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20.

日記の白いページには、とにかく今覚えている事、思い出したことを単語だけでも羅列しておく。

もちろん、何かの拍子に誰かに見られてもいいように日本語で。

常闇王国、怪物ランド。

光の国。そこから来る女の子、アンジェラ。

彼女を取り巻くことになる男の子たち。

その一、ネルガル公子ディートリヒ。デュラハンもしくは黒騎士。・・・より正確に言うと首なし騎士?

その二、ええと、なんだっけ、妹の本命のナニガシ氏。さっき夢の中で聞いたのにもう名前が出てこないわ。

その三、吸血鬼の王子様。ヴァンパイアハントはしちゃダメ。


そこまで書いてペンを置く。

それから日記帳には鍵をかけて、鍵付の引き出しに戻しておく。

敏腕使用人にして父の冷徹な副官であるジークに怪しまれている以上、あまり不審な行動をしているところを見つかれば魔女疑惑で火あぶりにされかねない。

けれどもまた不意に何か思い出すかもしれないので、ベッド脇のランプが乗った小さな棚の引き出しにはメモと筆記用具一式を用意し、同じく小さな本のようなメモ帳代わりの手帳を万年筆みたいなペンと一緒に持ち歩くことにした。

このペン、羽根ペンと違ってインク壺が不要で、まさしく万年筆っぽいものなのだけど、なんだか高価な品らしくて普段の書き物は羽根ペンとインク壺を使っている。

情緒はたっぷりあるけれど、なんとも不便な世界ね。


机から隣のソファに移動して腰掛け、もう少し思い出せることはないかと記憶をさらっていると、小さなノックの音の後でアルマがそっと入ってきた。

もしかしたら私がショックのあまりまた寝付いているかもしれないと思ったのか、ずいぶん静かにドアが開かれる。


「もう大丈夫よ。一人でゆっくり考えたら、ちょっと落ち着いたわ」


ベッドになかった私の姿を探してさまよっていたアルマの視線を捉えると、私は先ほどよりかは自然に見える笑顔を作って彼女の入室を促した。

アルマは安堵の笑みを浮かべてティーワゴンをこちらへ押してくると、すでによく蒸らされて飲みごろになったお茶をカップに注いでサーブしてくれる。

ちょっとした甘いものも準備してくれており、それも丁寧に傍らのテーブルに並べてくれる。


「あの、良かったらだけど、一緒にお茶を飲まない?」


色々聞きたいことがあったのでそう誘ってみると、アルマは給仕の手を止めて驚いたように目を見張り、慌てて首を左右に振った。


「お嬢様と一緒にお茶なんて・・・!そんな事できません!」

「そう・・・やっぱり私とお茶なんてしても楽しくもおいしくもないわよね。ごめんね。」


上司のワガママ娘とお茶なんて、確かに楽しくもなんともないわ。

全面的に同意よ。

ちょっと迂闊だったわね。


「いえその、そうじゃなくて。・・・お嬢様、本当にお変わりになりましたね」

「ああ、こんな変わり果てた姿になって・・・って、なんだかそのようなことをたくさん言われた気がするわ」

思い出しちゃいけない何かを思い出しそう・・・。自分のお葬式の事とか。

「そういう意味じゃないですって!・・・あの、なんだか私の存じ上げていたお嬢様とは違う方みたいになって・・・ええと、その、違うんです。悪い意味じゃなくて」


自分の言いたいことを上手に言葉にできずに声を詰まらせ、一生懸命考えをまとめようとしているアルマの手を引いて、隣に座るように促す。

嫌がられるかな、と思ったけれど、彼女は丁寧に一礼して失礼いたします、と前置きをしてから隣に腰かけてくれた。

これでお茶のカップがもう一つあればいいのにねぇ。


「今までの私は言い訳できないほど悪い子だったわ。でも、どれだけいたずらしても誰かに酷いことを言っても、状況は悪くなるだけでひとつも良くはならなかった。

欲しかったものなんてそんなやり方じゃ何も手に入らないし、私自身もどんどん心の穴が大きくなって、虚しくて辛いだけだった。

今更いい子ぶったって失くしたものは取り戻せないけど、誰かの気を引こうと必死にいたずらするよりもこっちのほうが楽なの。

もう誰にも何もしないわ。今までいろいろごめんね」


まさか別人格がダウンロードされましたのであなたの考察は大変的を射ています、とは言えないので、ここで生まれ育った私の代わりに気持ちを代弁して謝罪する。

アルマはしっかりと私の話を聞いてくれて、彼女の小さな主が苦し紛れにしたいろんなことを、それでも許してくれた。


「私こそ、何もお役にたてずにすみません。お嬢様が一人でお寂しいことは知っていたのに、旦那様にお伝えすることもできなくて・・・」


うつむいたアルマの手を握ろうと手を伸ばしかけたその時、部屋の扉が大音声をあげて開かれ、びっくりしてそちらを見ると扉の向こうには当家の主が立っていた。


「ミザリー・・・ずっと寂しい思いをさせてたんだなぁ・・・ごめんなぁ」


なんだか目を潤ませた父さんがノックもせずにずんずん部屋に入ってきて、びっくりしたアルマがすごい勢いで隣から立ち上がり、慌てて私から離れると父さんに向かって頭を下げる。

ちょ、まずいわ、このままだと非常にまずい。

おじさんのハグは避けたい。しかも不躾にも私たちの話を立ち聞きしてうるうるきてるおじさんのハグだ。どれだけ長時間拘束されるか分からない。

前世の父さんでもさすがにハグは遠慮したいのに、現世の父さんなんてまだ会えばあいさつする程度の関係のその辺のおじさんと変わらないくらいの愛着しかない。

そして私にはその辺のおじさんに抱きつかれて喜ぶ趣味はない。

・・・前世は同意なしで抱き着ついてくるその辺のおじさんには重い罰が下ったんだけどねぇ。一応親子関係だし、残念だけどここじゃ不適用でしょうね・・・


「と、うさん!立ち聞きしてらっしゃったの!ちょっと不作法ではないかしら?」


先制攻撃あるのみ、と、抱きつかれる前に言葉でけん制する。

父さんは気にせず私の傍まで来ると、隣には座らず腰を落として私と目線を合わせてから、大きな手で私の手をぎゅっと握った。

う、うん。それくらいならいいでしょう。


「どこも怪我がなくてよかったよ。・・・母さんから意識が戻ったと聞いてな。立ち聞きするつもりはなかったんだが、帰ってきてからずっとミザリーが考えてることが分からなかったんだ。正直な気持ちが聞けると思って――。悪趣味なのはわかってたんだがなぁ・・・」


弱ったように苦く笑って言う父さんを、秘密がある身としては許さざるを得ない。

あなたの娘は上書きしました、だから何考えてるか分からなくて当然です、なんて言えるはずもないし。

登場の仕方はまずかったけど、ネルガル公子のドッキリで気絶した私を心配してお見舞いに来てくれたのだ、ということも分かったし。


「心配してくれてありがとう。ちょっとびっくりしただけよ。だからもう大丈夫だわ」


お礼を言うと父さんはまた少し苦笑いして、それからあいているほうの手を私の頬に添える。

温かい大きな手が私の顔の半分を覆い、お兄ちゃんに良く似た海色の瞳が愛しげに細められる。

ホント、この夫婦ってこども好きなくせに置いて行かないといけないような仕事をするしかなくて、ある意味気の毒だわね。


「ディートリヒは当分出入り禁止にしたから心配するな。次あいつに会わなきゃならん時は父さんがしっかりついててやるからな。――あ、そうだ。レオンハルト。入っておいで」


父さんが振り返って声をかけると、ずっと戸口のところにいたらしいお兄ちゃんがそろりと部屋へ入ってくる。

でも待って、その前に。

なんだか聞き逃しちゃいけないようなことをさらりと言わなかったかしら、このおじさん。


「・・・ネルガル公子を出禁にしたの・・・?」


そんなようなことが聞こえた気がする。

確認するのが怖いわ。


「ああ。ディートリヒの訪問はしばらくの間丁重にお断り、だ。まぁネルガル公にも詳細は伏せたがミザリーを驚かせたから、と説明してあるし、問題ないだろ」


父さんは当たり前みたいな顔して言ってるけど、問題しかないように聞こえるわ。

私のパンツ一つで政治問題に発展するなんて。


「それに次はうちが先方を訪ねる番なんだが、今回の件で遠慮させてもらうことにしたよ。

その日はレオンハルトの予定を1日空けてあるから、あとは父さんと母さんが予定の調整をうまくやれば家族で遠乗りにいけるぞ!」


あら、それは嬉しくないわね。

父さんの肩越しにお兄ちゃんを見ると、お兄ちゃんも私を見ていて目が合った。

なんだか、あまり表に感情の出ない兄なりにネルガル家を訪ねるのも家族で遠乗りに行くのも同じくらい嫌、という複雑な表情をしている。


「私はホントにびっくりしただけよ。デュラハンの首がとれるのを見たのが初めてだったんだもの。だからあまり大きい問題にしないでほしいわ」


緊張関係の隣国に対処するに当たり、近隣の領地と揉めるのはよろしくない事くらい猿でもわかる。

だからどうか事を必要以上に大きくしないで、とお願いしたのだけれど、私を見る父さんの目は“大丈夫、全部わかってるから”となんとなく生温かい感じがする。

だから!パンツじゃないんだってば!!!


誤解の解けないもどかしさに内心大荒れの私を知ってか知らずか、父さんは立ち上がると私の頭を何度か撫でる。

隣の領地との問題は一旦置くことにして、上目づかいに見上げると優しい海色の瞳が私を見下ろしている。


「―――さて、もっとミザリーの傍にいたいところだが、いろいろショックだったろうからもう少しゆっくりしていなさい。お昼はこっちに運ばせよう。・・・夕食はできたら家族で食べような。じゃあ父さんは仕事に戻るけど、寂しくなったらいつでもおいで」


ぽんぽん、と私の頭を軽く撫で、じゃあ、と言って少々名残惜しそうに父さんが出て行ってしまうと、部屋には私とアルマ、それからお兄ちゃんの3人が残った。




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