9.
「なん、だったんでしょう・・・」
部屋の惨状と次期当主の言動に呆然としつつ、アルマがつぶやく。
「そうね。なんだったのかしらね。・・・きっと、小さいものよね」
兄が消えたドアの向こうを眺めつつ、今日の兄と記憶の中の兄を照合してみる。
「え?」
「いや、お兄ちゃんが探してたものよ。重箱の隅をつつくみたいに隅々まで探してたわ。・・・ということは、パッと見たくらいではどこにあるか分からないサイズのモノを失くしたのね。・・・あ。」
「・・・お心当たりが?」
アルマの瞳が困ったように揺れる。
少し前の私ならやりかねないことなので、もしかして、というところだろうか。
「いや、私じゃないんだけどね。お兄ちゃん、いつも右のポケットに懐中時計を入れてなかった?銀色の鎖で、腰のベルトにつないで」
無意識だろうが、よくポケットに手をやる兄の姿を見ている。
そして今日は。
「うん、銀の鎖、なかった気がするわ」
「そう・・・でしたか?すみません、私、動転してしまって・・・。でも、あの懐中時計は確か」
「そうね。お母様の形見だって聞いたことがある気がするわ」
「・・・そんなものを失くされたら、焦って動揺してしまうのも・・・仕方ないですね」
部屋の惨状に改めて目をやったアルマが、ため息を一つ。
「いいわよ、私が片づけるから。ついでにいらないものを捨てられるわ」
私も散らかり放題の部屋の中を見渡して、あちこちに散らばったこどもらしいものをこの際一層してしまおうと決意する。
8歳の宝物って、可愛らしくて微笑ましいけれどこれと言って使い道がないものが多いのよね。
手始めに足元に転がっているよく分からない木製の人形のようなものを拾い上げ、要らないものゾーンと仮定したドア横の空きスペースへ持っていく。
途中にいくつかモノを拾い、まとめて要らないゾーンへ。
アルマは明らかに要る本などを本棚に戻し始めて、二人で部屋の片づけに精を出すと、昼下がりからおやつの時間頃にはすっきりと片付いた。
「ありがとうね、アルマ。余計な仕事をさせてごめんなさい」
綺麗になった部屋を見渡してから手伝ってくれたアルマに声をかけると、彼女はいいえ、と笑ってお茶の用意をしてきます、と部屋を出て行った。
それを見届けた私は、お茶を持って帰ってきたアルマが途方に暮れるかなぁと一瞬考えたものの、やはりお茶よりもお兄ちゃんを優先することに決めて、兄を追って部屋を出た。
とはいえ、どこへ行ったのか。
あの様子ではまだ必死にどこかを探しているだろう。
そもそも、肌身離さず持ち歩いているものなのだ。
失くすなら、どこ?
灯台下暗し、ってことがよくあるのよね。
あと、思いもかけないところから出てくるパターンと。
じゃあ、まず探すべきところは。
兄の一日の行動パターンを考えると、私とは時間をずらして起きて、朝食。
基本的に兄のほうが朝は早いし、ちゃんとした時間に起きていた。
私が早起きというかきちんと“朝”起きるようになってからはさらに早起きをしているようで、朝食の席で会うことはない。
午前中は座学で国の歴史や領地経営など将来必要になることを勉強し、お昼を挟んで庭で剣の稽古。
それが終わったら自由にしているみたいだ。
と、言うことは。
私の足は庭の訓練場へ向けて、考え事をする頭を運んでいく。
食堂なら絶対に誰か気づくし、お勉強は私室だ。
自分の部屋はとっくに隅々まで調べただろうし、掃除をしてくれる侍女の誰かが気づく可能性もある。
それよりも失くしやすくて見つけにくい場所と言ったら、庭しかない。
その後の自由時間に行っている場所の事は知らないから、私が探せる場所も庭しかないので、とりあえず行ってみることにしよう。
そう思って兄の私室の前を通りかかった時、中からそこらじゅうをひっくり返すような音とおろおろした侍女の誰かの声が聞こえてきた。
声、かけてもまた怒らせちゃうかなー。
一瞬立ち止まって考えたけれど、あまりいい結果は出そうにない。
一人で庭へ行こうと再び歩き出そうとした瞬間、乱暴にドアが開かれて焦燥を募らせた兄が飛び出してきた。
そのまま駆け出して行こうとする兄を、反射的に手を取って止める。
兄はびっくりした表情で振り返り、多分同じくらいびっくりした顔をしている私を見た。
思わず手を掴んで引き留めてしまったけれど、ほぼ無意識にやった行動だったので自分自身でも驚いている。
「あ、の。いくつか聞きたいんだけれど」
引き留めてしまったものは仕方がないし、こうなればふり払われるまでが勝負だ。
ぽかんとする兄に構わずに、先に我に返った私は質問を開始した。
「失くしたのって、いつも右のポケットに入れてる懐中時計よね?ベルトにつけてる鎖がなかったからそう思ったんだけど、違ってたら教えて。それで、聞きたいのは最後に確実に持っていた場所なんだけど。覚えていればでいいから教えて。昨日の事でもいいから、とにかく最後に確実に確認したのはいつ、どこで?」
じっと兄の眼を見つめると、兄はふと我に返ったように私の手を振り払った。
けれども、どこだか知らないけれど行こうとしていたところへ向けて駆け出すことはなかった。
「・・・昼食。食堂を出るときはあった。」
必死に何かを思い出す表情で絞り出された答えに、私は一つうなずいた。
「無くなったのに気付いたのはいつ?どこだった?」
私の問いに、兄の右手が無意識にポケットを押さえる。
「・・・剣の訓練・・・が、終わって、それから・・・ないのに気付いたのは部屋に戻ってからだった」
「屋敷内で落としたなら誰かが気づく可能性が高いわね。みんなこまめにお掃除してくれてるし、見つけたら絶対にお兄ちゃんに届けてくれるわ。だから、探すとしたら訓練場ね。念の為、食堂から今日通ったルートで訓練場まで行ってみましょう」
私の提案に異も唱えず、兄が先に立って食堂へ向けて歩き始める。
うちの廊下は実用一点張りで壺やら胸像やら美術品の類は置いておらず、壁にいくつか絵がかかっているくらいだ。
なので、見通しのいい廊下に何かが落ちていて気づかないはずがない。
食堂もこまめな掃除と手入れのおかげで普段から清潔に、簡素に保たれているので、ここに落としても誰かが気づく。
食堂までたどり着いた兄は、体を反転させると記憶をたどるように来た道を戻って庭に抜ける奥の通用口のほうへ歩いていく。
そして通用口の木戸を開いて中庭へ出ると、訓練場のある裏庭のほうへ足を向けた。
私は兄の後ろをゆっくりとついていきながら、腰を落として丹念に庭木の植え込みの下を覗く。
落とした拍子に転がり込みそうなところはすべて要確認だ。
ゆっくりゆっくり、ほとんど這うような速度でついていく私に焦れたように振り返った兄は、私の様子を見て自分も視線を落として庭木を覗き込むようにして進み始めた。
これでダブルチェックできるわね。
もしもなかったら、戻るときにもう一回見るけれど。
屋敷内や前庭と同じくこの中庭もよく手入れをされており、庭を眺めながら人が歩くための小道はすっきり掃き清められ、ここに落し物があればすぐに気が付くような状態だ。
しかし、小道を挟んで両側にある植栽や花壇に転がり込めば、パッと見では分からないだろう。
二人で丹念に懐中時計を探しながらゆっくりと歩を進め、成果を上げられないまま訓練場の赤土が見えてくる。
訓練場は裏庭にほど近い一角に設けられており、隅のほうに訓練に使う道具を入れる小さな東屋があるほかは、ただの芝生敷きの空き地同然の場所だった。
お嬢様は剣や乗馬の訓練は今のところしておらず、馴染みのない風景にほとんど初めて来たように感じる。
ただっぴろい空き地をざっと眺めるが、それらしいものは落ちていない。
ここは観賞のための庭に比べると幾分管理がおおざっぱで、芝生が敷かれているものの訓練で摩耗している個所も目立ち、ある程度手は入っているけれど毎日こまめに手入れがされているとは言えない状態だ。
芝生の高さもまちまちで、摩耗しているところは何かが落ちていたらすぐにわかるけれど、あまり人馬が踏みつけない端のほうは結構な背丈に育っている。
万一あのあたりに転がり込んでいたら、さっと見ただけでは分からないだろう。
私は訓練場のふちに沿って歩き、足元の芝生と訓練場を囲む植栽の下を目を凝らして何一つ見落とさないように点検しながら進む。
反対側から同じように足元と植木の下を注視しながら半周してきた兄に行き会うと、私は軽く首を振った。
兄も成果を上げられなかったらしく、目に見えて落ち込みの色を濃くする。
「剣の訓練の前に着替えたりはしなかった?終わった後は?絶対どこかにあるから、今日行ったところを順番にたどりましょう」
あと考えられるとしたら、着替えの際に落としたり、移し替えるのを忘れたり。
しかし兄は首を振って着替えを否定する。
「訓練はそのままで、終わって部屋で着替える時にないことに気が付いた。あとは・・・道具を取りにと、片づけに倉庫へ行った」
兄が足元から顔を上げ、視線で庭の隅の小さな建物を指す。
次に行くべき場所が定まり、二人して歩き出す。
もちろん、足元の確認は怠らない。
訓練場の隅の小さな東屋は模造刀などを収納している倉庫になっており、屋外の独立した建物ではあるが保管されているのが真剣ではないため鍵はかかっていなかった。
兄が大きな扉を引くと、ぎぎ、と小さく音がして思いのほかスムーズに扉が開く。
中はざっと見渡せば十分隅まで見通せる程度の広さで、壁に作り付けの棚がいくつかあり、剣の訓練道具のほかに庭仕事の道具などもちらほらと見受けられた。
中に入ると外よりも温度が少し低く感じられ、普段は人のいない締め切られた場所特有のひやりとした湿っぽい空気が顔を撫ぜた。
一渡り東屋の中を見渡してから、這いつくばって棚の隙間や下を覗きこむ。
突然べったりと地面に這いつくばった私に、後ろで兄が息をのむ気配がする。
この空間で落として気づかないとすれば、棚の下くらいしかない。
「お兄ちゃんは棚を確認して。私の身長じゃ見えない高さの棚もあるし、ここに落としたなら誰かが拾って目立つところにおいてくれてるかもしれないから」
ガーランドさんや剣の先生が見つけたなら、多分母屋まで持って来てくれるだろうけど、棚の上に置いてないとも言い切れない。
それに、兄に比べて身長の低い私では確認できない場所があるのは否めないので、私が地面で兄が棚、この分担が一番効率的だろう。
どんな隙間も見逃さずにしっかり確認しつつ倉庫を一周し、中央に乱雑に積まれた木箱の隙間も執拗に確認したが、結局ここにも懐中時計は落ちてはいなかった。
夕暮れの迫る中、立ち上がった私は兄を振り返った。
ちょうど日が差し込んでくる入口のところに立った兄の表情は逆光で読めないが、落胆しているのは雰囲気でわかる。
「ここに道具を片づけてからどうした?」
問いかけると、うつむき加減だった兄の顔が上がる。
「一旦・・・部屋に戻った」
「そこで着替えをして、なくなってることに気が付いたの?」
再度の問いかけに、兄が首を振る。
「いや・・・その時は着替えをしないで、お茶の時間まで本を読もうと思って・・・」
「じゃあ、次は書庫?」
「いや・・・本を持って、裏庭に行った」
「そう。それじゃあ裏庭に行きましょう。もうすぐ日が暮れるから、外を先に探すほうがいいわ。屋敷内なら夜になっても探せるし、庭よりも人が多いから見つけてもらえる可能性も高いものね」
もしかして、お兄ちゃんが書庫でなく裏庭なんかで読書してるのって、私が書庫に入り浸っているからかしら。
食事の時間もずらしてるし、極力会わないよう避けられているのは明白なので、その可能性が高い。
・・・なんか、ほんとにごめんね。
今までの事、これから精いっぱい償うからね。
申し訳ない気持ちになりつつも出入り口に立つ兄を促して、倉庫から出る。
日はどんどん傾いており、最初に家から出てきたときは青々としていた地面の芝生がオレンジ色に染まっていた。
あまり時間がないわね。
大切なものなんだし、できたら今日中に見つけてあげたい。