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43.

このたびの台風被害に際し、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

一日も早く平穏が戻りますように。

天から降り注ぐような花火を背景に、華やかなワルツに乗って人々が優雅に踊る。

くるくると回る女性たちのスカートはまるでぱっと花開いた大輪のようで、たくさんの女性たちがそれぞれのパートナーと舞う姿はさしずめとりどりの花畑だ。

そんな映画の一幕のような光景をしり目に、すでに本日のお役目を勤め上げた退役兵たる私は、家族とともに王族への挨拶待機列に並んでいるところだった。

・・・そう、あの3分間の苛烈な戦場を最後まで戦い抜いたというのに、お疲れ!解散!というわけにはいかなかったのだ。

本日のタスクは終了したし、帰りたいんだけどね、許されるなら。


まずは主催への挨拶、という事で、こういうのは身分順がセオリーらしく、ネルガル家、ラ・メール家とともに先陣を切ることになった、というわけだ。

個人的にはさっき散々王子様とは一緒にいたわけだから、今更挨拶っていうのもねぇ。と思わないでもなかったけれど、それが貴族社会のルールなのだというのであれば従わないという選択肢はない。

各家ごとに順番にご挨拶するものと思っていたら、父さんたちはネルガル公夫妻、ラ・メール公夫妻と一緒になって陛下ご一家にご挨拶申し上げていて、順番が来た私も先生とアルマに叩き込まれた定型句を粛々と奏上する。

近くで王陛下と妃殿下に拝謁するチャンスなんて当分ないだろうけど、最高権力者ってなんかオーラが違うわね。

先ほどの王子とのダンスがお気に召したのか、両陛下は私の挨拶に親しみのこもった笑みを向けてくださり、頭を下げつつそっと様子を窺うに、お二人からは私が王子の体調不良に気づいたかどうか探るような気配なかった。

最初の挨拶時の遠目からは吸血鬼だしそんなもんよね、くらいにしか思わなかったけれど、改めて近くで見るとお二人とも本当に紙のように白い顔色で覇気というか王気というか、強いオーラはあるくせに生気は乏しいという元気なんだか死にそうなんだか分からないような状態だ。

・・・吸血鬼だし、死にそうに見えても元気ってことなのかしら。

“吸血鬼活きのいい死体説”がまた一段と説得力を持ったわね。


挨拶が一巡すると大人たちが王子のお祝いから近況報告へと会話の内容をシフトさせ、国境の状態について知りたい私が聞き耳を立てていると、兄の手が背中に回されて私の注意を王子へと向けさせる。

ちょっと残念だわ。

とはいえ、直接的にわかりやすい表現では隣国との軋轢の話なんてしないに決まっているので、聞いてても半分も分からなかったかもしれないけど。


そして、本日の主賓である王子はと言うと、豪華な一人がけのソファにゆったり身を預けたまま、相変わらず青白い顔色で四大公爵家の次期公爵たち、あるいは王子の学友、そして将来国を支えるのに重要な位置に着くであろう臣下たちに囲まれて、彼らの祝いの言葉に薄い笑みと感謝の言葉を返していた。

さっと乱立する死亡フラグたちの様子を窺うに、誰も王子の体調について気づいたそぶりは見せていない。

・・・吸血鬼だからこれが通常運転なのかしら?

いや、でも昼間ならともかく夜のこの時間にあれだけ弱ってるのは異常・・・よね?

ちら、と隣のお兄ちゃんにも視線をやるけれど、いつもの無表情で感情が読めない。

まさか気づいてるのが私だけ、ってことはないと思うけど・・・


これは何一つ気づいていないふりを続行するのが得策か、と方針が固まったところで、考え込んでいた私と違ってちゃんと状況を見ていたお兄ちゃんに促されて王子の前へ進み出る。

どうやらネルガル家とラ・メール家の挨拶が終わり、うちの番が回ってきたらしい。


「フェンネル家より、お祝いを。王太子殿下にとって幸多き一年になりますよう」


お兄ちゃんの挨拶に合わせてスカートを摘み深くひざを折る。

これでまぁお仕事完遂なわけだけれど、殿下のありがとう、君たちにも実り多い一年でありますよう、という返礼に合わせて顔を上げると、どうやらこちらも大人たちに合わせて雑談モードに移行するようだ。

ここにいるのはいずれも近い将来ご学友という形で王子を取り巻くことになる手下たちなのだから、今のうちからお互いある程度親しくしておこう、という事らしい。


将来の腹心たちとしばらく何かしら他愛のない話題を交わした後、ふと思いついたように王子が私を見る。

私は公爵令息たちから一歩引いて、話題に入らずとも楽しく聞いていますよ、という体裁を保ちつつ只々ニコニコしていたわけだけれど、急に王子と目が合ってしまい安全圏を手放さねばならないことを悟った。

せっかく見つけた楽なポジションだったのに。


「そうだ。皆はもう知っているかと思いますが、ミザリー嬢に彼を紹介しておきましょう」


周りに集った将来の幹部候補生であり私の死亡フラグたちを見渡してから、王子が色のない唇を笑みの形に引く。

名前を呼ばれた私はさも彼の体調が万全であるかのようになんでもない風のまま、笑みを浮かべ小首を傾げて応じて見せた。

それを確認した王子が後ろを振り返ると、ダンスの後で彼を迎えに来ていた少年が背後から進み出てくる。

年ごろはお兄ちゃんたちと似たり寄ったり、皆まだ少年なのでそれぞれに線が細いんだけど、その彼はそれに輪をかけて華奢だ。

一瞬『もやし』という単語が頭に浮かび、強烈にもやし炒めが食べたくなったので即座に封印。・・・お給料日前にはずいぶんお世話になったわねぇ、もやし。

例えお財布が瀕死でも、もやしだけはいつでもそっと傍に居てくれた。

決して目立たないけれど、確かな存在感でもって一品ずつおかずが減っていく食卓を支えてくれたわ・・・

もやしをさっとゆでてゴマ擦ってお醤油を回しかけたヤツとご飯が食べたい。

ご飯・・・ご飯が食べたい。

お米の味を思い出して口の中に湧いてきた生唾を呑みこみ、お金はあるのにお米ももやしもない現実に目を向ける。


目の前の少年はどことなくRPGの神官か僧侶を思わせるようなややゆったりしたラインの礼服に身を包み、一同を見回した後で私に視線を据えて、一瞬だけ何かに気づいた表情の後すぐにそれを笑みで隠す。

紅茶にちょっと多めにミルクを入れたようなライトブラウンの髪に、青と緑の間くらいの色の瞳。

もやしに似ているという以外にもなんとなく既視感のある男の子は、この中で唯一初対面であるらしい私に向けて軽く礼を取ってから名乗った。


「君があの・・・ミザリー嬢ですか。僕はジョエル。ジョエル・ローヴィル。お見知りおきを」


「ローヴィル様・・・宰相家のお方でしたか。こちらこそ、以降よしなにお願いいたします」


私がどのミザリー嬢かはあずかり知らないけれど、目の前の少年は次期宰相閣下、ということだ。

であればお兄ちゃんたちと既に顔見知りでも何の不思議もないし、王子様の右腕ポジションなんでしょうから私と踊った後の疲労困憊王子の回収係に抜擢されていたのも当然だ。


「・・・僕のこと、というか、君のうちと僕のうちのこと、何も聞いていないようだね」


ローヴィル姓を名乗った少年が、なんとなく苦みを含んだ笑みを向けてくるので、そういえば梟のおじさんが何かうちの母さんと彼の父さんの間でちょっとした事件があったようなことを言ってたような気もするわね。

掘り下げるつもりなんて微塵もなかったから、全く何も詳細は知らないけれど。

正面切って挨拶したらまずいような事件だったのなら、多分きっと事前に何かしら情報がもらえているはずで―――母さんからは無理でも、少なくともお兄ちゃんは警告をくれるはずだから、であれば今の対応で間違っていなかったはずだ。


「あら・・・お恥ずかしながらものを知らないもので、貴家のご高名はかねがね承っておりますが、それ以上の事は存じ上げませんわ。ご気分を害したなら、お詫び申し上げます」


しっかり膝を折って目礼をすると、少年がやや慌てて声をかけてくる。


「ええと、ごめん。知らないならそれで構わないんです。こちらこそ、変なことを言ってすみません」


姿勢を戻して困ったような戸惑ったような笑みを彼に向けると、ジョエルはますます居たたまれなくなったようで、助けを求めるように王子と公爵家の子息たちを見渡す。

王子とアルベールは苦笑いをしていて、レインリットは見なかったふり、お兄ちゃんからは何か冷たい空気が出ている。

私の困惑の笑みだけで、一気に孤立無援の窮地に立たされた形だ。

ええ、分かってやってるのよ、私は。

これも社交術の一つ、ってことで習い覚えたのだから、使わない手はない。

概して女子はこういった社交の場であまりにワガママに振る舞わない限りは基本的に尊重されがちなので、その道を極めたマスタークラスの婦女子になれば微笑みにいろんな感情を乗せて見せるだけで場を支配することができるらしい。

社交レベルとしては私はまだお尻に殻がついてるようなヒヨッコだけど、それでも女子に与えられたアドバンテージをフル活用して困った感を少し出してやるだけでご覧の通り、というわけだ。


「ね、ジョエル、君んちとミザリーちゃんの家との間に何があったの?」


ジョエル君の請願虚しく望んでいた換気は行われず、逆に空気読めない子であるディートリヒがいきなり核心に切り込んでくる。

隣のレインリットがすかさずディートリヒに肘をぶつけていたけれど、本人は痛いなぁ、と兄に向ってむっとしてみせ、すぐに表情を変えて興味津々にジョエルに視線を戻してしまう。

あーあ、知らなくていい事ならできれば知りたくないんだけどね。


そんな私の内心を読んだわけではないだろうけど、王子がかすかに苦笑して皆の視線を自分に集めてから口を開く。


「その件については、宰相殿とロザリア夫人との間で、もう解決したと聞いていますよ。今更蒸し返してみても楽しい話題じゃないと思いますが」


右腕が華麗なる自爆の衝撃でちぎれそうになっているので、本体がお出ましになりあっさりと場を収めてしまった。

王子にそう言われてはさすがの空気読めないディートリヒも追及は諦めたようで、そっか、ならいいや、とあっさり興味を失う。

それを見てジョエル君もほっとしたようでわずかにそれが表情に漏れたけど、お兄ちゃんからまだ冷たい視線を貰っているらしく、すぐに神妙な表情で取り繕った。

こんなそれぞれに面倒臭い配下しかいないなんて、王子様ちょっとお気の毒だわね。

そもそもジョエル君を私に紹介する形で場に引き入れて、しんどい自分に代わって場の主導権を握って適当にお仕事(はなし)をしてもらおう、というのが第一目的だったはずなのだ。

それなのにのっけから話題選びを盛大に間違えた右腕のせいで、結局体調不良をおして御自らご出馬なのだから、本当に立派な仕事をする右腕よね。



オチがついたところで、どうやら父さんたちのほうもひと段落したようで、次の家族に挨拶の場を譲るのに合わせて私たちも王子の前を辞する。

このまま帰れたらいいな、との淡い願いは叶うはずもなく、戻ったのは百花舞い踊る戦場だった。

そろそろもう十分堪能したんだけどね、初めての夜会。


「ね、ミザリーちゃん、あとで俺と踊ってよ」


ぞろぞろと惰性で一緒に移動してきたディートリヒが、私の横に来て目をキラキラさせながらダンスの申し込みをしてくるのを、どう受け流すか決めかねてとりあえず無難に曖昧な笑みを浮かべておく。

彼の肩越しに令嬢たちの壁が形成されつつあるのが見て取れ、どう考えてもここは戦場の最前線―――は、王子前に譲るとしても、この夜会屈指の激戦地であることは間違いない。

明らかにダンスの申し込み待ちの令嬢たちのちらりちらりとした視線に、真正面から無理踊らない、なんて言えるはずもなく、かといってこの場に相応しい笑い方も分からないのでとりあえず曖昧に笑ってみたのだけれど、逆にそれが悪かったらしく、レインリットとアルベールまでわやわやと周りに集まってくるという大惨事を引き起こしてしまった。


「ディートはあんまりお薦めできないね。いまだにダンスの先生の足を踏んでるみたいだから。代わりに俺と踊ってもらえるかな?」


「踏まないよ!一杯練習して来たんだから!でもミザリーちゃんは俺の足いくら踏んでもいいからね!」


「初めての夜会の思い出に、ぜひ僕とも一曲お付き合い願いたいね」


レインリットとディートリヒ兄弟、それにアルベールが口々に言って、それぞれ私に手を差し出してくる。

どうやら、こちらの世界では夜会と書いて魔界と読むようだ。

すぐ隣のお兄ちゃん含め見渡す限り一面の死亡フラグ。

そして優良物件に取り囲まれた私に刺すような視線を送ってよこす良家の子女たちの壁。

これが魔界でなくてなんなのだろう。

お兄ちゃんに関しては、アンジェラが出てから限定解放される旗だけど、ディートリヒとアルベール、それに王子は今この瞬間からその手に持った旗をうっかりでも立てられてしまえば私の余命が宣告されてしまう。

それだけは、なんとしてでも回避しなければ。


各ルートでそれぞれ主人公の進路妨害を至上命題に出てくるミザリーだけど、どの男の子を選んでもその婚約者という立ち位置だ。

当然、婚約が成るまでにそれなりの物語はあるわけで、彼ら三人についてはこの王子様のお誕生日会で一目惚れ(笑)した、というのがなれ初めとして語られていたはず。

初めての夜会できらきらしい男の子たちに会い、優しくされてのぼせ上がった、ってのはありがちだけど、下手に権力者の娘だったばっかりに一夜の楽しい思い出に収められなかった、って事ね。

という事は、何が何でもここでフラグを立てさせるわけにはいかない。

立つ傍から叩き折る、くらいの気概でいかなければ、この魔界から帰るまでに齢9歳にして余命カウントダウンが開始されてしまう。

とはいえ、家格の釣り合ういずれ劣らぬ重要な家の跡継ぎたちをフーリー君にしたみたいに高飛車に追っ払うのも考え物だ。

唯一の救いと言えるのは、ゲームの設定的に惚れたのはミザリー側だから、私がいらないことをしなければ何も進展しない、と思いたい。

ネルガル公夫妻のような外部強制力には細心の注意が必要だけれど。


「・・・皆様、世慣れない私のために優しくしてくださってありがとうございます。正直、兄様がいてくださると言えど、少し不安だったんです。でも、皆様のお心遣いのおかげでよい思い出にできそうですわ。・・・私はもうずいぶん助けていただいて、気持ちも楽になりましたので、皆様、どうか私ばかりではなく皆様の大切な方へもお心配りなさってくださいね」


夜会初心者をダンスに誘うのは紳士としての使命感からですよね分かります。というのをオブラートに包んで笑顔とともに言い放つと、外野からの視線がいくらか和らいだ気がする。

わきまえていますよ、勘違いしていませんよ、という外野へのアピールと同時に、あなたたちが私をダンスに誘うのは、私の事好きだってわけじゃないことくらい分かってるんだからね!分かったらさっさと別の誰かを誘いに行きなさいよ!と少年たちへ牽制の意味合いも込めている。

レインリットとアルベールにはちゃんと通じたようで、一瞬視線を交わしたあと、レインリットは苦笑いを、アルベールはなぜか面白いものを見るような興味深そうな笑みを寄越してくる。

しまった、死亡フラグの方の興味を引いちゃったわ。


「これからレオと踊るんでしょ?それが終わったらさ、疲れてなかったらでいいから俺とも踊ってよ。ホントに足踏んだりしないからさ」


一人通じなかった子が屈託なくまたお誘いを投げてくるので、子犬だから仕方ないわね、という本音が混じらないよう気を付けて微笑みを返すにとどめ、傍らのお兄ちゃんを見ると私の対応は満点とは言えなくてもそう悪い線ではなかったらしいことがうかがえた。

ちょっとだけ安心したけど、ホントこれ、かなり繊細な選択肢の連続だしある程度演技力は必要だし、しんどいお仕事だわね。

当分遠慮したいわ。



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