第一話「街道での邂逅」
【プロローグ】
「…もう行こう?」
少女は言った。
「───…」
少年は動かない。
目の前で燃え盛る炎を見据えて。
少女はそれ以上急かさなかった。
「───…」
炎は一向におさまる気配がない。
そして少年は少女に振り返った。
「行こう」
そして二人の当ての無い旅が始まる。
【第一話:街道での邂逅】
「あった」
木の幹と枝の間の脇芽をそっと摘み取る。
指の爪ほどの大きさの、透明なゼリー状の液体に包まれている小さな芽だ。
手持ちのビンに落とし込むと、ふう、と一息ついた。
「やっぱなかなか見つからないもんだな」
少年は枝に腰をかけて一息つくと辺りを見渡した。
地上より20メートルほど上空。
幹の太さは直径で2メートルくらいか。
上を見上げるとまだまだ幹は伸びている。
葉がほとんど枯れ落ちた木々の隙間から見える空は、今にも降り出しそうな雨雲が迫ってきている。
「降り出す前にもうちょっと採っておきたいとこだな」
冷たくなった空気を風が運び、体を撫でて通り過ぎていく。
休み無く作業をして火照った体には気持ち良い。
少年は腰を上げると、脇芽を探して当たりを見回す。
「お、カモ発見!」
とある一点で視線を留める。
今いる木立の少し先に小さな街道がある。
そこに少々くたびれた風の旅人らしき人影二つ、こちらに向かってきているのが見えた。
「今、売れるものって何があったかなぁ」
そう言いながら少年は背負っていたカバンにビンを仕舞い込むと、
腰に携えたロープを幹に輪を作るように絡ませ、一気に木を降りていく。
ザザザザっと下生えの上に着地すると、そのまま草を掻き分けて街道の方に進んだ。
「ああ…、そろそろ温かい美味い飯が食いてぇ…」
「食いてぇよなぁ~」
少々くたびれた風の旅人…三十代男性二人組みは、手持ちの携帯食が入った小袋をパンパンと叩きながらぼやいた。
「手持ちの食料も心許ないしなぁ…次の街まではまだあるから、どっかで補給でもしたいところだが…」
「ここらじゃ無理だって。こないだの聞いたろ?まだ大型獣がうろついてっから街道よりはずれないようにって」
「はぁ~、そいつが捕まえられたら腹も懐もあったまるのになぁ」
「俺らじゃ無理だって」
ハハっと乾いた笑いを交わし、街道を進もうとする二人だったが、前方に気配を感じて歩みを止めた。
「…なんかいるな」
「ああ…」
薄暗い木立の中からこちらに迫る音が近づいてくる。
ザザ、ザザっと一直線に。
二人は無言で剣を抜き、構えた。
一瞬の静寂。張り詰めた緊張感。
それらを一瞬でかき消した声。
「こんにちはーーー!」
「?!」
明朗快活に挨拶をしながら出てきたのはまだ年若い…少年?
「やーどもども!」
その人物は自身の胸くらいまである草を掻き分けながら街道に飛び出ると満面の笑みで二人の前で足を止めた。
「旅人さんですか?どうですか?温かいご飯とか要りませんか?」
ニコニコと語りかけてくる。
あっけにとられながらも二人は目の前の人物を観察する。
ここらではあまり見ない、真っ黒でまっすぐな腰まで伸びた髪を首の後ろで一まとめにし、背中には「ちょっと近所に買い物に行って来る!」みたいなおおよそ旅人らしからぬカバン。
服装はどちらかと言えば軽装。主に動物の皮を使った装備をまとっている。
それが…ダサい。と、いうか野暮ったい。
デザイン?何それ?と、実用性を第一にだけ考えられただろう皮鎧。
手作り感丸出しで、防具屋なんて無いんだろうな、って村からやってきました!が、一目で見て取れる。
しかしそれ以上に二人があっけにとられたのはその見目麗しさ…というのか。
顔立ちが中性的で、成人しきっていないあどけなさの残った顔。
年の頃は十五、六か。一見少女に見える可愛らしい風貌の、しかし声は少年、は、
それを伝えると噛みつかれそうな鋭さを湛えた真っ黒な瞳をこちらに向けていた。
「おま…君はここで何をしている」
街道沿いとはいえ街からは程遠く、辺りに民家もない。
季節は初冬。
普段は葉が茂り、自然の実りも多いこの森も今は冬に備えて葉を落とし、野生の獣の腹を満たすことも無い。
つまりは飢えて気が高ぶった危険な動物がうろついている。
一見して、か弱そうなこの人物が、たった一人でこの場所にいるのはものすごく場違いに見える。
「一人か?ここら辺は危険だぞ、早々に移動したほうがいいぞ」
小さな獣から大きな獣…身の丈は優に大人を凌駕するものがいる。
しかも仕入れた情報によるなら、今この付近には討伐対象となった大型獣が出没する恐れもある。
旅人二人は辺りを警戒し、どこかのほほんとしている少年を守るように挟んだ。
「ああ、ありがとうございます、大丈夫っすよ~、この辺りには危険なものはいないっすから」
「なんだ?獣よけを実装しているのか?」
「いやいや、物理的に…ああ、降ってきましたね~。どうです、あっちに僕の荷車があるんで移動しませんか?」
ポツリポツリと落ちてきた雫を手のひらで受け止めながら、少年はきびすを返し、先導するように街道を歩く。
しばし顔を合わせあった旅人はお互いにこくりと頷くと剣を納め、それでも警戒をしながら少年の後に続く。
街道を歩くこと数分。
街道の脇に隠すように停められた荷車があった。
少々大きめの荷車は、一般的なそれよりだいぶん改造されている。
中は整頓されてはいるが、荷物荷物荷物で埋め尽くされ、人一人分通れるかどうかの隙間しかなかった。
「荷を仕入れては捌きながら旅をしてるんですよ」
「商人なのか」
「商人っていうほど本腰をいれてないんですよね~。有る物を売るって感じで。路銀を稼ぐのにちょうどいいんですよ」
「しかし…一人で大丈夫なのか?旅慣れしてるように見えるが…その、君はあまり…」
強そうにみえない。と正直に言うのも気が引けたので語尾を濁す。
「あはははは、ありがとうございます。結構大丈夫ですよ。連れもいますし」
少年は慣れた手つきで背負っていた荷物をまとめると、荷車をいじって変形させている。
濡れない様に簡易の雨よけを出し、その下に荷車の横につけている板を起こして台にした後、小さな椅子を二つ置いた。簡易カウンターの出来上がりだ。
「どうぞ」と声をかけられ、旅人たちは腰をおろす。
「で、どうしましょう?」
「?何がだ?」
少年に尋ねられたが何を意図しているのかわからなかった。
「やだなぁ、食事ですよ。簡易ですが安くしときますよ」
にこりと微笑みながらも指で小さくお金のマークを作る。
「なんだ、食事も提供してくれるのか。それはありがたい!出来れば肉で温かいのがいい!」
「焼く時間がかかってもいいなら」
「かまわんかまわん、特に急いでいるわけでもない。あ、しかしあんまり手持ちの金がないんだが…」
「そうですね…一人5ムルでどうですか?」
「5…?!ちょっと高くないか?」
「そのかわりサービスしますよ~。ちょうど今お肉がダブついてるし、お弁当もつけますし…そうだ、お酒もつけましょう!」
ニコニコと人好きのする笑顔で。
この世界での共通通貨は3つある。
一番安いのがシル。シルの千倍でムル。シルの万倍でリルだ。
大体500シルで安い定食屋で一食分の金額。
それに比べるとたかが食事で5ムルはかなりの高額だろう。
出せない金額ではないが、行きずりの、なんの保障もないこの少年に払うにはいささか勇気がいる。
「そうですね~…だったら情報もくれたら、二人で5ムルでどうですか?」
さっきの半額だが、それでも高いには高い。
「…ま、いいだろう。こっちが知っていることには答えよう。後は味だ。味を見て満額払うか決める。もし不味かったり手抜きだったり、こちらを欺こうとしているときは…」
「ああはい、いいですよ~。じゃあとりあえず前金で一人500シル頂戴します。とりあえずの飯代です。気に入ってくださったなら、追加で。後お土産を別料金で買ってください」
それならいいか、と二人は懐からお金を取り出し、それぞれ500シルを手渡す。
「毎度♪」と少年はお金を受け取ると、荷車の中に消えた。
「商売上手だな」と二人は肩をあげ、やれやれといったジェスチャーをしていると、新たな、先ほどとは違う剣呑とした気配を森の奥から感じた。
「おい」
すらりと剣を抜き、構えようとした二人に
「あ、大丈夫です、連れです」
と荷車から荷物を抱え出てきた少年がそのままてきぱきと料理の準備を進めている。
連れ…とは言われたが、かもし出される気配が尋常ではない。
さらには血なまぐさい。
木々が出す清純な空気が一気に濁された。
二人は薄暗い森の奥に目を凝らしていると、それはどんどん近づいてきた。
「あれ~、お客さんだ~」
張り詰めた空気を引き裂いたのは、これまた気の抜けた声。
そして目の前まで近づいてきた人物に二人は目を、声を奪われる。
これまた年の頃は十五、六。頭から皮のフードを被っているが、そこから覗き見えるものは淡くて細い、光をはねかえす見事な金髪。
瞳は薄紫の宝石のようで、口元は血色の良い桃色の唇。かすかに口角を上げ二人に微笑みかけている。
このまま育てば妖艶な美女になるでろう、すこしきつめの顔立ちの少女は、
…血に塗れていた。
フードの頭から裾まで全体的に赤黒い。元々のフードの色が明るめの茶色なのだろうが、九割ぐらいが赤黒い。
何か重そうなものを引きずっているなと思っていたが、雨雲の隙間から射す日光が捕らえたものは成人男性一人分くらいの大きさの獣の死骸。
その美少女が、片手で、「む~、邪魔だな~」とずるずると肉塊を引きずりながら少年のもとへ歩み寄る。
「ただいま~トムカ!帰ってきたよ~」
「おぅおかえ…てオイ!なんでまた肉を持ってんだよ!」
「だって~、急に襲ってきたから…」
「あーもー、また肉があまる…血抜きは済んでんのか?」
「ばっちり~♪鮮度が命!その場でやりました~♪」
「よし…じゃ切り分け…っと、お客さんがいるからちょい奥でやってこい」
「は~い」
そういって少女はそのままずるずると肉を引き下げたまま森の奥へ消えた。
「お客さん、ってわけだから肉をサービスしますよ~、たっぷり食べてってください」
「あ、ああ…」
声を絞り出し、二人は答える。
「あ、そうだお客さん、名前は?俺はトムカ。さっきの連れはエディ」
「ああ、俺はスガリ。こっちはトーリだ」
お互いに会釈をしあう。
スガリとトーリはここらの地域によくいる人種で、髪と瞳はダークブラウン。
冒険者まがいのことをして生計を立てているらしく、今は隣町に荷を運んだ帰りだそうだ。
隣町と行っても街から街まで徒歩で十日ほどはかかる。
馬車などもあるが、大抵は高価なため、節約のためにも歩いて行きかう人は多い。
ここら辺りは山間の田舎なので特に需要もないが、馬車以外にも魔獣といわれる生き物を使役する人もいる。が、数が少ない上、かなり値が張る。
「お前さんら、この辺りの者じゃないだろう、かなり遠くからきたのか?」
トムカとエディの風貌はおよそこの大陸のものではない。
金髪の人間は稀にいるが、それでもくすんでいたり、全体的に金色というのは珍しかった。
さらには目の前の少年の黒髪・黒眼…はかなり珍しい。
一部の地域では不吉と言われ、あまり人前にさらすものではないとされていた。
しかしそれも今は昔、いろんな人種がいるのだと寛容になっている。
それでも差別は根底からは無くならないものだが…
「そうっすね~…ここから遥か南の方から、当ても無く北上しながら進んできましたね」
「ここから南…ってことは別大陸から渡ってきたのか!そりゃすげぇな」
「いやぁ~、あれですよ、この手で、この目で世界の大きさを知りたい!ってやつっすね~」
若さゆえの冒険旅行。いけるとこまでいってみよう!ってやつですよ~!
と、トムカは作業の手を止めず軽口を叩く。
いいねいいね、そうだよ若いうちだぞ~!とスガリとトーリはお互いの肩を叩きながら談笑する。
「ですよね~」と軽口に答えるトムカだったが…
スガリ達には見えなかったが、トムカのその目には言葉とは裏腹な暗く鈍い光が宿っていた。
「ああ~、駄目だ、しけって上手くつかないな…。お客さん、『火付け』持ってないですか?」
あればちょっとお借りしたいんですが~、とトムカは即席のかまどから顔を上げる。
本降りではないが、持っていた薪が水気を帯びてなかなか火がつかなかった。
「なんだ、それだけ本格的な旅をしてるのに持ってないのか?」
「いや~、相性が悪くて…」
珍しい、とスガリはズボンのポケットから小さな丸い石を取り出した。
「ほらよ」
「あ、すんません、つけてくださると助かります」
そういってトムカはかまどの前から立ち上がって場所を空けた。
「なんだ全く駄目なのか?」
「『火』だけか?」
スガリとトーリが腰を上げてかまど前に近づくと、その石を軽く握りこんだ。
すると小さな火が灯り、そのまま薪が燃え上がって十分な火力のある炎になった。
「ありがとうございます」
トムカは火のついたかまどに網を渡すと、下準備した肉を乗せて焼き始めた。
「精石が使えなきゃ結構不便だろう」
「不便っちゃあ不便ですが、なんとかなりますしね」
この世界には『精霊』がいる。それがこの世界の常識である。
見える人もいれば見えない人もいる。
全体的には半々の割合だが、見える人と見えない人の差は正確にはわかっていない。
『精霊に好かれる』『相性』だのと漠然とした説が一般的だ。
ただし善人だとか悪人だとかは関係ないようだ。
大体は生まれ持ったもので、幼い頃は精霊が見えていたが大人になって見えなくなった、という人もいる。
逆に大人になってから見えるようになった人も数は少ないがいるらしい。
どこかに精霊を学ぶための施設があるようだが、「見えるものは見える、見えないものは見えない」と割り切っている人が多いこの世界で、真剣に『精霊を学ぶ』とする人は少ない。
それでも憧れる者はいる。
『精霊の恩恵』にあずかれるからだ。
この世界には精霊があふれている。精霊がいるから成り立っている。
というのが定説であり、何をするにも精霊の力を借りなければならない。
…という信仰が蔓延しつつある。
『精霊』には色んな種類があり、木・火・土・金・水が主とされるが、それ以外にもありとあらゆるものに精霊が宿っているとされる。
精霊に好かれている、故に精霊の力を借りることが出来る、という人種が少なからずいる。
力の大小はあるものの、『お願いすれば力を貸してくれる』のだ。
そういった者は何も無い空間から火や水を生み出したりすることが出来る。
あまりにも理不尽な願いには精霊が力を貸さない。…らしいので、人種間での目立った争いは無い。
…らしい。
はるか昔、精霊の力を使った戦争があったらしいのだが、それが終結を迎えたあと、精霊は必要以上に力を貸さなくなった、とされている。
すべてが仮定であいまいな言い方だが、真相を知る者がいないので、想像と伝聞で伝わっている。
そして『精石』というものが編み出された。
精霊の力を借りれる者が、ある特定の鉱石に刻印を施し、精霊の力を吹き込むと、精霊の恩恵に預かれない者でもその力を行使することが出来るという代物だ。
少々値がはるが、半永久的に使えるし、便利だということで、ほとんどの者が火や水の精石を持っている。
特に冒険者と言われる者の必需品である。
しかし中には精霊の加護にあやかれない者がいる。
トムカがそうだ。
精霊の気配、といわれるものは一度も感じたことはないし見たことも無い。
存在自体を否定しているわけでもない。皆が居ると言うのなら居るのだろうという認識だ。
便利だろうと思うがそれに憧れるわけでもないし執着もない。
工夫さえすればなんとでもなるからだ。
今回は「客がいる」から早く火を使いたいのでその方法を取ったが、普段なら自力で火を熾すかそもそも火を使わなかったであろう。
しかしトムカのように精霊を感じない者は少なくない。
だが『精石』まで使えないものは稀である。
そういった人間は「忌み者」「無き者」と言われ蔑称される。
本人には何の落ち度もないのだが、憐れみをもって接されることも少なくない。
幸いこのスガリとトーリはそういった相手を卑下する、という性格ではないのをトムカは見切って素直に打ち明けた面もある。
しかし…
「おまたせ~、ちっちゃく切り分けた~。水も汲んできたよ~」
と、透き通る美しい声だが、間延びしたしゃべり方のせいで損をしているよな絶対、と思わせながら登場したエディ。
切り分けたとされる肉片は小さなザルに乗る量だった。
全部の肉は持ってこられなかったのだろう。持ってこられても置く場所がない。
そしてエディは体を清めてきたのだろう、フードは着けておらず、素肌についた血も洗い流され、拭いきれなかった水滴が肌に滴り淡い陽光を照らし返す。
鮮やかな金髪は軽く後ろで束ねられているが、肩から胸のほうに一房ずつ垂れ下がっている。
細く見える肢体は生成りのシャツで首元から袖口まで覆われ、その上から簡易の皮の防具を装着している。
正直この防具もダサい…が、
暗い森から現れた精霊と見紛う美少女…にスガリ達は声もなく見惚れた。
実際に精霊は人の形を取らず、見える人には光のようにふわふわと舞う綿毛のようなものらしいが、美しいものの最上級の褒め言葉として『精霊のような』と表現をされるのである。
「どうしよっか~、この肉。燻製にする?あ、火おこせたんだ、じゃああっちで~…」
「あ、俺がやってやるよ!」
と頬を上気させたトーリが颯爽と立ち上がり、あらかじめトムカが用意していた簡易燻製器の元へ。
「あ!駄目だ!トーリさん!エディ!すぐそこから離れ…」
トムカが言い終わる前に、トーリは精石を出し、火がつくように念じた。
が、精石はトーリの手の中で閃光を散らし、ぶわっと炎を上げたあと、割れた。
「うわっちッ!」
「大丈夫か?!」
スガリが駆け寄り、トーリの手の平を見たが大した傷はなく、火傷のあともない。
「あら~…」とエディは申し訳なさそうな声を出し、汲んできた水に布を浸すと
「ごめんなさい」とトーリの手に巻いてやった。
「いやいやいやいや!大丈夫大丈夫!」
トーリは鼻の下を伸ばしながら盛大に手をブンブンと振り回した。
「う~む、寿命だったか…?」
割れた精石を拾い、もったいないとこぼすスガリ。
「…申し訳ない」
トムカがスガリの手から割れた精石を取り、しばらく検分した後、スガリの手に戻して荷車の中に入った。
精石は無理な使い方をしたり、元々粗悪品の石だったりすると割れて使い物にならなくなることがある。
しかしこの精石はそこそこの上物で正規のルートから手に入れたものだったからまだまだ使えたはずだ。
こりゃ街に戻ったら買った店に文句のひとつでもつけてやらないとな…とぶちぶち言っていると…
「スガリさん、これ」
と、荷車から出てきたトムカがスガリに放った。
「おっとっと…と?」
投げ渡されたそれは上等な『石』だった。
「おい、これ…」
「お詫び、それなら印を刻んでもらったら精石になると思うから」
「いや、ってこれ…かなり良い石だぞ…」
この辺りで産出されない、精石に適した鉱石だった。しかもかなり磨きこんであり、普段使いにするにはもったいないほどの代物だ。
正規のルートでも手に入りづらいだけでなく、入ったとしても20リルくらいはするだろう。
印を刻まなくてもこれだけで価値がある。印を刻めば2ランクくらい上の精霊の恩恵があやかれる。
「どうしたんだよこれ…」と手に布を巻いたトーリが物珍しそうに覗き込んでくる。
「拾って、磨いた」
事も無げにいうトムカに「はぇ~、スゲェ…」という感嘆しか出てこない。
まず精石の元となる鉱石を見つけるのが難しい。一見するとただの石に見えるからだ。
そしてそれを根気よく研磨石で磨いて磨いて磨いて丸くして艶を出さなければならない。
「は、いやいやいや、これを貰う謂れがない」
「割れたのはエディのせいだからさー」
「てへ~、ごめんね?」
罰が悪そうに謝るエディにスガリがあ、と気づく。
「もしかして…『悪しき者』か…」
「ええ?マジで?初めて見た~…」
トーリが実際にいるんだな~、妙な感心をしている。
『悪しき者』…『嫌われ者』とも言われるが、精霊に否定された人間を指す。
人間基準の善悪は関係ないが、精霊にとって「こいつ嫌い」と思われた人間は精霊の恩恵に預かれないどころか、その効用を否定される。
精霊自身が近づくとことも無ければ、精石に触れることもかなわない。
近くで精石を利用しようものなら精霊の怒りに触れ、激しく癇癪を起こした精霊が報復をするというのである。が、そのような人間は稀である。
大概は大らかで大雑把とされる精霊は頼まれると断らないし、基本「人間好き」なので害をもたらすことはない。
そこまで精霊に否定されるのは、精霊をバカにする、とか精霊を悪意に満ちて従える、生まれつき…など、色んな説もあるがどれも定かではない。
ただ、そういった者は人間的にも「嫌な奴」が多いので、一見して目の前ののほほんとしたどこか残念美少女が『悪しき者』には見えなかった。
「…なんかやったのか?」
恐る恐るスガリが質問を投げかけるが、エディは「うー…・・ん?」と何も無い上空を見上げて首をかしげる。
「わかんない」と笑って言って、今度はさっさと自分で火を移して燻製器に肉を吊るし、燻していく。
「まぁ…わかんないわな、精霊ってのは気まぐれだっていうから」
「でも不便だろうに…」
「いやまぁ別に、精霊の力ってのが使えなくても何の支障もないし、それはそれで自然だから、なんともないっすよ」
程よく火の通った肉をパンの上に乗せ、摘みたての野草を散らして特性のソースをかけたサンドイッチを手早く作ったトムカは、「熱いうちに」と二人に手渡した。
「…っうっめ~~~!」
「これは…アチアチ」
一口かぶり付いて熱々の肉汁を堪能したら、程よい弾力の肉を噛み切って舌の上で転がす。
香草がかすかに残った独特の獣臭さを打ち消してより良い香りに変化させる。
特性のソースとやらは、どこかピリ辛で舌を刺激するが、すぐに消えて鼻の奥に抜けていく。
「パンは昨日焼いたものだけど」と断りを入れられたが、焼きたての香ばしさは無いものの、パン特有の良い香りが立ち込め、少し水分を失ったパン生地に肉汁がしみこんで程よい硬さと味になっている。
夢中で食べていた二人だが片手で持てる分量だったので、あっという間に平らげた。
しかも少し食べたことにより胃が活性化され「もっともっと!」と食べ物を望んでいる。
コトリと差し出された木のコップには汲み立てで冷たさの残る水。
それを受け取り一息に流し込む。
「?なんだこの水…、そこらの水じゃないだろ!こんなに澄んでるわけがない!」
「っふっふっふ、よく気づきましたね!これはなんと『清浄石』を使ってあります!」
「うおおぉお!マジで!それまで持ってるのかぁ!」
「いやぁ、これ便利ですよ!たった一欠けらで大概の水は飲み水に出来ますからね」
旅人、だけでなく大概の人が一番手に入れるのが難しいのが「飲める水」である。
町などは飲める水があるところに発展する。
水がなければ生物は生きられないからだ。
そういった町などで補給できればいいが、旅人は常に水分補給との戦いである。
水はいたるところにある。
雨、池、湖、川…
しかしそれをそのまま飲むことは出来ない。
目に見えない毒が混じっているかもしれない。毒でなくとも、体に不調をきたす何かが入っているかもしれない。
時間さえあれば蒸留して飲料水にすることも出来るが、味気ないものとなるし、生ぬるい。
しかし『清浄石』が発見されてからはそれが一変した。
昔々、とある釣り人が魚を求めて諸国漫遊していた。
そして気づいた。
いつからか、いつまでも、濁りの無い池があった。
かなり深い底までも見通せる透明度。
他にもそういった池などを見たことがあったが、「死の水」と言われ、生物が住める環境ではなく、動物が口にすれば毒となりやがて死に絶えるとされるもの。
それとは違い、魚が悠々と泳いでいる。水草が生え、ゆらゆらと揺らいでいた。
戦々恐々と口をつけてみると、咽を潤すばかりか活力も湧いて出んばかりの美味さだった。
釣り人はなぜこの池だけ?と、原因を突き止めようとした。
そして見つけた。
底に沈む変哲も無い石ころに。
その池には大小さまざまな石がゴロゴロしていたが、何となく違和感のある石が混じっていた。
それらのひとつを手に取り、持ち帰って村の井戸に沈めてみた。
すると、あれよあれよと言う間に濁っていた水が澄んでいく。
そして池と同じ水へと変わった。
噂を聞きつけた他の村人がその池に行って同じ石を持ち帰ろうとしたが、その石が見分けられなかった。
釣り人に聞いても「なんとなくこの石かな」としか教えてくれなかった。
やがてその石を求めて集まった人々が池から石を総ざらいし、池は元の姿がわからないくらい濁り、汚れ、やがて枯れ果てた。
嘆いた釣り人は「見つけるのではなかった」と、後悔して姿を消した。
残ったのは井戸に沈んだ小さな小石。
その村は他の村人を入れない閉鎖的な村になり、やがて過疎化した。
───と逸話が残っている。
今は研究が進み、どの大きさでどれくらいの水が浄化できるのか、まではわかっているが、相変わらず見つけるのは容易ではない。
なにせ見た目がただの石ころ。色も形もそれぞれ。
しかしわかる人にはわかるという。天恵なのだろう。
そして「清浄石ハンター」などもいる。なんせほんの小石が数万シルするのである。
しかも効果はその石がある限りずっと続くのである。
「すごいね~、どうしたのこの清浄石?買ったんなら相当な金額でしょ?」
「っふっふっふ…見つけたんですよ!場所は言えませんけどね。あれは幸運だったな~」
うんうんと頷くトムカに二人は心底恨めしそうな眼を向ける。
「はぁ~…トムカ君は石に関しての天恵があるのかもね。精石の原石を見つけたり、清浄石までもってたり…」
「天恵か~、そうなんですかね?なんとなく、アレ、この石…ってやつはなんか特別だったりしますね」
「それだけでひと財産築けるぜ~」
なんだかどんどんうなだれていく二人だったが、気分転換よろしく、トムカがパンッ、と両手を叩く。
「で、どうしましょう?料理、どうでした?」
「ん…ああ!美味かった!マジで美味い!」
「ほんとほんと!パンと肉とソースがあいまって…」
ジュルリ、と涎を垂らしかけながら、あれだけじゃあ足りない!と二人して催促する。
「あれは500シル分です。お気に召して頂けたなら、残り追加料き…」
「払う払う!あれなら文句は無い!」二人はあわてて懐から追加分の4ムルを支払った。
「むしろ申し訳ないくらいだ、さっき貰った鉱石、あれの代金も払いたいくらいだが…」
「あれはお詫びですからお気になさらず。それにどうせ…」
元はタダなんだから…とぼそりと呟く。
もちろん仕入れ、加工、というのに一番労力、人件費がかかり、その分店で販売するときに諸経費に付加価値もろもろ重なって高価になるわけだが。
トムカが自分で見つけ、時間のある時に磨いて作り上げたもの。
そういった店に卸す分にはそれなりに吹っかけたりもするが、現在はそこまで金に困ってるわけでもない。
それに「損して徳とれ」という格言が信条のトムカはここぞというときにケチったりしない。
いつか自分にかえってくるという下心も無きにしも非ず。
なにより…初対面の自分に出会った時、さりげなく守ろうとしてくれたその行動が単純に嬉しかった。
そういう人間には見返りなく、良くしてあげたいと思うのが人情だ。
「は~い!では次の料理が出来ましたので~どうぞ~♪」
と、どこか気の抜けるエディの声が割って入る。
エディが大きめの深皿に並々とスープを注いで運んできた。
「さっき獲れたてのお肉ですよ~。あんまり火を通しちゃうと固くなるから、さっと湯がいて下処理したものを~…」
と説明をしてくれているが、全てを聞き終わる前に口をつける。
「おお~これも美味い!あったまる~!」
多少行儀悪く音を立てながら飲み込む。
「うぉ!なんだこの肉!何の肉だ?柔らかいけど歯ごたえが無いわけじゃなく、脂っぽいかと思いきやあっさりしてるがコクがある…!」
二人して「おかわり!」と言い、まだまだありますからね~、とエディがおかわりを注ぎ足す。
「あっと、まだまだ肉料理があるんですからね!お腹に余裕を残しておいてくださいよ」
「大丈夫大丈夫!これならまだまだいける!」
トムカはにんまりと、よしよし、これで肉がはける、とかまどで大きな肉の塊を転がしながら焦げないように焼いていた。
スガリ達は屈強な戦士、と言うほどの巨漢ではないが、多分平均的な一般男性よりも背が高く筋肉質だ。
冒険者としては少しトウがたっているが、まだまだ男盛り、そこらの奴らには負けはしないという意気込みが見て取れた。
当然、食欲も旺盛。軍資金さえあればいつでもいつまでも食べてられるぜといった頼もしい胃袋。
───が、「ギブアップ」を申し出た。
陽はすっかり沈み、しとしとと降っていた雨もいつの間にかあがっていた。
二人はあれやこれやと肉料理を進められ、いつのまにか出されたお酒にすっかり良い気分になっていた。
「いやぁ、食った食った!これ以上はもう無理!」
スガリはパンパンになった腹を撫でまわしながら、はぁ~、と深く息をつく。
トーリは飲み過ぎたのか、すっかり出来上がって椅子からずり落ち、地面にへたり込んでいた。
「あ~、今夜はここで野宿だな」
「すみません、長く引き留めすぎましたね」
「あーいや構わん、むしろこちらこそすまんね、こんな時間まで料理を作らせたりして。君らはまともに食べてないだろう?少し休むといい」
「大丈夫ですよ、合間合間につまんでましたから。お肉も…だいぶ食べてもらえたんで助かりました。ちょっと狩り過ぎて…食べ飽きてたんですよね」
ははっと乾いた笑いを浮かべたトムカは後ろを振り返り、まだまだある肉塊をどうしようかと途方に暮れる。
「それなら、この街道を少し行った所に小さな村があるからそこに卸すといい。最近この辺りで討伐対象になった野獣が徘徊していてね、猟に出れなくて肉不足だと嘆いていたんだ」
多分まだ討伐隊が来ないから肉不足は続く。高く売れるだろうし重宝されるだろうと。
「…それってどんな?」
「ん?ああ、───君らは知らんかな?この辺りでは『イーガン』って言う野生種がいるんだが、イーガンは四足歩行の雑食性で、本来大人しい豚みたいなんだがな。怒らすと怖いぞ。牙が鋭いからな。それが突然森から消えた。寒くなってきて食料が乏しくなってきたから他所に移ったのかと思っていたらどうも様子がおかしい。移動したのではなく忽然と消え失せた」
グラスに残っていた酒を呷る。後ろで片づけていたエディがすかさず水を持ってきて注いでくれた。
ありがとう、と言って水を一口含み、ゆっくりと飲み下す。
エディは台の上に置いていたコップに水を満たすと、床にへばっていたトーリを起こし…たが、完全に酔っ払っていて自力で立てない様子。エディはトーリの背後に回り、脇の下に腕を回すと、そのまま近くに敷いた皮の敷物の上にやや引きずりながら運んだ。
途中「ベッド…柔らかいベッドが…」とトーリの口からやけに幸せそうな声が漏れ聞こえたが、エディが「地面に敷いただけですから固いですよ~」と返事を返していた。
トーリの奴…うらやまけしからん!と横目で見ていたスガリだが、エディが引きずったにせよ、いとも簡単にトーリを運んだ事に、それなりに酔っていたスガリは疑問を持たなかった。
後日談ではあるが、二人が街に帰りつき、飲みに行ってトーリが酔いつぶれた時、スガリがトーリを家まで送る際に「重いんだよお前」と口に出した時に「…そういえばあの時エディちゃん…?」と思い出したようだ。
そうしてエディはトーリを介抱していたが、トムカは黙々と余った肉を燻したり干したりと作業をしていた。
「それで?」
先ほどの話の続きを促される。
かまどの火がパチリとはじけ、小さな火の粉が舞った。
「ああ…。でだ、まずは地元の猟師が様子を見にいった。ら、森の奥深くに残骸があった」
「残骸」
「そうだ、数多くのイーガンのな。…喰い散らかされた」
「もったいない」
「あ、ああ、そうだなもったいない。じゃなくてな…いや、もったいないが」
商人としての価値観だろうか、まずは恐怖ではないのか…
と、どこか関心しながらトムカを一瞥する。
「さらにもったいないのは、イーガンの美味しいとされる部分の肉だけが喰われていて、他の部位は弄んだのか千切られたりしただけで食べられてはいなかったんだ」
「ますますもったいない…どんな部位だって調理によっては美味しくいただけると言うのに…」
トムカが憤慨する。
なんだろう、こいつとはいい友達になれるかもしれない。
トーリを寝かしつけたエディが戻って来た。
「それで?どーなったんですかぁ?」
離れていても話しは聞いていたのだろう、エディはトムカの後片付けを手伝いながらも会話に参加する。
「うん…その後も探索は続けられた。がある日、猟師の一人が重傷を負いながら帰ってきた」
三人一組で行動していたのだが、後の二人は殺された、と。
「…あらぁ…」
エディが目を伏せる。
「その帰ってきた猟師が言うには、ここらでは見た事のない獣だったそうだ」
少し乾いた喉を潤すために、一口、水を含む。
「大きさは…そうだな、その猟師が見上げても顔が見えなかったそうだ…3メートルぐらいはあるだろうな。四足歩行で走って向かってきたが、襲い掛かる時には二足で立ち上がり、前足を振りかぶってきた。体毛は暗くて良く見えなかったそうだが、全体的に暗褐色だったようだ。尻尾もかなり長くて太い。猟師の内一人は尻尾で吹っ飛ばされた」
ふんふんと頷くエディ。
カタリ、と手に持っていた洗い終わった器を置くと、トムカは腰につけていた小さなバッグから紙とペンを取り出した。
特徴をスケッチしているようだ。
「他には?」
「とにかく早いそうだ。巨躯なのに相当素早い。手足が長いのかな?」
何せ自分で見たわけではない。あくまでも伝聞なのだ。
「毛は長かった?」
「いや、そこまで長毛でもない。抜け毛が落ちていたが、そうだな指を目一杯広げて親指の先から中指の先ぐらいまでの長さだそうだから…20センチくらいかな?結構しなやかで太めの上等な毛皮って感じか」
サッサッサっと紙を撫でる音が響く。
どういう風に描いているのか、横から覗き込んでいるエディが不思議そうな顔をしている。
「こんな感じ?」
スケッチが終わったのか、こちらに見せてくれた。
「───ああ、こんなの居そうだな!熊っぽくて…でもこれはそれより手足がかなり長くて…いや、後ろ足が長いのか。それにずいぶんスマートだな。こいつは俊敏そうだ。なんだ?これに似たようなもの見た事でもあるのか?こういう種類がいるのか?」
「───見た」
「おいおいマジかよ!どこで見たんだ?ここら辺りか?」
おもむろに席を立つとスガリは腰の得物に手を添えた。
「まぁまぁ落ち着いて。大丈夫ですよ、今は何の気配もないでしょう」
「ああそうだな…確かに」
ふぅ、と一息ついて椅子に腰を下ろすと、もう一度水を呷った。
「ちょっと待ってくださいね」
そう言うが早いか、トムカは荷車に入り込むと、すぐに出てきた。
片手には何やら本。図鑑の様だ。
パラパラと頁を捲っていき、「これだ」と開いた所を見せられた。
「ああ、これ…か?」
先ほどトムカがスケッチして描いてくれたものに酷似している。
「名前…『ラトマック』…なんだ、聞いたことないな」
「これ、こっちの地方には生息してない種類なんですよね。もっと北の大陸の…」
「それがここに現れたってか?なんだって…」
「さぁ…それこそ野生なんですから、わかりませんよ」
「そりゃそうだ。それにしてもこれはお手柄だよトムカ君!正体がわかっただけでも大したもんだ!」
この情報があるだけでも対策がとれる。早速街に戻って知らせないといけないな。
とスガリが意気込んでいると、とりあえず今日の所はお休みになってはいかがですか、とトムカが促してきた。
「まぁそうだな、今から動いた所ですぐに街に着くわけでもないし酒も入ってるしな」
空を仰ぎ見ると雨雲はすっかり移動したのか薄雲の向こうから淡い月光が降り注いでいる。
真っ暗闇ではないにしても夜間移動するには暗すぎる。
また、そのラトマック以外の獣が全くいなくなったわけでもない。
野犬だろうか、遠吠えが時折聞こえる。
ブルリ、と悪寒と寒気で身体が震える。
「風邪ひきますよ。僕達はまだ片づけがあるんでもう少し起きてますが、どうぞ先に寝てください」
そう言ってすでにスヤスヤと寝息を立てるトーリの方を指差した。
「今から改めて野宿の準備をするのは手間でしょう?あの敷物の上でよかったらどうぞ。さすがに掛布団はありませんから、それは自前でお願いします」
「ああ、ありがとう助かるよ。君たちも疲れたろう、常に動いていたじゃないか。少しは体を休めなさいよ」
「まだまだ大丈夫ですよ」でもありがとうございます。と、ふふと笑う。
その柔らかい笑みに多少どぎまぎしてしまうスガリであったが、ブンブンと頭を左右に振って邪念を振り払う。
「あぁ、それとあの敷物ですが、実はまだ鞣し途中なんですよ、ちょっと獣臭いかもしれませんが我慢してくださいね」
贅沢は言わんよ、とスガリはご馳走様といいながら、トーリの元へとふらつく足取りで歩いていった。
「トムカ~、大体のお肉の下処理終わったよ~」
「おぅ、サンキュ。さて、じゃあ明日の弁当の下準備をし終わったら俺も寝るか」
「あ、あの二人もう寝たの~?」
「多分ね。酒もけっこう入ってたから熟睡すんじゃないの?ああ、そうだエディ」
「な~に~?」
「ちょいと間延びしすぎ。あれじゃバカっぽ過ぎる」
「へへ~、けっこういい感じでしょ~♪」
「なんだ気に入ってるのかよ。いいけど度は過ぎるなよ」
「は~い」
──トムカだって一回「俺」って言ってたよ~──
──許容範囲だ…──
湿った風が吹き、冷たさを含んだ空気を運んでくる。
寒さをやり過ごすために毛布に包まったスガリ達の耳には二人の会話は届かない。
朝日が昇る。
辺りには朝霧が広がっている。
「おお~…今日は晴天かぁ…」
欠伸と伸びを同時にしながらスガリは体を起こす。
「おはようございます」
「おはようトムカ君」
トムカはすでに起きて朝から何やらコマコマと動いている。
「なんだちゃんと寝たのか?昨夜よくしてもらったからまだ寝てていいんだぞ」
「やることはたくさんありますし。それにあんまり寝なくていい体質なんですよ」
「エディちゃんは?」
「今寝てますよ」
と、荷車の方を振り返った。
───あの荷物がいっぱいの荷車のどこに寝るスペースがあるのだろうか…
「あ、すまん!ひょっとして寝ずの番しててくれたのか!あー…言っときゃ良かったな、俺ら結構強めの獣除け持ってたんだよ。だから大概のものには襲われないって…」
「いえ、獣除けがあろうがなかろうが、変わりませんよ。僕達は常にどちらかが交代で寝てます。襲ってくるのは獣だけではないし、何があるかわかりませんからね」
そこでスガリは当たり前の事に気付く。まだ幼い、しかもなかなかの美貌の持ち主の二人。これまでに色んな意味で危険な目にもあったのだろう。
しかも彼らはきっと、かなり高級な商品をもっている。それを奪われる危険もある。
そう、俺達のような冒険者にはもっとも気を付けなければいけないだろう。
そうつらつら考えていると、トムカが相好を崩して話しかけてくれた。
「たとえあなた達が聖人君子だったとしてもかわりませんよ。これは僕達の旅のルールなんです」
───これまでも、これからもそうします、と。
スガリは反省した。
この年若い旅人に初心を思い出させられた。
スガリとトーリは「最強」と自惚れているわけではないが、そこそこ強い、と自負している。
そして、何度も通い慣れた街道。これまでに野獣や盗賊の類と出会った事もあるが、それほどの恐怖を感じたことは無い。今まで何とかなってきたし、これからも何とかするだろうと。
もちろん最低限の警戒を解いたことはないが、昨夜散々危険な獣が出る、という話をしたいうのにこの体たらく…
自己嫌悪に陥っていると、トーリががばり、と体を起こした。
「お…よぉ…」
まだ開き切っていない眼で、気持ち良さそうに欠伸をした。
思わず頭を抱えてしまうスガリ。
「おはようございます。ここの裏をしばらく行ったら小川がありましたから」
くすくすと笑いながらトムカに促された。
「あ、あんまり下流にはいかないほうがいいかも…」
悪いね、と言ってスガリはまだ寝ぼけているトーリを無理やり立たせて森の奥へと歩いていく。
「ふあぁぁぁあああぁぁあぁ~…」
まだ寝ぼけているトーリの頭を思わず小突く。
「って!なんだよ…」
「いや…何か色々考えさせられることがあってな…」
「はぁ?あ、水の音!あっちだな」
なんだか能天気なトーリにちょっとイラつくものを感じながら、音のする方に進む。
「はー、さっぱりした!」
小川で顔を洗い、軽く身支度を整えた二人。
手ぶらで帰るのもあれだなと思って、薪になりそうな小枝を拾って帰ることにした。
「───なぁ?」
「あ?」
「なんだか…生臭い」
「そうだな…」
朝霧もすっかり晴れたが、鬱蒼とした下生えの茂る森。
木々が出す清廉な空気の中に混じって鼻につく、なじみのある嫌な臭い。
警戒心を最大にし、拾った小枝を地面にひとまとめに置くと、二人は腰の得物に手を伸ばす。
「こっちだ」
トーリは口元に手を当てながら、より匂いがする方に近づいていく。
ホーホーホー…
キャキャキャキャキャキャ…
元々この森に住み着いている動物の鳴き声がこだまする。
ふいに足もとに血だまりがあった。
二人は無言で目配せする。
血だまりはあるが、死体がない。
その後も見つかる点々と散らばる血だまり。たまに引きずった跡。
「それにしても…気配が無さすぎないか?」
「ああ…イーガンがいないのはわかるとして、他の捕食動物がいないのは…」
ラトマック…とやらがここらにいて、身を潜めているのかもしれない。
が、それにしては動物の鳴き声がするのが気になる。
現在この森の頂点捕食者がラトマックだとして、近くにいれば他の動物は身を顰めるはず。
すでにこの辺りを通過して移動したのか…
だがラトマックが喰い散らかした後が無い。血だまりはあれど、肉片が一つもないのが気になる。
「───おい」
下生えが途切れ、わずかな広場に出た。
そこには夥しい量の血、血、血。
「ここか…」
咽返りながら観察すると、本当に血しかなかった。
「なんだよ、ここ…」
トーリが半泣きでぼやいている。
地面を良く観察すると、掘り返した後があった。
スガリがトーリを手招きし、近くにあった棒きれで掘り返してみる。
中々深く掘ってあるようで、膝ぐらいまで掘り返したが土しか出てこない。
さらに掘り進めると、より血の匂いが増した。
そして腐敗臭…
そして…
「…う、──」
ハラワタだった。
尋常ではない量だ。
およそ十数匹分の。
スガリが棒で突いて確認する。
「───…」
「───これ、サインファのじゃないか?」
「え?あ、そうか、な?そうかも。そういやこの森に生息してたよな」
サインファ──
体長1メートル程の草食動物。
体毛はなく、非常に硬い皮膚をもち、常に五、六頭で集団行動している。
非常に臆病な動物だが、脅威を感じたりパニくったりすると集団で体当たりなどしかけてくる。
成獣が大体150㎏ぐらいの重さで、人よりも早く走れる。牙はないが小さく巻いた角が頭部に二つ付いており、突進などされれば人間などひとたまりもない。
森に入った者が襲われて怪我を負う事件が年に数回報告されることもあり、見かけても近づかない方が良いとされているが、その肉が美味であり、また皮も上等な防具として使える為、サインファを狩って生計を立てているものも少なくない。
「あ、なぁ、あれ…」
「あ?──、ああ…」
トーリが近くの木を指差した。見ると…
昨日、エディが被っていたフードが干してあった。
「───…」
「───…」
───推測する。
エディ達が森の中でサインファに出会った。
サインファは群れで彼女達を襲った。
何らかの形で彼女達がサインファを撃退した。
もったいない精神で肉に加工した。
血だまりは血抜きの跡。
内臓は日持ちがしないから、穴を掘って埋めた。
藪の向こうにある小川でフードを洗って干した。
眼をつぶって思考する。
──可能だろうか?
──あのか弱そうな少年少女たちが、複数の獣の群れに囲まれ、あまつさえ撃退。無傷で。
「──よし、帰ろう!」
「そうだな!」
トーリは木に干してあったフードを手に取り、スガリも穴を埋め直し、小枝を拾い直してトムカたちの元へ帰った。
「おはよーございま~…あ、フード!」
荷車の所に戻ると、エディは起きていてトムカの手伝いをしていた。
「あ、これやっぱりエディちゃんの…?」
「はい~、昨日干したまま忘れてました~」
ありがとうございます~、とトーリからまだ少し湿ったフードを受けとり、荷車にしまいに行った。
「あ、これ」使えるか?と言ってスガリが小枝をトムカに渡す。
ありがとうございます、そろそろ尽きそうだったんで、と言って数本をかまどに足して残りは少し離れた地面に置いた。
トムカがスガリの元にすすっと近寄る。
「…見たんですか?アレ…」
「ああ…見た」
「僕、血が苦手で、ああいった作業はエディに全部任せてるんですよ…あの匂いがどうも」
わかる。血が苦手でなくても、あれは耐え難い。
「それにしても尋常じゃない量だったぞ?襲われたのか?」
二人でひそひそと話していると戻ってきたエディが加わってきた。
「そうなんですよ~、こっちはヤる気なかったから気配を消してたのに、突然五、六頭が突っ込んできて!で、片づけたな~と思ったら、また五、六頭が来て~…お肉もって帰ったらトムカに怒られるし~…」
散々ですよぉ!とちょっと怒り口調で教えてくれた。
うん。
片づけた。
うん。
エディちゃん一人で。
疑問符が頭に浮かぶ中、トムカがあっけらかんと「エディは強いだけが取り柄なんです」と言った。
「ふ~ん…」とスガリとトーリ。
どうやっても引きつった笑顔しか浮かべられない。
仮りにスガリ達が森の中でサインファと出会ったとして、襲われたとしたら、二人とも無事に生還できる自信はない。多分手持ちの得物でヤツラを傷つける事すら出来ないからだ。
サインファ狩りをするときは罠を仕掛け、罠にかかったものを特別仕様の得物で止めを刺すのが一般的な対処法だ。
「何か気が立ってたみたい。他のに襲われた後だったんじゃないかなぁ?」
「?!もしかして…」
「ああ、ラトマックに襲われて逃げてきた可能性が高いな…」
「エディちゃん!それいつの話?」
「えっと…サインファ?に会ったのは三…四日前」
指折り数えてうん、四日前!とエディは言う。
ならまだこの辺りにラトマックが戻ってくる可能性は高い。
「よし、俺らはそろそろ行くよ。一刻も早くこの事を自警団たちに伝えたい」
「あ、まだ駄目です」
トムカがすぐに引き留めた。
「お弁当がもうすぐ出来ますから、持っていってください。それに、まだ情報を教えてもらっていません」
そういえばトムカは最初に「情報を」と言っていた。
「なんだ?何が知りたい?」
「知りたいこと全部」
トムカはにっこりとほほ笑んだ。
スガリがトムカと何やら話し込んでいる。まだまだ長引きそうなので、トーリは手持ちの道具を整頓した。
が、まだまだまだまだ長引きそうなので手持ち無沙汰になった。
そこにエディが近寄ってきた。
「やることなくなっちゃった~」とふわふわとした笑顔を湛えて。
「エディちゃん…よくサインファに襲われて無事だったね」
「無事でした~」
「アイツら固いだろ?だからそれで結構てこずるんだよね。突進もしてくるし」
「あー、はい、まっすぐ突っ込んで来るからやりやすかったですよ?よければいいだけだし~」
避ければ…そうだろうけど、四方八方から全力で向かってくる相手に避けるなんて早々出来る芸当じゃない。
「皮も固かったけど、生き物の弱点ってそうそう違わないじゃないですかぁ。関節とか、口内とか、目とか」
「目」
にこにこと笑うエディにトーリもにこにこと返す。
なんだ、周りに花が咲いている気がする。
あれ?ここらに花畑ってあったっけ?
「集団で来るけど~、結局は一対一じゃないですか」
「?集団だろ?」
「たとえば~…、向こうが一斉に私に襲ってくるとしますよね?でも私が避けたら味方同士が衝突しちゃうでしょ?それは向こうも回避したいから、本能的に攻撃がずれてくるんですよね」
そういいながら両手でジェスチャーをしてくれる。
「だから結局はいちたいいち~」
と。
理屈ではそうかもしれないが、多分、そもそも避けることが難しいよね?
という言葉を飲み込む。
「それよりもその後のヤツの方がちょっとやっかいだったかも~」
「あ、そういえば昨日もなにか持って帰って来てたよね!」
「あれはまた別の~…昨日のはたまたま木陰から躍りかかってきたから反射的にヤっちゃった~♪」
多分鹿の種類~と。
「そ、そう…災難だったねぇ」
うふふ、と小首を傾げて微笑みあう。
「はぁ~、エディちゃんは強いんだねぇ~…」
「ううん、まだまだ」
ふとエディは視線を上げ、どこか遠くを見た。
「トーリ!」
どうやら話し合いが終わったようだ。スガリが手を振って呼びかけてくる。
「終わったのか?」
「ああ、これから俺達は俺らの街に帰る」
「?いいのか、知らせを…」
「それはトムカ君が行ってくれるそうだ」
トムカが頷く。
「僕達はこのまま街道を北東に行きます。教えて頂いた村に寄って行きますんで」
「そりゃ助かるが…君達はいいのかい?」
「僕達に明確な目的地はありません。むしろ寄り道がメインなんですよ。ダブついた肉も卸したいし、こちらこそ願ったり叶ったりですしね」
そこら辺も色々話し合ったのだろう、スガリが心配ない、と頷く。
「それじゃ、これ、持っていってください」
乾燥させた大きい葉で包んだお弁当…もとい、肉の燻製をトムカはスガリに手渡した。
「そこそこ日持ちすると思いますんで、街につくまでのおやつ代わりにどうぞ」
「こりゃ多すぎだろう、ありがたいが…」
「貰ってください。まだ、まだまだあるんですから…」
多少うんざりしながら在庫をみる。
「それとこっちは今日の朝ごはん兼お昼ご飯。これは日持ちしませんから早めに食べてくださいね」
大き目の筒も渡された。どうやら汁物らしい。軽く振るとチャプリと音を立てた。
「何から何まですまんな…ありがとう、助かるよ」
スガリはありがたく頂戴し、カバンにし仕舞い込んだ。
「トムカ君、これを受け取ってくれ」
「なんです?」
スガリは懐から財布を取り出すと、5ムルを手渡した。
「スガリさん…」
「受け取ってほしい。君達にはよくしてもらった」
「…ありがとうございます」
トムカは微笑んで受け取った。
「さて、それじゃあそろそろ俺らは行くよ」
「色々とありがとね~」
「僕達も後片づけた済んだら出発します」
「くれぐれも気をつけるんだぞ」
「大丈夫ですって」
イマイチ緊張感に欠けるトムカの返事。
「エディちゃんが強いからって気を抜くんじゃないぞ」
「ふっふっふ、私がトムカを守りまーす~♪」
「いやいやいや…そりゃあエディちゃんが強いってのは十分わかっってるけど、気を付けるに越したことはないだろ」
「トムカ君もそれでいいの?」
男の矜持は?とトーリが余計な事を言ってくる。
「僕は弱いですからね。エディが守ってくれると言うのならそれでいいんです」
役割分担ですよ。と、トムカはなんのてらいもなく言い放つ。
「うむ…まぁ気を付けなければいけないのは獣だけではないしな」
旅をするにあたって気を付けなければならないのは何も「敵」だけではない。口にする物の知識も大切だ。
うっかり誤って食べたものが毒だった…なんてことで命を落とすことも少なくない。
どうやらトムカはそちらの知識に長けているようだった。
二人一緒にいることで良いバランスを保てているのだろう。
「そちらもお気をつけて。まぁ大丈夫だとは思いますけど…」
「ああ、俺らも十分気を付ける。」
「獣除けもあるし?」
「ああ、そうだな」
にやり、とスガリ。
「ああ、そういえば昨日のお肉、美味しかったですか?」
「もちろん、味付けも良かったが、肉そのものが美味かったな」
昨夜の記憶を思い出し、舌鼓を打つ。
「良かった。さっき渡したのにも入れときましたんで」
「トムカ君と何を話してたんだ?」
トムカ達と別れた二人は、自分達の拠点としている街に向かって歩みを進めていた。
「ん?基本的にはここらの地理…地形だな。地図を持ってなかったようなんであげてきた」
それにここらの動植物の分布、効能、価値。
人間同士の勢力関係、気を付けなければいけない事等々…
「ああ、そういやラトマックに懸賞金がかかっているかも聞いてきたな」
「ええ?まさか彼女達だけで討伐する気じゃないだろうな?」
「ははは!まさか!いくら彼女が強くてもたった一人では…」
無理…だよな?
「ハハハハハハ…」
「──なぁ」
「ん?」
「俺らも…また、遠征とか行ってみるか?」
「──そうだな…」
少年と少女に出会い、何かが触発されたのだろう。
旅の危険、楽しみ…初心を思い出させられた。
「そうだな…まだまだ体が動くうちに、行くか」
「ああ」
「どうだった?」
「ダメ、肉は買い取ってもらえたけど、懸賞金はかかってなかった」
「あ~、残念。皮は?」
「それも無理だった。次の大きい街までは保管するしかないな」
「ああ~!大荷物!」
「お前が際限なく殺すからだろうが」
「仕方ないでしょ!咄嗟の事だったんだからぁ!」
「後先考えろっていってんだよ。逃げれば良かっただろうが」
「いやぁ、そこはねぇ…やっぱり売ればお金になるかな?って…」
「そこは認める」
「ほらぁ!」
ぎゃあぎゃあとやり取りをしながら、立ち寄った村を去る二人。
ガラガラと荷車の音を立てて…──
「村長…」
「うむ…使いを出してくれ」
「どう伝えます?」
「…『危機は去った』かなぁ…」
小さな村のまだ老人には達していない年齢の男性。
「でも、本当に彼らが…?」
次期村長との声が高い、壮年の男性。
「だってあの皮見せられたら…なぁ?」
まだ年若き少年と少女が持ってきた物。
大量の肉と毛皮。
肉はこの辺りによく生息しているサインファのもの。
しかし今は正体不明の凶暴な獣が徘徊している。
村の猟師達も被害にあい、現在猟は禁止している。
イーガンはほとんど食い殺され、生き残ったものも森の奥深くに逃げ隠れているだろう。
サインファは元々臆病な動物。危険を感じればすぐに逃げる。
逃げ遅れたとしてもあの固い皮膚に守られて生き残ったものは多いだろう。
「生き残ったサインファは相当気が立っているに違いない。そうなったサインファを狩るのはベテランでも難しい。いや、ベテラン程避けるだろう」
「すでに遣られていたサインファの肉を回収したとか…」
「いや、皮も持ってきてただろう、綺麗に剥いであった。獣が喰った跡など一切なかった」
「はぁ~、サインファの皮、剥いであったんですか?コツがあって難しいのに…」
「ウチの猟師より上手かったぞ」
上手すぎて、ケチをつけて買い取り金額を引き下げることが出来なかったくらいだ。
サインファの皮の需要は高い。元々この村はサインファの皮で生計を立てている猟師が主だ。
なので買い取ることは基本しない。が、たまに持ち込まれる冒険者から、剥ぎ取った皮を安く買い叩き、この村で再加工して街に卸すこともある。
「で、もう一方の皮は…」
「それなんだよなぁ…」
彼らは二種類の皮を持ってきた。
一つはサインファ。
もう一つは…見たこともないものだった。
黒く、程よい弾力の艶のある毛。鞣している途中だとは言っていたが、その皮はサインファにも劣らない固さを持ち、普通のナイフなど通さないだろう。
驚くのは何よりも大きさ。
頭と四肢を切り落して腹部から綺麗に剥がされていたそれは、大人二人が寝転がってもまだ十分に余裕のある大きさだった。
「あれ、四肢と頭を入れたら相当でかい獲物だぞ」
「それって…」
「多分な」
「───…」
奇妙な沈黙が二人の間に流れる。
「で、でもそいつじゃなくて、他の獣かもしれないし、一頭じゃないかもしれないし…」
「女の子がな…」
「え?」
「一緒にいた少女がな。─もう大丈夫だと」
「え?いや、でも…」
「気配がしないと言っていた。しばらくしたら森に動物も戻ってくると」
「いやでも…」
「鹿が戻って来たそうだ」
「え、鹿が?」
「牡鹿だったようだ。少女に突進してきたらしい」
鹿は森にすむ動物の食物連鎖の中で下層に位置する。
故に最も臆病であり、優れた危険察知能力も持っている。
その鹿が戻って来たということは「ここに危険がない」と判断したのだろう。
そしてそろそろ鹿の繁殖期。雌鹿をめぐって牡鹿が高ぶる季節。
つまりは繁殖に適した土地になったということだ。
「確かに、鹿が戻って来たのならもう大丈夫ですかねぇ…」
「大丈夫だろう。村の者に伝えてかまわない。とりあえずは様子見だが、森への立ち入りを解禁する」
「わかりました。…やけに少女に信頼を置きますね?」
可愛かったから?
ここらでは見ない淡い金髪。透き通った肌。どこか妖艶な紫の瞳。整った体躯。
何よりも人好きする笑顔。
「──お前、見なかったのか?」
「え?何をですか?彼女?可愛かったですよね~。もうちょっと年がいってたら口説いたんですけどねぇ」
にまにまと少女の姿を思い出す。
「違う!あいつら村の外まで荷車を引いて来てただろう!出ていくとき!彼女!一人で!あの荷車を牽いてったんだよ!」
「はっはっは!見間違いですよ~。あの大きさなら俺だって一人では無理ですよ。しかも荷物一杯だったでしょ?きっと影になって少年が見えなかっただけですって」
あ、それかアレですよアレ!と。
「重力の『精石』もってたんじゃないですか?」
旅慣れた商人みたいでしたし、それくらい常備してるんでしょう。
「!そうだな!そうだ!」
村長はうんうん、と一人頷き、納得した。
「ちょっとトムカ~、寄り道はもうやめてよ~。荷物が増える~」
「いや、見た事ない植物だったから…」
ガラガラガラと荷車を引くエディ。
その少し後ろで街道脇に咲く花を素早くスケッチしているトムカ。
スケッチが終わるとその小さめの花を根っこから抜き、ノートにそっと挟み込んだ。
「次の街では売れるといいねぇ~」
「それまで晴天が続くといいがな」
荷車に目をやる。
屋根の上にはハタハタと黒い毛皮がひらめく。
「乾ききってないと臭い~」
「しゃーない。昨日ちょっと降られたしな。あー、鞣し用の薬剤ももう無くなりそうだったんだ。さっきの村で仕入れときゃ良かったな」
「戻って買ってこようか?」
「ん~、まぁいいさ。とりあえず進もう」
次の目的地は決まった。
ならそこに向かって進むのみ。
──二人の旅はまだ続く。
【続く】