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【9】南部からの密使



 適当な理由を付けて南部へ派遣していた侍女が、一ヶ月半ぶりに後宮に戻った。


 ベルタは人払いをして、その侍女だけを私室に呼び付けた。


「ご苦労さま。移動続きで疲れたでしょう」


 侍女は笑顔だったが、出立前は艶やかだった肌や髪は少し荒れていて、やはり女の身で長旅は堪えただろう。


「どうということはありませんわ。姫さまの普段からの無茶ぶりに比べれば」


 向かいの席に着座を勧めると、侍女は慣れたように遠慮なくそこに腰を下ろす。


「宮に新しい女官を入れたのですね。それも北部の方にございますか」

「ええ。ちょっと諸事情あってね……」


 ニーナについて掻い摘んで説明すると、侍女は耐えきれなかったように吹き出した。


「……っそれはまたっ、活きのいいのが入りましたわね」


「リサ、あなたはああいうの好きそうね」


 色物好きの度量の深いこの侍女を、ベルタはもし状況が許せばニーナのお目付け役に当てたかったが、リサに任せた仕事のほうがよほど大きかったので諦めた。


「とりあえずニーナのことはフェリパに任せてる」


「フェリパですか? よりにもよって、あの子は北部ペトラ人を毛嫌いしております」


「うん、でも、フェリパは生真面目だから、ニーナがちゃんと働けば色眼鏡なく見るでしょう」


 リサは少し同輩のことを思い浮かべるように視線を彷徨わせ、納得できないこともない、という反応をした。


「……まあ、その点は間違いございませんでしょうけれど。姫さまにしては荒療治ですわね」


「そうね。まあ、ニーナを見ていると多少雑でもいいかなって思うのよ」


 リサは珍しいものを見たような顔をしたが、ひとまず言及はやめたようで、そのまま数度ゆっくりと呼吸をした。


 彼女をここへ呼んでわざわざ人払いをしたのは、本題があるからだ。



「結論から申します」


「うん」


「カシャからの色よい返答はございませんでした。やはりまだ南部はとても動ける状況にありません」


 予想通りの解答に、ベルタは唸った。


 わかってはいたが、頭を抱えたい気分だ。私信としての手紙のやり取りだけでは埒が明かなかったので、わざわざ無理を押して自身の侍女を南部に往復させるまでした。それだけ火急の要件だった。


「はあ。……悪かったわね、リサ。予想はついていたのに催促に走らせるような真似をして」


「いえ。お気になさらないでください。姫さまが私を直接遣いに参らせたことで、お手紙よりも伝わったこともございましょう」


 ベルタは再三に渡り、南部諸侯の中央進出を急いでくれるようにと父に催促していた。


「カシャだって元々、そのつもりで動いていないところから、ルイが産まれてまだ二年と少しよ。今はまだ動けない」


 唐突に一族の娘が得た王妃の地位は、実際のところ南部の外戚カシャ家にとってはいまだ手に余るものだった。


「ただ、姫さまのご要望はお伝えして参りました。家自体は動けずとも、懇意の太守を先立って中央に進出させるか、もしくは官吏として一族の者を仕官させるか」


「お父さまはなんと?」


「人選が難しいと。ただ、姫さまが私を派遣して寄越すような熱意は汲むとおっしゃっておりました」


「そう……」


 ベルタ自身も王宮の雰囲気を見つめながら、落としどころを探っているところだった。


 順当に考えれば一族の娘が王妃として立ち、外朝が安定していない今が一番、王都進出にも相応しい時期だ。


 もし南部が盤石で、カシャが力をこちらに注ぐことができるのならば、父は必ずそうしているだろう。


 王都から見て南部は、依然として爪を隠して雌伏している脅威のような取られ方をしている。だが南部の政情を当事者として理解しているベルタから見れば、南部にも色々と穴がある。


 それは、統治の構造に関わる大きな欠陥だ。


「南部は豊かだけど、いまだ発展の途上にある。遅れてるわ、大陸諸国や王都に比べて」


 カシャは父の代になってからたった二十数年で、見違えるほど発展したが、それでも強く前時代的な部分を残したままだ。


 カシャは南部最大の権力者であることに間違いはないが、その統治の意味合いは諸国とは大きな隔たりがあった。

 実際カシャの直轄地は、南部の他の大領主と比べて大差ない。


 カシャの最大の強みは、その求心力にある。実質的な影響力の及ぶ範囲の広さがカシャを南部頭領と言わしめる所以だった。


「だから今はまだ動けない。実質支配だけで形を伴わないカシャの地盤は、脆くて危なすぎる」


 大陸諸国の大国家はどこも中央集権化が進んでいるような時代に、南部はいまだに一族の合議制で成り立っている。


 北部からの明確な検地と線引きが入った時に、どこまでをカシャ領として書き足せるのかと言うそもそもの問題もあった。


 姻戚関係にある太守の家や、カシャ一族の者に継がせてカシャの麾下に置いた家。

 現状でカシャの実質的な支配を受け入れている小領主たちも、正式に直轄領に組み込まれるとなれば少なからず反発するだろう。


「お父さまはいつだって絶対的な盟主のように見える。でも、言ってみればあれは虚勢よ。本当に盤石なら見栄えの目くらましは必要ない」


「少なくとも、旦那さまは南部の英雄にございますわ。もし旦那さまがカシャのご当主として南部をまとめておられなければ、かの地は今頃もまだきっと、小国同士の小競り合いのさなかでした」


 リサは想像だけでどっと疲れたような顔をした。彼女の現実感覚は悲観的だが、一理はあった。


 かつて泥沼のような内紛に陥っていた南部の時代を、ベルタはほとんど伝聞でしか知らない。幼い頃のわずかな記憶と、大人たちから繰り返し聞かされた話で、荒んだ故郷の歴史を感じるのみだ。


 ベルタの父ヴァレリオは、その混沌の時代の終盤に南部最大一族に生を受け、自身にひたすら権力を集中させることで一つの時代に区切りを付けた。


「そうね。きっとお父さまがその座にあり続ける限りは南部は揺らがない」


 けれど、英雄が一代だけ突出したところでどうにもならないのは、歴史に学べば明らかだ。


「……でもカシャが、数十年先も南部の盟主で居続けられる保証はどこにもない」


 それはカシャの現当主ヴァレリオ自身も自覚し、対処に注力してる問題でもあった。ベルタが目下自分の最大の役割と認識しているのも、その関連の流れのことだった。


 ――南部最大版図を築いたカシャ一族の最命題は、その権威を永続させること。

 

 カシャの地位を誰にでもわかる形で確定し、盤石な次代に引き継がせることこそが、一族の生き残りを賭けた大勝負と言って良かった。


「――姫さまが、もしカシャの跡取りに据えられていたら」


 ベルタはリサの妄言を退けなかった。


 このような話をする時に、それはベルタの周囲の人間からは必ずと言って良いほど出てくる仮定だった。特にこの侍女、リサは昔からよく、夢見るような調子でその想像を口にする。


「もし姫さまがカシャを継がれていれば、誰よりも旦那さまの当主としての在り方を知り、その領主としてのご意思を汲む、素晴らしい次代となられたことでしょうに」


 同母弟クレトが産まれるまでの間、長く父の嫡出子はベルタだけという状況が続いた。


 その間、カシャ一族や周辺の太守の間からは、嫡女ベルタを跡取りと目してはどうかという意見はもちろん出ている。


 けれど父はそれらを退け、ベルタを一度も自身の跡取りの座に据えようとすることはなかった。カシャのすべてを盤石に受け継がせる跡取りとして、娘では弱いと考えていたからだ。


 父は自身の跡取りに、嫡出の男児を強く望んだ。


「そうね。私がもし男に生まれていれば」


 ベルタ自身も何度も考えたことがある。

 男に生まれなかったことを方々から惜しまれて育った立場では、考えずにはいられない問題だった。


 自分が男であれば、父の長子、嫡男として産まれた瞬間から跡取りと目されて育っただろう。第一夫人である母のもと、誰より長く父の当主としての姿を近くで見てきた。その重責を知りながら育った。


「きっとうまくやったでしょうね」


 けれど、過去を思い返すベルタの口調は、今はもう軽かった。

 仮定の話に大きな意味はない。


「詮無いことを申しました」


 リサもまたベルタと目を合わせて笑みを見せる。侍女も本気で言っているわけではなかった。


「そうよ」


 そのように育てられた。周囲の大人たちに無駄なことをそそのかされる前に、父からも母からも、ベルタには家を継がせない意思もその理由も知らされて育ち、そういうものだと理解している。


「それに今となっては、嫡女として生まれた身の価値をつくづく実感するわ」


 女として産まれた自分に不満があるわけではないし、女にはそれはそれとしてできることがたくさんあった。政略結婚は家の娘の最たる役割でもある。


「王妃となった今でも、私は家の外から家を守ることができる」


 幼い当時は、まさか自分が外に嫁ぐなど、ましてやそれが王室の中枢だなどと想像したこともなかったけれど。


「カシャが動く時は一気に大陸の大貴族、公爵級に相当する権力を手中に収める時よ」


 つまりベルタは、南部の地盤の脆さを中央に気取られないよう素知らぬ顔で、しばらく孤軍奮闘しなければならない。カシャは叙爵を断り、依然として中央には進出しない。


「外朝は南部の動きを訝しんでおりますでしょうか」


「さあね。出てこないのは盤石ではないからということは理解しているでしょうけど、事態の深刻さを当事者ほど共有しているとは思えない」


 ベルタが気にしているのは、北部の新興貴族や保守派よりもむしろ、国王ハロルド自身やその側近たちだった。


「私が北部派閥に手を焼いて窮地に立たされれば立たされるほど、それなのにカシャが出張らない不自然さが目に付くでしょう。だから揉めたくないし、目立ちたくもないのよ」


 リサは多少不満そうな顔をした。


「なんだか姫さまにとってはそういう展開が続きますわね」


「仕方のないことよ、苦手な展開というわけではないし」


 周囲の環境を見て必要な動きをするということは、ベルタにとっては慣れた振る舞いだった。


「少し悔しゅうございますわ。本来であれば家の男児を産んだ正妻など、既に一人勝ちが決まったようなものですのに」


 侍女の不謹慎なほど直截な物言いに、ベルタは苦笑を返すに留めた。






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