2.
「お、お食事ですね。すぐにご用意いたします」
笑顔と同じくらいぎこちなく言って、ぎこちなく立ち上がろうとする彼女を押さえ、私はドアを目顔で差した。
「いいわ、一人で食堂まで行けるから。そっちへ行けば誰かまだいるでしょう?いなくても途中で誰かに頼むから。」
いつもなら、わがままお嬢様は下手したらまだベッドの上で起きたくないとごねている。
着替えが済んでも、食事はこの部屋で摂るのが慣例だ。
これから彼女はテーブルの洗面具を片づけ、大量の選ばれなかった衣裳たちを片づけ、なおかつお嬢様がブチ切れてぎゃんぎゃん騒ぎ始める前に朝食を持ってここまで戻る、という毎朝恒例鬱ルーティンなのだが、そもそも調理場の近くの食堂室へ行って食べればここまで食事を運ぶ必要はないし、片づけも楽だ。
私以外の家族は家にいる時は3食そちらで食べているので、単に私がわがままなだけなのだ。
私はにこっと笑って彼女にうなずきかけると、さっさと自室を出て食堂室へ向けて歩き出した。
部屋から出て少し行ったところで我に返ったアルマが真っ青な顔で両手に着替えと水差しを持ち、大慌てで追いかけてきて食堂まで先導してくれ、食堂室入り口で食堂の掃除をしていた侍女に私を引き渡すと、すぐ戻りますからと言い置いてあわただしく着替えと洗面具を片づけるために去って行った。
家族のための食堂室は公爵という身分柄を考えると小ぢんまりしすぎているような気がするが、庶民出の私には自室にいるよりも落ち着ける雰囲気だった。
部屋の中央にある長方形の木製の長テーブルには白いセンタークロスがかけられ、中央には花が低く生けられた花瓶。
ここも窓を大きく取った部屋で、朝の陽ざしが心地いい。
すぐ近くに厨房があり、本来ならばここは使用人エリアに属する部屋なのだが、フェンネル家の当主――8歳私の父――はずいぶん気さくな人柄で、使用人も丸ごとひっくるめて家族だと思っている節がある。
母はもともと貴族出ではないのでそれがさらに顕著で、使用人たちがどう思っているのか知らないが、家族の中でこの場所で食事をするのに不満を持っていたのは昨日までの私だけだった。
今朝からの私は、どちらかというと落ち着いて家庭的な雰囲気のこの食堂室でなら、高い家具や床一面のカーペット、汚すと厄介な布張りの椅子だらけの自分の部屋よりおいしくご飯が食べられそうだ、と思っており、これで満場一致と相成ったわけだ。
今朝は昨日より早く起きたとは言え、アルマが着替えを持ってきてくれるのを大人しく待っていたので時間的にはすでにブランチタイムだ。
そして、食堂室は今少し恐慌めいた雰囲気に満たされていた。
もちろん、普段なら絶対ここに朝食を摂りに来るはずがないお嬢様の出現によって。
掃除をしていた侍女が一人と、朝の仕事を終えて休憩に来た厩番、同じく小休止中の庭師の3人がいたが、私がここに来た瞬間、厩番と庭師があっという間にいなくなる。
せっかく休憩をしていたところ、完全に邪魔をした形だ。
うわああああ、もうちょっと段階を踏むべきだったかなぁ・・・と内心後悔していると、アルマと同じ侍女服を着た二十歳前後のメイドのシェリーが、手にした布巾を置いてから、お嬢様、こちらへどうぞ、とふわりとした笑みとともに私をテーブルへ案内してくれる。
ここのテーブルは部屋と同じ木製だが、いい感じに年季が入って傷だらけになっており、使い込まれた風合いでほっと落ち着く。
敷かれているのがテーブル全体を覆うテーブルクロスではなく、中央部分だけのセンタークロスなのも、ソース等の液跳ねを必要以上に警戒しなくていいので、私としては大変気が楽だ。
掃除の手を止めて私の面倒を見始めたシェリーは二十歳前後とまだ年若いのだが、年の割には落ち着いており、ちょうど私が生まれたのと同じ年に奉公に来たのもあって、5歳頃までは彼女が私の面倒を見てくれていた。
お嬢様がどれだけ癇癪を起してもおっとりと受け止めて怒らず、アルマが来るまでよく耐えてくれたものだ。
彼女が私の担当から外れたのは遊び相手になる年齢ではないということだけではなくて、たいていの事は笑って流せ、上品で気が利いて客あしらいが大変うまいため私専属にするには勿体ない、というのが大きかったのだろうと思う。
今にして思えば、だが。
記憶には全くないけど、一般的に大変と言われる2歳頃のイヤイヤ期はシェリーのお世話になったものの、自我が芽生えてそれはそれで厄介なお年頃のお嬢様を丸投げされたアルマ、本当にかわいそうにねぇ。
まぁお嬢様があまりにも駄々をこねまくってアルマの手におえない状態になったら、シェリーが出てきてとりなしていたので、今でもまったく関係がなくなったわけじゃないのだけれど。
テーブルについてしばらくすると、ふかふかのパンにたっぷりした野菜のサラダ、温かいスープ、それからベーコンっぽい何かのお肉と、やはり何かわからないけれど何かの卵を目玉焼きにしたものが、シェリーと合流してきたアルマの手によって運ばれてきた。
アルマはオレンジと黄色の間くらいの色の果汁がはいったピッチャーを持っており、それをガラスのタンブラーになみなみと注いでくれる。
お嬢様の好みに合わせて、卵は両面固焼きになっている。
今の”私”の好みは、どちらかと言うと半熟なんだけれど。
明日は半熟がいいなって言うと変かしら?などと考えつつ、両手を合わせて頂きます、とつぶやいて、まずはサラダにとりかかる。
何か知らないけれども葉物野菜がたっぷりと盛られ、トマトのような赤い実が葉っぱの間から覗いている。
葉物野菜はしゃきしゃきしてほんの少し苦味があるのがアクセントになっており、トマトのような実は甘酸っぱい味を想像していたら、びっくりするほど甘かった。
黙々とサラダを食べる私を、配膳を終えて少し離れた壁際に立ったアルマが驚きの表情で見守っている。
朝からずっと驚かせてばっかりだわ・・・
でも、よく考えると昨日までの私は偏食家だったような気がする。
サラダどころか、野菜全般を嫌がって食べなかったような・・・
いや、お肉や乳製品もあんまり好きじゃなかった・・・ような・・・
何食べて生きてきたの?このお嬢様は・・・
うっすら思い出すに、ずいぶんな食品ロス排出っぷりだったような気がしたので、とにかく思い出す努力を全面放棄、黒歴史として封印。
前世の両親は食べ物に関してのしつけが厳しく、なんでも食べないと大きくなれないと言われて育ってきたため、苦手だろうと好物だろうと出されたものは残さない習慣が付いている。
ちなみに、例によって妹には少し甘くて、どうしても苦手なものは一口食べたらそれでよし!となっており、姉妹格差にモヤモヤしたものだ。
そんなほろ苦い記憶とともにサラダを飲みこみ、スープを一口。
丁寧に煮込まれたスープの滋味を楽しみつつ、パンに取り掛かる。
8歳児の手にはちょっと大きい、柔らかい丸パンをテーブルナイフで二つにして、ベーコン(ぽい肉)と(何の卵かわからない)目玉焼きを挟んでかぶりつく。
肉と卵の製造元のことはこの際考えない。
ちょっとサラダを残しておけばよかったわね。一緒に挟めばもっとおいしかったわ、これ。
何の気なしに簡易サンドを作ったけれど、これにはアルマだけでなく隣のシェリーも目を丸くして、おっとしまった今は良家の子女だった、と即座に反省。
でも、ふわふわパンと目玉焼きベーコンサンドの誘惑に勝てず、ふたくち、みくちと食べ進める。
ベーコンと目玉焼きの塩加減が絶妙で、これで目玉焼きが半熟だったらなぁ・・・
トロトロの卵を想像しながらもぐもぐしていると、手のひら対比で大きいと思っていたパンは割とアッサリ姿を消した。
普段の朝食は小さなボウルにシリアル1杯で、朝からこんなに食べる事など久しくなかった私は、若いってすごいわね・・・などと別方向へ意識を飛ばす。
タンブラーの果汁を飲み、スープの残りも片づける。
流石にお腹がいっぱいになって、皮下脂肪のついていない腹部は服の上からでも分かるくらい胃の部分がぽっこりしていた。
ちょっと食べ過ぎなのか、お嬢様の体つきが華奢すぎるのか、はたまたそのどちらもなのか。
ちょうどいいタイミングで、シェリーがミルクたっぷりのいい匂いのするお茶を出してくれる。
ミルクの入った紅茶のような優しい色合いで、においは華やか、一口含むと花の香りの強いミルクティーのようだった。
美味しくって思わず顔がほころぶ。
元々紅茶党だったので、これはとても嬉しい。
しかし旅行先のホテルでもないのに給仕が付くっていうのはどうにも居心地が悪いわね。
お嬢様だから仕方ないって諦めるしかないのかしら。
「あ、の。お嬢様、お菓子の用意があるのですが・・・」
食後の紅茶っぽい何かを楽しむ私に、アルマがおずおずと声をかけてくる。
手にしたお皿には一杯の焼き菓子。
・・・そうだ。お嬢様、好き嫌い激しすぎてろくにご飯を食べないから、主食お菓子だったっけ。
あまりに偏食が酷いこれまでの食生活に、ちょっと頭痛がしてくる。
「ありがとう、でも今日はごはんがとってもおいしかったから、お菓子はみんなで食べてくれる?それとも、午後まで取っておいてくれたらおやつに頂くわ」
頭痛を覚えていることを悟られぬようににっこり笑って言うと、アルマはひきつった笑顔で承知しました、と応じてくれる。
言葉を交わすたびにひきつる彼女の顔を見ていると気の毒なのだが、もう”私”になってしまった以上もとには戻れないので、頑張って早く慣れてもらえるよう努力をしよう。
さて、お腹は一杯になったのだけれど。
この後の事を思い出そうと、8歳児の記憶を探る。
いつも寝て起きて身支度してご飯を食べたら、何をしていたっけ?
・・・・・ああ、そうか。
午後から家庭教師の先生が来るから、自室か書庫で勉強をするんだった。