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21.

ぱたんとドアが閉まると、それを合図にするかのようにまずお兄ちゃんが動き始める。

父さんと私たちから距離をとるようにドアのそばにいた兄は私のそばへ歩み寄ってくると、私の顔色をじっと見て恐慌が去ったことを確認してから、そっと後ろ手に持っていたものをこちらへ差し出した。

見てみるとピンクのかわいい花を中心にアレンジされた小さなブーケで、銀髪に感情の乏しい海色の瞳の少年が持つとなんだかアンバランスでちょっと面白い。


「庭師からだ。心配しているようだったから、明日にでも顔を見せてやるといい」

「あら?この可愛いお花、お兄ちゃんからじゃなくてガーランドさんからだったの?」


差し出された小さな花束を受け取りながら贈り主を問い直すと、兄は私から視線を外して口の中で何かもごもご言った。

真っ白で柔らかそうな頬がわずかに赤くなる。

ふふ、ちょっと意地悪しちゃったかしら。

ガーランドさんは雨の日以外は基本的に庭にいるほうを好む性質で、そして一口に庭と言ってもこの家のそれは広い。

例の事件が発生した時にたまたま近くにいたのならまだしも、中庭のほうにいたとしたら情報が伝わるのはこの家の使用人の中では後ろから数えたほうが早いような順番だろう。

可能性としては、お花をもらいに行ってくれたお兄ちゃんの口から伝わった、というのが一番高そうだ。

なのできっと、花束がガーランドさんからだというのはお兄ちゃんの照れ隠し。


「アルマ、お花がしおれたら残念だから、何かに生けてもらえるかしら?お兄ちゃんがわざわざお庭まで取りに行ってくれたお花だから、ベッドサイドに置こうかしら。それともこのテーブルに置いてお茶の時に眺めるのもいいし、書き物をするとき見られるように机に置くのもいいわね。どう思う?」


「でしたら一輪は書き物机に、あとは二つに分けてティーテーブルとベッドサイドへ置きましょうか」


差し出した花束を受け取りつつアルマがしてくれた提案に、私は笑って頷いた。

アルマからも笑みと了承の頷きが帰ってきて、彼女は小さな花束を大切に持って失礼します、と部屋を出て行った。

残されたお兄ちゃんは花束の贈り主を私がきちんと了解していることを知って、さらに頬を照れで染めてこちらに視線を向けないようにしている。

弟・・・じゃなかった、男の子って妹みたいに口達者で甘え上手じゃないけど、素直じゃないくせに感情を隠すのも下手でなんかかわいいわね。


私はソファから降りると兄の隣へ行き、その手を取って元いたソファまで導くと、隣に座るように促した。

お兄ちゃんは抵抗するでもなく引かれてきて、私の隣にすとんと座る。

少し落ち着いたらしく、頬の赤みも引いている。


「かわいいお花、ありがとう。明日ガーランドさんにも会いに行くわ。・・・それに、私が気絶した時も頭を打たないように庇ってくれたってアルマから聞いたわ。

ごめんね、あの子があんなことになるなんて思わなかったから、びっくりしてしまって」


アルマもシェリーも先生も、必死で仕込んでくれたのに私の”社交デビュー”とやらは散々な結果に終わったと言える。

苦笑いして言うと、兄は真顔で首を横に振る。


「気にするな。あれはあいつが悪い。・・・もしも縁談が来ても父様が突っぱねるだろうから心配いらない」


うん?縁談?


え?お兄ちゃん誰かと結婚するの・・・??


え?私?



「縁談が来るの?・・・何が起こってるんだかちょっと分からないんだけど」


状況が全く分からなかったので素直に聞き返すと、兄の顔を複雑な感情が一瞬だけかすめる。

私が状況を理解していない事への驚きが少しと、そのほうがいいのかもしれない、という感情がそれよりも多め。

説明したほうがいいだろうか、という戸惑いは、分かってないならそのままにするほうがいい、という結論に塗りつぶされたようだ。


あら、説明してもらえないのかしら。


「ええと、縁談って誰と誰の?」


あえて地雷を踏みに来たバカをどう止めようかという表情をする11歳児なんてそうそう見る機会のないものを目の前にして、私は躊躇なく地雷原に進むことにする。

つい先ほど、自分があまりにも色々なことを知らなさすぎることを再確認したばかりなのだ。

聞けるときに聞いておかないと、後々どんな落とし穴があるか分からない。


「ディートリヒと・・・その、お前との、だ」


ちょっと言い淀んで、私からわずかに視線を外しつつお兄ちゃんがつぶやく。


「え?私とあの子の縁談?どうして?」


あれ?確かそんなお話じゃなかったわよね。

親睦を深めるって名目のお茶会で、私がお出迎えパートだけでも参加することになったのって本当に直前だったはず。

そういうお話をしに来たのでもないのに、なぜ唐突にそうなるのかしら。


「いや・・・それはその、あいつが・・・」


苦い顔をして兄が言葉を濁す。

・・・あ。

もし、かして。


「もしかして、あの子が私のパ・・・下着を見たから、って事かしら?」


私の言葉に、また照れで頬を染めた兄が私から視線を外して一度うなずく。

なるほど。確かにアルマの反応を見る限り、この世界の貞操観念って前世に比べてバカみたいに厳しいように思える。

未婚女子の下着を事故とは言え見たのだから、責任は取るってとこかしら。

私的には下着の一枚や二枚より首が取れるほうが大事件なんだけど・・・もうやだわ、この世界。

そもそもあの超ローアングルからじゃ、ペチコートだなんだ“スカートをふんわりさせる要員”がもじゃもじゃに入り乱れてて、ドロワーズのレースだかスカートのレースだかそれ以外の何かのレースだかわかったものじゃなかったと思うんだけどね。

わけのわからないもじゃもじゃをちょっとした事故で見たくらいの事で国内有数の公爵家へ嫁入りなんて・・・なんか逆に当たり屋みたいじゃない。


「父さんが庇ってくれるなら対処はお任せしておけばいいわね」


故意ではないけど当たり屋みたいなことをしてしまったと今更ながら気づかされ、ため息交じりにそう言うと、兄の視線が戻ってくる。

もし仮にお兄ちゃんの言うとおり縁談が来るにしても、あの『我が子大好き娘目に入れても痛くないかわいい』の父が立ち塞がってくれるなら、とりあえずはなんの心配もいらないだろう。


・・・いや、お兄ちゃんもあの子の首躊躇なく蹴ったって言うし、父さんもあの程度の出来事で窓ガラスを破壊した挙句、公子を出禁にしてるし、逆に心配しなくちゃいけないかしら―――公子の身の安全とか、そういったものを。

隣国と揉めてる今この時、共に国防を担う最前線の隣の領地と戦争になったりしたら・・・洒落にならないわね。

しかも原因が私のパンツって・・・後世の歴史書にいったいどんな書き方されるやら。


「そういえばあの子は怪我してなかった?お兄ちゃん、私のスカートの下からあの子の首を蹴り出したって聞いたけど」

「さぁな。ちょっと腫れてたかもしれないけど、どうせすぐ治るだろ」


私の疑問に答えるお兄ちゃんの口調から、道端の石ころを蹴った程度にしか感じていないのが透けて見える。

思わず苦笑してしまうと、お兄ちゃんは真剣な表情で私の顔をじっと見てくる。


「・・・なぁに?もう大丈夫よ?」


あまりにじっと見られるので、ちょっとだけ居心地が悪くなってくる。


「・・・次、あいつが来る時は・・・いや、心配するな、しばらくは来ないから。・・・だからその、次もしあいつに会う時は・・・今度こそちゃんと守ってやるから」


表情も声色も真剣そのもので、お兄ちゃんがまるで厳かな誓いのように言う。

守る、ってええと、パ・・・じゃなくて、私の淑女としての評判のようなもの、よね、きっと。

―――この際、兄が守ってくれようとしているものについては、深く考えないでおこう。


ありがとう、と言おうとして口を開きかけた時、唐突に脳裏に記憶がフラッシュバックする。



『―――この先この国とお前の国が永劫争い続けることになったとしても、俺はお前を―――身命を賭し、生涯を捧げて守ると誓う。だから、だからどうか―――』



脳裏によみがえる、真剣な声。

少年と言うには少々大人びていて、青年と言うにはわずかに幼い。こどもから大人へのまさに過渡期にいる男性の声。

真摯な海色の瞳。



―――ああ。


あなたが四人目、なのね。



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