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51.

ゴロゴロと車輪が重い音を立てはじめ、それに蹄鉄が石畳を打つ音が不規則に加わる。

最初は並足でおうちの門まで進み、私道から公道に出たあたりで早足になった。

早足は並足と違って蹄の音が軽快で、聞いているとなんだか楽しくなってくる。

・・・この際、この足音の主が言葉の通じる半人半馬だってことは一時的に意識の隅に追いやっておきましょう。


公道へ出た馬車はさっそく貴族街を流し始めるので、私は下品ではない程度に左側の窓ににじり寄って窓からの景色を楽しんだ。

気を利かせてくれたがーちゃんが、天井のそう高くない馬車内を器用に飛んで右肩へと移ってくれる。

ちゃんと通行の方向は決まっているようで、前世とは違う右側通行だった。

これはちょっとしっかり覚えておかなきゃね。

一人歩きするときに、うっかり前世の感覚で歩いてたら交通事故に遭う。


車窓の景色はさすがうちの近所だけあって、大きな貴族のお屋敷が公道から私道を引いて結構離れた場所にどかんどかんと建っている感じだ。

低い生垣や塀越しに見えるのはいずれも瀟洒な建物で、レンガ造りだったりそれに漆喰を塗っていたり、あるいは壁面が蔦植物に覆われていたり、ある程度家主の好みが反映されている。

貴族の屋敷を囲む生垣をはじめ、道路沿いも街路樹が植わっており緑が多く、お散歩するにはとても気持ちのいい道だ。

道幅が広いので車道と歩道が植樹で区切られて分離しており、歩行者の事もよく考えられている。

多分、もう一つ向こうの壁の外はこんなに整備されてないでしょうけどね。

中央分離帯代わりに植わった植物は、交差点はもちろんの事合流がない場所でも一定の間隔で多少幅を大きくとってあり、Uターンできるようになっていた。

敷かれた石畳はある程度均一に均されているようで、果たしてサスペンションという概念と機構があるのかどうか今一つ疑わしい馬車に乗っていても、多少がたがたと振動はあるものの、座っているのが苦痛と言うほどでもない。

座面の当たりが柔らかいからそれである程度緩和されてるのかもしれないけど。


「今右側に見えてるのがネルガル公の王都公邸。・・・もう少し行ったら、左側にラ・メール公の公邸が見える」


景色に興味津々な私に、右側からルークが見どころ・・・かどうかは知らないけれど、解説を入れてくれる。

ので、右側のネルガル公邸を見ようとルークのほうを振り返ると、彼は背もたれにもたれて私が景色を見られるようにしてくれた。

空気読める子のがーちゃんも、邪魔にならないようにさっと膝に降りてくれるので、とりあえず撫でておく。

今日も羽毛、最高だわ。


「・・・生垣、ね」


が、見えたものは低い石壁と槍を並べたみたいな金属製の格子、その向こうのよく手入れされた背の高い生垣だけ。


「・・・だね。おおむね、生垣しか見えないと思う」


「そうよね。うちもなんだかんだ言って外から見えるのは主に塀と格子と生垣だものね。・・・あ!あの馬車もケンタウロスが引いてるわ!」


どうやら王城と逆の方向へ走っているらしい、という程度の事しか分からなかったけれど、そんなことよりも対向車が来たおかげでケンタウロスが引く馬車、というのを客観的に見られて妙な満足感を覚えてしまう。

どうやらグレンデールさんとあいさつを交わしたらしく(バスの運転士同士がすれ違う時にやるみたいな)、横を走り抜けて行った栗毛のケンタウロスは軽く上げていたらしい人間のほうの手を下したところだった。

同じ紺のブレザーと馬着―――を、ファンタジーで煮詰めて分解再構築したみないなの―――を着ていたので、彼らはどうやら個人の貸し馬車屋ではなく、大きな会社の所属運転士のようなものであるらしい。

早足同士でのすれ違いだったので一瞬相手の馬車の中が見え、べったり車窓に張り付いてキラキラした目で景色を楽しんでいた少女(私も似たように見えてるかも知れないけど、この際それは置いといて)は、勿論いいものを着ていたがゴリゴリのお貴族様、という感じではなかった。


「そりゃそうよね。貴族なら家の馬車があるでしょうし」


「壁一つ向こうのお金持ちが、物見遊山に来ることも少なくない、って」


私の独り言の内容を正確に理解したルークが、さりげなく解説を入れてくれる。

なるほど。大商人とかなら馬車ぐらい持ってるでしょうけど、それでもうちみたいに2台も3台もあるわけがないし、そもそも馬車なんて大変維持費のかかるものだ。

車体本体のメンテナンスと言うか、動力源の馬を維持するのに主にお金がかかるんだけど。

だから必要な時だけ借りる。大変合理的だわ。


「あ、そうだ。それともう一つ聞いてもいい?」


「なに?」


「王城に近い場所にお屋敷があればあるほど、建国当初からの臣民、って事でしょ?うちより臣従が遅かったネルガル公邸がうちよりちょっと外側なのは理解できるんだけど、どうして北からネフィヤールと一緒に来たラ・メールのお屋敷がさらに離れてるの?」


私の歴史認識に基づいた質問に、ルークは答えずただ窓の外を指す。

彼の指を追って再び車窓から外を流れると、馬車は植樹された木々が途切れ、石造りの橋が架かった川に差し掛かっていた。

緩い上り坂になった橋を、グレンデールさんが力強く客車を牽引して登って行く。

両岸はきちんと整備され、護岸工事がなされている。・・・と、言ってもコンクリで固められてるわけじゃないけど。

橋の上からは緑あふれる王都の両岸にそれぞれそびえる高い貴族屋敷と、遠景に丘の上の輝月宮が美しく見える。

そして、ほぼ等間隔で掛けられたいくつもの橋も。

王都を縦断するように流れるこれは、ベイルーシュ川と言うらしい。

王都の遥か北の山を水源に、長い長い旅を経て南の海へと注いでいく。


「ラ・メールは水棲の種族。あの川から、邸内にも水を引いてる。と言うか、私有の小さい湖を造成してる。・・・だから、最初の壁の内側に屋敷を作れなかった」


「私有の小さい湖。・・・そりゃそんなもの砦程度だったとされる最初の壁の内側には作れないわねぇ」


さすがは人魚の一族、という所か。

橋を渡り終えた馬車は、さらに緑が濃くなったような公道を走って行く。

今は冬だからあまり元気がないけれど、春から初夏あたりはものすごく気持ちがよさそうな道だ。

橋を渡る前まではある程度で塀や生垣の感じが変わるので、さっきと違う人のお屋敷があるのだなぁ、と見分けることができたけれど、橋を渡ってこっちはまるで森の中に迷い込んだようだった。

材質の同じ石畳がまっすぐに続いていなければ、私有地に迷い込んだかと思う所だ。


「まさか・・・もしや・・・この辺一帯がラ・メール公の・・・?」


「そう。・・・この辺一帯が、ラ・メール公の屋敷」


成程。小さい湖造成するなら、それなりの土地がいるでしょうし。

種族的な制約は置いといても・・・ネフィヤールと一緒に来た一族の家はさすがに格が違う、って所かしら。


「強いてここを通らなくても、どこへでも行けるから。・・・交通量は少ない」


橋を渡ってからこっち、それまである程度あった交通量がほとんどなくなってしまい、景色もやや元気のない冬枯れの森になったのでなんだかつまらないと思っていたら、そういう事らしい。


「確かに、大きなおうちの庭先を通ってて何か事故でもやらかしたら面倒だものね。迂回路があればそっちへ行くわね」


「・・・でも、時々水遊び中の人魚が見られるから、密かに人気の観光地、らしい」


ルークがまた窓の外を指すのでおとなしくそちらを向くと、森が切れて代わりに太陽をキラキラと反射する美しい湖が見えた。

そしてそのはるか向こう、湖から伸びて森へ消える水路を辿ると美しいお屋敷が鎮座していた。


「父さん、明日はここまで来るのね」


確か昨日、父さんが“どうでもいい”と評したお茶会は二日後だったはず。

つまりは明日、あのお屋敷で開かれるのだろう。

あの完璧な美男美女カップルのおうちだから、きっと調度類もセンス良く纏められて主人たちのように美しいお屋敷なんでしょうねぇ。

中をちょっと拝見してみたい気もするけれど、命掛けてまではねぇ・・・。

遠くに見えるお屋敷の中を夢想してみるも、アルベールの幻影が見えたので自然に体がぶるりと震え、幻影を追いやってから車窓一杯に広がる人工らしい湖へと再び視線を戻した。

この世界の技術でこれだけの湖を作るって、人手もお金もかかったでしょうねぇ。

―――アッ!ここってもしや!

・・・今思い出したけど、“学園”の夏休みにアルベールに誘われて水遊びしに行くイベントで来た湖かしら?

あの時はアルベール、人魚のくせに決して半魚形態になろうとはせず、あくまで人の形のまま水辺でアンジェラと水をかけたりかけられたり、キャッキャウフフしてたっけね。

人魚のくせに遊び方がチャラヌルイいわね。どうせならジャンプして輪っかくぐったり吊ったボールを尾びれでキックしたりすればいいのに、って呟いたら、隣にいた妹に「アルベールはシャチじゃないから調教しようとすんなし」と即座に突っ込まれた思い出。

そうよね、アルベールはシャチじゃないわ。海洋最強の捕食者であっても、シャチのほうが万倍かわいいもの。


つまらないことを思い出してしまったので視線を前に向けると、前方の森が途切れてまたはちみつ色をしたレンガの建物などが見えてくる。

どうやらそろそろラ・メール公の前庭を抜けるらしい。


森を走り抜けた馬車はそこで進路を変えて、王城に背を向けるように枝道を進み始める。

景色が森から街に戻り、道の両側に再び貴族屋敷が並ぶのだが、家を出てからさっきまで通ってきたような、塀の切れ目が一体どこなの?というような大きなお屋敷ではなく、公道から生垣を挟んですぐ建物が見えるような比較的小規模なお屋敷が多くなる。

この辺は貴族は貴族でも下位貴族のお屋敷かしらね。


「ルークの・・・アルメイダ邸はどこらへんにあるの?」


小さい貴族屋敷―――小さいと言っても十分大きいけど、とにかくうちと比べたらやや小規模な、建物ひと棟、みたいなお屋敷たちを見つつ、ふと疑問に思って聞いてみた。


「フェンネル邸の近く。―――フェンネルと一緒に臣従したから、同じ時期に王都に土地を賜った」


「ふうん。ずっとうちにいるけど、帰ってあげなくてよかったの?ってお休みを邪魔してる私が言えたことじゃないけど」


「うん。別に・・・構わない」


別に何でもない事のように言って、それきりまた黙ってしまったルークに、私は何と言って声をかけたものかしばし迷う。

そういえば、お父様もお母様ももういない、って言ってたわね。

兄弟姉妹って、例のアルメイダ氏しかいないのかしら?

だったら今日は父さんと一緒にラ・メール公のお茶会にお呼ばれだから、とりあえず一日くらい遠慮せず甘えておきましょうか。

折角のお出かけの日に、あまり立ち入った話をしてお互いに妙な気分になるのは面白くないものね。


「もう少し行くと・・・商業区。とりあえず一回内壁まで行くから、見たい店があったら言って」


窓の外の景色にちらりと視線をやって、現在地をちゃんと把握しているらしいルークがそう言うので、現在地どころか街の作りもよくわかっていない私はちょっと混乱してしまう。


「え?・・・ええと、商業区は壁のそばなのね?今は内壁?・・・つまり、第二の壁に向かって走って行ってる、と考えたらいい?」


「・・・うん。もう少し行ったあたりから・・・商店が並び始める。内壁までずっと」


「わかった。車窓から見てて入ってみたいお店があったら言えばいいのね?―――でも私、お小遣いをもらってないから、今日は車窓観光だけでも構わないわ」


残念だけど仕方がない。

もう少し生産性が向上したら買い食いくらいできそうな小銭はねだってみてもいいかもしれないけれど、仕事もせずご飯を食べ着るものも与えられている今の私は領地の負債だ。

そして未来のバリエーションにロクなものがないので、支出は最低限に抑えておきたい。

貴族に生まれたのに・・・世知辛いわね・・・


「貰ってる。・・・小遣い」


ごそごそと懐から革でできたお財布を出してきたルークが不意にそう言って、私は思わず疑いの目を向けてしまう。


「それはあなたのお小遣いじゃなくて?私、あなたに奢ってもらおうなんて考えてもないからね。と言うか父さん、ちゃんと働いた分の給金出してくれてる?少なかったら私から言うから、遠慮せず言ってね」


するとルークは私の疑いを晴らすためか、今度は外套の外ポケットに手をやって、黒い革のお財布を出してくる。

最初に出てきたのはキャメル色と言うか、革って感じの色のお財布だ。


「この黒いのが、俺の財布。・・・こっちはベルナルド様から預かった、今日の小遣い。――――お金の使い方を、教えるよう言われてる」


お金の使い方を、教える。

・・・多分、家族の誰よりも現金で買い物をした経験がある私に、お金の使い方を。

まぁいいけどね。こっちのお金って、そういえばまだ見たことなかったし。


「お金ってどんなの?」


金貨とか銀貨とか、お金それ自体に価値が担保されてるようなものかしらね、文化の発展度合いから見て。

さすがにまだ“純金との交換を保証する紙”なんて胡散臭すぎてお金として流通していなさそうだわ。

“純金との交換はもはや保証されていないけれど信用で価値が付与された紙”や、“もはや三次元には物理的に存在しない仮想のデータ”すらお金として流通していたところから来た私なんて、ここの住人にしてみれば理解の範疇を遠く超える存在かもしれない。


そんな私の内実を知らなければ、お金ってどんなの?とはいかにも箱入り令嬢らしい質問だったようで、がーちゃんが膝からぽかんとした表情でこちらを見上げてくる。

ルークは特に言葉でも表情でも何も言わず、ただ黙って茶色の財布の紐を解いて中から何枚かコインを出して見せてくれた。


「この・・・白いのが一番高価。その次に、金色。銀色。最後が銅貨。・・・金銀は半分のより、丸いのが高い」


ルークの手のひらに並んだコインは、白金貨から金貨、半月の形をした半金貨、銀貨、同じく半月型の半銀貨、それから銅貨という並びだった。

白金貨と銅貨には半月型はないらしい。

それぞれ色が違うし、大きさも違うので間違うことはなさそうだ。

小さいほうが高いなどという事もないので、素直に色と大きさ、形で見分けられてとても分かりやすい。

あとは貨幣価値と言うか、一般的な物価と一般的な収入が分かれば高い安いの判断もできそうだ。


「うわ・・・俺、白金貨なんて初めて見ましたよ」


ルークの手のひらから一番大きくて綺麗なコインを摘まみ上げてしげしげとデザインを見ていると、膝から同じく私の摘まんだコインを見つつがーちゃんがちょっと気後れしたように言う。

ミケーラを見ると同じく目を真ん丸にしていたので、最高位の白金貨にはお財布の中に無造作に札束が入ってる人を見たような気分になる程度の価値があるようだ。


「父さん、なんてものくれたのかしらね・・・」


なんとなく価値を悟って、落とす前にとルークの手のひらに返しながらつぶやくと、ルークが苦笑する気配がした。


「最初、アルメイダ領の税収ひと月分くらいをくれようとしてた。・・・止めたけど」


止めたけど、の前までのセリフが衝撃的過ぎて、思わず真顔でルークを見てしまうと、彼がまた苦笑する。

一日のお出かけに、そこそこ豊かな領地の税収1か月分相当のお小遣い。

間違っている。

なにかが、圧倒的に、間違っている。



ファンタジーの暴力と言うか、お金持ちに札束で頬をひっぱたかれたような気分になった私と、お財布の中に無造作に札束が入った人を見たような気分のがーちゃんとミケーラ、それに苦笑いのルークを乗せた馬車は、ケンタウロスの御者にひかれて順調に予定通りのルートを進み、やがて賑やかな雰囲気の目的地へと到着したのだった。


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