表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
78/111

【11】幼馴染



 その日、ベルタはいつものように、メセタの市街にお忍びで出かけていたところだった。

 まだ十代の、一番活発で、子供たちだけでの冒険をしたいような年頃だった。


 その出歩きの帰り道、とある分家の親族に呼び止められた。


『まあまあ! ベルタさまではありませんか』

『ちょうど良かった。うちでそろそろおやつのパイが焼き上がるんですよ。寄って行かれませんか?』


 分家の女たちに親しげに話しかけられ、是非に是非にと勧められるまま、ベルタは彼らの家へと招かれた。


 一応、お忍びで出かけている手前、あまり長くメセタの屋敷を空けていると侍女たちに咎められる可能性もある。


 ベルタが分家の女たちの招待を断り切れなかったことに、お忍びに付き合わせていた幼馴染のオラシオは渋い顔をした。

 しかし、少々強引な彼女たちに急かされると、オラシオも同じ一族内同士、それほど強くは反対しなかった。


 彼女たちはそうやってベルタを「誘拐」しておきながらも、本家の嫡女には終始丁重な態度しか取らなかった。おやつのパイは本当に焼きたててで美味しかった。


 ……後から思えば、レアンドロをそそのかして担ぎ上げようとしていたその分家の一派も、根本的に父に弓引くほどの度胸はなかったのだろう。

 だからベルタも、女たちの態度にどこか妙な違和感は覚えつつも、身の危険を察知するほどではなかった。


『もうそろそろ帰るわ』


 とやんわり退出しようとしても。


『せっかくだからお茶も』

『良い茶葉がありますの。もう一杯いかがです?』


と、なんなら腕を引かれて引き留められるという流れが続き。

 女たちの強引さを本格的に不審に思い始めるかどうか、という頃合いになって、ようやく、レアンドロ本人が血相を変えてその分家の屋敷に飛び込んできた。


『――――おい! っガスパルてめえ! ベルタに何もしてないだろうな!?』


 ベルタは、女たちが散々勿体つけて長時間かけて淹れた茶に、ようやく口を付けようとしていたところだった。


 しかしレアンドロは、室内にベルタを見とめるなり息つく間もなく大股で走り寄り、ベルタが手に持っていた茶器をはたき落とした。


『――あっ、つ……』


 熱くなかった。


 茶を淹れるために女たちが時間を稼ぎ過ぎたせいですっかり冷めていたからだ。しかし突然のレアンドロの狼藉に対して、ベルタが火傷したかと疑った護衛役のオラシオが血相を変えた。


『レアンドロ! 姫さまに何をするんだ!』

『おまえこそ、……だいたいおまえが付いていながらなんでこんなことになってるんだよ!』


『――はあ!?』


 この時、状況を正しく理解しているのは、三人の中ではレアンドロだけだった。彼は焦って苛ついたように地団駄を踏み、ベルタを睨みつけた。


 ベルタはまだ、なぜ彼がそこまで深刻な調子なのかを理解できず顔をしかめた。

 ドレスは市街を出歩く用の質素なものだったが、お気に入りだったのに。茶をこぼして汚された。


 レアンドロの視線は、何かを確かめるような意図で一度ぐるりとベルタの全身に向けられて、それが何かはわからないなりに、ベルタはただベタついた不快さを味わった。


『…………おい。なにも、されてないな?』


『何もって?』

『怪我とか、その、』


 ともかくレアンドロは、そこで全体的に色々なことが馬鹿らしくなったようだった。

 彼は自らの保身を思った安堵のため息をひとつついた後、ついでのように苛立ちの矛先をベルタに向けて当たり散らした。


『外で出されたもんに不用心に口付けてんじゃねえよ。毒でも眠り薬でも入ってたらどうすんだ、馬鹿かおまえは』


『はあ??』


 ムッとしてベルタも言い返しかけたところに、分家の当主が騒がしさを聞き付けて血相を変えた様子で姿を現した。


 その瞬間レアンドロは弾かれたように飛び出し、勢いを付けたまま分家の当主に、体重の乗った重い蹴りを入れた。


 ――ガシャンッ! 

 大きく耳障りな音がして、テーブルの上の食器類が床に落ちて割れ、殴り飛ばされた当主の重みでテーブルの脚が折れ、けたたましく崩れる音がした。


『きゃ、キャアアッ!』

『――おやめくださいませ、レアンドロさま!』


 彼は当主に馬乗りになったまま顔を殴りつけた。振りかぶった拳が骨に当たる重い音、リネンが破れる甲高い音に女たちの叫び声が重なって、ベルタとオラシオだけは呆気に取られて完全に蚊帳の外だった。


『な、な、レ、レアンドロさま! ……我らは、ッ、あなたさまの、ためにっ!』


『――俺のため? お、まえは本当に、何をしてくれたんだ! あ? ベルタを傷物にでもしてみろ、あのクソ親父に殺されるどころじゃ済まないぞ、俺も! おまえも! この野郎っ!』





 ……端的に言えば、それが例の「誘拐」騒動の、お粗末な顛末だ。


 後から聞いたところによると、レアンドロ自身も完全にこの誘拐騒動のことは事後報告であったらしい。

 分家の者たちから「ベルタを誘拐した」「どうぞ花嫁に」とだけ聞かされ、彼は血の気が引いて青ざめた顔で必死に駆け付けてきたようだった。


 ベルタとしては、有事があったという認識はまるでない。どちらかと言うと、煮え切らない身内がなあなあのうちに恥を晒し、いたずらに父の逆鱗に触れただけという印象の事件だ。


 とはいえ父はそうした事情を踏まえた上でも、この一件でレアンドロのことを勘当処分とした。


 身内の内輪揉めによる恥を大々的に晒すことを、誰も好まなかった。対外的にはこの馬鹿らしい茶番には緘口令が敷かれた。

 一族の外にはぼんやり、レアンドロ一派が後継問題を巡る姿勢の衝突から父に疎まれ、処分されたものだと認識されたようだった。


 主犯となった分家の当主たちも、口をつぐんで粛々と処分を受けていた。父の怒りようを考えれば、死人が出なかっただけまだ幸いではあった。


 不幸中の幸いは、あの時一日中ベルタのそばにはずっとオラシオが付いていたことだ。


『――――本当にびっくりするほどなんの事件性もありませんでしたよ。俺はその日ずっと姫さまと行動をともにしていましたし』


 オラシオは普段からベルタやレアンドロの遊び相手として本家によく出入りしていたし、彼自身が信頼できる分家の出自でもあったので、オラシオの証言は信用された。


『市街に出て買い食いをしてました。ええ、良く付き合わされてます。その帰りに例の分家の人間に家に来ないかと招かれて。姫さまも最初は断ってお屋敷に戻ろうとしてたんですが、ほらあの人、おばさん連中の押しには弱いから。……分家の人間は、やんわり俺だけを返したがっているような雰囲気で、今思えばその時点で妙な話でした。もちろん俺も付いて行って、ずっと姫さまのそばにいましたよ』


 オラシオの寸分嘘のない証言により、ベルタもベルタで「フラフラとお忍びで出歩くものではありません」というもっともなお叱りを受ける羽目になった。

 その後ベルタ自身もかなり行動を制限されることになってしまったので、個人的にはそちらのほうがよほど手痛かった。


 別に、レアンドロももう少し言い訳したらいいのに、とベルタは思った。


 彼は明らかに、分家の人間の勇み足に振り回されていただけだったし、少なくとも彼自身にはベルタを誘拐してどうにかなろうという意識は皆無だったように思う。


 オラシオの証言のおかげで首の皮一枚繋がったとはいえ、もっと泣き付いて有利な証言を引き出そうと頑張れば、オラシオだってレアンドロと知らぬ仲ではないのだ。多少は便宜を図ってもくれただろうに。


 しかしレアンドロは、とにかくその件に関しては一切の言い訳をせず、しかもベルタに対しては『怖い思いをさせて申し訳なかった』という旨の謝罪まで寄越した。


 そういう殊勝な態度が余計に「何か際どいことがあった」「少なくとも彼の内心では」という感を助長した感じになって、ベルタの古参の侍女たちのいらぬ邪推を招き続けている。


 当時まだ十代半ばの子供だったレアンドロが、いきなり放逐されてその後どうなるのかと思って見ていたが、彼はその後僻地へ放浪の旅に出て、世間の荒波に揉まれながらもそれなりにうまく綱渡りを演じていたようだ。

 父もきっと完全に放置ではなく、その都度最低限の手は貸していたのかもしれない。







 ――……。


「まあ、ともかく。そういうことがあってレアンドロの登用にケチが付いているのはわかるけど。あれももう十年近くも前の出来事だし、あなたたちもそろそろ怒りを抑えてレアンドロとも上手くやってちょうだい。今まではともかく、今後は王都に逗留することになるレアンドロの家臣たちとも、連携していかなければならないんだもの」


 さすがにそろそろ、自身の配下の者たちの態度についても言っておかなければならないかと思って、ベルタは侍女たちにそう苦言を呈した。


 普段は、大概ベルタの意思決定には素直に従ってくれる侍女たちだったが、この件に関してはそれでも渋い反応を見せた。


 彼女たちは多少互いに顔を見合わせあった後、やがて意を決したようにその中からリサが進み出て口を開いた。


「……姫さま。姫さまのおっしゃることは、よくわかりますけれど。…………では、私の気持ちも言いますけれど」


「? ええ」


 リサは言葉を探して視線を泳がせた後、必要以上に声を張った。もちろん人払いはした上で話しているが。



「――――姫さまとレアンドロさま、なんだかそういう、お互いの印象がものすごく『何かあったっぽい』んです!」


 ついに言った。という雰囲気で呼気を荒げるリサに、ベルタはぽかんとして目を見開いた。別の侍女がリサの両肩を支えるように手を置いて立ちつつ、さりげなく同意を示す。


「何か、こう。思わせぶりといいますか」

「お二人は確かにご姉弟ですけれど、実質的には幼馴染のようなものではないですか」


 ……ええ?


 侍女たちの指摘は、ベルタにとっては完全に予想外のものだった。というか、昔からそう思われていたのだろうか。


「いや、普通に姉弟よ」


「ましてや姫さまは、今はもう王妃さまにございます。過去の関係性や貞節に疑義が生じかねない相手を殊更に重用しておそばに置くというのは、私たちは反対です」


 ベルタと付き合いの長い侍女たちは当然、家中でレアンドロやオラシオたちとも顔見知りなわけであって、近しい者たちにすらそう思われていたというのはえもいわれぬ気まずさがある。


「そうは言ってもね」


 しかしベルタにしてみれば、それを踏まえた上でも、侍女たちの言い分を厳密に聞き入れるということは現実的でもなかった。


「カシャの家中で私と同い年くらいの者たちって、だいたい一度くらいはそうやって噂されているような相手ばかりよ」


 父はむしろ、ベルタに特定の許嫁を決めないことで、一族の嫡女の夫という地位を宙に浮かせ続けた。

 その意味で父は確かに思わせぶりだった。


「それを言ってしまえば、確かにそうですけれど……」


 ベルタは彼らの鼻先にぶら下げられたにんじんでもあったし、ベルタ自身が彼らの面接官でもあった。


 一族の同世代の男たちの中から、父が認め、ベルタ自身も納得した相手とやがて結婚する。

 そういうものだと当時のベルタは漠然と考えていた。


 その大枠の候補たちの中に、まさか異母弟が含まれる余地は感じていなかったが。


「それに私は、そういうつまらない噂話のひとつひとつで優秀な人材を手放す気はないわ」


 ベルタにとってそういう、幼馴染として育ったような一族内の人間は、どうしたって「自分の代のための人材」という意識が強いのだ。


「レアンドロにしてもオラシオにしても、――リサ、あなたたちもよ」


 それは、彼女に今も最も近い臣下であり、友人でもある侍女たちに対する気持ちと、そう変わらないものだった。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] レアンドロ自身は別段悪いことを企てたりはしてなかったんだな。しかし分家の動きは許されざるもので望まずとも彼らに担がれる神輿であった以上責任は問われた、と。 侍女たちはそれに加えて主人公のレ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ