14.
父が一番最初に硬直から立ち直り、がたんと音を立てて立ち上がると同時に椅子をひっくり返す。
一瞬しまった、という顔で椅子を見てから、ともかく今は用事を優先させる事にしたらしく、そのままわたわたと食堂を出ようとして自分で倒した椅子の足に引っかかり、たたらを踏む。
母が慌てて立ち上がって父を支えようとするも、それよりも後ろに控えたできる侍女、アルマのほうが早かった。
アルマに支えられてどうにか転倒を免れた父は、逆にアルマをがっしり捕まえると、ジークを呼んでくれ、と頼んだ。
多分自分で呼びに行こうとして、色々ありすぎてちょっと体がついていかなかったのだろう。
アルマはさっと身をひるがえして食堂を出て行くと、父が自分で倒した椅子を起こして座りなおす頃にはバタバタとジークを伴って戻ってきた。
ジーク・ランドロフ・アルメイダ
白灰色の髪に怜悧な光を宿した青の瞳。
20歳そこそこの若さながら父の信頼厚く、”私”になってから会うのはこれが初めてだが、いかにも仕事ができる、という堅い雰囲気。
そう、彼こそが父の副官にして、お嬢様だろうと次期当主だろうと悪いことは悪いと叱るこの家の使用人頭なのだ。
彼を目にした瞬間、私の体がぶるりと震える。
そういえばこのお嬢様、2,3度彼にこっぴどく叱られてたっけ。
アルマとともに簡易会議室と化した食堂へ入ってきた彼の刃の瞳が部屋を睥睨。
その視線が私をかすめた時、体の防御反射か思わず目をそらしてしまう。
すごいわね、実際に怒られたわけではない私が主導権を握ってる今になってすら、なんだか彼に見られているだけでものすごく居心地が悪いわ。
「お久しぶりです、レオンハルト様、ミザリー嬢」
愛想のかけらもない声であいさつをされて、まずは隣の兄が「アルメイダ殿もお元気そうでなによりです」とこれまたこどもらしくもない淡々とした口調で返す。
次は私の番。
一瞬声が出なかったけれど、別に何もやましいことがない私は、拒否する体を制してにっこりと笑う。
大丈夫。剪定ばさみを持ったガーランドさんに比べたら、こんな兄さん怖いのうちにも入らないわよ。
「アルメイダ様、いつも父がお世話になっております」
丁寧に頭を下げれば、表情こそ変わらないものの、父のわきに控えた彼の目にわずかに驚きの色。
なんだこいつ、こんなだったか?とでも思ってるんでしょうね。
ええ、結構よ。
婦女子三日会わざれば括目して見よ、よ。
それに今日はすでにかなりやらかしたので、今更だわ。
「すまんがちょっと聞いてほしいんだが、領軍に通信専門部署を立ち上げようと思うんだ」
一通り挨拶が終わったのを見届けた父が、傍らの副官に椅子をすすめながらそう切り出す。
ジークはそれを固辞し、いぶかしげに眉を曇らせて問い返す。
「通信部署、ですか」
「ああ。領地全体を通信網で結んで、情報を収束させながら同時に共有するんだ。えーっと、なんだったか、駅伝制ってのを使うといいらしいんだが・・・」
そこで父がこちらを見てくるので、私はどうしようか一瞬迷う。
父の視線と一緒に移動してきたジークの視線が、私をためらわせる原因だ。
手紙レベルでの効率的な情報収集システムの構築に口を出したいのは山々だけど、あっけにとられるばかりの家族と違って、彼は追及が厳しそうだ。
前世の記憶があるなんて言っても絶対信じてもらえないだろうし、私の垣間見た範囲でのこの世界の文明レベルでは、半端にそんなことを言おうものなら下手をするとキツネ憑き扱いだろう。
座敷牢に幽閉なんてごめんだわ。
・・・キツネ憑きとか座敷牢とか、感覚が前世だけれどこっちでも多分似たような概念はあるだろう、きっと。
ああ、もうちょっとうまくやればよかったわね。
後悔先に立たずだけど。
「エキデンセイというのは具体的にどんなシステムですか?必要な時に早馬で手紙を送る今のやり方のままではいけない理由はあるのですか?今のやり方でも何か事が起こればすぐに報告は上がってきます。手紙を運ぶ速度を飛躍的にあげられるわけではないのなら、税から予算を割いて、軍から人手を出す納得できる理由が欲しいですね」
ジークにびしりと言い返されて、父が小さくなる。
困った犬のように眉尻を下げ、大きな体を小さくした父がこちらを見てくるけれど、ちょっと待って、もうちょっと考えさせて頂戴。
母と兄は何も言えずにただ私たちの間を視線で往復するだけだ。
ジークの言う現状のままでも不便はないのに、経費と人員を割く価値があるのか、というのはもっともな問いだが、隣国といつ戦争になるか分からない状況なら、情報の速度と精度は何より大切だろう。
情報次第で初動対応に差が出ることを、8歳児に可能な範囲で誘導し、自分で気づいてもらうことってできるかしら。
・・・うん、ちょっと荷が重いわね。
でもこのまま父さんを放っておくのもかわいそうだし、戦争になって命がけで戦うのは領軍の兵士たちだ。
彼らの生存率を上げるのは、何をおいても訓練と情報だと私は思う。
せっかく生まれてきたのだから、不慮の事故や戦争なんて愚にもつかない理由で死ぬのはバカバカしいわよ。
一回不慮の事故で死んだ私が言うんだから間違いないわ。
でも私もせっかくの二度目の人生。
今度こそは平和に自由に生きて、老衰で死にたい。
座敷牢につながれて、キツネ憑き呼ばわりされることなく。
「アルメイダ様。わたくし、父様、母様が長い間ご不在で、とっても寂しかったの。寂しくて寂しくて、どうにかそれを紛らわせたくて、先生のお話を聞いたり、たくさん本を読んだわ。」
とりあえず、知識を得た理由づけと言い訳を考える。
こどもなのに妙な事ばかり知っているのが問題点なので、なぜこの知識を得るに至ったか説明し、先に追求を封じる作戦だ。
いざとなれば泣いてうやむやにするという女子ならではの禁じ手もある。
うまく泣けるかちょっと不安だけど。
みんなの視線が集まってくるのを感じつつ、私はジークをひたと見据える。
苦手な相手の目を見るのって、苦痛だけれど仕方がない。
でも今や私と彼の間には、四捨五入すれば10歳の年の差がある。
10歳も年下の、成人したてのぼっちゃんにいいようにされるほど、私は初心ではないわ。
「たくさん勉強して、早く大人になれば父様母様にこうして家に置いて行かれることはないと思ったの。なにか役に立てれば、父様も母様もそばに置いてくださると。だから、本で得た知識と、少しだけ自分で考えたことだから、きっとたくさん間違っているわ。そこは大人たちで補完して、ひとつの案として聞いてください。」
これで盾はとりあえずできた。
禁じ手を使うかどうかは、あとは彼次第。
一呼吸おいて、先ほど父さんの話を聞いて思いついた案の先を続ける。
「父様が教えてくださったのだけれど、この国と隣国はいつ戦争が始まるか分からない程度には緊張関係にあり、この領地はそんな隣国と陸続きで国境を接しているのよね」
確認ともいえるそれに、ジークは浅く顎を引いてうなずく。
その瞳には懐疑の色。
「今は必要な時に手紙を出して情報を届けているそうだけど、それを恒常的に領土全体でやればどうかと思うの。―――待って、最後まで聞いて」
口を挟みかけたジークを、有無を言わせぬ視線で制する。
これまでではありえない私の態度に、とりあえず開きかけた口を閉じてはくれたものの彼の瞳の疑念が濃くなる。
「確かにコストも人員も必要になるわ。けれども、情報がどれだけ頻繁に、どれだけ早く、どれだけ多く手に入るかによって、それをもとにして次にとる行動を決めるとき、選択肢は広がる。国境沿いの大きな町すべてに情報を収集・発信する機関を置いて、毎日日報でも書かせて送らせたら。どうなると思う?―――これは、無駄なことかしら?」
その問いかけに、ジークは一旦私への疑念を置いて、眉根を寄せて考え込む。
無駄に緊迫した空気感に、父はハラハラと私たちを見守っている。
・・・あなたも考えたほうがいいと思うわよ。
「・・・全体の動き。そうか、広い視野が手に入る」
独り言のようなその呟きに、私はひとつ頷いて肯定する。
「そうよ。それに、それだけじゃない。各地の毎日の日報を一か所に集めて情報分析官なり専任者にまとめさせて記録をつけておけば何かが起こる前兆の段階で気づけるかもしれない。
隣国からの侵入についてもある程度情報が揃ったら、相手に対策されるまでは統計からより正確に相手の動きを読むこともできるでしょう。
さらには前線から父さんのいる場所まで、2点を結ぶだけにせず、前線の拠点同士で父さんに集まる情報と同じものを共有化できれば、国境の端と端がそれぞれの状況を把握していることになり、応援要請なんかの効率化も図れるわ。そしてそのネットワークを領地全部に広げれば―――」
「・・・どこかで何かが起こるたび、情報網が生きている限り時間差があれど領地全体で情報共有できる、ということですか」
「そうね。嫌なたとえだけれど、東のほうで水害でもあったとします。その情報はすぐに領土全域が知ることになり、逆に同じネットワークを介して東の住民たちにどこへ行けば仮のおうちや食事にありつけるか知らせることも可能よ。戦争が起こるかもしれない今この時のためだけのシステムではなく、一度コストと人員を割いて構築しておけばいろんな使い方ができるわ」
なんと言っても前に住んでた国があまりにも神様それは酷くない?というようなありとあらゆる天災を取りそろえた災害デパートだったので、自然災害にはとにかく政府のレベルで万全の備えをしておいていただきたい。
戦争なんかの人災は政治で避けられるけれど、天災は神様に祈ろうが何をしようが起こるものは起こるし、どんな規模のがいつ来るのかはまさしく神のみぞ知る。
ここはちょっと念入りに押しておきたい。
しばらく黙考していたジークが、ふ、と顔をあげる。
「・・・税収に見合う程度のものしかもちろん作れませんが、一度見積もりをするくらいの価値はありそうですね」
よし!プレゼンは八割がた成功ね。
内心ガッツポーズをするけれど、まだ成約が取れたわけではない。
ダメ押しとかなきゃね。
「できれば見積もりと並行して領軍の訓練の一環でも何でもいいから、とにかく一度やってみてほしいの。
とりあえず大きめの町に馬と人とを置いておいて、次の大きめの町まで手紙を運んでもらう。そしてそこで別の人に交代して、次の町へ。
行った町でその町に集まった情報を得て、それを持って元の町へ戻る、を繰り返せば、うまく中継地点をつなげば全土の情報が揃うわ。
そうすれば人員と馬はたくさん必要だけど、一人あたりの負担は減るから敬遠されるようなキツい仕事にはならないと思う」
やり方の説明を一通り終えてほっとしていると、単純に私の提案を吟味して検討していたジークの思考が通信網の構築から離れ、”私”を見る。
上手に感情を殺しているが、その目は確かに得体のしれないものを見るそれで、鋭い警戒の色が見て取れる。
その視線に気づかないふりをして、私のほうでも彼に要注意人物のレッテルを貼る。
父さんが家にいるということは、これからは彼との接触頻度も上がるだろう。
キツネ憑き扱いされないためにも、彼との接触は最小限にせねば。
しかし心配していた追及はなく、父さんとジークは早速通信網をテストしてみるつもりらしく、中継基地を置く街を選ぶためにいつになくギスギスした雰囲気の食堂から出て行ってしまった。
やれやれだわ。
全然うまくやれなかったし一番話し合いをしたかったポイントはずれてしまったしで、散々だわね。
父とその副官を見送って、私は第一回家族会議の成果に思わずふう、と大きくため息をついた。
明けましておめでとうございます。
本年もゆっくりですが更新いたしますので、よろしくお立ち寄りください。