【24】信仰の問題
――その年の秋から冬にかけては、王家にとって受難の日々が続いた。
前年の遷都の時点から、宗教論争の火種は燻り続けていた。
いや、それを言うのならば五年前に現国王ハロルドが、教義の分派という形を取って独自のアウスタリア国教会を打ち立てた段階で、既に破綻の足音は響き始めていた。
あるいは、その更に十数年前。前国王の庶子である彼が、この国の君主の座についた段階で。
そもそもそのハロルドが生まれた時、王太后が彼を手元で引き取り、自らの実子としての待遇で育てる決断をした段階で。
原因を遡ればきりがない。
ともかくそれは、これまではどうにか騙し騙しやってきた両陣営の関係値がついに限界を迎え、間に大きな亀裂が走ったという、単にそれだけのことだった。
当然ながら、熱心な宗教者たちにとっての最大の突っ込みどころは、王妃ベルタその人だった。
ベルタの存在自体や、その王妃としてのあり方は、彼女が第二妃としてこの中央政治の舞台に登場した瞬間から物議を醸し続けている。
彼女が宗教的なことに無知、無感動な王妃であることは、少なくとも当時の宮廷社会においては周知の事実であった。
「一応、私も国教の信徒ではあるんだけどね」
儀式的な体裁面においては、ベルタは確かに国教の盟主たる王家の妃としての要件を満たしていた。
彼女は第二妃として王家に嫁いだ当初に、アウスタリアの国教会の洗礼というものを受けていた。
「えっ、……そうでしたっけ?」
とはいえ、その話になった時、侍女たちですら何も記憶にないという顔をした。
「ほら、ダラゴの王城に入った日に、確か陛下への謁見に出る前に一度別室に入ったじゃない? 簡素な尋問室みたいなところ。そこで法衣を着た老人と私が少し問答をしたでしょう」
彼女たちが覚えていないのも無理はない。それは文字通り形式的なものに過ぎなかった。
当時は、第二妃という曖昧な存在であった妃の改宗に、誰もがさほど興味関心を抱いていなかった。
国王の妻となる存在なのだから、一応、形式的には国教会の洗礼を受けさせなければならないだろうということで、申し訳程度に組み込まれた儀式。
それは予定合わせもいいところの、実に適当な十数分間の出来事だった。
「ああ! あの、変な老人が姫さまの頭に水をかけようとした儀式ですか」
「老人というか、今思えばあれはアウスタリア国教会の司教だったわね」
今となっては司教も顔見知りの相手だが、初対面の当時の印象は薄い。
司教は、細かい説明の一切を省略した儀式をベルタに行った。時間もそれほどなかったのか、ただ自分が今から言う古語を復唱するようにとだけベルタに告げた。
「ありましたね、そういえば。こちらはこれから謁見に臨むために、髪もお化粧も整えに整えた臨戦態勢だったっていうのに。姫さまを跪かせて、こともあろうに頭から水をかけようとするなんて」
結局あの時は、気を張った侍女たちの逆鱗に触れた司教が遠慮して、灌水礼を諦めた。「じゃあ手で大丈夫です」と水滴のついた手を頭に押し当てることで儀式が代替されたような気がするが、あれは今思い出してもグダグダだった。
「最近ルイの洗礼式の話で、場所はどうの衣装はどうのと細かいことまで色々と議論になっているせいで余計に思い出すわね」
本来、敬虔な信徒や宗教者にとって「洗礼」とはそういうものらしい。
人が生涯に一度、神に信仰を誓う特別な儀式。
ベルタとしては別に、自分の洗礼式について特に思うことはない。
当時もおそらく、まあ、郷に入っては郷に従えと言うし……程度の考えで改宗の儀式を受け入れたわけだが、考えてみればその軽さこそが、ベルタが根本的に信仰というものを理解していないが故の浅慮であると人々に感じさせてしまっているのだろう。
この件に関しては、却って敬虔な人々ほど、あの日に自分たちがベルタに向けた仕打ちについて負い目を持っているようだった。
ハロルドにも若干その気があるが、最たるは件のアウスタリア司教だろう。
国王を除けば新たな国教会の最高位に付いている司教その人は、異郷から来た無知な妃に、ろくに本人の意思もなかったような洗礼を受けさせてしまったことを深刻に受け止めている。
「司教さまは、ルイ王子の洗礼式に関してはなんと?」
「王子もまだ、ご自分でははっきりと信心を表明できるようなお歳ではありませんしねえ」
とはいえ幼児洗礼というのは、どうもそういうものらしい。
「もともとプロスペロ教会の主流の教えでは、信徒同士の間に生まれた子は生後間もなく当然のように教会で洗礼を受けさせるものらしいわ」
洗礼の儀式には大きく分けて二種類ある。
ひとつはベルタが受けたような、成人後の改宗行為に伴う信仰の告白。こちらは責任能力のある自らの意思で神への信心を誓うため、相対的に大ごとだ。
もう一つは幼児洗礼。代々信仰を繋ぐ家柄に生まれれば、当然のようにその子供も信徒となる。
当人の信仰の意思というよりは、我が子を信心深く育てることを誓う親の信仰告白にも近いのかもしれなかった。子に加護を求め、健康に育ってほしいと祈る思いは、文化圏にかかわらず普遍的な感情だろう。
「要するに、子供本人よりもその両親の問題ということね。……ルイの洗礼について、あの頃誰も何も言ってこなかったのは、私がルイを手放そうとしなかったから」
……本来であればハロルドは、当時の正妃であったマルグリットを代理の母役にでもして、早々に国教会の教義を整え直し、ルイの正統性の担保のために幼児洗礼を受けさせたかったのだろうと思う。
しかし王子のことは、その生母である不信心な第二妃が囲い込んで隠してしまった。
その状況に至るまでの衝突の経緯があったため、誰もが腫れ物に触るようにして話題にすら上らせることを控えた、ということのようだった。
「しかし、保守派のマルグリットさまがペトラ人の子であるルイ王子の母役を務めることも、それはそれで難しかったことでしょう。――それよりも、それほど重要な儀式だったというのなら、王太后さまあたりが代理をなさるような折衷案はあったのではありませんか?」
その指摘はもっともだった。
当時のベルタは知る由もなかったことだったが、これも外朝ではそれなりに取り沙汰されていた話題らしい。
「どうも、陛下にはそのつもりもあったらしいわ。……けれど王太后さまがお断りになったというの。自分ではなく、若い人がルイの後見になるべきだと」
その頃はまだ、王太后はベルタにそこまではっきり肩入れしていたわけではないから、その玉虫色の主張はおそらく、マルグリットかベルタのどちらかにやらせるべきだという解釈の余地を残したものだった。
王太后の主張は常に一貫していて、彼女は王妃という立場の女が政治的な発言力を有することを期待している。
王太子となる可能性の極めて高い赤子の洗礼の儀ともなれば、そこで親として後見役を務めることは、王妃が負うべき責務であると王太后は考えているようだった。
「正直なところ、今もって最も諸派閥に摩擦が少ない方法は、王太后さまに出てきてもらうことに違いないのだけれどね」
しかし、王太后の意思は固く、誰も彼女をそのように説得し切れていないというのが現状だ。
ハロルドしかり、ベルタしかり。
ベルタもこの前やんわりと釘を刺された。『あなたはまだ、守りを固めている場合ではありませんよ』。先人の教えは耳に痛い。
「仕方ありません。確かに王太后さまのおっしゃる通り、いつまでも王太后さまに頼り切りというわけにもいきませんし」
今までベルタは、どうしても避けては通れない宗教行事があるたびに、初歩的なことや付け焼き刃な立ち振る舞いだけを詰め込んでどうにかやり過ごしてきた。
彼女の改宗の経緯が散々だったことを知っている司教たちは、どちらかと言えばそんなベルタに甘く、よそよそしい対応を貫いてくれていたように思う。
「そうね」
しかし、ベルタ自身もそろそろ、重い腰を上げるべきだろうということは承知している。
「ここに来て、いいかげんに私も信仰に無関心のままというわけにはいかなくなってきた感があるわね……」
この国の、大河以北の大半の地域に深く根差す「国教」プロスペロ教。
それは大陸社会に千年以上も根を張り、文化と文化を網の目のように繋ぐ巨大な宗教組織でもあった。
彼らは敬虔な教義に基づいた独自の価値観で生きていて、けれどその価値観が、大陸諸国の王侯貴族の間では伝統的、支配的に信奉されている。
アウスタリアで長年、前王朝の頃から信仰されている宗派は、プロスペロ教の中でも主流派の教えだが、新たなアウスタリア国教会も当然その主派の流れを汲んでいる。
――宗教的な課題に関して、強国でさえ殊更慎重に当たらなければならないのは、その歴史の深さもさることながら、宗教が大陸諸国を繋ぐ緩やかな連帯にも由来している。
アウスタリアが今まさに直面しているのは、そうした大陸社会の緩やかな連帯から、落伍していってしまうことへの恐怖だった。
どこの国の王族も、数代前の先祖を辿れば親戚同士であるというような時代。
大陸諸国は、時にいがみ合い、時に同盟関係に至りながらも、全体として迂遠で倦怠的な互助社会を形成している。
その大枠の共同体から、完全に外れることへの危機感。それは、多くの大陸諸国にとって「余所者」の国家となってしまうことだ。
ハロルドは冷静に、この問題と向き合い続けている。
彼はアウスタリア国教会を設立した後も、プロスペロ教皇への度重なる資金供与や軍事力の派遣を打ち切らず、付かず離れずの距離感を演じている。
また、新たなアウスタリア国教会の教えが、教皇庁に異端と認知されて弾圧の対象とはならないよう、その信仰が主派と極めて類似している点を強調して外交的な衝突の回避を図った。
旧国教会とアウスタリア国教会の、唯一といっていいほど明確な相違点は、重婚及び婚外子の継承権を部分的に容認しているという点だ。
しかし、国教の完全な分派から五年の歳月が過ぎようとしている現在においても、中央の貴族社会で二人の妻を娶っているのは国王ハロルド本人だけだ。
彼は、自身はあくまで形式上今も二人の王妃を持ちつつ、他の王侯貴族からの二重結婚の申し入れはその一切を認めていなかった。
……確かに重婚や婚外子の許容は、王家の現状を是認する特効薬的な規範である一方、使い方を誤ればたちまち劇薬となる諸刃の剣だ。
これまで伝統的にこの国の基盤を作り上げてきた支配形態を揺らがす危険すら孕んでいるし、やりすぎれば、今後大陸諸国の文化圏の中で明らかな孤立を招きかねなかった。
そうした事情を踏まえると、重婚などの手段は、跡取りに困窮したやむにやまれぬ事情がある場合に容認され得る、という形骸的なあたりに落としどころを持っていくのが妥当なところだろう。
――まあ、ハロルドには二重規範の好色王として、存分に歴史に悪名を刻んでもらうとして。
つくづく彼は、歴史の順序に貧乏くじを引かされた王さまだ。




