8.
あれから、ちょくちょく庭に遊びに行くようになった。
ガーランドさんと会うとまだ反射で体が強張るけれど、さすがにもういきなり怒鳴られることはなくなったし、それに時々だけどルークと一緒に花に水やりなんかしているところへ現れては手入れの仕方を教えてくれることもある。
正直、彼との関係は修復不能に近いと思っていたので、信じられない進展だ。
ルークは相変わらず言葉少なだけど、私が顔を出すと急ぎの用がなければ切り花用の花壇の手入れに付き合ってくれる。
親の部屋に飾る云々は置いておいて、ちょっとでも誰かと仲良くなりたい私には貴重な時間だ。
ちなみにあの時転んで思いっきり表紙に傷をつけてしまった本は、両親が帰ってきたら謝ろうと思って一旦部屋に持って帰ったのだけど、諸事情あって封印することに決めた。
いや、諸事情っていうか、書庫にお兄ちゃんがいて手近にあった本を引っ掴んで持って行ったわけで、読みたいと思ってきちんと選んだ本ではないんだけれど、それでもちょっとその、障りがある本だった。
―――『世界の拷問』。
なんであんな本、こどもの手の届くとこに置いとくのよ。
あってもいいけどもっとこう、こどもが気軽に手に取れないとこに置いときなさいよ。
正直、部屋に戻って本の損壊状況を調べた時に初めてタイトルに気が付いてとにかくびっくりしたし、ルークが妙に優しくしてくれたのはこの本が原因だった・・・?なんてひとしきり悩んだわ。
表紙に傷つけちゃったし内容が内容だしで(読んだわよ?ええ、読みました。R18だって読める精神年齢ですからね)、書庫に返すに返せず今は私の部屋の本棚の奥に押し込んで、他の本をてんこ盛りにして隠してある。
木を隠すなら森の中、というわけだ。
“私”が目覚めてはや1か月。
アルマとの関係は当初と比べると改善完了と言っても誇大広告とは言えないほどになっており、今ではすっかり打ち解けた雰囲気だ。と、少なくとも私は思っている。
やっぱり大人よりはこどものほうが事実を受け入れて馴染むのが早いってことね。
まぁ、まだお兄ちゃんとの関係改善は糸口すらつかめていない状態だけれど。
歴史の授業を終えて先生をお見送りした後、筆記具一式を手に持って、どうしたらお兄ちゃんと仲良くなれるかしら、と思いながら廊下を進んでいると、角を曲がったところで問題の人物と行き当った。
文字通り、急いで角を曲がってきたお兄ちゃんに”行き当った”私は、考え事をしていたこともあり、受身もとれずにしりもちをついた。
幸いにしてきれいにお尻から落ちたので、お尻が少々痛いだけで他に怪我はせずに済んだ。
「ごめんね、お兄ちゃん。考え事をしていて、ちゃんと前を見ていなかったわ」
散らばったノートと筆記具を拾ってから、よいしょと立ち上がり、ぶつかった相手を見る。
お兄ちゃんのほうはさすがに毎日鍛えているだけあって、今の衝突では小揺るぎもしなかったようだ。
私も無事だし、お兄ちゃんに怪我させなくてよかったわ。
視線を上げると正面から兄と目があって、私は顔に貼り付けていた申し訳なさそうな笑顔を引っ込めた。
相対したお兄ちゃんは、ひどく張り詰めた冷たい目をして私を見下ろしていた。
そして、まったく予想外の行動に出る。
「お前か!!!」
噛みつきそうな口調と目でそう言って、ぐん、と胸倉を掴まれ引き寄せられる。
この体が華奢めの8歳児だということを割り引いても、10歳の力とは思えないほどの強さで引かれ、思わずたたらを踏む。
「・・・何のことか分からないわ。わかるように話してもらえるかしら」
私よりも背の高い兄を見上げるようにして言うと、兄の秀麗な顔が怒りにゆがむ。
「お前が・・・お前が持ってるんだろう!!返せ!」
突然返せと言われても。
何の事だかさっぱりわからない。
「分からないわ。とにかく一度、分かるように最初から話して。私が何か勝手に持って来てしまったと思っているようだけれど、お兄ちゃんの私物には一切近寄っていないわ」
今朝目が覚めてから今までの行動をざっと振り返ってみるが、いつもと違うことはなかった。
何か拾ったり、心当たりのないものを見かけたり、そういう記憶はない。
「お前の嘘は聞き飽きた!」
こちらの話を聞く気もなく、一方的に怒られるというのは久しぶりの体験だ。
前はよくあったのよねぇ、この手の理不尽な怒り方をされること。
さすがに胸倉を掴まれたのは初めてだけれど。
「いいわ。じゃあ部屋でもなんでも好きなだけ調べて頂戴。脱げというなら今すぐ脱ぐわよ」
小物の隠し場所には困らないヒラヒラしたお嬢様ワンピースを目線で指して言うと、お兄ちゃんはぐっと顔をゆがめて私を捕まえた手を離し、私を壁際へどんと押しやると私の部屋のほうへ歩き始めた。
一応窃盗か何かの被疑者である私も、彼の後を追う。
部屋にはアルマがいて、突然入ってきた兄とそれを追う私を見て久しぶりに目をまん丸にしている。
ごめんね、まだ驚かせるネタは尽きていなかったみたいでね・・・。
兄が手当たり次第に部屋をかき回し始めると、アルマが悲鳴のような声で彼の名前を呼び、制止に入ろうとするので、そんな彼女の手を掴んで止める。
私や兄より大きいとはいえ、部屋を荒らす兄を止めようとして15歳の花も恥じらう乙女に万が一でも傷なんてつけたら大変だもの。
・・・あ、責任とって、兄がお嫁にもらえばいいのよね。それで万事解決だったわ。
・・・いや駄目ね。それだとアルマの気持ちは完全無視だものね。それに何より怪我したら痛いし。
「ミザリー様ッ!レオンハルト様が・・・!何!?何があったんですかッ!!」
私に手を握られたまま、アルマがおろおろと私の顔と荒ぶる兄とを視線で往復する。
まさか目の前の幼女の頭の中で兄と彼女との婚姻プランが一瞬とは言え整ったことなど、彼女は知る由もない。
私は意識を現実に戻し、ため息を一つ。
「分からないのよ私も。何か失くしたみたいで、私が犯人じゃないかって疑われているの。だから、好きに探してって言ったらこの有様で。後で片づけるから気にしないで」
がしゃん、と派手な音がして、書き物をする机の引き出しが引き出され、中身が床にばらまかれる。
ああ、インク壺の蓋はちゃんと閉まっているわね。
絨毯にシミができたら、さすがに一人では対処できない。
兄の遺失物捜索が終わった後の部屋は、程度の低い空き巣に入られたような有様だった。
あらゆる引き出しは開けられ、棚の中身はすべて床に散らばり、アルマによってきちんと整えられていたベッドは掛け布団もシーツも引きはがされて、普通に寝て起きた後よりひどい。
「探してるもの、見つかった?」
捜索を終えて部屋中に散らばるモノたちの中に目当てのものが混じっていないか、焦燥と祈りがないまぜになった表情で見回す少年に、私は声をかける。
弾かれたように顔を上げたお兄ちゃんは一瞬だけ泣きそうに顔をゆがめて、それからすぐに怒りでそれを覆い隠す。
「・・・お前が、持っているんだろう!」
こどもとは思えないような眼光で私を射すくめる。
私は先ほどの宣言通り、隠し場所には事欠かないように見える、たっぷりの布地の服を脱ごうと胸元のタイのようなリボンを緩める。
慌てたのはアルマで、おじょうさまぁ!!?と悲鳴に近い声で叫ぶと私を止めようと、今度は彼女が私の手を握る。
「ごめんね、放してもらえるかしら。私、なにも持っていないのだけれど、信じてもらうには全部検めてもらうしかないでしょう。それに、別に構わないのよ。知らない人じゃないもの」
「かまっ!構いますっ!!知らない人でなくても、たとえご家族の方であろうとも、人前で軽々しく脱ぐなんていけませんっ!し、下着を見せるなんてっ!」
なぜかアルマが真っ赤になっているので、相当にはしたないことなのだろう。
キャミソールのようなビスチェとか言う下着に、ふんわりしてフリルのたっぷりついた膝丈のドロワーズとかいう短パンなんて、前世の私の感覚では下着と呼べないほどの露出度だし、それを小学生相当のこどもに見られたところで何が傷つくわけでもないんだけれど。
そもそもこのお嬢様、8年間の偏食の賜物で肉のついていない薄い体をしていて、本職の変態が見ても食指が動かないと思うわ。
あ、いや、本職の変態なら幼女ってだけでそそるのかしら。
そこはちょっと気を付けよう。
必死のアルマを見ながら、そんなどうでもいいことを考えていると、一つ名案を閃く。
「そうだ。アルマなら構わないわよね。ずっと着替えを手伝ってくれてるんだから。何を探してるかお兄ちゃんに聞いて、一旦部屋から出てもらって、アルマに調べてもらえばいいわ。・・・あ、アルマだとグルだと思われるかしら?だったらシェリーでも他の誰かでも構わないわ。お兄ちゃん付きのメイドさんとかいいんじゃないかしら?」
それでどう?と視線で聞くと、お兄ちゃんは何も言わずに私をひと睨みした後、足早に部屋から出て行ってしまった。