01 帰路
高度5000mほどの高空を、俺が纏ったエイギアが音もなく飛んでいく。
白銀に輝くボディを持つ、古式の西洋甲冑にも似たエイギア――機体名“月詠”。
現在、制圧作戦を終えた俺と“月詠”は、慣性・摩擦制御による線形飛行によって、軍の中国攻略の拠点基地である「本部」へと戻る道中だ。
既にこの空域における中国側の対空戦力は100%制圧が完了しているので堂々と飛行しても構わないのだが、念の為に光学迷彩と消音機構を現出している。
接地する平面のない空中での、しかも流線型でも何でもない人形兵器であるエイギアによる飛行は、一見とても難しく見える。
しかしその実は非常に簡単で、大地を踏みしめて飛び上がった後は、着地までOS「妖精」による自動操縦でほぼ全てが完了するのだ。
滞空中の大気との摩擦エネルギーはエイギアによってほぼ全てマナとして変換されるため、速度はほとんど減衰せず、追加でスラスターなどを吹かす必要もない。
これもエイギア毎に特性が異なるが、“月詠”は隠密行動に優れる為かこれらの動作に秀でている。
だから、俺みたいなロクに操縦訓練も受けてない素人にもラクラク動かせる。
線形飛行だって、ただジャンプして、着地地点を少し空中で調整する幅跳びの様な感覚で行える。
尤も、その飛距離は最大で数千キロメートルにも及ぶのだから、改めてエイギアってのは化け物みたいな兵器だ。
妖精の処理能力をかなり喰うが、その気になれば物理法則を無視した様な立体機動も可能だし。
「……ふぅ」
眼下に広がる山林を見ていて、ふと、ため息がこぼれる。
最近多いな。自分でもそう思ったが、
『マスター。先の制圧戦闘でもそうでしたが、またため息を吐いています。非搭乗時に何かありましたか?』
すぐ妖精にも気づかれた。まあ、妖精の中でも特に気難しい『彼女』は、搭乗員である俺の生体情報を0.01秒刻みでチェックしているから、ある意味当然とも言えるが。
「なんでも無い。任務だって滞りなく完了しただろう、この程度は誤差範囲だ」
余計な通信ログが送信されない用、軍への無線を切って会話を続行。
『心拍数に若干の乱れを確認。発汗量の増加も見られます。何か隠してませんか? マスターに隠し事をされると私は悲しいです』
「何でもないと言っているだろ! お前は俺のお母さんか!?」
『生体情報を熟知しているという意味では、私はマスターの生物学的母君以上の存在であると私は自負しています』
「そういう意味じゃない! ――いや、分かって言っているなお前」
『ならば、マスターも私に何か話すべき事があるのではありませんか?』
「はぁ、全く……あ、こら、お前の所為でまたため息を吐いてしまったじゃないか、ハク」
頭を抱えるフリをする。この辺りで俺は観念した。
『彼女』――エイギア“月詠”の管理OSである妖精「白姫」には、前述の通り俺の生物としての情報は筒抜けだ。隠し事をする意味もない。
特に彼女は搭乗員とのコミュニケーションを強く望む性格らしく、こういった時に邪険に扱うと想像以上に落ち込んでしまい、“月詠”の機体性能にも支障が出かねないし。
「いや、また受勲記念とか言って温子さんの飲みに付き合わされるのかなって思って」
『そういえば、今回の任務で連続30回目の無損害での制圧作戦成功でしたね。齢17歳、しかも軍籍者となってからはたったの2年足らずでこの戦果、流石は私のマスターです』
「そうは言ってもほとんどお前と“月詠”の功績じゃないか。俺は精々椅子に座って時々引き金を引いてるだけだぞ」
『ご謙遜を。私たち妖精は搭乗員あっての存在です。貴方達マスターが刃を振るい、引き金を引かねばただの鈍らに過ぎません。それに……』
普段搭乗中は無機質な白姫の声が、少しだけ高揚したような熱を帯びて感じられる。
『様々な誓約を必要とする妖精の中でも、殊更特異な条件を持つ私を受け入れてくださった、――そんなマスターは、世界でたったお一人、貴方様だけなのですから』
勿体無い事だ。本当にそう思う。
彼女にはもっと相応しい搭乗員が居たはずだった。
それこそ、きちんと軍人としての戦闘訓練をもっと受けた、“月詠”専属のエリート搭乗員候補生達が、何人も育成されていたんだ。
ただ、あの日…日本を初めてエイギアが襲撃したとき、あの場所で生き残ってしまったのは俺だけだった訳で。
だから、彼女と誓約できるのはただのガキだった俺しかいなくなった。
軍事機密として全ての記録から抹消されたあの事件から2年。
白姫と“月詠”のお陰で、俺はまだ五体満足で生きていられている。
「ありがとうハク。俺もお前と戦えて嬉しいよ。じゃあ、」
この話はここまでにしておこうか、と続けようとしたところで。
『――ところで、先程聞き捨てならない名前を聞いた様な気がいたしましたが』
どっと冷気が頬を撫でる。
白姫が“月詠”内部の空調システムを勝手に操作して、外気温に同調させたのだ。
高度5000mの大気は死ぬ程冷たい。あっという間に鼻先と睫毛に霜が降りてきた。
「うお、寒っ!? こら、空調を戻せハク!!!」
『ふーんだ。また私以外の女性と遊びに出かける様な不届き者は、風邪でも引いてしまえばよいのです』
びっくりして、思わずエイギアの手足をバタバタと動かしてしまう。
幸い摩擦はエイギアに吸収されるため、軌道がブレる事はないが、多分みっともない動きだ。
慌てて空調の操作パネルを手動で開く。
しかし、幾ら押しても叩いても反応がない。
『マスターによる空調の操作権限を一時的に凍結させていただきました』
「何でだよ!? 温子さんは俺の上司で、逆らえない人だってお前も知ってるだろ!!」
『言い訳は聞きたくありません。それに今想像しましたが、病床に伏せるマスターの傍らで健気にリンゴを剥く私の分身体、というのも中々……』
「お前そのシチュエーションやりたいだけだな!?」
寒さで手の震えが止まらない。きっと唇も真っ青だろう。
何で俺は無敵装甲とも呼ばれるエイギアの中で凍死しそうになっているんだろうな。
ちなみに温子さんというのは、冷川 温子少佐という。
今年で29歳、出身は伊豆だそうで、たまに驚いた時なんかに方言が出る。
趣味は飲酒とスポッチャで、私に飲み比べで勝てたら退職金全部くれてやると豪語する酒豪。
名は体を表すと言うか、寒暖の激しい性格をした俺の直属の上司であり、絶対に怒らせてはいけない人でもある。
前に温子さんを怒らせた時の話は――、ちょっと思い出したくない。
『あの人、酔うと脱ぐタイプなので。私はマスターがわいせつ物陳列罪の被害者にならないようにと心配で心配で……』
「分かった! やましい事にはならない様に全力で対処する!」
『――それだけですか?』
期待と不安が入り混じったような声。
この圧倒的に優位な状況で不安を感じる要素があるのか?
帰ってから受勲式(と恐らくその後生じるであろう温子さんとの飲み会)以外に何かあったか…。
――ああ。そういうことか。
「そういえば、帰投したら丸一日“月詠”の定期点検があるんだったな」
『……そ、それは今している話とは関係ありません』
“月詠”のOSである白姫は、月詠を現出させている間、その近くから離れられない。
こいつ、一日離れるだけで寂しいのか。
なるほどなるほど。愛いやつよのう。
「分かった。じゃあお前の点検が終わったら、街に出よう。基地最寄りの街では、美味い月餅が食えるらしいし」
軍が占領した市街地の中には、ある程度の制限を受けつつも通常通り経済を回している場所も多い。
任務がない一日くらいなら、温子さんも許してくれる……と思いたい。
『む、むう、私は関係ないと言っていますが……まあそれはそれで、一緒に連れて行ってくれるなら私は一向に構いません。
――確定した予定として記憶庫に記録しておきます』
少しずつ空調が戻ってきた。鼻先の霜が融け始める。
本当にこういう時だけは子供っぽくて分かりやすいな。
戦闘中や、他人と居る時はいつもあの堅苦しい機械みたいな口調なんだが、アレは一体何のつもりなんだろうか。
分身体の時も普段からこういう人間っぽさで人と接していれば、他の妖精たちとも仲良くやれると思うんだが。
そう言っても『マスターの所為です』と返されるばかりだが、俺にはさっぱり分からない。
ポンと目の前にウィンドウが出現する。目的地まで水平距離30kmを切ったようだ。
『マスター。本部滑走路への着陸まで残り150秒です。着陸シーケンスに入ってください』
通信回線を軍への開放チャンネルに繋ぎ替えた白姫が無機質な、感情を圧し殺したいつもの声で告げる。
「了解、これより着陸体勢に移行する」
遠く、彼方の山間に無数の誘導灯が見えてきた。