【1】父との密談
「当家から妃を一人出すことが決まった。ベルタ、後宮に行ってくれないか」
父に呼び出され、単刀直入にそう言われた。
それは別に、青天の霹靂というほどの驚きでもなかった。
カシャ一族からついに妃が輩出されるかという話は数年前から出ていたし、父を始めとした一族の人間はどちらかといえばそれに乗り気だったからだ。
ベルタが驚いたのは、指名されたのが自分だということだった。
異母妹たちに比べて不器量で、加えてベルタは未婚の娘としては薹の立った年齢と言える。自分はこのまま領内に残り、まだ幼い弟が父の後を継げるようになるまで家を支えていくのだと、今日まで疑っていなかった。
「なぜ私を?」
「まあ、そう言うな。これは国王陛下からの正式な打診だ。私ですら一存で断ることはできないのだ」
「そういう話ではありません。後宮に入れるならば、私より若くて美しい妹たちが適任のはず。私にきらびやかなお妃さまは向いていないと思います」
可愛い異母妹たちの顔を思い浮かべる。あの子たちを差し置いてベルタを選ぶとは、適材適所を信条とする父の采配とも思えない。
「私にとってはおまえも可愛い娘だ」
「はあ。ありがとうございますお父さま。でも私は客観的な話をしているんです」
父は何人側室を持とうと、ベルタの生母である第一夫人を格別に愛している。だから生母によく似たベルタのことも掌中の珠のように扱うのだが、背ばかり伸びて痩せ型で、癖の強いブルネットのベルタは、どこからどう見てもこの国の美人の条件には合っていなかった。
ベルタが自虐で受け流すと、父はふと表情を変えた。
どうやら真面目な話らしい。
「客観的に見ても、私はおまえに行ってほしい」
「妃にするのに、若さも美貌も関係がないと?お父さまはカシャから出す妃で、国王陛下の寵を賜るつもりはないんですか?」
ベルタの方も嫌味はやめて真剣に聞き返す。
結果的に更に身も蓋もない言い方になってしまったが、そんなことは気にしていられない。今決まろうとしていることは自分の人生の一大事だ。
「その通りだ。そもそも誰を送ろうと寵愛云々に関わりはない。王は政略的にペトラ人の妃を王家に迎えることを望んでいる」
王家をはじめとする王都の大貴族たちは、カシャのような成り上がりの新興貴族を毛嫌いしている。
カシャ一族は交易の拠点の街を押さえる大領主だ。その実質的な権力は公爵家にさえ及ぶと考えられている。だがそれでもなお、王都の貴族から言わせれば、カシャなどは土着の商人の成り上がりなのだ。
「我ら『原住民』が成り上がってどのくらいの時が経つ?カシャが行商だったのはもう百年も昔のことだ。元は余所者の貴族連中が威張り散らすのももう限界だ。国民の大半を占めるペトラ人を無視し続けることは、如何に王家とてできなくなっている」
頭が痛くなってきた。こうして話に聞くだけでも古臭く差別意識が錯綜している王都、その最たる王宮へ、ベルタは送られようとしているのか。
「カシャから出す妃は、王都の派閥間の調整によって正妃に次ぐ第二妃の位をいただくことが決まっている。この王家の歴史上はじめて、原住民のペトラ人から王家に入る花嫁、それがおまえだ。ベルタ」
つまりこの瞬間、ベルタは望むと望まざるとに関わらず歴史に名を残す女となることが確定したのだった。
「この役目、おまえ以外の娘たちにはさすがに荷が重すぎる」
「……それは、そうでしょうね」
本当はベルタにだって重すぎると言いたいが、まがりなりにも一族の嫡女として育てられてきた矜持がそれを思い留まらせた。こういう控えめなところが損な性格だとベルタは自省している。
「案ずるな、おまえは何もしなくていい。おまえという布石を後宮に打ち込むだけで、外朝の権力構造は嫌でも動く。妃が一人入るだけで、優秀な外交官百人分の働きになる」
「その『何もしない』が一番難しいでしょうね。わかって言っているでしょう、お父さま。後宮内で私という存在は完全に異分子、仲睦まじい国王夫妻の間に割って入る悪女になれと言うのだから」
由緒正しい貴族の出自である正妃さまや、色好みの国王陛下の愛人たちを相手取って、『何もしていない』ように見える生活を送ることがどれだけ大変か。
これは、ただ一族の嫡女に産まれたというだけで負わされる責務としては、あまりに割に合わない。ベルタの中に流れる、遠い祖先の商人の血が、交渉をふっかけろと騒いでいる。
「お父さま。この話をお受けする条件に、ひとつ提案があるのですが――」
ベルタは転んでもタダでは起きない性格だった。