11.
それから、兄の態度は日ごとに軟化していった。
懐中時計を捜索した日から数日後には冤罪で部屋を荒らした謝罪を受けて私からもこれまでの事について改めて謝り、半月も経つ頃にはほとんど毎回食事は一緒に摂るようになったし、午後の自由時間も書庫で会うことが多くなった。
目当ての本が見つかったらすぐに出て行ってしまうかな、と思ったのだけれど、私がいても気にせずに窓辺のソファにゆったり腰かけて本を読む日もよくあって、同じ空間にいることに対する拒絶反応はなくなった。
これだけでもすごい進歩なのに時々お茶だって一緒にするようになったのだから、最初のころとは比べ物にならない関係改善度合いだ。
この半月、少しずつ兄と兄妹らしく過ごせるようになっていく中で、私は自由時間の多くを両親への要望書を作成することに割いていた。
二人ともいつ帰って来るかもわからないため、アルマの助言を受けて先日二人へ手紙をしたためて出してある。
スケジュールを調整して、二人同時に半日程度時間が欲しい、という内容だ。
これまでの傾向から考えるに、二人同時に家に半日いる、というのは何かしらイベントごとがある時くらいなので、そう簡単に調整がつくものではなさそうだが、今回ばかりは譲れない。
そもそも、“私”が前世の記憶を取り戻してから大方二か月が経過しようとしているのに、その間どちらも一度も帰ってこず、何度か手紙が届いたくらいだ。
そんなわけで、私の今日の仕事は近日中に帰ってくるかもしれない両親への要望書の最終チェックだ。
前世が事務職だったので、正式かどうかにかかわらず書類はある程度きちんとした体裁で作成しないと気持ち悪いため、何度も下書きして校正してから5枚分手書きで同内容の要望書を作成してある。
父、母、兄、私にそれぞれ1枚と、控えの1枚で5枚だ。
しみじみ思ったけれど、コピー機ってホント便利よね。
ここにも印刷技術はあるようなんだけど、書庫を見ていると写本と思しきものも結構混じっており、気軽にコンビニでコピーできていた前世とは雲泥の差だ。
転生って未来に向けてするものだと思っていたわ。
まさかこんなローテクな時代に転生するとは。
幸いお嬢様はすでに読み書きができ、混乱するかなと思ったけれど集中すれば日本語ではなくこちらの言葉で書くのもそう難しくなかった。
日本語と英語をスイッチして使い分けるような感覚だ。
もちろん前世の記憶に基づいて、日本語も書けるのよね。
だから何って感じだけれど、日記とかは日本語で書こうかしら。
そうすれば暫定私以外誰にも読めない暗号文だものね。
ああ、でもきっと、100年とか200年後に子孫が見つけて、ひと騒動あるのかもしれない。
ヴォイニッチ手稿みたいな読めそうで読めない謎の読み物として。
・・・いやだ、ちょっと面白そう。
私は日記帳を入手次第日記をつけることに決めて、あとで日記帳の入手についてアルマに相談しよう、と心の中にメモをした。
普通の日記にしようかしらね?
それとも、思い切って前世の記憶が蘇った経緯なんかも書いちゃおうかしら。
どうせ誰にも読めないものね。
この先いつか起こるかもしれない、私の日記に起因するひと騒動をこの目で見られないのが惜しいわ。
はるか未来の事を思って思わず口元をほころばせていたら、それを見た兄が「面白い本なのか?」と寄ってきた。
そう、今日も二人して書斎にいる。
要望書くらい部屋でも作れるのだけれど、こちらの契約書フォームも参考にしたいのでいろんな資料がある書斎での作業が定番になっているのだ。
それに、ここならお兄ちゃんからの聞き取りもできるしね。
「本を読んでるわけじゃないの。ちょっと思い出し笑いよ。・・・次、父さんと母さんが帰ってきたら、お兄ちゃん何がしたい?」
面白い本があるのかと私の作業している書斎机までわざわざ来たのに、手元にはいつもの紙やら古い契約書の束しかないのをいぶかしんでいる兄に言い訳して、ついでに希望を聞いてみる。
「したいこと?・・・いや、別にない」
兄はほんの束の間考えて、バッサリと切って捨てるような答えをよこす。
あーあ、知らないわよ、父さん母さん。
まぁあれだけ色々と酷かった妹の事も許してくれた器の大きな兄だから、今からでも修復はできるかもしれないけれど。
「・・・ミザリーは?何かあるのか?」
私が座る書斎机の椅子の横、窓の下にある円形のスツールにすとんと座った兄は、まっすぐに私を見て同じ問いを返してきた。
私は思わず苦笑する。
「そうね、一緒に遊んだり、お散歩したり、お話したり、あと、夜寝るときに本を読んでもらったりとか・・・どうかしら?」
別にそんな事がしたい、してほしいわけじゃないんだけど、こどもが親の愛情を感じられそうな事というとそんな感じかしら。
妹ができるまで、幼稚園頃までは夜眠る時に母が添い寝で絵本を読んでくれたっけ。
少しだけ懐かしい。
前世の母を思い出してちょっと寂しい表情をしてしまったのか、向かい合った兄の表情も曇る。
「・・・本、読んでやる」
「え?」
私から視線を外してぽつりとつぶやくように言った兄に、一瞬理解が追いつかずに問い返す。
「夜寂しいなら、本くらい読んでやる」
相変わらずこちらは見てくれないものの、少しだけ頬が赤い。
窓から差す光を浴びてキラキラ輝く銀の髪に、深い藍の瞳。
それに白磁の頬を照れでうっすら染めた美少年が、ちょっと恥ずかしそうにぶっきらぼうに妹を気遣っている。
自分だって絶対寂しいのに、お兄ちゃんとして、妹が寂しくないように精一杯強がってお兄ちゃんぶってくれている、ということだろう。
なによこの子ホントに健気でいじらしくてかわいいわ!
弟だったら遠慮なくかわいがり倒せたのに、残念ながら彼は兄。
妹にかわいがり倒されるのは幼くとも男としてのプライドが許さないだろう。
私は下唇を噛みしめて、カワイイを連呼しそうになる自分を戒めた。
さすがに見た目年下の女の子にかわいいかわいい言われたらいい気がするわけがない。
特に今は、”お兄ちゃん”として強がってくれているのだから。
ああ、こんなかわいい子を放って仕事にばっかりかまける両親の気が知れないわ。
仕事が大事なのは十二分に理解できるけれど、それだけじゃないでしょう。
返事をしない私の様子をちらりと見た兄は、急に気恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、じゃあなと言って書斎を出て行ってしまった。
うん、大丈夫よ。
後は私に任せておいて。
もう絶対に、お兄ちゃんを寂しくなんてさせないわ。
ちなみにその夜、いろんな物語が採録された大きな本を抱えた兄が寝室に来て、私が眠る(正確には眠ったふりだけど)までベッドの横の椅子に腰かけて短い物語をいくつか読んでくれた。
そして、私が眠ったのを確認して(正確にはタヌキ寝入りに騙されて、だけど)そっとベッドサイドの読書灯ならぬ読書用ランタンの火を落として自分の部屋に戻っていった兄の後ろ姿を月明かりに見送ってから、私はこの世界で得た初めての家族に示された愛情に、なんだか温かな気持ちで眠りに落ちた。
この先どんなことがあっても変わらず兄の味方でいて、ずっと彼を支えようと誓いながら。
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