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【34】君主の公私


 セルヒオはもともと出自がさほど高いわけでもない。ただ家系的にしがらみのない家から選出され、当時王太子だったハロルドの学友のような立場に置かれた男だ。


 とはいえ長く青年期の青春を共に過ごしたかというと、そういうわけでもない。

 前王の急逝によりハロルドは想定外に早く即位することになり、セルヒオもまた若き君主の側近として、主人とは離れて厳に教育し直されることとなった。王と彼は実際、周囲にそう見られているほど気安い関係のわけではなかった。


 それでもセルヒオは、彼を頼むに足る君主だと知っている。

 愚直に仕え、有用な働きをする臣下には、ハロルドは必ず応える。


 出自は中の下、まして国家の重臣となるには若すぎるセルヒオは、今はまだ対外的には低い地位に留まっているが、このまま順当に行けば実務官として将来それなりの所まで出世するだろう。

 そう自他共に認める侍従はまさに、国王の最側近という位置付けだった。



 陛下がオットー家への探りにジョエルを使うと言い出した時は、セルヒオは驚いた。いつの間に彼はそんな搦め手を使うようになったのだろう。


 あの双子に関してセルヒオは特に思うところはない。

 オットー家を始めとした保守派を増長させておきたいという陛下の意図もあり、特にアンリのほうが新興貴族や第二妃相手にいくら問題を起こそうが根本的な対応を求められるには至らなかった。たまに苦言を呈することもあったが、そもそもセルヒオも普段から忙しすぎ、子供にかまけている暇はなかったからだ。


 アンリはオットー家の伝統的な価値観に則った、わかりやすい差別思想の持主だった。


 一方でジョエルのほうは、アンリよりも取り繕うことを知っている賢しらな態度が鼻につくものの、その内心は双子の片割れとそう変わりなかっただろう。つまり素直でない分、余計に悪い。


 そんな彼らだが、当初からハロルドへの忠誠心だけは人一倍だった。大方、保守派が掲げる王家崇拝思想を本気で内面化して育ったのだろうが、親の代ではとうに形骸化している思想を彼らが馬鹿正直に信じているのは滑稽でもあった。


 ジョエルは、己の生家がとうにハロルドを裏切っている行状を匂わされた途端、こちらの狙い通りにとても分りやすく動揺してくれた。


 そして結局あの少年は、家よりも国家への忠誠を選んだ。正妃が保守派と共に王宮から出たという第一報を持って来たのはジョエルだった。


『ご苦労だったな。おまえの忠心には報いよう』


 ジョエルはもはや覚悟の決まった顔をしていた。


『オットー一族は……父は大逆で裁かれるべき罪人です。しかし母方の家は保守派とはいえ、今回の騒動には関わりのない当国の貴族です。どうか、何も知らなかった母や妹の連座はお許し願えませんでしょうか』


 妹はともかく、母が全く関与していなかったという主張は無理があるのだが、まあ歴史的に見ても貴族女性は余程のことがなければ極刑にはかけられない。結局は無難なところで減刑するのが妥当だろう。


 オットー一族をどのあたりまで叩いておくかについては陛下も決めかねているようで、追尾の行軍の最中、セルヒオにも意見を求めた。アンリは南部の視察から戻った後は自宅謹慎という名目で放逐してあった。今もオットー当主と行動を共にしているだろう。


『ジョエルは今後生かしておいてもまだ使い道はありそうだが、そうすると双子の片割れを処刑してしまうのも寝覚めが悪いな。アンリについてどう思う?セルヒオ』


『不運だったと言うしかありません』


 暗に諦めてほしいということを匂わせるが、陛下は苦笑した。


『まあそう言うな。アンリを使ってジョエルをうまく転がす方法を考えろ』


 よせばいいのにと思わないでもないが、できるだけ切り捨てようとしない陛下の政策は一貫している。

 陛下が今回のような搦め手を許すのならセルヒオにも出せる案はあった。


『アンリを、自然な流れで敵国に逃亡させることは可能ですか?』


 今やアンリは本来ならば、一派として真っ先に捕縛される中の一人だ。


『やろうと思えば穴は作れると思うが、アンリを見逃してどうする』


『アンリ本人を行かせるのではありません。彼らは双子で、すぐには見分けが付かないほど似ています。入れ替えてジョエルにアンリの名を騙らせ、オットー本家に亡命させれば、あるいはロートラントの内情を知ることができるかもしれません』


『双子を入れ替える?』


 陛下が不審な顔をしたので、セルヒオは一応自案をたたみ掛けた。


『もちろん奇をてらう分危険性も増しますし、最低限の人質として本物のアンリ、そして母親や妹を確保しておく必要はあります』


『ジョエルが取り込まれる可能性がでかいな。生半可な監視で母方一家そろって亡命されたらどうする。ただでさえ保守派の所領は北方に近い』


『そこは物理的に遠ざける必要があるでしょうね。どの道、この件が一段落したら保守派の転封は必然でしょうから、ここは思い切って南部の小国にでも飛ばしたらどうですか?』


 言えと言われたから言ったのであって、別にセルヒオにはあの双子を助ける特別の思い入れはない。

 ただ、現状の事実として、当国は他国に対し軍事的な優位性を保持し続けている。だからこそ遊びを持った博打も打てるというものではないか。不発に終わる可能性も高いが、同時に大きな布石に化ける可能性も孕んでいる。


『なるほどな。それにしても突飛なことを言い出す。慎重なんだか大胆なんだか、相変わらず読めないなおまえは』


 セルヒオがそうした発言の趣旨を陛下に伝えると、彼は視線をこちらに向けた。寒さで硬直した表情からは感情が読み取れない。


『……おまえとベルタは気が合いそうだ』



 その言葉を噛み砕いて、セルヒオは概ねを察した。陛下が、最初にジョエルを使うと言い出した時、彼が誰の進言を聞いたのか。


 第二妃ベルタ・カシャ。

 セルヒオは、正直なところ未だにその人物像を掴みきれていない。


 第二妃の宮に女官として仕える妻から色々と話を聞いたり、南部の視察において妃本人を観察していたが、ただ漠然と好印象を覚える程度だった。

 その好感も、王を振り回し疲弊させるだけの正妃マルグリットに比べれば、という程度で根拠は希薄だ。


 彼女は、かつての王太后のような、強い実権を持つ王妃になるだろうか。


(いや、それよりも、そもそも彼女は陛下を変えられるかもしれない)



 セルヒオの妻は、一応は第二妃の宮の探りのような立場で女官登用されただけあって、入った当初は冷静なほうだった。周囲の女官たちが妃殿下を中心に結束を強めていく中でも「妃殿下の人心掌握力は理解するが、あれは王妃として相応しい態度ではない」というような趣旨の報告を陛下に上げていた。


 けれど時間の経過と共に、妻は非常にわかりやすく妃殿下に傾倒していった。

 第二妃という立場の女に仕えているというより、ベルタ・カシャという個人に対し思い入れを強めていくようなセルヒオの妻は、この先陛下と妃殿下の関係如何によっては任務と私情の狭間で苦しむことになるだろう。そうなる前に陛下はそんな女官を放逐すると思うが。


 セルヒオ自身、先の視察でベルタ・カシャに対し、どちらかと言えば初期の妻に近い反感を得た。

彼女の下に対する気遣いは細やかで、ともすれば媚びているようにすら感じる。


 けれど、周囲の人間を配下としての一括りではなく、不思議なほど個人として把握している彼女は、やはり強い求心力を有する。周りもまた主の個性を見るようになり、彼女個人に仕えているような意識を持ち始める。

 理屈ではなく主個人を頼みとする集団は強いし、もし仮に彼女が男で、兵を率いて戦う立場にあれば、敵に回すと厄介な指揮官だっただろうと思う。その影響力の及ぶ範囲をどこまで広げられるのかは疑問だが、少なくとも南部では、太守たちは彼女と似たような方策で横の連帯を展開し合っていた。


 ベルタ・カシャは今のままでは当然、伝統の王室に君臨する王妃として相応しいとは言えない。

 だが、従来の王室の在り方に風穴を開ける、そういう存在を迎え入れることこそが、緩やかに朽ちていく大木のようなこの国に必要な変革をもたらすのだろうか。


 既に誰もが意図していた範囲を超えて、彼女の存在は王家の中枢に深く食い込んでいる。




 実を言うと、上に立つ者としての在り方が真逆の両人がこれからどのような夫婦になっていくのか、セルヒオは全く予想がつかなかった。


 陛下はおそらく後宮を、自身の私的な空間ではなく、国を動かす政治機構のひとつくらいに考えている。

 彼は私生活を蔑ろにすることに慣れすぎているし、ひょっとすると、己が私人であるという発想すら持たないのかもしれない。


 世襲王朝の君主としての素養を十分に有した、国家と己の人格の区別が曖昧な、人柱のような国王陛下。


 一つだけ明らかなことは、あの異郷の妃殿下は、間違いなく今まで陛下の周囲に存在しなかった性質の人間だということだ。

 もともと陛下のそばには、セルヒオを含め、閉じられた世界のとても少ない種類の人間しかいない。


 彼女は陛下を変えるかもしれない。あるいは彼女自身も変わりながら。


 臣下でも血縁でもなく、彼に寄り添い、対等に渡り合う相手として、陛下に国王として在るべき以外の人生の時間を思い起こさせるかもしれなかった。







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