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【39】「正しさ」が揺らぐとき



 ハロルドはベルタの願いを聞き入れて、すぐに執務室から人払いをしてくれた。


 セルヒオたちも衛士長もベルタ側の味方をするものだから、なんなら彼は鬱陶しいと感じていたのかもしれなった。



 二人きりになった執務室で、ハロルドは間を持たせるようにゆっくりと歩を進め、窓辺に寄りかかって立った。


 彼はベルタに着座を勧めたが、ベルタは固辞した。

 その場に立ったまま次の展開に思考を巡らせる。


 ただ単に時間を稼いで沈静化させれば済む話というわけでもなかったし、問題は既に、今日の僧侶たちのことそのものですらないような気さえする。


「私は、反対です」


 ただ彼が、君主としてどこまでを必要悪として捉え、清濁併せ呑んだ方策を取るのかという、その落としどころの話だった。


「先のシエナ修道会への粛正断行で、王宮内にはまだ張り詰めた緊張状態が蔓延しています。今はようやく平時として、来春の式典に向けて王宮が活気を取り戻し始めたところ。……この上、また更に僧侶たちへの処罰が止まらない流れを重ねることは、王宮に仕える者たちにいらぬ恐怖を与え、下の硬直化を招きます」


 苦笑したハロルドは、むしろベルタを諭すような落ち着いた穏やかな物言いをした。


「君の気持ちはわかるが、今はまだ平時とは言えない。来春まではむしろ締め付けを強化していくべきだ。あの僧侶たちは良い見せしめになる」


 処罰を断行するという、ハロルドの意思は固いように思われた。


 彼はベルタとは反対に、曖昧な寄り添い方をしてベルタを落ち着かせ、納得するのを待っているかのようだった。


「見せしめ? ねえ、……それは、まずいですよ」


 それがわかるから余計に嫌な雰囲気にもなる。ベルタだって別に、感情的な見地で彼らを救いたいという話をしに来ているわけではない。


「見せしめにするにも大義名分は必要です。今回の件は、シエナ修道会への対応とは深刻度も事件性も何もかもが違う。その意図が透けて見えすぎるのは、良くないでしょう」


「何もかも違うとは言えない。彼らは旧国教会の出身者だ。――ましてや、シエナの系列会派の残党で、過去にはシエナ会派と同じく異端審問官を輩出していた会派でもある。その選民思想自体も看過できるものではない」


 ベルタの目には、彼が細やかな手段を講じるという手間を忘れ、是か非かの二極化に寄り過ぎているように見えた。


「時流に乗って変化していくことができない者たちは、いずれにせよどこかの段階で制度からは振り落とされる運命にある。遅かれ早かれだ」


 彼の「正しさ」が揺らぐ時、それはこうした形を取ってみせるのかと、ベルタは差し迫った議論の裏で、どこか凪いだ気持ちを見つめていた。


「いいえ。たとえ思想を同じくしていなくても、……時には理解に苦しむ者たちがいたとして、彼らも、この多様な国家の一部です」


 彼は確かにいつも正しい。


 正しいけれど、正し過ぎればそれは、やり過ぎにもなる。


「あなたがそうしてそれらを見捨てて、見せしめに激しい弾圧を向けようとすることは、――かの教会が昔、私の先祖たちを異端として排除しようとした悪しき歴史と、何が違うんですか」


 きっとかつての異端審問官たちも、始まりの感情は純粋なものだったのだろう。


 彼らは高潔に、自らが正しいと信じる正統信仰の教えを守ろうとした。正統な信仰だけが人々を救うと信じて。

 そうして自らの思想に逆らう都合の悪い言説を「異端」と断じた。


 ましてや暴力的な手段に慣れて万能感に取りつかれれば、人は何をするかわからない。


「……時流の変化に乗れなかった者たちを、あなたは一律に突き放して進むべきではありません」


 それらを見捨て、寛容の理想を忘れることは、それこそ思考停止の安楽さに温むことだ。


「弱者を容赦なく振り落としていくことで、それを見た人々がどういう気持ちを抱くのか、考えて下さい」


「すぐに感情に訴えるのは君の悪い癖だ」


 どうすれば彼に伝わるのだろうか。きっとベルタの説得も、穏当な対処を求める部下たちの進言も、届いていないであろう彼に。


 ベルタは数歩、窓辺のハロルドに歩み寄り、彼の顔をよく見ようとした。


「……ベルタ?」


 けれどそれは同時に、彼のほうもベルタの顔がよく見える距離にまで近づいたということだ。


 ――よく見えたことだろう。ベルタの、うんざりした顔が。


 ベルタは大きく首を振って意識を切り替えると、顔にかかった髪を手でかき上げて、一つ息を吐いた。


「皆、あなたみたいになりたいんですよ」


 喧嘩をしても意味のない場で、それでもどうにか曲げずに話し合うことは、単に言い合いに逃げることよりよほど難しいことだった。


「でも、弱いからなれないんです」


 彼は確かに正しいのだろうが、ベルタは時々それについて行けないと思ってしまっているし、周囲にそう思わせた時点でだいたい彼の負けである。


「あなたのその愚直な正しさに、誰もがついて行けないと思う前に。ご自分に仕える者たちの姿を顧みて下さい」


 誰も彼に、孤独な独裁者になってほしいなんて思っていないのに。


 夜半に戻った部屋で、もう立ち上がることもできないほど疲弊していた彼の姿を思い出す。

 彼は今までも一人きり、ああいう夜を何度過ごしてきたのだろうか。


「時には、派手な粛清が必要なこともわかります。けれど苛烈な粛清は悪魔の薬です。使いどころを間違えれば、たちまち孤独な独裁者になり果てる」


 ハロルドは押し黙ったが、彼が先程までとは違ってベルタの言葉を聞いている気がしたので、ベルタはとにかくたたみ掛けた。


「私たちはただでさえ異なる背景を抱えて、……長年虐げられてきた先祖を持つ私やルイが、今ここにこうしているように。長い目で見れば、寛容であることこそが統治の要でしょうに」


 彼をそういう王だと思っていたから、ここに来て宗教絡みの彼の断行には、ベルタもさすがに疑問を覚えざるを得ない。


「ハロルド。あなたは少し、冷静さを欠いているように思えます」


 彼は窓辺に寄りかかったまま、明らかに有意な時間、目を閉じて佇んだ。



「……『長い目で見れば』、か」


 それからまた長く黙り込んだ彼は、逡巡したように自嘲的な笑みを浮かべた。


「軽蔑するか?」


 その自嘲は、自白にも似ていた。

 それは、彼自身も最近の己の行動が、明らかにこれまでと異なっているという自覚がある顔だった。


 どちらかと言えば無意識に強権化していると思っていたから、ベルタは目を見開いて、驚きが顔にはっきりと出てしまう。


「いいえ」


 けれど彼女は、ほぼ即答した。ハロルドは苦笑を返しただけだったので、その返答が単にベルタに気を遣わせたものだと捉えたらしかった。


「あなたを責めることは、誰にもできません」


「……俺が王だからか?」


 いや。

 考えてみれば、彼がもし私情にまみれた王だったのなら、ベルタはたぶん今頃ぼこぼこに彼を責めている。その昔南部で彼女がカシャの父に向けていた態度のように。


「いいえ。あなたが今も、何かに耐えてここにいるから」


 彼がその立場に背負うものは大きすぎ、ベルタは隣に並んでさえ彼の全てを理解できそうにはない。

 だから何も邪推するつもりはなかった。


「あなたが、誠実な王だから」


 どうかこのまま、信ずるに足る王であり続けてくれと祈るような気持ちで、ベルタは隣に立つ彼を見つめている。


 ハロルドは一瞬だけ苦しそうな目をして、刹那的な視線を彼女に向けた。



 ベルタの姿の奥に、別の何かを見るように。









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― 新着の感想 ―
[一言] ベルタの人なりもう知ってる時期なのに、まだ感情論だヒステリーだで偏見を押し付けて話を聞かない言い訳にするハロルドがめんどくさい男すぎる でも当時の社会価値観にあうキャラと思います
[一言] 人間の多様さ、複雑さを描こうとしている良い作品だと感じています。 連載再開は嬉しかったし、更新を本当に待ち望んでいます。
[良い点] 伝わらない状況でも言い合いにならずに説得するベルタさんカッコいい! 今章の精神的な意味でのクライマックス!
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