第六話「戦いの始まり」
どれぐらい階段を上り続けただろう、気が付いたら俺は寝ていたようだ。窓から差し込む陽が眩しい。
カフカの変身という小説の一節に「ある朝、気がかりな夢から目覚めたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた……」と言うものがある。ただ、俺はいつもの自分の部屋で目覚めたわけでも無いし、体もそのままだ。格好も石本の家に行ったときと一緒で、迷彩柄のマウンテンパーカーに水色のジーンズ、中に白いシャツなので、中世に送り込まれたと言う割には随分浮いた格好だ。だが、気持ち的には「変身」の主人公と一緒だろう。普段使っているノートパソコンも、勉強机も見えない。あるのは汚いテーブルと大きめの鏡だけだ。そして自分の寝ていた場所も、自分の部屋のベッドではなくボロボロの床に引いた布団である。
「いよいよ、俺は俺でなくなってしまったのか……。どうしたらいいんだ……」
俺は頭を抱える。が、もう逃げられない。あの時ジジイとクソ女に命乞いしといたら良かったのでは、と卑屈な考えが一瞬脳裏よぎる。
数秒考え込みつつ部屋を見渡すと、テーブルの上に手紙が三通置いてある。まず一枚読んでみようか。
黒川さんへ
あなたの荷物と転んだ時に足元に落ちていた荷物は一緒にそちらに送りました。ご武運をお祈りいたします。
細川純子
これはクソ女からか。荷物ありがとうございます、と一応は感謝しておくぜ。筆記用具、スマホ、ゲーム機、その他もろもろは役に立つかもしれな……。一瞬思ったけどスマホどこだ? 普段、私服の時はズボンの右前に入れているはず。もしくは寝る前に充電するから枕元、と思ったが見当たらない。
とりあえず二通目読んでおくか。おそらくジジイのだろう。
坊主へ
荷物に関してだが、ゲーム機とケータイは充電できないから要らないだろうし、こっちで預かっておく。あと、落ちていた鞄の方にはタバコが入っていたからこれも除けておいた。未成年の喫煙は法律で禁止されておるからな。
御子柴善男
このクソジジイ、帰ったら殺してやる。スマホがあったら充電が切れるまではライト代わりに使えそうだし、計算機とか通信できなくても使い道はあると思っていたのに……。
とりあえず先に荷物の方も確認しておこう。まずは自分のリュックの方から。ペンケース、教科書、松山センセから貰った課題。それだけか。とりあえず筆記用具以外は要らねえかな。
次は足元に落ちていたデカいエナメルバッグの方を開けてみる。持ち主の方は警備員をしていたのだろうか、ヘルメット、制服と思われる青い作業服、蛍光色のベスト、安全靴、赤白の旗1本ずつ、それとカッターナイフか。とりあえず全部使えそうだ。使い道はそのうち考え付くだろう。
鞄の中を漁りつつ荷物を移し替えていると、外からノックする音が聞こえた。
「すいません、ダグラス様。もう起きてらっしゃいますか? 将軍様から早く来てほしいとの連絡がございましたので」
「もう少し待ってくださ――――」
しびれを切らしたのか声の主が入って来た。三十代ぐらいの男、だが見た目は見るからに西洋風と言って差し支えない。金髪に彫りの深く鋭い目元。
「どうされました? 私の顔に何かついておりますか?」
「い、いえ。何も。ただ、俺はもう戻れないんだなぁと……」
俺は狼狽えつつも横の鏡を見る。鏡には額の左側に十字の傷の入った西洋人の男が映る。周りの人間を見ると、俺はもうジョージ・ダグラスという知らない男になって知ったのだなあと強く実感した。
「失礼、申し遅れました。私は第四大隊副隊長 兼 A中隊隊長のウルフ・ノベルと申します。これからは、新たに隊長となる貴方のために精一杯働きますので何卒」
と、目の前の白人の男が俺に一礼する。なんでだろう、雑音というか何を言っているかはわからないが、なんとなく意味は分かる。俺も一礼すると同時に日本語で軽く挨拶をしてみると、
「よ、よろしくお願いします。私はジョージ・ダグラスです。未熟者ですが……」
と、言って頭を下げると、向こうも意味が分かったようで一礼してお願いしますと俺に言った。なるほど、なんかわからねえけど、言葉は通じるッぽいな。
「では、大本営に向かいましょうか。急がないと、貴方も私も罰せられますからね。それと、あっちを出るときに渡された手紙をください。」
あっち? もしかしてジジイとクソ女の手紙を渡したらいいのだろうか……。いや、まだ開けてない三つ目のやつだな。俺はテーブルの上に置いてあった手紙を渡した。
「一応中身確認しておきますね……」
そういえば三つ目のは見ていなかったな。俺も中身が気になるし見ておこう。
ジョージ・ダグラス殿
貴殿を以下の役職に任命する。
(前任) 中央師団 国王親衛隊 副隊長
(新任) 遠征師団 第四大隊 隊長
年齢:26 登録番号 AA47-7529
引き続き職務に励み、護国に貢献すること
ヴァルタール王国 国王 ヨアキム・ヴェイセル・バーリ・II
国軍元帥 兼 中央師団長 マティアス・エクステット
遠征師団長 キム・スヴェードバリ
どうやらこれを見る限り、俺は一兵卒ではない、それどころかかなり上の人間のようだ。一瞬思い浮かんだ脱走して真実にたどり着く、なんて計画は無理そうだ。
「ダグラス隊長。申し訳ございませんが登録番号を確認しますので、左足首を見せていただいてよろしいでしょうか」
俺は一瞬何言っているんだと思いつつ、ズボンの裾を捲る。左足首の内側にはAA47-7529と書かれている。どうやら刺青のようで、ヴァルタール王国だっけ? この国の軍隊ってのは結構キッチリと管理がされているようだ。
「これで大丈夫です。とりあえず、大本営に向かいましょう。時間がありませんので」
俺とノベルは少し急いで「大本営」なる場所へ向かった。