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閑話:悪役は誰か


 彼と初めて会った日のことを、今でも昨日の事のように思い出せる。



 年端も行かぬ少女の頃に祖国の親元を離れ、この国に渡った。

 彼、ハロルドとの婚約が成立し、将来の王太子妃となることが決まったためだった。


 不安だった。


 当時の国王はマルグリットの母方の伯父であり、夫となる王太子は同い年の従兄だが、それでも一度も会ったことはなかった。


 見知らぬ土地は怖くて、しかもマルグリットが嫁ぐことになった国は祖国よりも戦端の近い野蛮な国だと聞いていた。


 南方の海からは異民族が攻めてきて、祖父母の時代まで戦争があった。

 南方のペトラ人という民族が、王家と異民族との争いでたくさん命を落として、だから今もペトラ人は王家を恨んでいる。


 マルグリットの婚約が決まってから、その婚約に反対していた母から聞かされたその国の話は、幼い心に強い恐怖を植え付けていた。


 母は最後まで婚約を反対し、ハロルドのことは愛人の子と口汚く罵り、一度も自身の甥だと認めることはなかった。


『こんなに美しく非の打ち所がない娘を、どうして兄上が愛人に産ませた庶子風情に嫁がせなければならないのです。哀れなマルグリット、非力な母を許してちょうだい』


 母にもう会えないこと、祖国に帰れないこと、ついには母に見捨てられたこと。何もかも悲しくて、マルグリットは移動の馬車の中で毎日泣いていた。





『君がマルグリット?僕たちいとこなのに、あんまり似てないね』


 ハロルドは国境付近の王家の離宮まで、お忍びで僅かな供だけを連れて訪れていた。

 そしてマルグリットの心境をよそに、遠出が許されたことに底抜けにはしゃいでいた。


『ねえ、僕の遊び相手になってくれるんでしょう!君は何が好き?木登り?チェス?』


 当時の彼はまだ髪が長くて体の線も華奢で、美少女と見紛うばかりの少年だった。似ていない、と本人は感じたようだが、おそらく周囲が見ればマルグリットと姉妹のように見えたことだろう。


 その年齢にありがちなように、出会った当時は同い年でもマルグリットのほうが発育が良かった。マルグリットには妹はいないが、まるで活発な妹に懐かれて手を引かれているような気分だった。


『……木登りはあまり。あ、でも、チェスなら習いましたわ』


『そう?じゃあ釣りをしよう!離宮の裏にある湖できれいな魚が釣れるんだって』


 彼は全然人の話を聞かない子供だった。

 結局、マルグリットがこの国に着いた初日は一日中ハロルドの遊びに付き合わされた。日暮れに離宮に戻る頃には肌が日焼けで赤くなってしまい、侍女には悲鳴を上げられた。


 ハロルドと二人で並んで怒られながら、そっと目配せをし合って明日は何をして遊ぼうかと考えた。



 王宮でたった一人の王子として大事にされて育ったために、当時のハロルドは少々窮屈な思いを抱えて不満を募らせていたようだ。

 彼にとって婚約者の従妹が王宮にやって来るというのは、もっとも身近に遊び相手ができるという感覚らしかった。


 お忍びの小旅行を楽しむハロルドに付き合ってあれこれと連れ回されているうちに、マルグリットの心の中に悲しさは徐々に薄れていった。


 初めて王都に入った日、王都の民は皆、将来の王太子妃であるマルグリットを一目見ようと大通り沿いに詰めかけた。

 マルグリットはハロルドと共に屋根なしの馬車に乗り換え、一番気に入りのドレスに着替えて民衆に手を振った。


『見て見て!あの方が王太子さまのお妃さまになる人よ!』

『なんてお可愛らしい!』

『お二人が並ぶとまるで一対のお人形のよう。きっとお似合いのご夫婦になられるわ』

『我らがマルグリットさま!ようこそ我が国へ!』


 マルグリットは本国でも王女として国民の前に立ったことがあったが、未来の国家の女主人としての歓迎は完全に別格のものだった。

 これほど民衆に好かれている王太子が、母が言ったように悪い人であるはずがない。マルグリットはそう確信した。


『ようこそ来られた。我が姪よ。やんちゃ坊主が道中迷惑をかけなかったか?』


 伯父である国王陛下は、マルグリットのことも実の娘のように可愛がって接してくれた。


『はい。国王陛下。ハロルドさまのおかげで、楽しく過ごさせていただきました』


『それは良かった。二人は夫婦になるのだから、仲良くしていつも一緒にいると良い。ハロルドのことをよろしく頼む、マルグリット』


 出会ってから六年後、マルグリットと彼は正式に婚姻を結び、生涯の伴侶となった。


 幸せだった。


 妹のように可愛らしかったハロルドが、だんだんと青年らしく成長し、思慮を身につけ、やがて大人の男性になる変化を誰より近くで見ていた。


 彼は初めて会った日にマルグリットの手を引いたように、人生のどの段階においてもマルグリットを第一に愛した。いつでも気を引こうと努力する姿は、彼女にとっては可愛い弟のように思えた。


 不器用で、王位を継ぐべき立場の重圧に時折押しつぶされそうになりながらも、自らの運命を全うしようとするハロルドを愛おしく思った。


 彼の妻として共に歩んでいく幸せを、この先も大切にしていくと誓った。





 けれど。夫婦はたった一つ決定的な不幸に見舞われた。


『……なぜ?』


 マルグリットは己が果たすべき役目を果たせなかった。流産と死産を繰り返すたび、ハロルドは痛ましい顔をしてマルグリットを慰めた。

 けれど彼の優しさは余計に、彼を完璧な君主にしてあげられない負い目でマルグリットを苦しめた。


 民に愛され、これほど国家のことを真剣に考えているハロルドの唯一の瑕疵。それは彼の血が薄いということだけだった。


 マルグリットは彼に足りないものを補えるはずだった。マルグリットが産んだ彼の子ならば、次の王位にも相応しい。もう庶子というだけで近隣諸国に悪しざまに罵られることもなければ、国内の水面下での内紛もきっと落ち着くだろう。


 マルグリットの感覚では、王族とは臣下や国民に信奉されるものだった。だから彼女は一部の、現地の血の混ざった貴族たちが王やマルグリットを信奉し傅かないことが疑問でならなかった。

 それはきっと、ハロルドが完璧な血統ではないせいだ。王家の血が濃く戻ればきっと、現地の民や未だ王を悩ませる辺境の民も我に返って服従するに違いない。


『なぜ?死なせてハロルド、そうすればあなたはまた、今度は子を産める妃を娶ることができる』


『ふざけるな。お願いだマルグリット。こんなことは二度としないと誓ってくれ!君が死んだら俺はもう二度と誰も妻に迎えない。俺の生涯の伴侶は君だけだ』


 突発的にふらふらと自殺を図ったマルグリットを、彼は全身全霊で引き止めてくれた。教義からすれば、自らの命を投げ出すなどと決して許されないことをした。

 そんなことをしたマルグリットと、ハロルドとの間にはそれ以来少し距離が空いてしまった気がしたが、それでもマルグリットは諦めなかった。


 愛するハロルドに、彼女は自分の侍女を差し出した。かつて王太后が前王にそうしたように。近隣諸国に眉をひそめられる行為だが、もはや他に手段はなかった。


 自分の侍女たち。共に北方の祖国から連れてきた、なるべくマルグリットの特徴に近い娘を選んだ。できるだけ血が薄まらない子を産んでもらって、そしてハロルドの庶子にまた、マルグリットのような純血の王族の娘を娶せるのだ。


 ハロルドは言う通りに侍女たちを抱いてくれたし、そうするようになってもマルグリットの一番近くにいてくれた。

 彼は子を望めなくなったマルグリットの体を労り、触れ合うことは少なくなったが、会えばいつも優しく髪を撫でてキスをしてくれた。


 けれど、マルグリットが思うよりも彼女の神は残酷だった。


 彼女の侍女たちもついに一人も健康な子を産めないまま、月日だけは過ぎて、気がついたらハロルドはペトラ人の娘をそばに上げた。


 それも第二妃などという二重結婚の形を取って。


 マルグリットがそれを認められるはずもなかった。ハロルドがこれ以上禁忌を犯す姿を見ていられなかった。


「なぜなの、ハロルド」


 産まれた黒髪の王子は、マルグリットを絶望に突き落とした。


 王家の息子と認められるはずもない、そんな子になんの価値があるというの。それでもあなたの子だから愛せというの。


「ああ、かわいそうに。そんな姿で産まれてしまってもハロルドの子なのね。この子の血が洗い流されるまでに、一体何代かかるのかしら」


 ハロルドは、庶子として産まれた自分は決して可哀想な子ではなかったと言うけれど。


 違うのよ、ハロルド。その罪はあなたの責任ではないのよ。









ここで章を区切ります。次回から南方視察編スタートです。

ハロルドとベルタは、1歳になった王子を連れてカシャ領地へ視察の旅へ。

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― 新着の感想 ―
[一言] みんな自分の信念というか考え、価値観に基づいて一生懸命生きてるだけなんだなと思いました。それが他人から見てどうであるかは別として。 やっぱり育った環境はその後の人格形成に大きく影響しますよね…
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