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12.

いよいよ、その日はやってきた。

ついに今日、父さんと母さんが帰って来るのだ。

”私”が目覚めてからすでにふた月以上が経過しており、季節はすでに春過ぎて夏来にけらし、という具合。

そしてこれが、現世の両親との初対面。

前から一度見てみたかったのよね、娘に”ミザリー”なんてろくでもない名前を付ける親の顔。


その日は朝からアルマの気合がみなぎっており、いつも通り適当に着替えようとしたら今日はこれです!と手にした白のセミフォーマルなお嬢様ワンピース一点張りだった。

かわいいんだけれど、フォーマル度合いが上がるにつれて着心地というのは下がっていくのよね。

アルマの手にある白いワンピースもかっちりとした型どりで、胸の下で切り替えがあり、ウエストもリボンで絞れるようになっている。

しかも姫袖で襟裾はここぞとばかりにリボンやレースで愛らしく飾られている。

もちろんスカートの下にも、あの、なんて言ったっけ、スカートをふんわりさせるヤツを履かなければならないのだろう。

ああ、考えただけでうんざりするわね。

私としては、寝間着のようなだるっとしたざっくり暗色ワンピースのほうが着ていて楽で好みなのだけれど。

もちろん、スカートをふんわりさせる以外何の役にも立たないあのアレは全廃棄で。

理想はあれ。

14歳で独り立ちした魔女の少女が、せめて菫色だったらよかったのにと文句を言いながら着ていた真っ黒なシンプルワンピース。

白だと汚さないようにするだけでも大変なのよね。

姫袖って腕まくりできないし、レース類は何かの拍子に引っかかったりするので注意が必要。

パニエだかペティコートだかバッスルだか知らないけれど、スカートをふんわりさせるためだけに履くヤツとドロワーズで下半身ももじゃもじゃして落ち着かないし。

洗濯物も削減できることだし、動作も軽快になるし、私としてはスカートの下はパンツ一丁を推したい所存よ。

・・・言えないけど。

普段はスカートを膨らますやつとコルセットは免除されているので、“普段”の範囲を拡大しつつ令嬢としてマズくない程度の落としどころを探っていくのが現実的ね。


今日のお衣裳で明らかに下がった私のテンションを気にするでもなく、アルマが早速着替えを手伝ってくれようとするのを辞して、諦めた私は彼女セレクトの接待服に着替え、第一の試練:朝食へ向かった。

スープや果物果汁の液跳ねに気をつけなくては。

食堂には兄が来ていて、これから食事を始めるところだったようだ。


「おはよう、お兄ちゃん。昨日はありがとう。おかげでとっても楽しい夢を見たわ」


正面に腰かけながら昨夜のお礼を言うと、スープを口に運んだ兄は匙を口にくわえたまま小さく一度うなずいた。

お行儀が悪いけれどかわいいから許す。

彼付きのメイドのマリアンナが、おはようございますと私に挨拶をくれて、私からも挨拶を返す。

それから、彼女は小さな主人に話しかける。


「そういえばレオンハルト様、昨夜も寝室にお水を届けに上がった時、お部屋にいらっしゃらなかったけれど、ミザリー様とご一緒だったんですか」


金というよりクリーム色の髪にビー玉みたいな淡い青の目のマリアンナはアルマと同じ15歳なのだが、ふんわり上がった口角にとろんと垂れた目じりのおかげでいつも笑っている犬みたいなイメージだ。

アルマもかわいいけど彼女もかわいい。

あいにく今日はシェリーは不在で、多分両親を迎える準備で忙しいのだろうけど、食堂には私と兄、アルマとマリアンナの四人だけだった。

ほんとにみんな可愛くて眼福だわ・・・。

ああ、使用人でいいから27歳のまま転生してきたかったわね・・・

そうしたら不在がちな当主夫妻に代わって、みんな思う存分かわいがれたのに。


益体もないことを考えていると、アルマが私にもスープを持って来てくれて、木の匙を手に取って意識を現実に戻す。

なんと言っても、白い服に液跳ねは厳禁だ。

ただでさえしみ抜きは面倒なのに、ここにはしみ抜き専用の漬け置き洗剤など存在しないのだから。

内心の緊張感とは裏腹に、肉と野菜を丁寧に煮込んだコンソメ仕立てのようなスープの香りに、私のおなかが小さくくう、と鳴る。

今日もおいしそうね。

誰かに作ってもらったごはんなんてほんとに久しぶりだから毎食ありがたく頂いているのだけれど、今日は白い服だから純粋に食事だけを楽しめないのが恨めしいわ。

ふう、とため息ひとつついて、気持ちを切り替える。

液跳ね厳禁。でも、食事は楽しくおいしくいただく。


「昨日はお兄ちゃんが来てくれて、私が眠るまで本を読んでくれたの」


スープに匙を差し入れつつ、一向にマリアンナに答えようとしない兄に代わって私が返事をしておく。

嬉しいことに、こうして会話をしながらの食事はすでに日常風景になっている。

マリアンナはぱぁっと花が咲くように笑うと、まぁ、と嬉しそうに感嘆を漏らした。


「レオンハルト様もお小さいころよく奥様に」


ごんッ!


マリアンナの言葉はアルマがテーブルに置いたサラダボウルの鈍い音によって遮られる。

ああ、マリちゃん、あなたもう少し空気読めるようになったほうがいいわね・・・

明らかに、”奥様”とはお兄ちゃんのお母さんの事だ。

今日帰って来る現役奥様こと、私のお母さんの事ではない。

アルマのフォローで一旦ぶつ切りにできたけど、兄には亡き母を思い出させて私には”奥様”は兄の母であり、決して私の母ではないと突きつけるような全方向への攻撃だ。

しかも発言者本人に悪気がないからたちが悪い。

みんなの前で大切な思い出をつつかれ、母の死を再確認させられた兄は沈んだ表情になり、匙を持った手が止まる。

ここはひとつ、しばらく封印していたあれをやる時ね。

私はテーブルにあった籠からふかふかのパンをとるとテーブルナイフで切れ込みを入れ、アルマがサラダと一緒に運んできてくれた贅沢厚切りハムを挟んだ。

そのハムの上に切ってもらったチーズも挟む。

そして、お行儀の悪さを見せつけるように齧りついた。


「もう!お嬢様ってば!その食べ方はいけませんって!」

「あら、おいしいのよこれ。本当は葉物野菜も挟むともっとおいしいんだけれど・・・」

「だとしても、仮にも公爵家のお嬢様の召し上がり方じゃありません!」


最初に一回やらかしてから反省し、すっかり封印していた簡易サンドイッチだったので、兄に見せるのはもちろん初めて。

突然の騒動に現実に引き戻された兄が目を丸くしてこちらを見る。

正確に私の意図を察したアルマが、わざと大きな声で注意してくれたのも効いている。

やはりアルマ、わがままお嬢様付きになるだけあって、できる侍女は一味違う。


「お兄ちゃんも食べる?パンに好きな具を挟むだけだから簡単だし、おいしいのよ」


私は籠からパンをもう一つ取ると手早く切れ目を入れて、自分の皿からもう一切れ、チーズを乗せたハムをつまむと切れ目に挟み入れ、それをそのまま兄に差し出した。


「ミザリー様!レオンハルト様にまで伝播させないでください!!」


すかさずアルマがつっこんでくれるけれど、にこにこと満面笑顔でお行儀の悪い食べ物を差し出すと、ちょっと気圧されたような表情でおっかなびっくり伸びてきた兄の手に特製サンドを載せる。

そして私は再び自作のサンドに齧りついた。

肉汁と溶けたチーズが服に垂れないように細心の注意を払いつつ、注意して繊細に食べているのを悟らせないように。

目の前でむしゃむしゃとおいしそうに咀嚼する私に、兄が手にした特製サンドにゆっくり口をつける。

もぐ、と一口食べて、二口目から躊躇がなくなり、もぐもぐと食べ進める。

どうやら気に入ってくれたようね。

外でやらないように後で注意しとかないと。

兄の好反応と正比例するように、アルマの眉尻は下がっていた。

ごめんね、アルマ。

でもおかげさまでお兄ちゃん、お母さんの思い出にあまり浸りこまずに済んだみたい。





食事を終えてしばらくすると、シェリーが父さんの到着を伝えに来てくれたので、お兄ちゃんと連れ立って出迎えに行く。

今日はお勉強はお休みだ。

玄関の広いホールに着くと、ちょうど父さんがずらりと並んだ使用人たちに迎えられて入ってきたところだった。

外に向けて開け放たれた扉から屋敷に入ってきた偉丈夫は、私と兄を見つけて峻厳だった相好を崩す。

兄よりやや色味の暗いシルバーグレーの髪に、兄と同じサファイアの瞳。

通った鼻梁は兄そっくりだが、白皙という言葉がふさわしい兄と好対照な日に焼けた肌。

少々くたびれた旅装に無精ひげという姿だったけれど、それでも父さんは立居ぶるまいから王者の風格というか、貴族の威厳が感じられた。

そんな父が、出迎えた私と兄に目元を和ませて唇に笑みを載せ、飛び立とうとする大型の鳥のように両腕を広げてずんずんとこちらへやってくる。

開け放たれた扉から、外からの風が原野のにおいをたっぷり乗せて吹き込んでくる。

いつもの前庭のにおいとは違う、父さんが駆けて来たどこか遠い場所のにおい。

それに触発されるように、8歳の私の記憶から緊急入電。

お父様にハグされるのは嫌いじゃないけどおひげが痛い。あと、時々ちょっとしつこい、とのこと。

よし、これは回避ね。



ミザリー、レオンハルト、と私たちの名前を呼びながら父さんが目前に迫ると、私はアルマに教え込まれた貴族令嬢式のスカートをちょっとつまんで膝を折るあいさつで出迎える。

そして、そのままの体勢から眼前に迫った父の腕の下を体を半回転させてすり抜ける。

回避成功。

華麗なスルーステップで父をかわし、私が後方に逃げると、兄の手前で父がぴたり、と止まる。

私の位置からではその逞しい背中しか見えないが、父の表情がよく見える位置にいる兄の表情が固い。

結構なショックを受けたと見える。

後方に逃げてニコニコとほほ笑む私に、油が切れた機械のようなぎぎぎと音がしそうなほどぎこちない動作で父が振り向く。


「ミザリ・・・?なんで逃げる・・・?」


さきほどまでの満面の笑みから一転、信頼する相手に手ひどく裏切られたような表情。

多分、現在進行している現実に重ねて前回帰っていらした時の私の対応を思い出しているのだろう。

前回はまだ”私”のダウンロード前の旧バージョンだったので、健気な8歳児はハグどころか頬ずりまで許していて、「お父様、おひげがちくちくしてくすぐったいわ!」なんて『髭痛い即刻停止を求める』をオブラートで二重三重にくるんだ接待仕様のお出迎えをしている。

あれを期待していたのなら、この裏切られたような表情も妥当。

リトライされても困るので、私はあくまで笑顔は崩さないまま、その笑みに”何度いらっしゃっても謹んでお断り致します”という感情を的確に滲ませる。

これは8歳児にはどう頑張っても無理な芸当だが、そこは前世27年の貫録、父さんとそう変わらない精神年齢となった今の私には朝飯前だ。

にこやかな笑顔だが、しかし目だけ笑っていない私に、何かを察した父が傷ついた表情になる。

そして私の事は一時保留にすることに決めたらしく、くるりと兄に向き直る。


「た、ただいまレオンハルト」


兄に向けて改めて両手を差し出した父は、しかし前進した分だけ正確に後退して距離を詰めさせない兄という現実を叩きつけられて、今度こそ無言になる。

あら、お兄ちゃんも逃げるのね。

確か前回は・・・そうね、私が父さんの餌食になったから、お兄ちゃんはハグも頬ずりも免除されたのよね。

別に、兄もこのミザリー嬢も父さんが嫌いというわけじゃない。

私に根付く8年の記憶から、それは確かだと言える。

でも多分お兄ちゃんは積もり積もった愛情不足で素直に甘えられなくなっているのだろうし、”私”はすでに精神面では親離れが完了している。

頑張ってお兄ちゃんとの関係を修復してね、父さん。

ミザリーは諸事情あって大人になったので、もうスキンシップは控えさせていただくわ。



せっかく帰ってきた主が私にも兄にも避けられて、居並ぶ使用人たちも妙に緊張している何とも言えず冷え切った空気の中、玄関の扉の向こうにもう一台馬車が滑り込んできた。

さて、次は母さんのご帰宅だ。

あまりにも非情な現実にすっかり固まっていた父が、伴侶の到着に玄関を見やり、馬車から降りてきた母と私の間をちらりと視線で往復する。

母は不穏な空気に全く気付かず、久しぶりの我が家と家族に笑みを浮かべた。


「ただいま、あなた、レオンハルトさん、ミザリー」


順に家族を呼びながら、父と同じく略式の旅装の母が玄関ホールに入ってくる。

この時ばかりは”美人だけど性格悪そう”の”性格悪そう”部分が鳴りを潜め、少し疲れをにじませながらもほっとしたように笑う姿は文句なく家庭的な優しいお母さんのそれだ。

馬車の窓を開けて疾駆してきたらしく、私と同じ黒髪は風に吹き荒らされて乱れ、同じく風に当たった頬はほのりと紅く色づいている。

瞳の色は私と同じ紫なのだけれど、私よりも明度が高い夜明け直前の空のような色。

唇は甘い蜜を含んだようにふっくらとほほえみ、家族を心から慈しむ表情を浮かべた母は本当に幸せそうで美しく見える。

乱れた髪を手で整えながらこちらへ歩いてきた母は、私にちらりと視線と笑顔を寄越してからまず兄の前にしゃがんでただいま、レオンハルトさんと声をかけ、それから父とあいさつを交わす。

その後で私を振り返った母はそれまでの満ち足りた笑顔が薄れ、ほんの少し訝しげだ。

それもそのはず。

前回までの旧バージョンでは、母の姿を見た途端走っていって飛びついていた私が、一歩引いて母の挙動を見守るだけなのだ。

けれど旧バージョンはサポートが終了して新バージョンにアップデートされたのだから、あくまで新バージョンのやり方で行かせてもらおう。


「ただいま、ミザリー」


これまでのように飛びついて行かない私に少し戸惑ったように、母の方から寄ってきて兄にしたようにしゃがんで視線を合わせてくれる。


「お帰りなさい、母さん」


母が頬に触れようとこちらへ伸ばした手を、歓迎の笑みは崩さないままお兄ちゃん式に後退回避しつつ挨拶を返す。

手の届かないところへすっと逃げた娘に、母の手が着地点を見失い彷徨う。

その母の後方では、再度繰り返された私の他人行儀な対応に少しほっとしたような嬉しそうな父と、再び空気が凍ったのを敏感に感じ取って表情を硬くする兄。


「・・・み、ミザリー?」


母の声に当惑が濃く反映され、瞳に心配の色がかすめる。


「はい?なぁに?母さん」


私はことさらにこにこ笑顔を作り、”なにもおかしなことなんて起こっていないわ”と態度で強調しておく。

母がまた伸ばしてきた手を半歩下がって拒絶すると、やっと事態を理解した母は後ろに控えた父を振り返り、何が起こっているの、と目顔で問うているようだった。

それにこたえるように父が小さく首を振る。

まぁ、今日はほんのご挨拶。

本番は明日なんだけどね。


「父さんも母さんも長旅お疲れでしょう。今日はどうぞゆっくりなさってね。私はこれで失礼させていただきます。では。」


未だに困惑の沼の中にいる両親にそう告げ、私は一度礼をするとさっさと部屋に引き上げることにした。

あとは明日のプレゼンに備えて最終確認だ。

取り残された両親が呆然とするのをよそに、私はいそいそと自室へ戻っていった。


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