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褐色の悪魔の飲み物

 数ヶ月前、この地に生誕した新米魔王。


 後の世に謀神と呼ばれることになる彼は、生誕すると同時に同族である魔王を殺す。


 さらに魂魄召喚と呼ばれる特殊な召喚によって、異世界の英雄を召喚すると、様々な部下を配下に加えつつ、魔王を次々と葬り去る。


 彼が配下に加えた英雄を列挙する。



 新撰組副長土方歳三、

 オルレアンの聖女ジャンヌ・ダルク、

 土の里のドワーフ族族長ゴッドリーブ、

 三国志、蜀の大軍師、諸葛孔明、

 相模の忍者、風魔小太郎、



 その他様々な魔族を配下に加え、急速に勢力を勃興させる。

 その勢いは日の出の如く、その様相は日沈まぬ不夜城が如し。

 


 新米魔王アシュタロトは、周辺の王から、謀略の王、表裏比興のものとして恐れられていた。


 しかし、その魔王が誰よりも優しく、誰よりも慈悲深いことをメイドである少女は知っていた。


 魔族のメイドであるイヴには、魔界での記憶がない。


 この世界に生まれ落ちたときからの記憶しかなかったが、イヴは彼ほど度量の広い王を知らない。


 部下にはどこまでも優しく、気配りを欠かさない王。

 敵対する王にすら慈悲をかける王。


 宿敵である勇者にすら慈愛をもって接するその様は、おかしな言い方であるが、太古の聖王のようである。


 イヴはそう思っていた。

 ある日、そのことを当の本人に告げる。


 豊穣の魔王アシュタロトは、わずかに口元を緩ませると、こんな台詞を発した。


「聖王になれるかは分からないが、この国の歴史書に数ページは記載される王になりたいな。アシュタロトという名前は覚えにくい。後世の学生どもを大いに悩ませてやりたい」


 と冗談めかす。

 さすがは御主人様である。その冗談も一級品であった。

 イヴは彼のことを心の底から敬愛していた。



 現実主義者(リアリスト)の王アシュタロト――。





 魔王である俺は、執務室にいた。

 アシュタロト城の執務室、いつもと代わり映えしない部屋。

 広大でも豪壮でもないが、こぢんまりとした中にも清潔感と清涼感がある部屋。

 壁一面に本棚があり、机には必要なものがすべて揃っている。

 この環境を一言で表現するならば、「機能美」という言葉が適切だろうか。

 イヴが用意してくれたこの執務室は、それくらい仕事がしやすかった。


 ただ、ひとつだけ難癖を付けるとすれば、それは環境が整いすぎていることだろうか。


 高価な革張りの椅子はドワーフの族長ゴッドリーブが仕立ててくれたもの。

 適度にクッションが入れられており、とても快適であった。

 それにこの執務室の周りには俺以外誰もいない。

 他の魔族や人間の武官、文官の部屋はなく、とても静かだった。

 窓の外にいる雲雀(ひばり)の鳴き声がここまで聞こえてくるほど、静寂を保っていた。


 そんな夢のような環境で書類仕事をしていると、睡魔が襲ってくるのは必然であった。


 俺はうとうとと頬杖を突くと、必死に睡魔と戦うが、それも虚しい抵抗であった。


 あれほどの大軍と対峙しても臆さなかった俺が、あれほどの魔王と激闘を繰り広げても負けなかった俺が、睡魔の前では無力であった。


 あっという間に睡魔に主導権を奪われると、夢の世界の住人になりかけるが、それを救ってくれたのはイヴであった。


 彼女はコンコンと二回ほど執務室の扉を叩くと、入室の許可を求めてきた。


 イヴには自由にこの部屋に出入りしてよいと伝えてあるが、奥ゆかしい彼女はノックをしてくる。


 特に俺が集中しているとき、あるいは疲れているときなどは、必ず許可を取り付けてから入ってくる。


「しかも俺の喉が渇いているときは、さっと飲み物を持って部屋に入ってくるんだよな。謎だ」


 さすがは魔族一のメイドである。


 もしも後世、俺が歴史書に記載されることになった暁には彼女のために一章を割いてほしいところであった。


 彼女のような有能なメイドがいたからこそ、俺は今日、この日まで生き延びられた、と。


 彼女のいれる紅茶は、異世界一、旨かった、と。

 そんなことをイヴに伝えると、イヴはにこやかに微笑んだ。


「勿体ないお言葉でございます」


 と言葉を紡いだ。

 俺はその笑顔にしばし見とれると、彼女に用件を尋ねる。


 無論、イヴならば用件などなくてもきてもいいのだが、そう伝えると彼女は本当に嬉しそうな表情を浮かべた。ただ、すぐに謹厳実直な仕事モードとなり、用件を口にする。


「御主人様、今日は南方より、素晴らしいものを仕入れました」


「素晴らしいもの?」


 なんであろうか。控えめなイヴがそのような過剰な形容詞を使うのだから、期待値が上がってしまう。


「素晴らしいものとは、その銀のワゴンに乗せられているものかな」


「正解でございます」


 と言うイヴ。

 彼女はメイドの必須アイテムである銀のワゴンを惜しげもなく開示する。

 その上には見慣れぬ黒いものが置かれていた。

 見ようによってリスや兎の糞に見える小さい豆である。


 まさかイヴがそのようなものを持ってくるわけがないし、なにか別の植物なのだろうが。


 そう尋ねると、「もちろんですわ」とイヴ。

 彼女は得意満面な顔でワゴンの上に乗せてある種子の説明を始める。


「この黒い豆は、南方の島嶼(とうしよ)国家より輸入された珈琲(コーヒー)と呼ばれるものですわ」


 コーヒー! その言葉を聞いた俺は軽い興奮を覚える。

 テンションが上がる。

 その姿を見たイヴが尋ねてくる。


「御主人様はコーヒーを知っているのですか」


「もちろん、知っているさ」


 と前置きすると説明を始める。


「コーヒーとは褐色の魅惑的な飲み物。昔、とある高僧が、愛を失った可哀想な男に与えた聖なる飲み物だ。それを飲めば覚醒作用が得られ、眠気が吹き飛ぶ」


「御主人様の世界にもあったのですね」


「まさか。残念ながらなかったよ。ただ、文献で読みあさっていた」


 詳細をイヴに伝える。

 コーヒーというものの素晴らしさを。

 コーヒーとは異世界のアフリカ原産と言われている植物の種である。


 焙煎し、それを粉状にして煎れると、とてもかぐわしく麗しい匂いのする飲料の元になる。


 異世界の中世において最高の文明国だったイスラム世界からヨーロッパに広がり、近代、コーヒーハウスで提供される飲み物となり、各国の文化人が愛飲した。


 近代芸術のほとんどはコーヒーとともに作られたといっても過言ではないほど、文化に根ざした飲み物である。


 愛飲した有名人の名言も多い。



「良いコーヒーとは、悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、愛のように甘い」

 フランス革命を主導した政治家



「数学者はコーヒーを定理に変える機械である」

 とある数学者



「コーヒーのない人生は私には苦すぎる」

 原稿に追われる作家



 と、得意げに豆知識を披露する。コーヒーだけに。


 イヴはその話を真面目に聞いてくれた上に、「この黒い豆にはそのような力があったのですね」と驚いてくれた。


「さすがは博識でございます。御主人様」


 と賞賛してくれる。

 この様子では、コーヒーの効能も由来も知らずに仕入れたようだ。

 なんでも話を聞いてみると、この街にやってきた行商から仕入れたようだ。


 彼はコーヒーの試飲をさせてくれたらしいが、そのかぐわしい香り、それと眠気覚ましの効能のみ語ったそうで、まさかそんなに文化的な飲み物だとは思わなかったそうだ。


 まあ、これは俺の言い過ぎというか、コーヒーに対する憧憬も含まれているのだが。


 そう思ったが、それは言葉にせず、代わりにコーヒーを口にする。

 人生初のコーヒー。それは噂通りかぐわしく、苦かった。

 コーヒーを人生に例えるものが多い理由も納得いった。


「これは癖になるな」


 そう思った俺は黒い液体を飲み干すと、おかわりを求めた。

 イヴは快く了承してくれる。

 俺は心ゆくまでコーヒーを堪能した。


 コーヒーの覚醒作用により仕事の能率は跳ね上がったが、その夜、俺はなかなか眠ることができなかった。


 やはりコーヒーは悪魔のような飲み物である。

 改めてそれを確認することができた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 「紅茶」も「コーヒー」も「ビール」も、その物質そのものにはそのような効果・効能はほとんどありませんよね。   それらを「ブランド化」して高額で販売して利益を得ようとする者たちが仕掛けた「謳い…
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