【42】叙任式
トランペットの華やかなファンファーレが鳴り響いていた。
ベルタは、盛装に身を包んだ聖職者や近衛騎士の後ろ姿越しに、大勢の人間が居並んで今か今かと待ち構える正面広場を見ていた。
――その式典の始まりは、厳かな空気に包まれていた。
彼女はルイと手を繋いで、先導に従って一歩一歩、正面広場へ入場した。
中央の舞台の近くには、国内の貴族たちや、並み居る外国の使節団の姿がある。
その中には、中央に仕官はしていない南部太守たちの姿もあった。
王太子となるルイの外祖父であるカシャ当主が出て来るかどうかという話は、実は最後の最後まで争点となったが、結局今日この場にカシャ当主ヴァレリオの姿はなかった。
代わりに南部の太守たちの最上座には、当主名代という形でベルタの異母弟レアンドロが、新妻をつれて座っている。
列席者にレアンドロの姿を見とめた途端、ルイがそちらに意識を向けて目を見開いたのがわかったので、ベルタは周囲に気づかれないようにそっとルイと繋いだ手を強めに握り込んだ。
ルイは午前中から洗礼の儀式を受け、既に式典に飽きてきている。見知った顔のあるほうにふらふら寄っていきそうなくらいには集中力を欠きかけていた。
(ルイ)
小声で名を呼んで注意を引いて、ベルタはそのまま招待客の前をゆっくりと歩んだ。
全面的にルイに好意的な南部太守たちはともかく、諸外国からの使節や国内貴族の一部は、目を皿のようにしてルイの粗探しをしているのだ。
幸いにして、ルイは気が散りがちなわりには、さほどこの場に緊張を感じてはいないようだった。
忙しなく動いたりきょろきょろと視線を動かしたりしない分だけ、外野からは充分に落ち着いたお上品な子供に見えているだろう。
胃が痛んでいるのは普段からルイに近く接している者たちだけだ。……今のところは。
ベルタとルイは、舞台の正面まで歩を進め、そこから階段を上る前に舞台上を仰ぎ見た。
舞台上に設えられた玉座の前には、ハロルドが立っている。その横には新国教会の司教たちの姿もあった。
ハロルドはこうした公の場に相応しく、厳然たる君主の顔をして、自らの息子であり、今まさに王太子の位を授けようとしている王子を見下ろしている。
いつの間にか、華やかなファンファーレの音は鳴り止んでいた。
遠くの民衆たちも歓声の声を潜め、式典の一部始終に誰もが刮目しているところだった。
ベルタはルイの手を引いたまま、できる限り子連れでも正式に見える所作で玉座に向かって跪き、それから階段を上って舞台上に立った。
良く晴れた、風のない春の一日だった。
司教の声は、殊の外よく広場に響き渡った。
ルイの立太子をここに宣言する司教の朗々とした言上。ベルタはその場で跪いた礼をとりながら、祈るような気持ちでそれを聞いていた。
おそらくそれはハロルドも同じだ。
「――長子ルイを、ここに王太子の位に任じる」
この式典におけるルイの役割は、式の間中緊張せずにその場に立っていることと、じっとしていることだ。
とはいえそれは、三、四歳の年頃の子供にとってはそれなりの難題だ。
(そう。……練習の通りに)
「――拝命いたします」
「はいめいっ、いたしましゅ!」
ベルタにならい、ルイが散々練習した礼のとり方を若干間違えたまま、それでも元気よくぺこりと頭を下げた。
そう。それでいい。
それでいいから、とにかく後はちゃんと剣と宝具を受け取ってくれさえすれば。
ルイが台の上に乗り、小さな体で懸命に宝具を受け取る間、ベルタはずっと横で跪いていた。
だから彼女は、後から式典の参加者たちと話して知るのだが、ハロルドは幼い王太子に宝具を授ける時だけ、式典中の厳しい表情を緩めてルイに優しく微笑みかけていたという。
彼が公の場で表情を崩すのは珍しいことだった。それもあって人々の記憶には強く印象が残ったのだろう。
……実際はたぶん、彼もルイの気が散らないように必死で、いつもの顔を向けて接してあやしながら式を遂行しようと奮闘していたのだろうが。
ともかく、ルイは両親やその周囲の神経質な気遣いや、式典の張り詰めた雰囲気さえ知らず、受け取った宝具を誇らしげに抱きしめてその日の大役を終えた。
これだけ大勢の人間の前に初めて出て圧倒されずに役目を終えてくれたというのは、ある意味かなり大物かもしれなかった。