44.
夜会におけるダンスというのにはいくつかルールがあって、その筆頭は一番最初に誰と踊るか、だと思う。
一般的には伴侶であったり婚約者であったり、あるいはエスコートしてくれる相手と踊るものらしい。
そして、伴侶も婚約者もエスコートしてくれる仲のいい婚約者候補もいない場合、家族の男子がその代役を務めるのだ。
今回はそのお役目を仰せつかったラ・メール公女の体調不良によりイレギュラーで王子様とファーストダンスを踊ったけれど、本来であればまず一番最初に踊る相手はお兄ちゃん、と言う事だ。
・・・逆に考えると、未婚で婚約者のいない女である私は、まずお兄ちゃんと踊らなければ他の誰とも踊れない、というのが夜会の鉄則。
つまりはお兄ちゃんとさえ踊らなければ、堂々と誰とも踊らずに夜会を終えることができる。
ちなみに、兄弟がいない場合は親戚連中から相手を見繕ってでもまずは身内で、となるらしい。
けれど男子の方は家族の未婚女子と踊らなくても、他家の女子と踊ることは可能。
なにそれ、いいじゃない。なんて私にとって都合のいいシステムなのかしら。
・・・そんなことを、考えた日もありました。
向かい合った兄に軽くお辞儀をしてから、音楽の出だしに合わせて基本姿勢を取りながら、甘かった過去の私に苦笑いを贈る。
親族の男性と踊らないうちはよその男性と踊れないという鉄壁の防御を捨てないためにホントは踊りたくなかったんだけど、ダンスのお誘い待ち令嬢たちの圧がなかなかすごいらしく、頼む、と言われてしまえば私にそれを断ることなんてできるわけがない。
とりあえず私と踊っている間は兄はきちんと義務を果たしているわけで、非難される要素は一切ないし、時間もワルツ1曲分とはいえ稼げる。
2曲続けては踊れないけれど、疲れたから何か飲み物でも貰いに行きたいわ、でも一人だと不安だから一緒に行って、と甘えてみせるくらいなら仲のいい兄妹の範疇に収まるだろう。
そうやって時間を稼げば今現在いろんなおうちの方々に取り巻かれている父さん母さんが嫌になって帰ろう、と言う頃までには、兄がダンスのお相手を務めるのは一人か多くても二人がいいところだろう。
お兄ちゃんの婚活的にはちょっとどうかな、とは思うけれど、本人があんまり楽しそうじゃないから今くらいいいわよね。
それに、アンジェラとどうこうなる可能性も今のところまだ否定できないんだし。
そんなことを考えながらすっかり馴染んだ兄のリードで踊っているのだけれど、やはりと言うかなんと言うか、左足は痛いし腰に違和感があるし右手を定位置にキープしようとすると相変わらずぷるぷるする。
どうやら活動限界のようだ。
申し訳ないけれどディートリヒのお誘いはお断りする方向ね。
若干左足を庇うように体重移動をしているせいか、向かい合った兄から問いかけるような視線が来て、それに苦笑を返す。
やっぱりもう少し筋肉つけないと駄目ね。
相手を変えて延々踊り続ける地獄の盆踊りこと、バロックダンスが主流でなくてホントに良かったわ。
私の体があちこち痛い以外はさしたる問題もなく、ワルツがあっさりと終わりを迎える。
次の曲が始まる前に退散すると、行く手に待ち受けるのはディートリヒ、その後ろに何かを期待するような令嬢たち。
レインリットとアルベールはどうやらそれぞれ相手を見つけたようだ。
「お帰り!楽しかった?」
誰か適当に誘って踊ればいいのに、律儀に私たちを待っていたディートリヒが声をかけてくるのに軽く頷いて、次の言葉をつげないように先制する。
「ええ、とても。でも緊張してしまって、少し疲れてしまいましたわ。せっかくお誘い頂いたのに申し訳ないけれどダンスは次の機会に譲っていただけます?」
「そっか・・・じゃ、仕方ないね。今度は踊ろうね!」
ちょっと残念そうにしょんぼりして見せた後、すぐに顔を上げて、ぱっと笑顔を寄越すディートリヒにちょっとだけ心が痛むけれど、駄目よ、仏心を出しちゃ。
一見子犬みたいでも、これも立派な死亡フラグなんだから。
許された選択肢は『叩き折る』一択だわ。
「・・・兄様、お水をもらいに行きたいのだけれど、一緒に来て下さる?」
お兄ちゃんとディートリヒを囲む令嬢たちの輪がじわり、と小さくなってきていたので、お兄ちゃんが別段好きでもない子と社交上の礼儀だからという理由で踊らなくてもいいように、妹特権を利用したワガママでもって包囲の突破を図る。
もしわずかでも迷うそぶりが見えたら即座に一人で離脱に切り替えるべく兄を注視すると、特に踊りたい相手もいなかったらしい兄は助かったとばかりに一つうなずいて、私に腕を差し出してくるので自分の手を絡め、至極仲のいい兄妹の演技で令嬢たちの間をすり抜けて歩き出す。
ダンスのお誘いを待っていたお嬢さん方からは物理の力で刺すような視線を感じたけれど、気づかない鈍い子のふりをしてにこにこ笑い、兄に楽しそうに話しかけつつ世はすべて事もなしとばかりに軽食や飲み物が用意された区画へと歩を進める。
正直なところ、ディートリヒには申し訳ないけれど囮になってもらおうかと思っていた。
跡取りではないもののこの国有数の公爵家の二男であるならば、商品価値としては十分。
お兄ちゃんを追っかけてくる女の子たちも、相手がディートリヒに代わるだけなら妥協してくれると踏んだのだ。
ちょっと冷たいかも知れないけど、まぁパンツの貸し、というヤツね。
けれどディートリヒもそれがさも当然のように私の横に並んで一緒に歩いてきており、楽しそうに私に話しかけてくるのを見るに別に彼もさっきの壁の中に特別ダンスに誘いたいご令嬢はいなかったようだ。
「最初の夜会って俺も緊張したなぁ。アレしちゃダメ、コレもダメ、でもそれはしなきゃダメ、っていっぱい言われてさ」
「あら、そうなんですね。ネルガル公の第二公子さまでも緊張なさるなら、私が緊張するのも仕方がないって諦められますわ」
「ミザリーちゃんはすごいよね。いきなり殿下にダンスに誘われて、踊れちゃうんだもん。俺だったら緊張で何回足踏んじゃうか分かんないや」
へへへと照れくさそうに笑うディートリヒに、なんでも完璧にこなすお兄ちゃんみたいな弟もかわいいけど、素直でちょっと抜けてて憎めないこういう弟もかわいいかも知れないわね、なんて内心で考えてしまう。
・・・いや駄目よ。冷静になりなさい。これは子犬でも弟でもなく死亡フラグなのよ。絆されたらダメだわ。
「あんな拙いダンスで殿下に申し訳ないって思ってましたの。けどお褒め頂けて心が軽くなりましたわ。ディートリヒさまはお優しいんですね」
兄から外した視線を逆隣を歩くディートリヒにやって、にっこりと笑いかけながらお礼を言っておく。
至極当たり障りのない対応で、当たり障りのない笑み。
この子相手なら言葉の裏の意味なんて考えなくていいし、こっちらから含みを持たせてもちゃんと理解してもらえないから、表裏のないやり取りになって楽と言えば楽だ。
すると、教科書通りの対応だったはずなのにディートリヒの頬がぱっと上気して、そんなことないよホントの事だし、とかなんとか口の中でごにょごにょ言いながら視線をそらされる。
・・・しまった。沸点低すぎるわこの子。
えっと、こういうのなんて言うんだっけ?確かえっと、“ちょろいん”って言ったっけ?
あれ?チョロインは簡単に恋心を抱く女の子の事だっけ。・・・つまり初対面なのにちょっと優しくされただけであっさり落ちるミザリーの事か。
ちょろいとヒロインを足した造語だと思われるから、男の子の場合はちょろいとヒーローでちょろー?
まぁなんでもいいわ。ミザリーがチョロインだって気づいてちょっとなんか凹んで割とどうでもよくなった。
いや。ミザリーは別にヒロインじゃないから、ただのちょろい女・・・
やめよう。何か私が無駄に自傷しただけだわ。
「・・・ミザリーはよくやった、と思う。普通は事前に連絡をもらって、そのためだけに練習するものだからな」
私と腕を組んだお兄ちゃんが急に褒めてくれるものだから、ディートリヒから視線を外して兄を見上げると、こちらは前方を見据えたままだった。
ああ、これは多分目が合うと照れるから、って事よね。
「ホント?じゃあ今日の反省会は短めでいいわね。アルマにもお兄ちゃんが褒めてくれたって自慢できるわ」
ついつい夜会仕様の化けの皮が剥がれて地が出てしまうが、まぁ私たちの会話が聞こえる距離にいるのはディートリヒだけなので大丈夫だろう。
ダンスというか介護に近い王子とのダンスを外から見ていた兄に褒めてもらえたということは、外から見ればそれなりに見えていたということで、それを言葉にして褒めてもらえたのが嬉しくて組んだ手にぎゅっと力を入れると兄が若干動揺するのが伝わってくる。
こういう体当たりな愛情表現がちょっと苦手だって知っててやっちゃう私って悪いお姉さんだわね。
「ミザリーちゃん、何飲む?俺が取って来るからここにいてよ。あ、レオは一緒に来てよね。俺の手は二つしかないから」
食べ物がたくさん準備された豪華なしつらえの長机がいくつもある区画に着くと、ディートリヒが私に飲みたいものを聞いてくれる。
こういうのが自然にできるのが育ちのいい小紳士って感じよね。
「ではお水を一杯お願いできますか」
私も淑女の化けの皮をかぶりなおしてお願いすると、手を離した兄がうなずいてディートリヒも分かった!と元気な返事をくれる。
「レオの手が余るから、何か食べ物ももらってくるよ。何食べたい?」
ここまで来ると用意されたご馳走のいい匂いが嫌でも漂ってきて、のどの渇きを潤すだけでなく食欲も刺激されたらしいディートリヒがご馳走の山を指して何が欲しいかを聞いてくれるけど、瞬間的にもやしと答えそうになって踏みとどまった私は偉いと思う。
「そうね・・・兄様とディートリヒ様にお任せしても構いません?どれもおいしそうだし、決められずにずっと迷ってしまいそうだわ」
それに私が本当に食べたいもやしは確実にないわけだし。
けれど言葉通り受け取ったディートリヒは朗らかに笑って、分かった、と返事をくれる。
「ここにいろ。すぐに戻るから。・・・絶対勝手にいなくなるなよ」
食事が用意された長机の後ろ、壁までの間にテーブルがいくつも林立しており、その一つを確保すると、兄が念を押すようにそう言う。
ちょっと心配そうなのが、お姉さんなんだか腑に落ちないわ。
・・・まぁ、こういう場の経験値はゼロだから、既にあまたの戦場を渡り歩いている兄と初陣の私では比べるべくもないんでしょうけど、それでも念を押されるほど信用されてないのかと思うと苦笑いの一つもしたくなるわね。
「分かった。絶対勝手にどこかへ行ったりしないから大丈夫よ。ここで待ってます」
そう言うとやっと兄の表情が若干和らぎ、頷きが返ってくる。
それから傍らのディートリヒを視線で促し、待っていたディートリヒは私に向けてすぐ戻るね、と言葉をかけてくれてから兄と連れ立って水と食料の確保へと出かけていく。
基本は立食のパーティらしく、私が移動厳禁の待機を仰せつかったテーブルには椅子はついていない。
片隅にいくつか椅子のあるテーブルセットが用意されているものの、それを使っているのはお年を召した方々が主で、私は兄とディートリヒに言われた通り確保しているテーブルの傍の誰の邪魔にもならない場所に立って二人の帰りを待つことにした。
フィンガーフードをちょっとつまむ位でガッツリ食べるわけじゃないからお皿やグラスを置くテーブルだけあれば立食でいい、ってことなんでしょうけどね。
美味しいものはどうせならちゃんと座って、味わって頂きたいわねぇ。
座って食事を頂くパーティというのもあるんでしょうけど、それはそれでテーブルマナーという壁が立ちはだかることになりそうだから、最初の夜会は立ち食い形式でよかったと思うべきかしらね。
そんなくだらないことを考えていると、突然背中側からどん、と衝撃を感じて前へつんのめる。
倒れるほどではなかったけれど、なかなかの当たりだった。
壁際のテーブルだし邪魔じゃない位置だと思ってたけど、どっかの“パリピ”がウェーイしたところに運悪く私がおり、ウェーイに巻き込まれたのかしら。
近隣のテーブルはちらほら使っている人がいるくらいで、そんなに立て込んだ場所に陣取ってたわけじゃないけれど。
でもきっとお酒も入ってるし、少々のことは呑みこんであげましょうか、と振り返ると、そこにいたのは酩酊気味の陽気なパリピたちとは程遠い存在だった。
まぁここにいる以上はある意味パーティーピーポーではあるんでしょうけど。
「あぁら、ごめんなさい?お小さいから視界に入りませんでしたわ」
振り返った私の視界いっぱいに、下は私と同じくらい、上は兄より1つ2つ年上に見える令嬢たちが5人、映りこむ。
例のお兄ちゃんを付け狙うスズメバチの勢力かと思ったけど、私のおぼろげな記憶の中のおぼろげな顔とはなんとなく一致しないので別の勢力らしい。
どの子も流行のお姫様ドレスを堂々着こなして、センターの赤い子がぐっと胸を張って、つんと顎をあげて上から私を見下ろしてくる。
それに合わせて周りの色とりどりたちが、くすくすと笑みをこぼしながら私へ笑っていない目を向けてきて、これはまさにアレだわね。
ザ・悪役令嬢とその取り巻きたち。
センターの子は私よりも3つ4つ年上に見えて、真っ赤なドレスが映える華やかな金髪、ドレスと同じ赤い瞳の、存在自体が派手な感じの子だった。
それを取り巻くピンクだ黄色だオレンジだ、とそれぞれの色のドレスに身を包んだ子たちも、センターの赤よりは地味めの容貌ながらそれぞれ自分をしっかり飾っており、少女ながら歴戦の風格を漂わせている。
この色合いの中にいると、銀糸の光沢はあるものの色はおとなしめのシルバーグレーで胸元も開いておらず、スカートのボリュームもやや控えめなドレスの私はさぞや地味に見えてるでしょうね。
しかしまぁ・・・将来を嘱望された本家本元の公式悪役令嬢が、まさか最初の夜会でザ・悪役令嬢とその取り巻きたちのターゲットにされるとは。
人生何があるか分からないわねぇ。
「あら?聞こえてらっしゃらない?ごめんなさぁい、って申し上げたんだけれど?」
取り巻きを引き連れたセンターの赤い子が改めて話しかけてくるので、まさか悪役令嬢が悪役令嬢に絡まれるとは・・・味わい深いわね、なんて考えていたとは言えず、とりあえず体全部で彼女らの方へ向き直る。
「いえ、私も皆様のお邪魔になるようなところに立っていたのがいけなかったんです。お気になさらないで」
私のほぼ頓挫しているオペレーション:ウォールフラワー的には目立たず騒がずフラグは立てない、を厳守したいところなので(今更無駄、とか聞こえないわ)、とりあえず彼女らが点けようとしている火を先回りして消火しておく。
「まぁ、謝罪くらいは受け取ってくださらない?いくらお可愛らしい方だからって、気づかずぶつかった私が悪いんだから」
私の消火作業もむなしく、何が何でも火を点けたいのか畳みかけるように言い募ってきて、センターの赤い子がまた自分の胸を強調するように突き出し、周りの色とりどりがそれに合わせて「まぁ、確かにお小さいけれど気づかなかった私たちが悪いものねぇ」だとか、「お可愛らしいわぁ」だとか口々に言って、中には冬なのに扇子で口元を隠しつつあからさまに笑っている子もいる。
センターの子を筆頭に、取り巻き全員が小さいだの可愛いだの言いながら見ているのはどうやら私の全体ではなく胸部らしく、やっぱり社交界に出るにあたってどこかで透視能力の配布でもしているのか、と思わざるを得ない。
私のところには連絡が来てないから、うっかり透視能力もらい損ねて出て来ちゃったわ。
今日だってアルマが頑張ってそれなりに盛っているのに、赤い子が自分の開いた胸元を強調するようにこちらに突き出してくるので、まぁ間違いなく絶壁バレしているのだろう。
確かに、5人を見渡すとどの子も年齢なりの発育をしているし、センターはさすがにセンターにいるだけあって発育がいいと言えるだろう。
けれどミザリーの将来の姿を知っている私には、今現在の慎ましいと言うか慎ましいと言えるほどの膨らみもない、鎖骨からおなかまでの直線をディスられても何の感情も湧かない。
前世は立派な・・・いや、立派と言えるほど立派じゃなかったかもしれないけど、とにかく大人の女だったので胸があることの弊害も知っており、今からすでにあのサイズに育つのが恐ろしい、とまで思ってしまう。
前世の巨乳とまでは言えないサイズですらとにかく肩が凝ったし、谷間に汗かいて夏場特に不快だし、走る時邪魔だし満員電車に乗る時は気を遣うし、胸部の脂肪塊が大きくてもいいことなんて一つもなかったんだけど。
知らないって、幸せなことよね。
この無知なる者たちに幸多からんことを―――。
「謝罪は確かにお受けいたしましたわ。では皆様、ご機嫌よう」
慈母の笑みで謝罪の受け入れ表明をして、この会話はこれまで、と宣言したにもかかわらず、どうやら相手は獲物をそう簡単に放す気はなかったらしく、私が踵を返そうとするとすかさず取り巻きが回り込んでそれを阻む。
これは一朝一夕では習得できないなかなかの連携ね。
きっとあちこちの社交界を荒らしまわる、名のあるチームなんでしょう。
鎮まれ、鎮まりたまえ!
さぞかし名のある令嬢とお見受けするが、なぜそのように荒ぶるのか!
・・・とか言っても絶対通じないし、逆に余計絡まれるかしらね。
くだらないことを考えて思わず笑ってしまいそうになったけど、下唇を噛んで耐える。
せっかくいいお手本があるのだから、将来アンジェラはいじめないだろうけど、モード悪役令嬢の完成度を上げるためにちょっとお勉強させてもらおうかしらね。
でも私、自分の努力じゃどうしようもできない身体的な特徴をあげつらってからかうのって嫌いなのよねぇ・・・
「あら、つれないのねぇ?公爵令嬢様ともなると侯爵家以下は相手にもなさらない?ちょっとくらいお話してくださってもいいと思わない、皆様?」
センターの赤い子が言うと、取り巻きたちが一斉にそれに賛同の声を上げる。
相手はどうやら私をミザリー・フェンネルと理解した上でこの態度で来ているようだ。
という事は彼女らもそれなりに大きな家の子たち、って事かしらね。
一人として知らないわね、とか言うとまた嫌味を浴びせかけられそうだし、まぁこんなこどもたちに何言われたって痛くも痒くもないし、とりあえず無難に困った顔して笑ってましょうか。
それともせっかくの機会だから、アレを試してみましょうか。
「お話し・・・?あら、どうしましょう。なんだか緊張してしまうわ。だって皆様、とってもお綺麗なんだもの」
左手を頬に添えてからやや顎を引いて、下からリーダー格の赤い子を上目遣いに見上げる。
あえてゆっくりと瞬きをして、何一つ人工物で盛っていないのに長くて艶やかな睫毛を見せつけた後、潤んだ瞳で相手の顔をじっと見ながら、唇にほんのりと笑みを載せる。
まだ自在に頬を染める技術までは習得していないけれど、その分全力で潤んだ瞳の媚びるような上目遣いと控えめな笑みを形作る。
本当は男性へのアプローチ用の笑顔らしいけれど、私の周り死亡フラグしかいなかったから、うっかりこんなの使ったらオウンゴール並みの痛い結末になりそうで、絶対に使えない。
女子への効果?
これからもう一段行くからその後で分かるわ。
「っ・・・!あ、あら、普段はお友達とお話しなさったりされないのかしら?私たちはよくお茶会を開いて、招いたり招かれたりしているけれど」
一瞬私の表情に気圧されたようになった赤い子が、それでも取り巻きの力を借りて勢いを取り戻そうとする。
周りの少女たちもリーダーの出すキューにすかさず答えて、「そうだわ、先日のリリアーヌ様のお茶会はとても楽しかったわねえ」「ええ、さすがリリアーヌ様ですわ。とても豪華でお茶もお菓子も一流で」「まさかこちらのお可愛らしいお方はお茶会に招待してくださるお友達がいらっしゃらないの?」「あら、まさか。公爵家のお方なのよ」などと口々に援護射撃を行う。
さすがの連携ね。
友達いない私を効率よくフルボッコにしてくるわね、言葉の暴力で。
公爵家の公式な交友関係くらい調べればすぐ分かるでしょうし、私に友達がいないのも下調べ済み、って所かしら。
こどもながらよく統率がとれたチームだわ。
こちらは・・・多勢に無勢とは言えこども相手に大人げないかもしれないけど、本格的な実戦投入までに試運転しときたかったから予定通りもう一段行こうかしら。
「まぁ、皆様とっても仲がよろしいんですのね。羨ましいわ」
頬に添えた左手をわずかに下に滑らせ、ついでに指で自分の下唇を半分ほどなぞる。
笑みから媚びを抜いて、上目遣いはやめた上で逆に赤い子がしているみたいに顎をついと上げて、唇を薄く開けたままうっとりしたように笑う。
・・・“親しくなりたい男性に向ける笑み”とやらを習って、部屋で一人練習してた時にちょっと調子に乗って、ミザリーにより似合う笑い方を研究した際の産物がこれだ。
確かに、私を取り囲む令嬢たちはみんな自分の飾り方をよく分かっているようだ。
そして、センターの赤い子には他の子にはない華やかさがあって、一見人目を引く容貌に見える。
・・・けれど。
客観的に見て、ミザリーの方が美少女であることは間違いない。
好みの問題だから100%の得票率とまでは言わないけれど、その辺にいる適当な男の子たちに聞いてみたら8割から9割がミザリーの方が美少女だと認めるだろう。
公式悪役令嬢だし、張り合う相手が凡百のご面相とあればプレーヤーのやる気も起きないから、というのが大きな理由だとしても、乙女ゲームの悪役令嬢は美人が多い。
我らがヒロインのアンジェラと比べたって、可憐さ可愛さなら同じ土俵に立てないほど圧倒的に負けていても美人度では余裕でミザリーに軍配が上がる。
性格とか置いといて、単純にトロフィーワイフとしてであればアンジェラじゃなくて絶対ミザリー選ぶわよね、って画面の向こうでボタン押しながら思ったものよ。
・・・愛も恋も全否定、って?そうね、喪女だもの。
その美少女素体に一番似合う笑い方を、完全に客観視しながら研究した成果が今披露した笑みなのだ。
できた時はこれちょっとヤバいから門外不出かしら、って思ったわね。
使っちゃった☆
・・・なんて、アラサーがやっても可愛くないわね。はい。
ミザリーという素材を活かすため、可愛らしさは全廃棄。
その代わりに大人顔負けの妖艶さを足す。
するとどうなるか。
答えは、びっくりするほど見ちゃいけないものを見せられているような気分にさせられる笑みになる、だ。
まだほんのこどもなのに、におい立つような青い色香が唇や首筋から立ち上り、強い背徳感を感じながらも目が離せないような、危険な仕上がりだ。
こどもの体に大人の色気。そのアンバランスな同居。
かのロシア生まれのアメリカ人作家が描いた“ロリータ”そのものだ。
ぺたんこの胸ですらマイナス要素ではなく、未成熟さを強調して背徳感を強める材料の一つでしかなくなる。
胸元が開いていない代わりに背中が大きく開き、体のラインを美しく出すことに特化したような少し大人っぽいデザインのドレスも、ほんのこどもなのに下手な大人よりよほど似合う上、豊満な美女が着るよりも妙にエロティックに見える。
その種の性癖の持ち主にはたまらない、穢れない天使が浮かべる淫魔の笑み。
本来ならば、そういう嗜好の人がいるかもしれない場所で迂闊に使っていいものではない。
幸い、私を取り囲む令嬢たちはいずれも私を小さいとディスるだけあって私より背が高く、ボリュームのあるドレスも手伝って外から今の表情を見ることは叶わなかっただろう。
結論から言うと、女子への効果も十分だった。・・・むしろちょっと思った以上だったかもしれない。
自分たちが不意に見せられたものに動揺し、取り巻きたちがそれまでの弱者をいたぶる笑みを浮かべる余裕すら失くして互いにせわしなく視線を交わす。
けれど頼るべきリーダーはいきなり叩き付けられた背徳と不道徳に、年相応の潔癖な少女の一面を見せて訳も分からず頬を染めつつも恐れるような表情を私に向けてくる。
大人ぶっててもまだまだこども、不意に知りたくもない大人の世界の一端を見せられて、動揺してしまったということだろう。
ちょっと可哀そうなことしちゃったかしらね?
でもこっちの世界はどうやら初婚年齢が低いみたいだから、彼女らにしてもすぐにそういう世界を知ることになるでしょうし、まぁいっか。
大人げなかったのは反省するけど、うっかり公式にからんじゃったことを後悔するのね。
「う・・う、あ・・・なた、一体何よ!?なんなの!?」
背徳感マシマシのいけない笑みを収めた私に、顔をドレスと同じ真っ赤にしたリリアーヌ様とやらが若干涙目になりつつもどうにかマウントをとり返そうと少し大きな声を出す。
周りの取り巻きたちはすでに戦闘不能がちらほら出ており、あまり役に立ちそうにない中、それでも彼女は頑張るらしい。
一体何って聞かれても、ちょっと前世の記憶があるただのお姉さんよ、としか。
―――ええ、大人げなかった事は認めるから、ホントに。
「あ、あら?どうかなさいました?」
年相応に見えるよう表情を繕って問いかけるも、既に見てはいけないものを見せられたリリアーヌ様が騙されてくれるはずもなく、急に無垢な少女に見えるよう振る舞い始めた私に向ける視線はまるで、化け物を見るそれ。
・・・待って。待って頂戴。
あなたこそ何かしらの怪物なんだし、それは私からあなたに向けるべき目であって、あなたが魔法の使えない魔女、つまるところただの人間である私に向ける目じゃないわよ?
・・・効いたわ。今のが一番効いた。
貧乳だぼっちだ言われてもなんとも思わないけど、怪物に怪物扱いされるのはなんか傷つく。
「どうかした・・・って・・・!ホントになんなの!?嫌!もう気持ち悪い!!」
あら、ひどい言われようだわ。
ちょっと笑顔を向けただけなのに、これじゃまるで私が全裸にコートだけ着た変態みたいな扱いじゃないの。
「どこかへ行ってよ!!」
リリアーヌ様がなけなしの勇気を奮い、ついでに暴力も振るい、どん、と私を突き飛ばす。
精神的には私の方が大人で彼女らなんて可愛いものだけれど、肉体的には彼女らの方が年上で、思い切り両手で突き飛ばされてはどうしようもなく後ろによろけてしまう。
まさかあれだけ怯えていたのに手を出してくるとは思わず、回避が間に合わなかったのが悔やまれる。
たたらを踏んで体重を支えようとしたけれど力をかけたのが運悪く左足で、ズキン、という太ももの痛みに思わず顔をしかめ、痛みを軽減するため力を抜いてしまったので体勢を立て直せず、尻餅コースが確定だ。
あー、せめて下着を世界に向けて公開せずに済みますように。
評価、ブックマークありがとうございます。
明日で1周年を迎えます。評価くださった方、拙作をお気に入りに加えてくださっている方々に感謝を。
活字に飢えてて色々読み漁ってた時に某有名悪役令嬢ものに出会いまして、うわなにこれ面白い、しかもジャンル化してるしちょっと書いてみたいな、と思ったのがそもそもの始まりでした。
自分の楽しみのために書いてるようなものなので、世界に向けて公開するのもどうかなぁと思ったりもしましたが、思った以上にブックマークや評価を頂けて、もうちょっとこのまま恥をさらしてみようかと思います。
またお暇な時にでも暇つぶしの一つとしてご利用頂ければ幸甚。
明日、続きを更新予定です。ぜひまた覗いてやってください。




