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【12】その都


 新都候補ヴァウエラにて。




 見渡す限り広大な平野に、その街――というよりは町、と言った方が良さそうな規模の集落は小じんまりと広がっていた。

 農村。というよりむしろ、寒村。そんな素直な第一印象はさすがに胸の内に留め、ベルタは静かに馬車の外を眺め続けた。


 閑静な集落の中に敷かれた、石畳の大通りを抜けて、馬車は場違いなほど大仰な門をくぐり抜けて停車した。


 その町の中心に佇む離宮は、想像していたどんな建物よりも現代的で壮麗だった。


「……王宮があるわ」


 ベルタは、目の前に広がった光景に思わずそう呟いた。


 あらゆる祭典や催し物の開催に堪えられそうな、充分な広さのある広場。それを取り囲むようにして建てられているのは、シンメトリーな様式の洗練された大宮殿だ。


 真正面に立っていてはこの建築物の全体像を把握できないほどの規模に、彼女はただ圧倒されるばかりだった。


「こちらが現王室の霊廟として使用されている、エリウエラル離宮でございます」


 馬車を降りた国王夫妻を、先行して到着していた国王の側近連中が出迎えた。

 ぽかんと口を開けているベルタに対してセルヒオが解説を加える。



 ハロルドが、到着するなり忙しなく動き出すのを横目に、ベルタはしばらくしげしげとその離宮を眺めていた。


「……いや、おかしいでしょう」


 一応声を潜めてひとりで呟く。


 どうして生きている王族が住まう王宮より、先祖とはいえ、死んだ人間のための離宮のほうがよほど豪華なのか。これほどの宮殿を建て、ただ廟としての用途で使用するだけで遊ばせておく意味も目的もわからない。


 離宮の建築を始めたのは今から数えて二代前、ハロルドの祖父王の代だと聞いている。


 当時のお抱えの建築家に不満を抱いた祖父王が、他国から高名な建築家を呼び寄せ、贅を凝らした巨大な離宮兼複合的な要素の建築物を依頼した――。言ってみれば道楽だ。


 ベルタは今まで、現王室がその全盛期に比べて斜陽にあるという言説を、知識として知ってはいたが、事実として実感したことはなかった。


 それを今回如実に痛感する。


 ベルタは単に、華やかな権勢誇る全盛期の気配を知らなかったのだ。




     *




 数ヶ月前。遷都について初めて聞かされた時、実はベルタは率直に驚いた。


(そんな。一都規模の引っ越しなんて、一体いくらかかるの……)


 有史以来の古都メセタで生まれ育ったベルタに、遷都という概念は馴染みがなかった。産まれた地や嫁いだ地に根付いて生涯を過ごすものだと、漠然と感じていた。

 ただ、後々方々からの説明を聞いて確かに納得するところもあった。


 王太后も先の会議で言っていた通り、遷都に関する議案は前王の治世からずっと出続けてはいたようだった。


『現在の王都ダラゴは構造が古く、町全体が手狭です』


 王都――遷都の話題が出るまではただ王都と呼ばれていたため、都の名を意識したことはなかったが、従来からの王都――ダラゴという街は、三方を川に囲まれた天然の要害だ。


『ダラゴに首都を置いたままでは、今以上の発展と拡大が困難になっています』


 古い時代には、水に囲まれた守りは堅固だった。しかし現在においてはその地形の理が都市の発展を妨げつつある。


『王都は今のままでは狭いの?』


 ベルタは、説明役に寄越されたセルヒオに色々と質問をぶつけた。

 彼とベルタが関わり出したのは最近のことだが、セルヒオはベルタの疑問に、いつも端的な返答を返した。


『狭いです』


 彼の言葉遣い自体はいっそ横柄なほど簡潔ではあったが、それは話している相手を軽んじたり、返答に誠実さがないという種類の態度ではなかった。

 ベルタは夫の側近であるこの男が嫌いではない。


『都市の人口は近年増す一方ですし、そのわりには商家をはじめとした富裕層の土地占有率が上がっております。都市部の一般市民は、豚小屋のような狭い長屋に身を寄せ合って詰め込まれています』


 元々の彼はたぶん、軟派で柔和な容姿をしているのだと思うが、ベルタが見かける時は常に過重労働に負けた顔をしている。その目の下の隈が消えているところを見たことがない。




 セルヒオの目の隈は、ヴァウエラ視察の開放的な空の下でも健在のようだった。


「妃殿下におかれましては、移動でお疲れにございましょう。離宮内の居室に警護の者がご案内いたします」


 今回もまた、国王本人や貴族たち、その他にも王都の富裕層商人などを連れ立っての、調整の面倒な視察だ。ごく短期間とはいえ彼らのような実務官の負担は相当なものだろう。


「一度部屋に入って身支度を整えたら、王室の霊廟に参りたいのだけれど」


「どうぞご随意に。ご案内できる者を後でお部屋に向かわせます」


 滞在は数日の予定だし、明日以降はそれなりに予定が詰まっている。ベルタは大切な用は早いうちに済ませておきたかった。




 この離宮に王妃が滞在する時のために作られた居室は、装飾も動線も、何もかもが優美だった。


 連れてきた侍女や女官たちは、ベルタを部屋の長椅子に座らせて休ませると、忙しなく室内の検分を始める。


「……素晴らしい離宮ですわ」


「もちろん、お住まいになるのならこのままというわけにはいきませんけれど。内装を整えて隅々まで磨けば、充分支度が整います」


 彼女たちはとても浮かれているようだった。


「そうね。今の、王宮の私の宮は第二妃として入った時に与えられたものだし。……第一、王城自体が、ここに比べれば狭すぎる」


 今でこそ慣れたが、ベルタは現在の王城に入った当初の印象を思い起こしていた。


 ――地味で質素な石の城。


 ダラゴの王城の創建は古い。現王室の登極以前、国土回復戦争時代の前王朝にまで時代が遡る。


 重厚で壮麗な造りの建物と言えば聞こえはいいが、小高い山城のような立地ではこれ以上の発展もしようがない。


 戦争の多い時代にはこの形態の堅牢な城にも一定の利点があって、その守りの堅さは魅力的だったことだろう。


 しかし現在においてはその意味合いも薄れている。

 戦争は籠城を前提としたものではなくなっている。第一、小国同士の諍いの時代ならばともかく、王城が包囲されるような事態まで侵攻を許す時は、現代的には戦に負ける時だ。


『時代は王宮のあり方を変えています。陛下と妃殿下の新しい時代のための王宮は、開放的で美しい、文化の要となり得る宮殿とすべきです』


 とはセルヒオの高説だったが、確かに一理ある話だった。




 一息ついている間に、セルヒオが寄越した離宮の管理人がやって来た。


「じきに陽が落ちますし、当離宮は夜間は冷えます。おいでになられる前に厚着をなさったほうがよろしいかと存じます」


「そうね、ご霊廟は特に冷えそう。何か羽織るものを。ニーナ」


 ベルタは、一番手が空いていそうだった女官ニーナに支度を申し付ける。


 彼女に視線を向けると、呆けたような顔でまだ室内を物珍しげに見渡していた。一応管理人の話は聞いていたらしく、慌ただしい動作で荷解きに取り掛かったはいいものの。


 その手際が、ものすごく悪かった。


 見兼ねた侍女たちが手を出して、結局別の侍女が目当ての衣装箱を見つけた。

 彼女の教育係に指名したフェリパは、不出来な後輩を後で叱らなければと思っているようだったし、ニーナも申し訳なさそうにしつつフェリパの陰で小さくなっている。


 ただ、傍から見ていたベルタには、ニーナの意図は透けていた。


(……いやいや。彼女は仕事ができないのではなくて、怠慢なだけ)


 ニーナは明らかに、肩掛けがどこにしまってあるのか目星がついていた。


 その上でのろのろと手を動かしてごまかしていれば、せっかちな先輩が割り込んで世話を焼いてくれるだろうと高をくくっている様子があった。


「ニーナ。私はニーナに命じたのよ」


 ベルタがこの子を今ひとつ好かないのも、そのわりには嫌い抜けないのも、こういう透けて見える小狡さのせいだった。


 そしてニーナは、女官としての仕事仲間を完全に侮っているわりに、ベルタ本人のことはどういうわけかとても怖がっている。


「っ! ……はい」


 彼女はベルタが注意をした途端、突然水をかけられた小動物のようにぴゃっと体を跳ねさせて、驚くほど俊敏に動き出した。

 フェリパの手から肩掛けをひったくり、ベルタの背後に回って着せかけようとする。


 ……ニーナも二十歳を超えた娘のはずだ。ベルタとたいして年も違わないのに、この子供っぽさはどうなのだろう。


 というよりも、彼女がベルタだけを過度に怖がる理由がわからない。彼女は安易に上役に怯えるタイプにも思えない。


「ニーナ」


 小柄な彼女が、長身のベルタの後ろで苦労しているのを呼び止めた。


 ニーナはまた注意されると思ったのか、見るからに弱った顔をするが、ベルタは構わず彼女の手から肩掛けを受け取った。

 そしてしっかり見下ろして目を合わせる。


「あなたは、陛下の愛人なの?」


 人の気配の少ない、底冷えのする室内は、水を打ったように静まり返った。


「あ、あの。……妃殿下、」


「ずっと聞こうと思ってたの。最初にあなたが挨拶に来た時、夫が手を付けた女を統率するのが妃の役割、というようなことをあなたは言ったわね」


 付き人の侍女や女官たちも、まさかベルタが今の流れで突っ込むとは思っていなかったらしい。意外なことの成り行きを固唾を呑んで見守っている。


「あれは、既にあなたがそうだということ?」


 物事の解決を図るためにまずは情報を仕入れなければならず、ベルタはニーナがだんまりを決め込んだとしても、ここで引くつもりはなかった。


 可愛らしく愚かしく、我は強いが支配されやすい。ベルタが彼女から受ける印象はそんな感じだ。

 自分がもし男だったら、この子のそうした面をなおさら好ましいと感じるかもしれない。


 それは、つまらないしがらみに雁字搦めの自分などよりよほど、魅力的に映る気がした。


「……このような場で、妃殿下に申し上げることでは、ございませんわ」


 ニーナはやがて弱々しく口を開いた。

 が、当然ベルタにとって満足のいく返答ではない。


「あなたにとって事実は曖昧にしておいたほうが、都合が良いということ?」


 側室になりたがっているニーナが、もし手を付けられていたとして、それを黙っている理由はないように思われた。


「い、いえ。そういうわけでは。ただ、皆様の目もある前でこのような。お許しくださいませ」


 とはいえ、ここに来てニーナの様子の不自然さは増しているように思う。


 よく考えればそもそも彼女は側室になりたがる性格には見えないし、何か表面上の主張以外の理由が隠れているのかもしれない。


 ハロルドに聞いた方が早いのだろうか。だが、ベルタはハロルドがなんと答えるかほぼ確実に予想できたし、それが事実なのか嘘なのか判別できる自信はなかった。


 事実に関わらず、彼は絶対に身の潔白を主張してくるだろう。


「そう。まあ、いいわ。今度二人でゆっくり話しましょうね」


 ちょっと追加で彼女を怖がらせて突っつきながら、ベルタは話を切り上げた。






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[一言] ニーナは何がしたいんだろう
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