03 瑛花38都
胸の上に微かな重みを感じて目が醒めた。
ぴと。
右の頬にそっと何かが触れる感覚。
……むに。
それから、恐る恐るつつくように、確かめるように右の頬が押される。
すぐ近くで聴こえた微かな身じろぎの音と同時に、右腕に巻き付く柔らかい感触と人肌の暖かさを感じた。
「っふふ。可愛い寝顔……」
春の綿毛のような、思わず零してしまった小さく軽やかな笑い声が、耳に届く。
むにむに、もにもに。
頬の肉がつまんだり離されたり、やや感覚を空けて延々繰り返される。
すべすべした指の質感と、程よい力加減が寝起きの頭にとても心地良い。
もう少し堪能して、あわよくばこのまま二度寝したかったが、あまり待たせてもすぐに機嫌が悪くなってしまうので、目を開ける。
「おはよう、ハク。現在時刻を教えてくれ」
俺の横で右腕に絡みながら俺の顔をいじくり回していた白姫が、ふわりと微笑む。
「おはようございます、マスター。現在時刻は〇六時〇〇分、いつも通り正確な起床ですね」
それは毎朝白姫が決まった時間に俺の顔を弄り始めるからなのだが、本人はその所為だとは思っていない様なので俺も黙っておく。
「今日の予定は?」
「はい!! 本日の任務は、時刻〇八一五より、月読の整備、その後マスターと共に外出の予定となっっております!」
すごい剣幕でずずいっと近寄られてちょっと焦る。
声もかなり弾んでるーーというかやけに気合入ってるな。
まぁ、戦闘続きでも気が滅入るだろうし、偶には白姫にも息抜きは必要だ。
「楽しめる時は全力で楽しめ」って小西さんもいつも言ってるしな。
俺は朝食を幹部食堂で白姫と共に取ると、事務室へと向かう。まだ課業時間ではないが、幹部として今回の報告書等を作成する必要があるのだ。
朝食は今では温食、通常の手料理が上がっているが少し前までは戦闘糧食、いわゆるレーションが続き気がめいっていた。温食も決して美味しいものとは言えないが、久しぶりに取ると戦闘糧食より10倍以上はマシだ。戦闘糧食は本当に塩っけも多くて、味も濃いし、舌が馬鹿になるんだよなぁ……。
白姫が部屋で尊ちゃんに捕まってる中、事務室で俺は書類を端末で書き上げていた。すると首元にピタッと冷たい感触を覚える。
驚きながら後ろを振り向くと温子さんが出勤をしたようで、俺の首筋に缶コーヒーを当てていた。
微笑ましそうに俺に缶コーヒーを渡す温子さんに苦笑いをしながら俺は缶コーヒーを受け取り、カシャっとプルタブを開く。
酒も今ではそんなに嫌いではないが、やはり朝は甘いコーヒーに限る。
「ありがとうございます」
「どう、白姫とは上手くやれてる?」
「ぼちぼち、ですかね」
温子さんが俺のロッカーに寄り掛かりながら同じ缶コーヒーを片手に俺に話かけてくる。俺は一口缶コーヒーを飲むと、それを机の上に置き、またカタカタと端末に記入をしている。
――白姫という妖精は特殊だ。他にも日本神話をもじった名前の機体は存在するが、第二世代機と呼ばれるものが主力だ。
だが、白姫は構想として第三世代機として作られている。
この特徴は一世代機は『ナイフ』等無機物を使用したエイギアを指し、二世代機は『犬』あるいは『人』を模した生物のエイギアを指す。
性能はもちろん二世代機の方が高いが、一世代機はサポートがシステマチックであるものの、契約者を選ばず、誰でも扱える汎用性の高さがある。
二世代機は性能が上がったものの、エイギアが『人』を選ぶという難点を抱えていた。
そして第三世代機、世界初ともいえる白姫の特徴は『人』を選ばない点、そして、その契約者の特徴にあったエイギアに機体が組み変わるという特殊な構造を持つ。
何故、人を選ばないか、それは簡単な話だ。彼女は『契約者』を変える度にそのシステムメモリーが初期化され、最初の状態に戻される。記憶を失い、一からまた彼女は生まれ変わるのだ。
俺が契約した月詠は、近接、遠距離を行える器用貧乏な機体に出来上がり、システムとしては隠密戦闘型となった。
目立った特徴もなく、エイギアとしての戦闘能力は中の中。『武御雷』、尊ちゃんと戦えば10回やれば10回負ける。
「それで、現出してて身体の異常は?」
「んー、今は特に。最近は慣れましたし」
「そう。今日もアクティベートしてもらうけど、平気かな?」
「はい、問題ないっすよ」
カタカタと端末を打ち終えた俺は背伸びをし、時間を確認する。するともう8時を指していた。報告書を温子さんの端末に送り終えたところで、白姫が事務室に顔を出す。彼女は今日も無表情でペコリと挨拶をしただけだ。
「今日は朝礼ないから、〇八三〇からの整備に間に合うように8番格納庫に現出させて」
了解、と俺は温子さんに返事をすると、白姫を連れ、事務室から出ていく。
白姫は朝の様子はどこへやら、今は憂鬱そうにしている。現出を行う時はいつもこうだ。
今はもう慣れたが、俺も最初は現出の度に悲鳴を上げていたものだ。それが彼女の記憶に色濃く残っているのだろう。
仕方のないことだ、それは知っている。だが何故この現出の方法を選んだのか、俺は開発者は今でも殺したいほど憎んでる。
勤務隊舎から外に出ると5分ほどで8番格納庫へとたどり着く。格納庫に入ると俺を目視した整備員が俺に敬礼してくる。俺は返礼を返すと、全員を一度格納庫外に追い出した。
現出の方法は契約者以外は知ることは許されない機密なのだ。だから関係者以外は出さなければならない。温子さんは部隊長として知っているが、知っているもの以外は知る必要がない。
Need to Know だったかな?
「いつでもいいぞ」
俺はだらっと、白姫に体を向ける。すると、白姫は少し戸惑いながらうなづいた。
「いきます」そう、彼女は言いながら、貫き手の形を右手に作るとその手を俺の『心臓』に突き刺した。
激痛が俺を襲う。口からは止めどなく血が垂れる。その口から出た血が白姫の白い髪に掛かり、鮮やかな血色模様を作り出すと、彼女の体が蛍火のような光を放ち、エイギア――『月詠』をその場に顕現させる。
そしてそれと同時に俺の胸の傷は痕が残ることなくふさがり、切り裂かれた服も元通りだ。
現出と同時にマナを以て修復をおこなっていると聞かされているが、月読を顕現させるたび、俺は死という感覚が曖昧になる。
だって、確かにその瞬間、意識が遠のき、死んだと自分は認識してしまうのだから。
『――異常なし、月詠の現出完了』
どこか機械的に話す彼女の声が少しいつもこの瞬間だけ震えているのを俺は知っている。それを指摘する気もないし、これだけは直ることもないだろう。
俺が格納庫の外に出した整備員を中に入れると彼らは足場をもってエイギア、月詠に集りながら、システム異常、現出した時の部位の異常を調べていく。
その光景をみながら俺は普段は吸わないタバコを胸から取り出し、一服する。
紫煙を吐き出しながら、ただ茫然とその光景を眺めていた。
北海道――札幌駐屯地で白姫と出会った日を思い出す。あの日俺は軍人等ではなく、ただ軍人の父に連れてこられただけだった。そう、あの日初めて俺は『白姫』に殺されたのだ。
気が付けばタバコの味が変わり、フィルターに火が着いていることに気が付く。タバコを地面に投げ捨て、踏んでもみ消すと、携帯灰皿の中に入れ閉まった。
その後はただ、整備員に言われるまま、月詠に搭乗し、一連の動作テスト等を行い、特に異常がないことが確認されると、17時まで掛かる予定だった整備は15時をもって終わった。
現出を解除した白姫と営内に戻ると、二人で私服に着替える。終始、無言が俺たちの間に横たわっていた。だが、俺は言った通り、もう気にしてもいないのでいつものように笑うと彼女の頭を撫でる。
「何通夜みたいな顔してんだ。これから美味しいものを食べにいくんだろ。
あぁ、そうだ、中華料理食べたことあるか? 晩飯食べて、それからデザートに月餅を食べに行こう」
「マスター……。ごめんなさい、私じゃないのに。痛いのは……」
「だからいつも言ってるだろ、俺は一度もハクを恨んだこともないし、嫌いになったこともねぇよ。
どっちにしろ、あの日生きてたのはハクのお陰だからなぁ」
「――はい」
納得ができていない彼女の頭を撫でながら、落ち着くまで俺はそうしていた。ぎゅっと俺に抱き着いてくる白姫はきっと不安なのだろうと思う。俺には想像もできない。
記憶が消えるかもしれない恐怖を、もっとも近しいものとして設定されている契約者を殺さなきゃいけない恐怖を、だからだろうか、白姫がこんなにもあからさまに俺に好意を見せるのは。
捨てられそうな子犬のような、そんな印象を彼女に抱くのは。
だから、俺は嫌いだ。この白姫を作った奴は理解したくもない。きっと此奴を兵器としか認識していなのだから。
しばらくすると落ち着いたハクは落ち着いた様子でにへらと作り笑いを浮かべると俺にキスを求めるようにその口を尖らせた。
ふっと、つい鼻で笑いながらおでこにデコピンをし、身分証をポケットにしまう。
「ほら、行くぞ」
「あぁん。いけず!」
「馬鹿なこというんじゃありません。バイクでドライブしながら行こうか」
「――はい!」
*
『マナ』の発見とその利用方法の拡大は、世界全体を大きく変貌させた。
無限にも思えるエネルギー(実際には底があった訳だが)とその万能性は、科学文明の行き詰まりを粉々に打ち砕き、世界各国はこぞってマナの研究・開発に勤しんだ。
しかし、多くの国々が産業や軍事の発展の為にマナ研究を進める中で、マナを膨大な数の飢えた国民の『直接的な救済手段』として用いる事に特化した国家があった。
中華人民共和国、中国である。
マナが発見された頃、中国は既に長年続いた人口増加によって国内の経済的需要・供給バランス崩壊が深刻な領域にあり、国民の実に4割に当たる6億人以上が飢餓状態にあるという地獄の様相を呈していた。
その解決策として、中国政府はマナの利用方法の研究を『食糧生産』に特化させ、広大な面積の国土と大気中のマナを用いた大規模農場プラントを幾つも生み出したのである。
それと同時に現行の都市構造を一新し、各農場プラントとその中枢となる『都市区画』を丸ごと街の1構成単位とするように制定。
国内60箇所に点在するそれらの農場プラントはそれぞれ別称とプラント番号を割り振られ、中国国民の新たな生活の礎となっていった。
――大気中のマナが有限であるという研究結果が明らかになったのは、それから20年後のことだった。
マナの軍事利用の研究に遅れを取っていた中国は、他国が量産したエイギアによるマナ枯渇問題の影響をモロに受ける事になる。
再び発生した食料問題によって窮地に立たされた中国政府が行ったのは、
大規模徴兵と積極的な派兵行為の繰り返しによる、実質的な『口減らし』だった。
現在、中国の総人口は全盛期の半数以下まで減少している。
「そういう意味では、踏んだり蹴ったりだよなこの国……」
「結局のところ中国もエイギア開発に手を出し、あまつさえそれで日本の領土を武力攻撃、強行支配しようとしたのです。今更同情する意味もないかと思います」
いつの間にか声に出して居たらしい。横を歩いていた白姫が身も蓋もない返事を寄越した。
16時、日も落ちてきた頃に街にたどり着いた俺らは、バイクを降り営業している料理屋を求めて通りをぶらついていた。
中国のプラント都市の1つ『瑛花38都』。人々が数多く往来し、とても賑やかだ。
「それに現在、派兵によって人口が減少した事により、現在の大気中のマナ濃度で生産できる食料でも十分に国民の必要な量を賄えています。現在日本に対して戦闘を継続している中国軍内部でも、既に強硬派・和平派で分裂が始まっているようですね」
「ああ、実際こっちの人々は、俺達日本の軍人に対してそこまで嫌悪感ないよな。家庭料理食わせてくれたりするし」
本当に親切にしてくれる人達が居たりするのだ。そういう人達に会うとちょっと泣きたくなる。
「夫や息子をどことも知れない戦場へ連れていき無駄死にさせる自国の政府と、占領地にはどこも手厚い支援を行っている日本。どちらを快く思うかは比べるまでもありません」
白姫が得意げにフフンと鼻を鳴らしてみせたので、俺は苦笑する。
しかし、気になる話もある。
近頃、占領したプラント都市の幾つかで、反日本を掲げる武装勢力によるいざこざが発生しているのだ。
温子さんにも、白姫と都市プラントへ遊びに行くと行った時に、そういったゴタゴタに巻き込まれないよう注意しろと言われている。
現在、中国軍の大半は北西の山間部に引き籠っているはずなので、それら武装勢力がどうやって武器を手に入れているのかは目下調査中ということだ。
そんな事を思い出しつつ歩いていると、近くの店先で雑貨を並べていたおばちゃんと二言三言会話していた白姫がとたとたと戻って来た。
「どうやら3つ先の通りに店があるそうです! 美味しい四川料理が食べられるみたいですよマスター!」
気の所為か、白姫の後ろで透明な尻尾がブンブン振れているのが見える気がする。
「よし、よくやったハク。その店に行ってみよう」
白姫の頭をぽんぽんと撫でると、白姫は嬉しそうににへら、と笑った。
妖精は全世界の言語のおよそ9割をインプットされており、自在に使いこなせる。
日本語以外さっぱり分からない俺にとっては、頼もしい限りだ。
帰りに何か似合いそうなアクセサリでも見つけたら買ってやろうかな。
白姫の頭を撫でるのを止め、再び歩き出そうとした、その時。
鼓膜を突き破りかねない大きな爆発音が通りに響く。
少し先の横路から紅蓮の焔が吹き出した。
「――ッ!!」
咄嗟に俺に襲いかかってきた白姫を右腕でサッといなすとそのまま抱き寄せ、背中を擦る。
「大丈夫だハク。爆発があったのは幾つか隣の通りだよ。『月詠』はまだ出さなくていい」
「――申し訳ありませんマスター……取り乱しました」
「ひとまず現場を見に行こう。一応部分現出はいつでもできる様にしておいてくれ」
「了解です」
今絶賛燃えている通りは……どうやら3つ先のようだ。
これは白姫の機嫌が悪くなりそうだな。