【13】邂逅
「ベルタ・カシャ。南方への視察に随行を命じられたそうね」
「はい、正妃さま。さようにございます」
厄介な相手に行き合ってしまった。
ベルタは時間の調整を自身の女官ではなく、後宮の内務官に任せてしまっていたからだ。どこかから情報が漏れたらしい。
廊下の前方には正妃と、その同派閥で何かとベルタとは折り合いの悪い女官長が揃っている。
「陛下もご無理をおっしゃることね。あなたもお断りするのは心苦しい思いをなさったでしょう」
「正妃さま。私は陛下に異を唱えることができる立場にありません」
王妃はその美貌をおっとりと笑ませた。ドレスや靴、装飾品、すべてが最上級品を纏うベルタに比べ、正妃はあまり羽振りが良いとは言えない。
だが、ごてごてと飾り立てられたベルタを一瞬で惨めに見せてしまう程度には、王妃はその生まれ持つ容姿だけで勝っていた。
「大丈夫よ。わたくしからも奏上いたしましょう」
「正妃さまのお手を煩わせることではございません」
「第二妃さま。ここは王妃さまにお縋りし、ご夫婦で話し合ってくださるよう控えるのが良いのですよ」
正妃と女官長はベルタの輿入れ当初から一貫して、ベルタを妻の一人としては認めていないことを仄めかし続けている。
ベルタの背後に控える侍女たちも、王妃の圧力は耐えられても女官長の無礼は我慢に限度があるだろう。
ここで使用人同士まで言い合いにでもなればこちら側が折れるしかなくなるので、一方的にこちらに分が悪い。
仕方なく、ベルタは暴発を避けて正妃を退けるため、会釈よりも深く礼をした後に声を張り上げた。
「恐れ入りますが、道をお空けくださいませ。陛下とお約束した面会の刻限に遅れてしまいます」
この時間にわざわざ鉢合わせに来たということは、今日ベルタが例の視察の件で表に呼び出されていることを彼女たちは知っている。
陛下の意向を笠に着て正室を退ける、中々堂に入った側室しぐさだが、この王宮で正妃派閥と対立し続けてそろそろ二年が経つ。一々細かいことは気にしていられない。
ベルタは自分が第二夫人として理想的な態度を取れないことを、もう諦めていた。
「あら。それは困ったことね」
正妃は、心底困ったように同意して眉を潜めてみせたが、その場を一歩も動く気配を見せない。
「分不相応に私を困らせるものではないわ」
ベルタはため息を隠した。
これなのだ。おそらく演技ではなく、彼女はきっと今本当に困っている。
正妃の頭の中でどういう処理がされているのか、ベルタの言葉の内容や正当性は、彼女にとって関心事項ではない。ただ、物の数にも入らない異民族の娘が聞き分けがなくて困惑している。
相変わらずこの世ならぬ妖精のように美しく、三十路に差し掛かったという実年齢を感じさせないほど若々しい。
そして、いつでもその美しさは完璧で、彼女はやつれて見えるところが少しもなかった。
――正妃は軽く病んでいるが、彼女が常人とまるで変わらない振る舞いをするので、周囲はそれを指摘できないでいる。
それが最近まで彼女に振り回されながらベルタが出した結論だった。
つまり正妃に正論で立ち向かうとか、彼女の意に沿う形で第二妃の地位を全うしようとすることは土台無理な話だ。
困り顔を見せるだけの正妃に、彼女付きの侍女たちや女官長は徐々に本当に困りはじめている。
あまり国王を待たせるのも問題だし、これほど人目のある場で向き合っていては、待たせた場合どうして遅れたのかは確実に国王に伝わる。あちらの女官たちもそれがわかっているだろう。
さてどうしようか。ベルタが行動を起こそうにも、陛下の名という最大の手札を切ってしまった後だ。
王太后の名でも出そうかと考えていると、すぐ後ろに控えていたジョハンナがするするとベルタの横に進み出た。
「ベルタさま。ルイ王子をお連れした女官が面会の刻限に間に合いましたわ」
ジョハンナは絶対に正妃にも聞こえる音量でベルタにそう耳打ちした。
ちなみに内容は全くの嘘で、今日は王子を連れて面会に行く予定はない。
だが効果は覿面だった。ルイの名前を聞いた途端、正妃は身じろいでさっさとその場を立ち退く様子を見せた。
「行きましょう。長居して少し体が冷えたわ」
ベルタはすれ違う正妃のために廊下の端に身を寄せて、半身を向けて会釈の礼を取る。
正妃の付き人たちはほっとしたような顔で彼女に付き従って去っていった。
「あなたの機転で助かった、ありがとうジョハンナ」
「いえ。ルイ王子の御名をあのように使ってしまい申し訳ありません」
「今は仕方なかったわ。……今後、あの子がもう少しものがわかるようになったら、確かにこのままでは問題だけど」
この頃正妃は、産まれた当初ルイを取り上げようとしていた態度を一変させて、徹底的にルイを避けていた。
「それにしても本当に、花壇の中で毒の毛虫を見つけたかのような反応ですね」
ジョハンナの感想は言い得て妙だった。だが仮にも一国の王子を例え話とはいえ毛虫扱いするものではない。
迂闊な年若い乳母は周囲の侍女たちの微妙な視線を集めていることに気がついたのか、表情だけは神妙に取り繕って頭を下げてみせた。
ベルタは、正妃と行き合ってしまった短時間の出来事よりも、この後何倍も面倒な言い訳に追われる時間を想像して嫌気がさしていたので、ジョハンナの失言どころではなかった。
「ああ。またあの双子の侍従にねちねち言われるのよ」
「ベルタさま。そろそろ向かわれませんと本当に遅れますわ」
「嫌だなあ」
先程正妃に言ったことは本当で、ベルタは国王の決定に否やを唱えられる立場にない。
自分が動くと面倒ごとしか発生しないこの王宮で、ベルタは目立たず生活したいというのに、状況はそれを許さなかった。