【27】王の選択
後宮内は派閥同士が膠着状態に陥っている一方で、外朝は静かに激震していた。
外朝にはもちろん、第二妃の宮の侍女たちのように明け透けな物言いをする者はいない。
包み隠さない本音の部分では疑わしいと考える者も多いだろうが、外朝には後宮女官たちのような、暗黙の了解による確信はなかった。
元々、国王の私的空間である後宮の情報は表にはあまり流れてこない。流れた情報は基本的に事実として扱われる。ましてやそれが正妃の筋からの話ならば尚更だ。
腐っても従来の最大派閥、ましてや正妃マルグリットを擁する保守派が全面的に、まだ産まれてもいない胎児の正当な王位継承権を主張している。
その前提条件の信憑性の問題は都合よく度外視され、議論の中心は王位継承問題にすり替えられていた。
「正妃殿下のご実子がお産まれになるのなら別だが、侍女の子なら庶子だろう。ならば年長のルイ王子の立太子が順当なのではないか」
「しかし、ルイ王子はペトラ人との混血児ですぞ。北方貴族の由緒正しい血統を受け継ぐ御子の方が高貴な出自となるのは間違いがなく」
「そもそもおかしいではないか。ルイ王子は庶子ではない、歴とした王妃殿下であられるカシャ妃の御子なのだから、侍女の産む庶子とは比べ物にならない」
「カシャ妃は王妃ではない。側室を王妃呼ばわりとは正妃殿下に失礼であろう」
「そなたこそ言葉を選べ、第二妃という地位は王室法でも正式に王族に序列されている」
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「まあ、いっそここまで大胆にやれば、まさか虚偽とは思われないということだな」
雑音の多い外朝に比べ、国王やその周囲の最側近は冷静だった。
ハロルドは自身の執務室で、気心の知れた侍従や、新興貴族の諸侯の数人、保守派よりも現国王に賛同する稀有な古参貴族らと話し合っていた。
それぞれの年齢や地位に一貫性はないが、集まっているのはハロルドにとって腹心の臣下のようなものだ。つまり非公式な会議でありながら、実質的にはこの場が国家の意思決定の上流であると誰もが自覚している。
「愚かな一手と言えなくもありませんが、どの道このまま長期戦に持ち込めばルイ王子の立太子はほぼ既定路線でした。保守派は実際は既に追い込まれて後がありませんでした」
「手を打つのなら今だと考えたのでしょう。王子はまだ幼く、生母も未だ外朝の大きな権力とは結びついておりません。一方で、先般の視察で陛下の意識が南に向いていることは奴らも察したでしょうし、今後南部太守が続々台頭すればカシャ妃の存在感は増すばかりです」
その南部太守の筆頭である、他でもないカシャ一族が台頭してくれる気がまるでなさそうだったのだが、ハロルドは腹心たちの議論に水を差すことになるので今はその話は控えた。今回の打診の結果が思わしくなかったことについては帰還後の会議で既に伝えてあるのだし。
「――保守派が議論のすり替えを行って、外朝ではルイ混血王子の王族としての正当性の是非が盛んに取り沙汰されております。恐れながら、これに関する陛下の見解を伺いたく」
臣下の一人、古参派の諸侯であり、この場では最も位の高い貴族の一人がそう言ってハロルドに体ごと視線を向けた。好々爺然としたその男は、ハロルドの父王の代を支えた重臣で、今は位人臣の第一線は退いていながらもその存在感は健在だ。
他の臣下もそれに習う形で体を向けた。
もっとも、ハロルドは既に彼らに対しては明確に意思を表明している。
一瞬目を閉じ、極めて簡潔に彼は述べた。
「ルイを王太子にするという当初の意思に変わりはない」
それが今回の問題において、何を意味することになるとしても。
「マルグリットの生国と裏で繋がっていることも、侍女の懐妊を偽証したことも、此度の保守派の行動は明らかに一線を超えている。だがその中でも最も愚かな思い上がりは、あまりに杜撰な王統の詐称だ」
好々爺は、無言のまま小さく相槌を打った。
「そう簡単に王の血筋を偽ることができるのなら、父王も私ももっと簡単に第一王子を得ていただろう。あるいは私は母上の実子として育ったかも知れないな。そもそも、仮に本気で、倫理観を捨て危険を承知で王子出生を偽装するとして、国家の最重要機密に他ならない問題だ。企ての根幹を他国の息のかかった者が主導している段階で破綻している」
臣下たちの表情を見れば、概ねハロルドの主張に同意していることは明らかだった。
「陛下がこの問題に対し、存外に冷静で助かりました」
代表した好々爺の言葉が彼らの総意だろう。
「陛下のおっしゃるように保守派の主張は議論に及ぶものではありません。我らが気にすべきはこの事態を収束させる方法と、保守派への対応の落としどころです」
確かに、もし彼にルイという存在がいなければ、この問題に関しハロルドはこうまで冷静でいられただろうか。
もし今もまだアドリアンヌと関係を持っていたとすれば、ハロルドもまた真実に期待をしたかもしれず、もしくは欺かれたことに激怒し、裏にある他国との外交問題の後先を考えず粛清していたかもしれない。
「保守派、特に首謀の数家にはある程度の対応が必要にございましょう」
「ですが、やり過ぎては今まで保守派を泳がせていた意味が。何より北の大国に、兵を挙げる格好の理由を与えてしまうことになります」
「さすがに今回は問題が大きすぎます。厳罰を持って臨まなければ示しがつかないかと存じます」
彼らが口には出さないまでも、ハロルドの決断を待っているのは理解している。
「わかっている。……マルグリットに関しても、そなたらの意見を言って良い」
許可を得た臣下たちは、重々しく口を開いた。
「恐れながら陛下。正妃殿下は、王家の女主人としてその血統を守り伝えるべき、その最大の責務について禁忌を犯されました。此度のことが妃殿下の主導でないにしろ、王の妃としての資質を問われるに充分なご失態です」
「正妃さまは前王時代の王太后さまのように、ご自身が派閥を主導され、政治的発言力を持たれる王妃さまではございません。それ自体はご本人の気質、また一つの王妃としてのあり方かとは存じます。しかし、そうであれば王宮の奥深く、外朝と結びつかずに暮らして下されば良いものを、傀儡として担ぎ出されてしまっては今後ともこのような事態は繰り返されるかと」
ハロルドは、母である王太后のような働きをマルグリットに求めようとしたことは一度もなかった。彼女が政治的な力を得る必要もないと思っていた。象徴の王妃として、ただそこにあって穏やかに暮らし、彼女の人生の幸福を全うしてくれればそれで良かった。
それは事実、彼女が世継ぎの生母となって、ハロルドが保守派の暴走を食い止めていられれば叶った未来だろう。だが現実はここまで遠い。
「わかっている。マルグリットへの対応次第で、収束方法も落としどころも決まる」
今まで決断の機会はいくらでもあっただろう。ハロルドはどこで決定的に間違えたのだろうか。
「陛下、正妃殿下へのご対応は、慎重に運ばれませ。手引されて生国へなど抜けられては如何にも危のうございます」
「幸い、妃殿下に表立った罪はございません。ただ著しく王妃としての資質に欠けるとして、心身の病の療養を名目に退けられてはいかがでしょうか」
側近たちの意見を耳では聞きながら、ハロルドはただマルグリットのことを考えた。
マルグリットと、きちんと向き合うことから目を背け続けてきた代償を、ハロルドは彼女に支払わせなければならなかった。




