オペレーション・アージェント・フューリー
アシュタロト城は大きい。
俺がこの城で生を受けたときは、まるで廃墟のようであったが、その後、イヴの指示によりお掃除部隊が結成された。
人間の端女、サキュバスの端女、亜人の端女をかき集めると、
「オペレーション・アージェント・フューリー」
を発動させた。
迅速なる怒り作戦と銘打たれた作戦は大規模なものであった。
前城主のアザゼルが滅びてから放置されていたこの城を大規模改修したのである。
俺としては小汚いままでよかったのだが、イヴは、
「とんでもありません!」
と首を横に振った。
「この城は魔王の中の魔王。大魔王と呼ばれることになる御主人様の城。王者に相応しい風格が必要です」
と彼女の指揮のもと、改修された。
彼女は最低限の素材、それに費用で廃墟も同然だったこの城を綺麗にする。
蜘蛛が巣を張っていた宝物庫は、黄金でも塗ったかのように輝いているし、
何百もある城の窓の縁は、指でなぞっても埃ひとつない。
城の至る所に調度品が置かれるようになった。それらは贅沢品ではないが、小洒落ており、設置したもののセンスを感じさせる。
さすがはメイドスキルの保持者、イヴであるが、彼女の改革は、城の各施設にも及んでいた。 不要な施設の閉鎖、その代わり必要な施設に手を入れる選択と集中作戦。
この城にはイヴを頂点とするメイド部隊が存在するが、数は多くない。
零細魔王軍に多くのメイドさんを雇うお金がなく、最低限の人数で運営されているのだ。
なのでしばらくは使う予定のない施設は大胆に閉鎖された。
城の中庭の噴水は止められた。
そこで飼っていた観賞魚は民間の商人に払い下げ、小銭を稼ぎつつ、ランニングコストを下げる。
いくつかあった調理室もひとつにする。
贅沢に関心はなかったし、近隣の有力者を集めてパーティーをする機会もしばらくはないと踏んだのだ。
同上の理由で客間も半分は封鎖する。
いつかこの城に客人や食客があふれるかもしれないが、今、いるのは魔族の指揮官が数匹、それに土方歳三とジャンヌくらいである。
彼らは贅沢に興味がないから、大きい客間から順番に閉鎖し、小部屋を彼らにあてがう。
それでもイヴは、彼らの部屋を完璧に改修し、常に清潔に保ち、文句のひとつもこぼさせない。
イヴは女性らしく、日々、彼らのベッドのサイドに花々を飾るが、それも好評だった。
魔族にも風流が分かるものは多い。
それに若い娘であるジャンヌにも好評だった。
「お花は大好きなの。メイドは乙女心を心得ているの」
と毎日、どのような花が置かれるか楽しみにしているようだ。
ただ、男の歳三には不評なようだ。
「花など食べられない」
と興味を向けることはない。
代わりに毎日のように妓楼に通っては、血の通った花々を愛でている。
この男は前世の幕末という時代でももてて仕方なかったプレイボーイらしいが、それはこの世界でも同じのようで、三日にあげずに妓楼に通っていた。
なんでも、
「三日以上間隔を開けると娼妓どもがごねる」
と言い放つ。
実際、彼が妓楼に行くと、黄色い声援が絶えない。
妓楼帰りの歳三を見たことが何度もあるが、いつも白粉や香水の匂いを漂わせ、首もとにはいくつものキスマークがあった。
一度、
「歳三がこの街の花々を独占するから、他の人間の部隊長から苦情がきているのだが」
と茶化したことがあったが、彼は平然と答える。
「俺が花々を独占しているんじゃなく、花々が俺を独占しているのさ。花は潤いという名の水を与えねば枯れてしまうのだ」
女遊びを改める気はないようである。
もっともこの洒落者が色町通いを止め、剃髪し、座禅を組み始めたら、それはそれで気色悪いので放置する。
なにもこの男は女性に乱暴を働いたとか、他人の妻を寝取ったとか、道義に反することをしているのではなく、あくまで両者の同意で浮名を流しているのだ。
ここで細かいことを注意すれば、統治者としての器量を疑われるだろう。
さて、話が少しずれたが、アシュタロト城の設備はイヴによって滞りなく運営されていたが、前述したとおり、あまり使わない施設は閉鎖してある。
その中のひとつに、
「円形闘技場」
というものがあった。
円形闘技場は魔王城によくある施設だ。
魔王が暇つぶしのために、あるいは城下町に住む魔族や人間のために余興を開く場所である。
そこで罪人同士を戦わせたり、戦奴と呼ばれる奴隷を戦わせたりする。
ときには人間と野獣、魔物を戦わせたりする。
まるで古代ローマのコロッセオのようであるが、用途と目的は変わらない。
住民に対する娯楽の提供、王の権威を端的に市民に見せつける施設だ。
ただ、俺はそのような野蛮なことはしないので、使うことはないだろうと真っ先に閉鎖した。
だが、今回はここを使うのが適切なようだ。
なにせ、かの土方歳三と、あのジャンヌ・ダルクの試合が行われるのだ。
住民はもちろん、王である俺も見物したくて仕方ない。
訓練場で行えないこともないが、そうなれば見物できる人数はせいぜい100人。城下町の住人は見られない。
ここはあえてローマ帝国のように、「パンとサーカス」のサーカスを住民に提供するのも悪くはなかった。
そういった理屈で「しまり屋」のイヴに交渉をすると、彼女は無言でそろばんを叩き出し、数字と格闘する。
円形闘技場に手を入れるコストを計算しているようだ。
財政にうるさいイヴは、難色を示したが、俺は、
「今日もそのメイド服姿は美しいな。ホワイトブリムが特に可愛らしい」
と褒めると、イヴは機嫌を良くし、円形闘技場の補修費用を捻出してくれた。
彼女は最後に、
「よくわたくしのホワイトブリムの形が変わっていることに気が付かれましたね」
と微笑んだ。
「変わっていたのか……」
と無粋なことは言わない。
なんでもレースの形が西方の人間の街で流行っているものになっているようだ。
正直、間違い探しレベルなのでふたつを並べて出されても気が付かないだろう。
その辺の機微のなさには定評がある俺だった。
ただし、謀略家であるので、毅然とした口調で言う。
「たしかに美しいレースだ。流行のものを導入するとはイヴはお洒落だな」
その言葉を聞いたイヴは、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべ、
「恐れ入りたてまつります」
と、深々と頭を下げた。