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【14】私情



「――――どう思った?」



 レアンドロが退出した室内で、ハロルドは面会の間中もずっと室内に控えていた最側近に、率直に投げかけた。


「どう、と申しますと。……まあ、妃殿下よりかは、いくらか御しやすい南部の若者だろうなという印象でしょうか」


「ベルタと比べるな」


 軽口を叩きながら、ハロルドは椅子のひじ掛けに頬杖を付いて浅く思案に暮れた。

 あのレアンドロという男。


 一昨年、南部への視察に同行した者たちであれば真っ先に思い当たるほど、彼はカシャの当主ヴァレリオにそっくりだ。


 あの当主の若い頃はきっとこういう感じだったのだろうな、と思わせるような容色と、なるほど人を惹き付けそうな闊達さ。


「しかし、だいたいわかった。確かにあれはどちらかと言えば実務家だ。派手な見た目に騙されなければ、わりあいに使いやすそうな男ではあるな」


「しかし陛下。今回は貴方にしては、なかなか珍しい切り込み方をなさいましたね」


 セルヒオには事前に、会話運びがどうであっても絶対に話に入ってくるなと言い置いていた。そうでなければ、セルヒオはさすがに二、三回はレアンドロを咎めて止めに入ってきたかもしれない。


「南部の人間との付き合い方もだんだんわかってきた」


 あの者たちは存外に、身分や立場ではなく人そのものを見ている。人柄や思考をさらけ出して語り合うことで、相手の人間性を図りたいのだ。


 彼らは個性というものを強烈に重んじ、相手がどういう立場の人間であっても、腹が見えないことには関係性が始まらない。そうした性情は原始的で動物的なもののようにも感じたし、翻って新鮮で、却って先進的なものの見方のようにも感じられた。


 いずれにせよそうした人間との関わりは、ハロルドにとっては疲弊が大きい。


「南部の人間の性情に振り回されるのは疲れます」


 セルヒオも疲れたため息をついた。


「威勢が良いのは別に構いませんが、さすがにもう少し中央に相応しい所作や言葉遣いを覚えてもらわないことには。今日のように私的な場であるならばまだしも、外朝であれをやられたらたまったものではありません」


 そうした文化的な相違も、おいおい解決すべき課題ではある。


 ともかく、今最も重要なことは、カシャからせっかく出てきた人間を取り零さないこと。楔として外朝の機構に取り込み切ることだ。


 しかもレアンドロはその人材として、単なる人柱ではなく、実際に実務的にも役立ちそうな男だった。


「……しかし、あの手堅いベルタが、南部からの架け橋に自分と同世代の人間を出してくるとは思わなかったな」


 カシャからの先鋒の人選に、最大限に気概を割かないような彼女ではない。

 そのベルタが、明らかに彼女自身よりも不安定で未成熟であろう異母弟を指名してくるのは少々予想外であった。


「それ自体、組織が若いということなのでしょう。伝統と保守性に縛られた我らが、彼らから学ぶべき姿勢の一つです」


 ベルタが自発的に外朝でも動くようになってから、ハロルドは彼女のやりようの一つ一つにそうして小さな驚きを受けることがある。

 そして、ベルタを取り巻く重要な要素の一つには、「若さ」という才能があった。


「確かに、若くても問題がないのなら、若い者に役割を落としていくことに躊躇をする必要はないな」


「実際に異母弟君は資質としては問題がなさそうでした。とはいえ、今すぐに重要な官職を与えることは反発が大きすぎるでしょうが」


「そうだな。やはりしばらくは、連れてきたカシャの使節ごと、オヴァンドの下に付けて働かせるのが良いだろう。あの老人は良い風除けになる」


 ベルタが王妃として動き出し、これまで着手した政策は色々とある。


 遷都造営に向けた金策。派閥の統合。ルイの教育。

 ……しかし、彼女が打ち出した施策の中で、長い目で見て最も大きなものは、国家の財務改革に違いなかった。


 国家の内情を、予算という側面から切り出し、管理しようとすること。


 その潜在的な影響力の大きさと危険性を、ハロルドは正しく認識していた。


 国家の財政状況というものは本来、国の最重要機密に他ならない。財政を通して国家の内情を余すところなく見つめるということは、それだけ国家の弱みを注視するということだ。


「……いくら王妃の身内とはいえ、南部の者に国家の財布の管理を握らせようとは。南部との融和政策も進むところまで進んだ感があるな」


 国庫の中身は可視化されたほうが良い、という意見には全くもって同意するものの、見えるようになった途端、その弱点をあげつらわれてはたまったものではない。


 ……しかし、改革を実現にこぎつけられる技術官僚は、おそらく南部にしかいない。


 金勘定を軽視しがちな、宗教的な足枷に縛られた外朝の者たちは、まだその政策の重要性を充分には理解していない。


 しかしハロルドはその状況下で、財務の改革をそのままベルタの手に委ねるという、大きな賭けに出ようとしていた。


 そのことに比べれば別に、ハロルドが王妃である彼女をどう扱いたいのかという手の内を、カシャに対して隠すような必要性も感じない。先程レアンドロに対して言ったことは、別に彼の口を通じてカシャに伝わったとして困らないことだ。


 いずれにせよ、南部と敵対していた数代前までには考えられないような方策だ。南部出身の王妃が、重用のしがいがあるほど、国力への奉仕に重要な位置を占めることも。


「ルイの代に移行するまでに、どうせ遅かれ早かれ南部との融和は進んでいく。それならばいっそ、その流れに飛び込んでしまったほうがいい」


 この国をできるだけ完全な形で、できるだけ国力を損なわずに息子に渡したいと思った瞬間から、ハロルドの生涯には目標ができた。


 こうなって初めて、ハロルドは己がいかに利己的であるのかを自覚した。


「……大きな改革ほど、ゆっくりと進める必要がございます」


「しかし遷都で一気に色々な課題が浮き彫りになってきた。これを機に、たたみ掛けなければならない問題がある」


 先祖代々守り伝えてきた、王家の尊い血筋。しかし、その王たちがかつて最も忌避したであろう、現地の民の血の流入。

 ――「王家の現地化」をハロルドは許容しようというのだ。


 血を分けた自らの息子に玉座を譲り渡したい。

 誰に恨まれることになっても、次代の王はルイがいい。


 そのための体制作りも、批判を退ける盤石な理論形成にかかる手間も、少しも惜しまない。それはハロルドが自らの治世に唯一許した、彼の私情が国運に挟まる余地だった。


「南部は、今の代のうちには完全には味方にならないかもしれないが、それでもルイの代には必ず国王に膝を折ることになる」


 ルイの代で、うまくいけば、この国は大陸社会の悪しき因習から解き放たれて自由になる。


 ――失敗すれば、腐っても従来からこの国を支えてきた支柱を失い、無秩序の中に国家を陥れることとなるが。



「陛下。……最近、何か、焦っておられますか?」


 信頼できる側近は、逡巡を重ねた末に、そう気遣わしげにハロルドに問いかけた。


「いや……」


 生返事を返して、ハロルドは疲れ切ったようにしばらくの間、目を閉じていた。









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