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【7】その日


 慣習により妃の懐妊や出産の時期は公には伏せられていたが、その日を間近にした王宮は、嵐の前の静けさとでも言うべき静寂に包まれていた。


 王宮に仕える者でベルタ・カシャの懐妊を知らぬ者はいない。腹が目立つようになってからほとんど公の場に姿を見せなくなった第二妃だが、その不在の存在感は際立っていた。


 ついに直系の王子か王女が誕生するかと期待する者。

 辺境の民の血統が王室を蝕むと嫌悪する者。


 反応は様々な中で、ついに月は満ちた。





「陛下が後宮から出ておいでにならない?」


 表の王宮の人間がまず最初に異変に気がついたのは、常とは違う国王ハロルドの行動からだった。


 彼らの国王は勤勉で優秀な名君だ。いくら一部で色好みの悪名を上げていようと、彼が執務の時間を怠ったことはなかった。


 これが異常なことだと気がつくと同時に、誰かが言った。


「カシャ妃が産気づかれているのでは……」



「まさか。もうそんな頃合いか?」


「陛下が付き添われているのか?ご出産に?」


「後宮の様子は!女官はつかまらないのか」


 にわかに表がざわつき出すのも無理はなく、ハロルドはそれまで、カシャ妃とその腹の子への対応に関してなんら旗色を鮮明にしていなかった。


 水面下での対立深まる王宮で、国王自身が派閥争いを助長するような態度を取れなかったというのが大きいのだが、どちらかと言えば貴族連中はハロルドのその態度を楽観していた。


 王統の盟主たる国王にとって、余計な血の混じった子などはものの数には入らないだろう。


 第二妃という名の側女の子だ。産まれたところで庶子のようなもので、やがて嫡出の御子が誕生すれば、臣籍に下される。


 そう固く信じていた者たちにとって、カシャ妃の出産に張り付くハロルドの行動はまさに寝耳に水だった。




「王子にございます!王子誕生!男の子でございました!」


 一昼夜のち後宮から表の王宮に第一報が出された。


 そして産まれた赤子の健康状態が良好なこともあり、王家は出生から数日という異例の早さで、国内外に向けて正式に王子誕生を公表した。


 王都の街中に祝福の鐘の音が、数日間鳴り響いた。

 正妃や愛人との間に一人も子がなかった国王の待ちに待った慶事だけに、国民や諸外国の関心も膨れ上がっていたためだ。


「まさか、世継ぎの誕生だとでも言いたいのか……」


 空前の祝賀ムードに気圧されて、保守派の貴族たちは初動で大きく出遅れた。








「……っつ、……かれた、あー」


 清潔に清められた塵一つない室内。王室の御殿医や、カシャから送られた幼少期からの主治医や、その他考えつく限りの人事を尽くされた環境下でベルタは出産を迎えた。


 生家にいる時、何度か弟妹が産まれる出産に立ち合ったことがあった。地獄のように苦しむことになるのは覚悟していたが、まさか自分の出産がこれほど大仰なものになるとは当時想像もしていなかった。


 まるでベルタを九死に一生の戦場へ送り込むかのような悲壮感と覚悟に満ちた医者たちの態度。


 ベルタは思わず笑ってしまいそうになったが、あまりに空気にそぐわないので懸命に耐えた。ここで笑ったらカシャ妃は出産で気が触れたと噂にされそうだ。


 それに、本当に笑い事ではないのだ。


 国王の実子の命がかかっているというのはそういうことだ。戦争に負けても国は滅びないが、跡取りがいなければ簡単に滅ぶ。

 ここで万が一にも胎児を死なせたら現王室が終わるというくらいの危機感を医師たちが持っているのも仕方ない。


「おめでとうございます、妃殿下」

「初産でこれほど安産とは素晴らしい」


 安産?知るか、これほど苦しんだのに。


 疲れすぎてハイになり、その後内心でやさぐれ始めたベルタだったが、布に包まれた我が子を侍女たちに支えられながら抱かされた時、それまでの一昼夜の記憶など吹き飛んだ。


 腕の中の子は、猿みたいにしわしわだったし、まだ肌の色もとても人とは思えない赤黒さだった。おかしな形に半開きになった口に、線が一本引かれているだけのような瞼。けれど。


「…………かわいい」


 元気過ぎるくらいの産声は聞こえていたが、腕に抱くまで無事に出産を終えたという実感はなかった。


 御殿医や老女官たちが感極まって涙ぐむ姿が見える。ベルタの侍女たちは皆誇らしげな笑顔だった。


「かわいい子ね」


 可愛いに決まっている。

 自分の子だ。


 王子誕生に浮き立つ外界とは隔絶された場所で、この日ベルタは穏やかに初めての母子の時間を過ごした。




「陛下がお部屋の外にいらっしゃいます。お入れしてもよろしゅうございますか?」


 女官に聞かれてベルタはぎょっとする。


「陛下が?いつからいらっしゃるの?え、産室に?」


 普通、男性はいくら父親とはいえ、お産の場には入らない。後宮では慣習が違うのかと思って老女官たちの顔色を見るが、彼女たちもそれはハロルドの暴挙だと思っているようだ。


 それに、知らせを聞いて走ったにしては来るのが早すぎる。


「陛下は昨日妃殿下と面会なさってからずっとこの宮にいらっしゃいます」


 昨日会ったっけ?と思い返して見るが、そう言えば産気づいて慌ただしかった頃に何か話したような気もする。陣痛の合間に何か言われたところで気もそぞろなので覚えていないし、この戦場では如何に陛下とて、医療知識のない男は役に立たなかった。


「ええと。ええ、いいけれど」


 もう少し待ってくれれば誰かが御前に連れていくだろうに。

 そう思いつつ、ベルタは了承し、王子を腕に抱いた産後のかっこうのままハロルドと対面した。


 彼はとても静かに部屋に入ってきて、おそるおそる周囲を見渡した。その視線が一点に止まるのに時間はかからなかった。


 その大きな碧い目が、ベルタの腕の中をじっと見つめる。

 まだ目も開いていない赤子。この子の目の色は何色だろう。父親と同じ形質を受け継いでいるだろうか。


「お抱きになりますか」


 ベルタは気をつかってそう聞いたが、ハロルドは即座に固辞した。


「いい、壊しそうで怖い」


 至極真面目にそう言ったハロルドの言葉に、古参の老女官が微苦笑を漏らす。


「陛下、それでは頭を撫でてらしてはいかがです?」

「そっと、そっとですわよ。力を入れすぎてはなりません」


 老女官たちにからかわれながら、それに気がつく余裕もないらしいくらい緊張したハロルドは、そっと指を伸ばして真綿でもつつくように赤子の頬に触れた。


「カシャ妃」


「はい」


 それと同じ表情をベルタは見たことがあった。ベルタの母が、弟を産んだ時にした顔と全く同じだった。


「ありがとう」


 彼の苦しみの深さを知った心地がした。

 

 






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