42.
今回ちょっと短めです。
――――王子については回避は楽勝。そんなことを考えた日もありました。
今思うと、ああいうのがフラグを立てる、ってヤツだったのかもしれないわ。
私はすぐ目の前に立つ王子様に義務的に張り付けた笑顔を向けつつも、遠い目をしていた。
なんでこうなったのか分からない。
分からないけれど、本格的な舞踏会開始の合図代わりに王子様がまずダンスを踊る、そのお相手に選ばれてしまった、というわけだ。
ちょっとスタッフ!!なんで私の初めての夜会がモード修羅、難易度羅刹なの!?
デビューもしてない令嬢を夜会に引っ張り出した挙句、いきなり王太子殿下のお相手を務めてソロダンスとか、夜叉なの!?
しかも私のダンス歴ってほんの数か月なのよ?トチ狂ってるとしか思えない。
と、思ったのでご指名を頂いた次の瞬間ものすごく視線で父さんと母さんに訴えたんだけれど、父さんは困った顔をしていて、母さんは苦笑いしつつ目顔でラ・メール公を指し、ラ・メール公を見るとごめんね、と言うように笑いかけられた。
察したわ。
多分、これはもともとラ・メール公女に振られるお仕事だったのだ、と。
けれど、体調が悪いというようなことをおっしゃっていたので、ピンチヒッターとして私に白羽の矢が立った、という所か。
ちょおおお!もっと他にいないの誰か!?ダンス歴数か月以上の逸材が・・・!!
いるでしょ絶対にぃ!!
・・・ええ。分かってるわ。
家柄とか年齢とか身長とか色々検討の上で、“私”なんだ、ってことくらい。
でもちょっとくらい文句を言っても許されるわよね。
こんな大事な役目を振るなら、事前に根回しくらいしとくものでしょ?
何も聞いてないわよ私は。聞いてたらちゃんと前日までに完璧に仕上げて来たのに。
実家の庭をできる限り薄着でうろついて、風邪をひいて38℃越えで発熱の上、医者から絶対安静を言い渡されるように、完璧に。
けれどこんな風に不意打ちされてしまえばどうしようもない。
身も心も削って働くのにはうってつけの“昔取った杵柄”があるため、内心で何度もこれは仕事だから、ご飯を食べたければ働くしかないんだから、と繰り返しつつ、諦めた私は殿下に手を取られて売られて行く肉牛の気持ちでパーティー会場の中央へ導かれ、一旦手を離した彼と向き合っている。
私たちの周りを取り囲む他の参加者たちの視線を浴びつつ待機していると、シャンデリアの照明が明度を下げて、私と殿下の頭上だけスポットライトのように他より少し明るい。
今夜は月が頑張っているので、シャンデリアが明るさを落としても代わりに白々とした月明かりが注ぎ、思ったほど暗くはならなかった。
人々の静かなざわめきをゆっくりと制して、楽団が静かにややスローなワルツのようなテンポの曲を奏で始め、私は先生に習った通り深くお辞儀する。
同じように私に向かって軽くお辞儀をした王子様が私を迎えに来て、仕方がないので心を仕事モードにシフトチェンジして彼に手を差出し、彼の手が背中に回るのに合わせて私も彼の肩に手を添えた。
本日のドレスはホルタ―ネックって言うのかしら、首元までしっかり布地で覆われたタイプのやつなんだけど、本来は鎖骨を見せびらかすような襟ぐりの開いたものが好まれるのが夜会だ。
私の場合、侍女たちが技術の粋を集めて盛ってはいても鎖骨より下が相変わらずの平原なので、人並みに胸元を開けてしまうと“ものの哀れ”を感じさせる姿になるため、一身上の都合で鎖骨の見えないデザインを着用したので、代わりに背中が大きく開いている。
ええと、金太郎さんの前掛けを想像してもらえば大体あってる。
防御力を前面に全振りして、背後からの奇襲にはなんの備えもない姿だ。
とか言ってると、アルマに嘆かれてシェリーに困った顔をされ、ベルタン嬢には苦笑いされそうだけど。
そんなわけで、がっさり開いた背中に王子の手が回されると、手袋越しなのにひやりと冷たいその手に一瞬驚かされた。
ダンスの開始を促すように、王子様が私に微笑みかけてくる。
照明の効果を差っ引いてもやはり顔色は青白く、笑みも私と同じビジネススマイルのように見えた。
長い睫に縁取られた綺麗な色の瞳は翳りが濃く、白い月光の下で色を失い白髪のように見える髪と合わせて一層退廃的な雰囲気を醸す。まるで美しく生気に乏しい陶器の人形だ。
あるいは吸血鬼という彼の種族も相まって、11歳の元気な子供と言うよりか11歳のよく動く死体、と言われた方が納得できる。
そもそも吸血鬼というのは一度死んで血を糧とする化け物として邪悪に蘇ったものを指すのだから、死体という解釈はあながち間違ってはいないのかもしれない。
だんだんと参加する楽器が増えてワルツが賑わいを増してくると、王子が優しい―――もしくは弱々しいリードで踊りはじめ、私も彼に導かれるまま教えられたステップを踏む。
うまく隠していたけれど、近くで彼を観察し、一緒に踊りはじめると彼が弱っているのが顕著に分かった。
病気か何か知らないけれど、明らかに体調不良。
私をリードして踊る王子は時々ステップがわずかに乱れ、どうにかそれを押し隠して張り付けた笑顔で取り繕っていた。
多分、離れた位置から見ればうまく繕えているのだろう。
彼のリードでくるりと回った時に見えた観衆に、王子を心配する色はない。
もしかしたら私も正確無比な定時運行のお兄ちゃんと踊った経験がなければ、王子のわずかな乱調を何とも思わなかったかもしれない。
顔色悪いのだって吸血鬼だし、で納得できてしまうから。
「殿下、ご公務でお疲れですね?お支えいたしますので、どうか私の方へもう少し体重を預けて下さい」
あえてにっこりと、夢見るように微笑みながら―――悪役顔だから実際はどう見えてるか知らないけど、とにかくそのように努力しながら―――そう言うと、私と手をつないで踊っている王子が一瞬表情を硬くする。
それはまるで私に自分の体調不良を気取られたことに対する自己嫌悪のような表情で、しかしそれも一瞬で笑みに塗りつぶされる。
外から見れば何事か囁きあい、笑みを交わしあって踊っている可愛らしい少年少女にしか見えないだろう。
どうやら王子様というのも大変なお仕事らしい。
本当なら寝てなきゃならないような体調なのかもしれないけど、どうしてもこの夜会に出席する必要があったのだろう。
隣国に世継ぎの体調不良を知らせないためか、それともあるいは内乱を警戒してか。
詳細は分からないけれど、こんな少年が頑張っているのだから私もできる限りの事はしよう。
「ありがとう。・・・少しだけ、甘えさせてください」
王子が笑顔のままそう言って、それを合図に私があえてステップを間違えると、より丁寧にリードするためにそうしたのだという体で背中に回した手でより深く私を抱きこむ。
それに合わせて私も密着した腰骨で彼の体重を支えつつ、つないだ方の手は外からそれと分からないように彼の手を握って引き上げる形にした。
負荷が増えてちょっとキツイけど王子はその分少し楽になったようで、わずかに息を吐いて体から張りつめていた緊張がほんの少し抜けるのが分かる。
先生のご指導の賜物で独りで立てる女に仕上がってはいるけれど、これまで練習に付き合ってもらったお兄ちゃん、ヴァイスにノアールは全員下手な私がふらついた時は平気で支えてくれて、ノアールに至っては元気が余って私を振り回すような有様だったので(そういう振付でもないのに時々体がちょっと浮く、と言えば実態をご理解いただけるだろう)、誰かを支えながら踊るのがこんなに苦行なのだと今初めて知った。
勿論王子だって気丈に振る舞っており、べったり私に体重を預けてくるわけでなく要所要所でやや重い、という程度だ。
それでもこれだけキツイとは、もうちょっと筋肉つけたほうがいいわね、この体。
3分かそこらの短いワルツだったけれど、うっとりしているふりをしながら男の子一人支えて動き回るというのは本当に難事業だったので、だんだんとテンポがスローになり離脱する楽器が増えてきて終わりが見えてくると、正直ほっとしてしまった。
王子の方もほっとして一瞬張りつめた気が抜けたようで、ぐらつきが酷くなったのを慌てて支える。
「もうすぐ曲終わりですから、ゆっくり止まって手を私の腰に沿えて、息を整えてください」
相変わらずの偽笑顔でそう進言すると、本当に限界が近かったのか王子がほんのわずか頷き、くるくると何度か回ってフロアの中央でゆっくりと止まる。
ふわり、と見た目以上のボリュームに膨らんだ私のスカートが元の位置に戻る頃、まだ音楽は続いており、止まってしまった私たちに観衆がややいぶかしげになるものの、つないだ手を離した王子がその手を私の腰に添え、私も解放された方の手を彼の肩に添えてこちらへ倒れてこないよう支えると、内実を知らない周りの観客たちの視線が和らぐ。
外から見れば初々しい少年少女がうっとりとお互いを見つめあってダンスの余韻に浸っている、的な演出なのだけれど、彼の手が落ちないよう引き上げていた右手の筋肉がプルプルしているし、同じくずっとそちら側の腰骨で自分の体重と王子とを支えていたため過負荷の左足がつりそうだ。
そして私に作った笑みを向けてくる王子も至近距離で見れば息が荒い。
気取られないよう静かに呼吸をしているけれど、笑みをかたどりながらもうっすら開いたままの唇から、だいぶ無理をしているのが分かる。
外見はどうであれ、内実は全然ロマンチックのかけらもない、ただの満身創痍の二人だ。
やがてゆっくりと最後の音が消えていくと、観客たちが一斉に拍手を始める。
後は彼から離れてお辞儀をすれば一連のお仕事は完了だ。
そう思って手を離しても大丈夫か彼の表情を窺った瞬間、頭上で突然光がはじける。
びっくりして上を向くと、ガラス天井一杯に光の花が咲いていた。
不意に照明が消え、代わりにとりどりの色が輝きながら落ちてくる。
花火だった。
―――例の、おなかに響くような音がしないそれを花火と呼んで差支えないのであれば。
しばらくぽかんと上を見上げてこちらの世界の花火を見ていると、王子の手がそっと離れていく感覚に慌てて私も彼の肩に添えた手を離す。
「―――あなたで、良かった」
王子の声が耳元で聞こえ、何かの拍子に触れそうなほど近くにいた彼はすぐに礼儀正しい距離へと戻る。
それに合わせ、変な痛みが出てきた左の太ももを極力気にしないようにしつつ私も後退し、深くお辞儀をするとまた観衆から拍手。
視線を上げれば、王子やお兄ちゃんたちと同年代に見える男の子が一人王子を迎えに来ており、私に向けた礼の姿勢から顔を上げた王子は最後にちらりと笑みを寄越し、その男の子に付き添われて群衆をモーセのように割り、王族席へと戻っていく。
お祝いの花火が頭上で上がり続ける中、輝きを取り戻した照明に楽団の音楽が再開されて、それまでの観衆たちがそれぞれのパートナーに寄り添い、王子のために空けられていた空白地帯が埋まっていく。
いよいよダンスパーティの始まりだった。
まぁ私のダンスパーティはたった今終わったわけだけど。
お付き合いくださりありがとうございました。
ちょっと短いので更新延期も考えたんですが、ブックマークの数字を見てたらホントにありがたい事だなと思いまして、短めでも更新する事にしました。
来週はもう少しマトモに暇が潰せる物量をご提供できるよう頑張るので、ぜひまたのお越しを。
週末また台風が来るようなので、お休みの方もお仕事の方も、皆様どうかご安全にお過ごしください。




