【7】レアンドロという男
――南部にて。
レアンドロはその日、父に呼び出され、一族の拠点の街メセタへと訪れていた。
そして、一族の長姉からの要請を突然知らされた。レアンドロは書状を読み終わって即座に、その料紙をグシャグシャと握り潰した。
「あの、クソ女!!」
彼の言葉に含まれる憎悪には、やけに実感が籠っている。
そうやって憎々しげに叫ぶわりに、律義に書状には最後まで目を通し終わっているあたりが、彼の生来の生真面目さを悲しいかな示してしまっていた。
カシャの当主ヴァレリオは、久しぶりに顔を合わせた庶出の息子に対し、極めて軽い調子で応じた。
「まあ。そうカッカするな」
父のそうした他人事のような態度も、レアンドロの憤りをなおさら助長させる。
「父上! これは、――ベルタが言っていることは、一族全体の進退に関わるような一大事ですよ」
そもそもからして、レアンドロは今日かなり緊張していた。
父に呼び出されてメセタへの立ち入りを実に久しぶりに許され、いったい何を言われるのかと思ったら。やっぱりろくなことではなかった。
彼は紆余曲折あって、十代の頃に父を一度激怒させて以来、家を追い出されていたし、少なくともこの十年弱カシャの本邸には出禁をくらっていた。
さすがに父に会うこと自体は十年ぶりというわけでもなかったが、実際レアンドロは、もう長姉ベルタとは直接顔を合わせることはないだろうと思っていた。
「……本気ですか? 父上も、俺に王都に行けと?」
ベルタが、王家に第二妃として嫁いだ当時、レアンドロは父のやりようにはだいぶ驚かされた。
あれが第二夫人なんかに収まるタマか? と思って見ていたら、あれよあれよという間にベルタは相変わらず腹が立つほど抜かりなく駒を進め、いつの間にか実質的に正妻を追い落としていた。更には王家の跡取りまで産んだ。
「私としても、おまえが指名されているのは気に入らないが、まあ、他ならないあの子の頼みとあらば仕方がない」
しかも驚いたことに、父の腹づもりはもう決まっているようだった。
「ベルタはお前の家臣団もそっくりそのまま、王都に招集することを要求している。財務に強い人材が欲しいらしい。王都に行ってもきっと馬車馬のように働けるぞ」
十代の頃に長く海外に行っていた経歴もあり、レアンドロが個人的な人脈で築いた家臣団の中には、技術的な専門知識を持った人材も豊富だった。
「ちょっと待って下さいよ」
父は普通に言っているが、問題だらけの提示にレアンドロは頭を抱えた。
「それから、王都には少なくとも当面の間、他の妻は連れず単身で来ること。他の妻のことは側室扱いに落とし、今回娶せる伯爵家の令嬢を、北部の慣習に則り正妻として別格に遇するようにと」
あいつ本当に言いたい放題だな。
さすがにどうかと思う。ベルタは大概、外面だけは良いわりに身内には当たりが強い。
色々と置いておいて、レアンドロはまずは遠く王都にいる長姉よりも、今目の前にいる父への恨みごとを優先した。
「……俺は最近、父上に言われてオットーの建て直しも押し付けられているんですが」
オットー家は、先年の中央での政争に敗れた家柄の一つだ。男手もなく、女子供だけで南部に申し訳程度の小領だけ与えられて「流されて」来た。それでは案の定、所領の経営は立ち行かず、小領は困窮の一途を辿っていた。
カシャが、そうしたオットーのような困窮した小領地に手を差し伸べたのは、むしろ南部の盟主としての社会的責任による、慈善事業のような連帯にも近かった。
そうした流れで、レアンドロはオットー家の娘を娶って婿入りの形を取ることで、ここしばらくはオットーの領国経営を肩代わりしていた。
もちろん父ヴァレリオからの命令でのことだ。
「おまえが王都に行くのなら、オットーの所領はさすがに引き取るぞ」
既にそういう問題ではないと、レアンドロはため息をつく。
「サラは今身ごもっています。半年後には子供も生まれるって時期ですよ」
サラというのは、政変で男手がいなくなったオットーの、その直系の一人娘だ。
「……サラは何歳の娘だったか」
「十四歳です」
「私も人のことは言えた義理ではないが、おまえも、少しは落ち着いたらどうだ? その年で何人目の子供だ」
「サラの腹の子が生まれれば五人目ですけど、別に俺は落ち着いてますよ。サラの後はしばらく新しい妻を迎えるつもりもなかったのに、俺がどんどん新しく手を出してるみたいな言い方は心外ですね」
憤懣やるかたなしと言った様子で鼻息を荒くするレアンドロの言い分はもっともではあった。もっとも、彼の手癖の悪さも言うには及ばないが。
「父上もベルタも、面倒ごとは女と一緒に宛がっておけば俺を黙らせられると思っていませんか」
「そんなことはない」
どう考えてもそんなことはある生返事を返した後に、ヴァレリオは白々しく話題を変えた。
「――ともかく、書状の通りベルタは王都におまえをご所望だ。この話、受けるのか、受けないのか」
レアンドロは全然腹の虫が治まらなかったが、とはいえ彼の結論は初めから決まっていた。
「決まっているでしょう。受けますよ」
この北部の娘との結婚と、中央仕官の話が、自分にとっていかに旨味があるか察せないほど彼は愚かではなかった。
そしてそれは、凋落した家柄の妻一人と天秤にかけるまでもないことだった。




