17. 長すぎるチュートリアルの終わり
今回からファンタジー入ります。
ちょっとホラーかもしれませんので、苦手な方はご注意ください。
部屋に戻ると、先に来ていたアルマがいつも通り先生をお迎えする準備を進めてくれており、教科書や文具が丁寧に整えられたテーブルを見ながら何気なく次の休みのネルガル公子来訪時に私もお出迎えすることを告げると、ソファのクッションの位置を修正していたアルマががばっと顔を上げてこちらを見る。
その顔に浮かんだのは驚き、動揺、それから少しして疑問の表情になり、一度目を閉じて熟考したのちに決意の表情で固まった。
この娘、感情が逐一顔に出て分かりやすいわね。
そんな所もなんか無防備でかわいいわ。
「そうですか・・・。では、いよいよお嬢様も社交デビューですね・・・!」
「うん?」
何の事かしら?
「次のお休みと言うと、明後日ですね!!今日先生をお出迎えする時に練習をしてみましょう!お部屋にお迎えする時と玄関でお迎えする時とは作法が少し違いますから、まずはそこからお勉強ですね!」
「うん?」
何を言ってるのかしらこの子は・・・?
あれ?何か突然また世界線が変わって言葉が通じなくなった・・・?
「じゃ、少しお待ちくださいね!礼儀作法は私よりもシェリーさんの方がいいから、呼んできますね!デビュー戦が大公爵家の公子様なら相手にとって申し分ないです!頑張りましょうね!!」
「・・・何を?」
デビュー戦とか相手にとって不足ないとか、なんだか単語が物騒なんだけど私誰かと戦うのかしら。
・・・もしかして、あの熟考の末の決意のまなざしって、明後日までに私を何とか人前に出しても恥ずかしくない戦士にします的なヤツだったのかしら。
あら?
私ってばまた自分で自分の墓穴を掘った・・・?
・・・まさかね?
だってほら、貴族の社交デビューと言うと舞踏会的なヤツでしょ?
アルマが言ってるのは『ぶとうかい』は『ぶとうかい』でもどちらかというと天下一・・・的なヤツよね?
何か大きな使命感に突き動かされるように部屋を出て行ったアルマを見送り、少しして彼女がシェリーを伴い戻ってきて初めて、私は知ることになる。
これまであまりにも我儘お嬢様だったばっかりに、来客からは遠ざけられ、どこかへのお呼ばれに際してはお留守番を言いつかり、公爵令嬢ミザリー・フェンネルとして公式にお客様を迎えたりどこかへ出て行ったりしたことが今日この時まで一度たりともなかった、という事実を。
2日間、侍女二人と先生による”猿でもできる淑女の振る舞い”緊急対策講座を受けてみっちりとしごかれた私は、今、優雅な笑みを顔に張り付けて来客の到着を待っていた。
私とお兄ちゃんで玄関でまず公子をお出迎えし、お兄ちゃんと公子で父さんの執務室まであいさつに行くという予定になっており、そのあとは例の“親睦を深める”という名目のお茶会だそうだ。
私は玄関だけでそのあとは免除されているので、お客が長尻だったらお兄ちゃん回収ミッション、そうでもなければそれで終了、という段取り。
間もなく馬車が着く時間だということで、現在侍女数人にお兄ちゃんと玄関待機の状態だ。
玄関には待機用の椅子も準備されているけれど、お腹を締め付けられている今の状況で一回腰を落ち着けてしまえば、物理的に二度と立ち上がれなくなりそうなので椅子の使用は控えている。
お兄ちゃんは私に付き合ってくれている形だ。
隅の方に控えたアルマと目が合うと、アルマは小さくこぶしを握って私を激励した後、少し心配そうな表情になって自分の目を指さし、指を使って自分の口角を笑みの形に広げてみせる。
・・・どうやら、目が死んでるからもうちょっとちゃんと笑って、という事 らしい。
彼女の指示に従って私は口角をグイッと上げ、もう一度彼女を見るが、アルマは何度もにこ、にこ、とかわいらしい笑みを浮かべて見せ、私の死んだ目の是正を訴えかけてくる。
ああ、ごめんね。
死んだ魚の目をしてるって前世から言われてるから、これは治しようがない先天的なものなのよ。
生まれて初めて幾分公的な場に出る、ということで、本日のお衣裳はなかなか気合が入っており、何の凹凸もないこどもの胴体締め付けてどうすんのよ、とこれを思いついた人に全力で言いたいコルセットのせいで私のテンションはダダ下がりだ。
いったい助骨になんの恨みがあってこんなにぎゅうぎゅう迫害するの?
助骨はただ内臓を守るっていう仕事してるだけなのにね・・・。
コルセット苦行だけで今日の積徳は定量を軽く超えているはずなのだけれど、加えてドレスがまた地雷原だ。
ぎゅうぎゅう締め付けられて無理やり作り出されたくびれを強調するような、気合の入ったウェディングドレスの縮小版みたいな豪奢なもので、色は紺色と白の取り合わせ。
元々持ってる色が黒と紫な私に似合わない色ではないけれど、落ち着いたデザインも相まってこどもらしい可愛げは薄めだ。
妙齢の婦人が着たら清潔感とエレガントなゴージャスさが同居しつつ、ふとしたところ―――人工柳腰とか―――で色気も香る、みたいなデザインで、正直私には10年早い気がするわ。
こんなもんこどもに着せてお兄ちゃんと同い年のこどもを出迎えさせて、なにをどうしようってのかしら?
髪も編みこまれてアップにされており、紺のリボンで飾りつけられている。
お嬢様の小学生相当にしては大人びた容貌を一層際立たせる髪型だけれど、これも普段が割と野放図なのであちこち引っ張られて不快感しかない。
加えて化粧だ。
やめて!8歳!!まだ肌ピチピチでほっといてもきれい!!って思ったけれど、言えるはずもなく。
うっすら化粧をされてしまい、紅まで差されてしまう始末。
そんな事しなくたってりんごのようなほっぺだし、唇もうるうるのぷるぷるなのにね・・・
あ、でもコルセット後はすごく顔色が悪くなったから予定調和なのかしら。
嫌な予定調和ね。
どうせ今しかすっぴんでいられないんだし、素顔にふわふわの可愛らしい締め付けのないざっくりワンピースとかじゃダメなのかしらね。
それが一番こどもらしくてかわいいと思うんだけど。
この際フリルは我慢するから、ゆるふわお姫様ワンピを所望するわ。
相変わらずスカートの下はスカートを膨らませる以外なんの意味もない布でごちゃごちゃしてるし、下着はひざ上までのかぼちゃパンツ的なやつで何かスースーするし、おまけにコルセットでツルぺた寸胴を少しでもくびれさせようという無駄な努力のおかげで気分は最悪だ。
ちょっと待ってりゃ体は大人になるし、そうすれば腰のくびれくらい自然発生するのに、なんで待てないのかしらね?
そもそも着飾ったりおしゃれすることに興味が薄いたちなので、今のところこれが一番の苦痛かもしれない。
ミザリーちゃん時代は割とおしゃれが好きだったからきっとこんなの何でもないんだろうけど、オールドミスミザリー嬢は拷問レベルでおなか締め付けられてまで可愛い服着たいと思えないわ・・・
それはもはや可愛い服ではなくて拷問器具と呼ぶべきよね・・・
「大丈夫か?やっぱりやめるか?」
唯一隣に立っているお兄ちゃんが、私の顔を覗き込むようにして聞いてくる。
おっといけない、笑顔が消えて死んだ目だけになってたわね、今。
「思った以上に苦しくって。この、コルセットとかいうのが。でも大丈夫よ。お部屋に帰ったらすぐ脱がせてもらえるし、その後公子からお兄ちゃんを取り返しに行くときには元気になってるわ」
意識的ににっこりと笑って見せるも、お兄ちゃんの表情は曇ったまま。
まぁ、化粧で隠してるとは言えあんまりいい顔色している自信はないものね。
「無理はしなくていいからな。苦しいならもう部屋に下がっててもいい」
わーいやったーありがとうお兄ちゃん大好き!!と口走りそうになるのを、ぐっとこらえて笑顔を維持する。
だめよ、だめ。お兄ちゃんの優しさに甘えちゃだめだわ。
ここまで来たんだから、ちゃんと接待しなきゃ朝から今まで拷問器具を着用してる意味がない。
無駄に拷問される趣味なんてないんだから、ここはきっちり仕事はさせて頂くわ。
「ホントに大丈夫よ。でも心配してくれてありがとう。大好きよお兄ちゃん」
感謝を言葉で伝えると、お兄ちゃんは例によって私から視線を外して照れているのを隠そうとするが、頬が赤くなるのまでは止められないようだ。
母さんの挨拶という名の接吻では表情一つ変えない兄が私の言葉に照れているというのは、ちゃんと私が本気で言っているんだと理解してもらえている証だろう。
私はコルセットに締め上げられている人にできる最高の笑顔を浮かべてそれを見ていたが、待ち人の到着を告げるシェリーの声で注意を玄関に戻した。
「ネルガル第二公子、ディートリヒ様ご到着です」
遥か正門の方から一台の黒い馬車が滑るようにこちらに近づいてきて、私は隣の兄に促されて玄関から外に出た。
数人の使用人たちも一緒に出てきて綺麗に整列し、客人を迎える準備が整う。
馬車は速度を落としつつ屋敷の前まで来ると、出迎えの私たちから少し距離を置いて停車し、控えていた使用人が踏み台を持って行って客車のドアを開けると、それを待ちかねていたかのように一人の少年が飛び出してきた。
とん、と少年らしい身軽な足取りで大きな馬車から降りてきた彼は、私たちの方を見ると―――多分顔見知りのお兄ちゃんを見て、だと思うけれど―――にっこり笑った。
チョコレート色の髪に緑柱石のような瞳。
顔立ちは端正と言えるけれど、よく動く大きな瞳のおかげでどちらかと言うと愛嬌がある、という形容詞の方がしっくりくる。
お兄ちゃんが割と大人びてて表情に乏しいほうなので余計にそう思うのかもしれないけれど、開幕の笑顔だけで屈託のない純粋な少年、という印象だ。
これは確かに、お兄ちゃんとは馬が合わないのかもしれない。
「レオ!久しぶり!!」
少年がこどもらしい高い声で言って、またにっこり笑う。
上等な設えの服を着ていなければその辺で遊んでいるこどもと大差ないような無邪気さで、小さく手まで振ってくる少年に、隣のお兄ちゃんを伺うとうっすらと苦虫をかみつぶしたような表情をしていた。
お兄ちゃんの事だから、きっとそのうち完璧に感情を隠ぺいしてしまいそうなので、このうっすらと自分の感情を透けさせた表情を見られるのも今のうちかもしれない。
「・・・ディートリヒ公子、遠路おいでくださりありがとうございます。―――お疲れでしょう。どうぞこちらへ」
お兄ちゃんは『れお、ひさしぶり』をなかったことにしたらしく、貴族らしく完璧な返しで公子をお屋敷へ誘う仕草をするが、今度は言われた公子が苦笑いする。
「相変わらずレオは堅いなぁ。ディートって呼んでって言ったよね?俺たち同い年なんだしさ」
えへへと笑いながらそう言って、公子はとことことこちらに向けて歩き始めようとし、私に気づいておや、という表情で立ち止まった。
「あれ?その子ってレオの妹?」
そうよ妹よでも挨拶するには半端に距離があるのよさっさとこっち来なさいよ、という感情を適宜乗せてにっこり笑うと、私はスカートをつまんで挨拶をする。
・・・くッ!お腹が詰まってて上手い事膝が折れないわ!
それに今口を開いたらカエルが潰れたみたいな声が出そう・・・!
「・・・初めてお目にかかります。ミザリーと申します」
「うわぁ!前から会ってみたかったんだ!ミザリー嬢、俺はディートリヒ!よろしくね!」
今私にできるベストなご挨拶に応えて、握手をしようとしてか右手を差し出しながら、公子が子犬みたいな笑みを浮かべてせかせかとこちらに歩いてくる。
全体的に・・・そうね、悪い子じゃなさそうだけど、年齢相応と言うか落ち着きはない子ね。
お兄ちゃんと正反対だわ。
合わなくても不思議じゃないし、多分隣のお兄ちゃんはまた苦虫な表情でしょうよ。
精一杯の歓迎の笑みらしきものを顔に貼りつけつつ、公子がちょろちょろとこちらにやってくるのを待つ間に、もう少し彼を観察してみることにする。
身長はお兄ちゃんとそう変わらない。
ちなみにお兄ちゃんは背が高い方だと思われる。私の前世の感覚では、だけど。
体つきは少年らしい過渡期の華奢さで、これからどんどん変わっていくのだろうな、と思わせる若木のような生命力に溢れていた。
上等な布で丁寧に設えられた上下は確かに貴族以外ありえないけれど、膝丈のハーフパンツが少年らしい活発な雰囲気を醸し、お兄ちゃんみたいに何かの訓練で怪我するのか、単純によく転ぶのか膝小僧にうっすらと擦り傷の跡が見えるのがさらに元気なこどもの様相を強調している。
チョコレート色の髪は緩くウェーブしており、癖っ毛とか天然パーマというやつなんだろうけれど、整った顔立ちと相まって西洋の絵画に描かれる美しい天使のようだ。
エメラルドの瞳は好奇心できらきらし、この世に悪意や悲しみがあるなんて知らないような無邪気さでこちらへ駆けてくる。
表情は感情がそのまんまダダ漏れしているし、動作も落ち着きがなくてなんかホントに子犬っぽいわ。
こんな貴族もいるのね。
・・・私の知ってる貴族って、うちの家族だけだから限定的すぎるってのはあるかもしれないけれど。
第二公子だから長子であるうちのお兄ちゃんと違って気楽なのかしら?
こどもらしいのは可愛いけれど、ちょっと危なっかしくもあるわね。
あーあー、そんなこっちばっかり見てないでちょっとは足元見ないとここは悪名高い地獄の一丁目なのよ?
「あっ!」
小走りになっていた公子が、私たちの目の前で盛大に石畳に足をとられる。
あー、だから言ったじゃない。覚悟なさい、坊や。痛いわよ、石畳は・・・。
べちん、と音を立てて、公子が顔面から石畳に落ちる。
うわ。どこかの私みたいな潔い倒れっぷりじゃないの・・・。アレは痛かった。ホントに痛かった。
公子は私のようにとっさに頭をかばう事すらできなかったようで、その惨状に私は思わず視線をそむけようとして、できなかった。
石畳に躓き、バランスを崩し倒れる少年の体。
勢いよく地面に叩き付けられる。
なす術なくべたんと伸びた少年の方から、転がってくるもの。
それは、石畳の凹凸を物ともせずに転倒の勢いのまま転がって、真正面にいた私の足にこつんと当たってから止まった。
半歩、下がる。
そして、目が合う。
少年の、体からとれた首と。
首だけになった少年は、私と目が合うと頬を真っ赤にして。
「っ!?ぎゃあああああああーーーーーーー!!!!」
どこか遠く、遠雷の音を聞きながら、私の意識は闇に呑まれた。
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増えたり(*゜∀゜*)減ったり。゜(゜´ω`゜)゜。するたびに一喜一憂しております。
今回更新でストックを吐き出してしまったので、次回から不定期更新になります。
え、こんなところで!?ちょっと続きは!?と思っていただけたならありがたき幸せ。
またのお越しをお待ちしております。