6.
さて、一人で立ち上がれるかしら?
・・・まぁ、頑張って立つとするわ。
そして、一人で立てたら、血で服を汚さないように気を付けながらどこかの水場へ行く。
どこかってどこよ。
でもどこかで傷口を洗わないと。
それから、アルマのお掃除完了を見計らってこっそり部屋に戻って、傷をどうにかする。
どうにかってなによ。
ああ、前途多難ね。なんで公爵家になんて転生しちゃったのかしら。
また怪我したの、唾でもつけときなさい、的な庶民に生まれればこんな面倒はなかったのに。
ふう、とため息ひとつついて膝の傷と手の傷に気を付けつつ、立ち上がろうと痛みを無視して膝を曲げた私に、また影が落ちる。
反射的にガーランドさん!?と思って、がばりと勢いよく見上げると、先ほどの少年、ルークが私を見おろしていた。
彼の手には、さっき私が投げ出してしまった本。
仕事に戻ったと思ったけれど、どうやら本を拾いに行ってくれたようだ。
彼は手にしたその革装丁の高そうな本をぽん、と私のスカートに投げ、お礼を言うために口を開こうとした私を唐突に抱え上げた。
「は?」
なんの躊躇いもなくしゃがみこんで私を横抱きにし、そのまま立ち上がった彼に、お礼ではなく間抜けな疑問符が漏れる。
彼はそんな私を気にする風でもなく、どこかへ向けて歩き始めてしまう。
「ちょ、ちょっと待って?大丈夫なのよ?ほんとよ?あの、仕事の邪魔をするつもりはないから、その辺で下ろしてもらえるかしら?」
展開が予想外すぎてついていけない。
オロオロと声をかけるも、私を運ぶ少年は動じない。
「怪我してる」
まるで独り言のように言って、私の『大丈夫』を全否定。
「いや、ええ、まぁ、怪我しましたけれどね。でも大したことのない傷だわ。あなたの手を煩わせなくても、私一人で対処できます」
言ってしまってから、うわ、これすごく可愛げのないこどもよね、と思ったけれど仕方がない。
可愛げって・・・しかも決してあざとさのない、こどもらしい可愛げって・・・難しいわ。
こどもらしい可愛げは大人によって意図的に再現される時そこにあざとさを感じさせないことができるのか、という深淵を覗くような問題に足を取られて葛藤しているうちに、私はルークによって着実に搬送されていき、気が付くと庭の隅にある庭師の道具保管庫兼、休憩場所の小さな東屋へ運び込まれていた。
庭の隅のほうにひっそりとあるその東屋は、一応小屋の体を成しているものの壁面のほとんどを蔦植物に覆われ、小屋なのか蔦の繁茂用の土台なのかよく分からないありさまだった。
それでも周りの庭と調和し、なんだかおとぎ話の魔女でも住んでいそうなメルヘンな感じすら漂わせている。
開けっぱなしの小屋の中は小さな部屋が一つだけあり、作り付けの棚に農作業の道具や肥料などが格納されている。
そして、簡素な木製のテーブルセットが一組。
あとは外に井戸があったのと、小さなかまどが一つ。
お茶くらいはここで用意できる程度の設備があるようだ。
躊躇なく小屋へ踏み入ったルークは、私を備え付けの椅子に座らせると膝の上にあった本を血で汚れないようテーブルに移して、木桶を持って出て行ってしまう。
この2週間で屋敷内の探検は進んだけれど、お庭のほうはガーランドさんに一回遭遇してからは敬遠していたため、こんな場所があったことすら知らなかった。
物珍しげに小屋の中を観察していると、木桶を水で満たしたルークが戻ってくる。
そして私のそばにしゃがみこむと、汲んできた水でハンカチを濡らし、丁寧に私の両手と膝の傷を洗浄してくれる。
今更だけど、結構痛いわ。
何度もハンカチをすすぎなおして丁寧に傷の汚れを落とした後、ルークは壁の作り付け棚から木製の箱を持ってきてテーブルに置き、その箱から小さい瓶に入った消毒薬か何かを取り出す。
庭仕事でできるちょっとした怪我もここで処置しているようだ。
続いて脱脂綿のようなものを塊で取り出し、一緒に入っていた清潔なはさみでそれを切り分けると、消毒液を浸して私に向き直る。
「・・・沁みる」
またぽつりとつぶやくように言って、私の左手を取るとそっと消毒液付きの脱脂綿で傷を撫でる。
瞬間、鳥肌が立つほど痛みの刺激が来て、反射で思わず涙ぐむ。
悲鳴をあげなかっただけ偉いわ、私。
ああ、でもあと3回か・・・
右手と両膝の消毒、計3回の拷問を耐え抜いた私が両目にたまった涙をぬぐっていると、拷問、もとい手足の傷口の消毒を終えたルークは、立ち上がるとテーブルに乗せた薬箱から手のひらサイズの陶器の小さな入れ物を取りだし、蓋を開けて薬箱のそばに置いてから再び私のそばにしゃがみ込んだ。
見てみるとクリーム色がかった半透明の軟膏が収まっており、薬草のようなにおいがふっと鼻をかすめる。
傷薬を塗ってくれるつもりのようだ。
一瞬、消毒だけで結構よ、と辞退しようかと思ったけれど、ここまでくれば乗りかかった船、おとなしく彼に手のひらを差し出した。
彼は私が差し出した手を片方ずつとって、慎重で優しい手つきで薬を塗ってくれる。
さっきの消毒液は恐ろしく沁みたけれど、今度の薬はにおい以外の刺激は感じない。
優しく塗ってくれるので、くすぐったいくらいだ。
薬を塗り終わった手には清潔なガーゼのような薄い布を載せてくれて、大げさだと言って固辞したにもかかわらず包帯までされてしまう。
ああ、テープか何かでちょっと留めといてもらえたらそれでよかったのに。
・・・ああ、テープなんてないんだっけ。
不便な世の中だわね。