スリーハンドレッド
強行軍が功を奏したのだろう。
俺が設定した戦場にはまだエリゴス軍はいなかった。
「運がいいね、魔王」
と聖女ジャンヌは言う。
「敵軍はアンデッド主体だからな。足が遅いのだろう」
「というか、西進したけど、本当に良かったの? もしかしたらエリゴス城にいるエリゴスが魔王の城を狙うかも」
「それはないはず。一回、ゴッドリーブに痛い目に遭わされてるんだ。そうそう動かない。少なくともすぐにはな。それでも動かすのが俺の策でもあるのだが」
「……? 意味がわからない」
「まあ、ジャンヌは剣だけ振るってくれ。難しいことは俺が考える」
「分かった」
と素直にうなずく。
次いで歳三がやってくる。
「それにしても戦いにくい地形を選んだものだな、旦那」
「ああ、『敵にとっては』な」
「どういう意味だ?」
「この地形は狭隘な谷だ。その谷間に陣取れば、敵は前方からしか攻撃できない」
「なるほど、考えたものだ。人間、100人と同時に戦えば絶対負けるが、ひとりずつ敵を誘き出して、一対一のサシに持ち込めばなんとかなるものな」
「その通り。さすがは多摩の喧嘩屋」
「褒められてる気がしねえ」
「褒めてはないからな」
と、ふたりは同時に笑う。
俺たちは互いにディスりあえるくらいに仲を深めていた。
「それにしても魔王はよくこんな作戦を思いつくの、天才なの」
「俺が考えた作戦じゃないよ。これは異世界の古代ギリシャ、スパルタという国で使われた戦術だ」
「スパルタ?」
「ジャンヌの故郷の東にある有名な国だろ。ギリシャの都市国家だよ」
「農民の娘に難しいことをいわないでくれる?」
と困ったようなジェスチャーをする。
「それは申し訳ない。では、最初から説明しようか。
古代ギリシャにはスパルタという強大な都市国家があった。
その都市国家には、一騎当千の戦士が多くいたのだが、ある日、隣国のペルシャという国が侵攻してきた。その数は10万」
「じゅ、10万!? すごいの」
「それを迎え撃つスパルタは何兵いたと思う?」
「分からない? 3万くらい?」
「その百分の一だ」
ジャンヌは困惑している。計算が苦手のようだ。
指を折って計算している。それでも答えが分からないので泣きそうになっている。
可哀想なので答えを言う。
「300だ。奇しくも今の俺たちと同じ数だな」
「おお、それはすごいの。天佑なの」
「その通り。ちなみに史実ではスパルタの勇敢な王はたった300の兵で10万の兵を足止めした。その間、アテネの艦隊がペルシャの艦隊を急襲し、補給路を断って後退させた」
「すごいの。その強い王様はどうなったの? 帝王になった?」
「残念ながらそのいくさで戦死したよ。300の兵とともに。でも、その勇猛な戦いは後世に語り継がれ、彼は王の中の王として名を残す」
「私たちもそうなるの?」
真面目な表情で尋ねてくるジャンヌ。
死を恐れているわけではないようだ。功名心を上げたいわけでもないようだ。
ただ、自分たちにも同じことができるか、心配なようだ。
「俺たちはスパルタの王にはなれない」
「…………」
しゅんとするジャンヌに語りかける。
「スパルタの王レオニダスはその武名を世界中に響かせたが、俺は彼ではない。同じことはできない。その代わり俺は300の部下をなるべく多く救う。それに城下町にいる民衆も救う」
「魔王は欲張り。レオニダスよりも」
「かもしれないな。兵や指揮官、民だけでなく、自分自身も生き残るつもりだからな。しかし、俺は勇敢な王ではない。現実主義者の王だ。このようなところで死んで、死に花を咲かせるつもりはない。生きて帰って民と喜びを分かち合いたい」
「魔王はすごいの。やはり神に選ばれた魔王。私はどこまでも付いて行く」
聖女ジャンヌがそう言い切ると、伝令がやってくる。
コボルトの伝令は平身低頭に言う。
「魔王様、西から大軍がやってきました。アンデッドどもの匂いがぷんぷんします」
「数は?」
「魔王様の言う通り、万に近いです」
「なるほどな。かのレオニダスは300の兵で10万の兵を蹴散らした。俺たちはその十分の一でいいのだ。ましてやその300はレオニダスの配下にも負けないような勇者ばかり。負けるはずがない」
大声で、全軍に聞こえるようにそう言うと、アシュタロト軍の志気は上がった。
「こちらには最強の魔王様がいるんだ。負けるわけがない」
「現実主義者の魔王、アシュタロトは勝算なき戦いはしない! このいくさも負けないぜ!」
「俺はサブナクの軍隊にいたんだが、そんな俺でもアシュタロト様は快く迎え入れてくださった。この恩、今こそ返すべきだ!」
それぞれにその思いを口にすると、谷間の入り口に陣形を張った。
ここに陣を張れば、横や後ろから攻撃されることもなく、毎回、同数の敵と戦うことができる。数的不利を多少は緩和できるはずだった。
ただし、それでも互角というわけではない。
こちらは300、
向こうは10000、
狭隘な地形を利用し、常に100対100の状態に持って行くが、こちらの兵士は魔物や人間ばかり、いつか必ず疲労する。
一方、エリゴス軍はアンデッドが主体だ。
アンデッドはそれほど強い魔物ではないが、その代わり疲労を知らない。
疲れを知らない。
恐怖を知らない。
引くことを知らない。
このような対決ではそれが有利に働くかもしれない。
弱卒でも、いくら斬っても怯まない相手とは戦いにくいものだ。
兵の手前、恐怖は見せなかったが、俺は現実主義者として冷静に計算する。
300対10000、普通にやれば負ける。しかし、この戦い三日耐え忍べば勝てる。
三日、言葉にすると一言だが、長い長い時間だ。
兵士たちが三日三晩、死を恐れぬアンデッドの軍団に挑むのだ。
さて、彼らは三日間、耐えてくれるだろうか。
そして魔王エリゴスはその間に俺の策略に乗ってくれるだろうか。
それだけが気がかりであったが、ここまできたらもはややるしかなかった。
見れば眼前に、アンデッドの大軍が見える。
第一陣が到着したようだ。




