殿下も弟君の婚礼を祝うことができてたいそうお喜びでしたよ」
「へえ、はは……」
いくら私的な会話とはいえ、どこで誰に聞かれているかわからないような廊下で、先日ベルタが潜んで市街に出ていたことを話題に上らせるのはまずい。
あれは、もし詳らかに追及されでもしたら王妃としては咎められても仕方がないような行動だ。
ベルタは時折後先考えずに、というか、後先考えた上でもおそらく同じなのだろうが、立場を軽々逸脱した行動を取る。
レアンドロは先日の自分たちの婚礼の日、ベルタの顔を見るなりぼろぼろと泣き崩れたニーナのことを思い出した。
全くもって、今まさにという時を外さずに、ああやって自分を慕う人間に手間を惜しまず目をかける態度は、カシャの父にそっくりだ。
レアンドロとしても、あれでニーナが何かしら安心したようだったので、彼の側からベルタの対応についてとやかく言うつもりもない。
言うつもりはないが、シュルデ子爵の緩めの口は誰かがしっかり閉じさせておけよと思わないでもない。
今度あの乳母にでも、もっとしっかり夫の手綱を握っておくよう釘を刺しておこう。
「ヒメノ伯爵家のご令嬢との新婚生活はいかがですか?」
「……私の帰りが遅い日も、ニーナはずっと起きて待っているんですよ。別に、先に寝ていて良いと言っているのに」
これは今、レアンドロが実際多少困っていることだった。
ニーナは最近何をするにも、不安そうにレアンドロの許可を求めようとする。
……それがレアンドロの気を引きたい振る舞いというのならば、まだわからなくはないのだが。
どちらかと言えばそうしなければならないと、なぜか思い込んですらいるかのような勢いだ。
もっと気楽に過ごしてほしいし、さすがにこちらとしても、そこまで張り詰めた報告・連絡・相談を受けながらの結婚生活は気詰まりだ。
好きにしていい、勝手にしていい。
レアンドロがそう伝えようとしても、今一つ伝わらないというか。
フェリパの前では『レアンドロさまは私のことなんてどうとも思ってないんだわ!』と怒ったり泣いたりしているらしいが、そのわりには彼女はレアンドロの前ではまだ大人しく猫被っている。
「新婚なのですから、奥さまも少しでも長く一緒の時間を過ごされたいのではないですか?」
「それはこちらとしても山々なんですけどね」
レアンドロの帰りが遅いのは、別になにも遊び歩いているというわけでもない。
実際彼は最近仕事ばかりしている。
「陛下と妃殿下も、なかなかお忙しい方々ですが、夕食の時間だけは共になさるとお決めになっているそうですよ。陛下付きの老女官方がこの前嬉しそうにおっしゃっていましたが、団欒のお時間はお二人で会話も弾まれているようです」
また姉夫婦に関するいらない情報を聞いた。
というか、誰でも彼でもシュルデ子爵にペラペラと、どうでもいいことをしゃべり過ぎでは?
レアンドロもついつい口が緩んでしまっているので人のことは言えないが。




