異世界人は風呂が好き
ドワーフへの里へ行く準備はあっという間に終った。
準備は前日の段階で終らせていたし、急遽随行者となったジャンヌは元々、流浪の旅人、いつでも出発できる準備はできていた。
ただし、彼女は旅立つ前に風呂に入りたいと所望してきた。
長旅の疲れを癒やし、汚れを取りたいのだそうだ。
その辺は女だな、と素直に感心すると、風呂に入る許可をした。
この城は魔族の城であるが、人間もいる。
土方歳三などだ。
彼は日本人なので風呂が好きだろうと設置した、というのは半分建前で、俺が好きなので風呂にはこだわっている。
大岩をくりぬいて作った露天風呂と、城内に檜で作った檜風呂がある。
青空が見たい日は前者、檜の香りで癒されたい日は後者、と決めて交互に入っている。
人型の魔族も希に入るが、檜は臭いと不評で、岩風呂のほうが好評のようだ。
ちなみに毎日風呂に入る俺は、病的な綺麗好きと認識されつつある。
異世界でもエリザベス女王という世界帝国の女王がいて、彼女は月に一度、風呂に入っただけで潔癖症と見なされたようだ。
まったく、どこの世界も風呂好きの肩身は狭い。
そんなふうに思っていると、ジャンヌが風呂から上がってくる。
「…………」
思わず沈黙してしまったのは、彼女がバスタオルを一枚身体に巻いているだけだったからだ。
それに彼女は美しかった。
出会ったころは汚いローブを一枚、身に纏っていただけだったし、髪も結い上げていたので気が付かなかったが、彼女は美人であった。
均整の取れた肢体、それをおおうような金色の髪。
まるで天が遣わした天使のような容姿をしていた。
思わず息を吞んでしまうが、すうっと俺の視界は塞がれる。
俺の後ろに回り込んだメイドのイヴが目隠しをしたからだ。
彼女のひんやりした手が俺の目をおおう。
「御主人様は見ては駄目です」
と少しお怒りだ。
ジャンヌは、
「気にしない。私の身体は清廉潔白。誰に見られても恥じるところはない」
と堂々としている。
「恥じてくださいまし。ここは殿方も多いのです」
「知ってる。だから魔王の前でしかしない」
「御主人様の前だけなんて余計にタチが悪いです」
と喧嘩を始める美女ふたりであるが、やめさせる。
このままではらちがあかない。
俺の目的は彼女たちの痴話げんかを見ることではなく、ドワーフの里におもむくことだった。
そのことを彼女たちに伝えると、同意してくれる。
ジャンヌは目の前で着替えを始める。
視界が利かないので衣擦れの音だけ聞こえるのが妙に生々しいが、数分で着替え終ったようだ。
その瞬間、イヴは目隠しを外してくれる。
小綺麗になったジャンヌとイブを交互に見つめる。
どちらも美人であったが、このふたりが長旅に同伴するかと思うと、今から不安だ。
道中、喧嘩をしなければいいが。
そんなことを思いながら午後、魔王城を出立した。
見送りはない。
わざわざ魔王が留守であると知らせるのは愚策であったので、多少、変装し、目立たないようにしてから旅立つ。
もっとも、俺は限りなく人間に近い魔王。過度な変装など不要だが。
外套を旅人風に偽装し、眼鏡を掛けるくらいでただの市民となる。
いや、この世界でも眼鏡は高価なので新進気鋭の行商人といったところか。
「それにしては美女がふたりも同伴してるのはおかしいがな」
とは出掛け間際に土方歳三が茶化してきた言葉であるが、まあ、仕方ない。
慎ましい旅人の格好をしているジャンヌはともかく、メイド服のイヴはとても目立つ。
なんとか旅人の服に着替えるように説得したが、彼女は耳を貸さない。
「メイド服を脱ぐくらいならば、皮を剥がれたほうがましです」
とのことだった。
メイド兼秘書官の魔族としての矜持だろうか。
他のあらゆる命令に従う彼女であったが、ことメイド服に関しては頑固なようだ。
まあ、行商人がメイドを連れて歩くのは珍しいことではないので、そのまま捨て置く。
こうして魔王とメイド、聖女の旅は始まった。
目指すドワーフの里は西域にある。
人間たちの勢力が強い地域だ。
魔族とばれると厄介であるが、ドワーフの里には人間がいないはずなので、その辺はなんとかなるだろう。
問題は、道中、騎士団などに出くわさなければいい、ということだが、俺たち一行は幸運だった。
ドワーフの里に到着するまでにすれ違ったのは、巡礼中の親子、旅の商人、小規模な傭兵団だけだった。
下品な傭兵団は、指を突き立て、一回いくらだ、と無礼なことをイヴとジャンヌに尋ねてきたが、ジャンヌが見せしめに近くにあった大木を両断すると、傭兵は黙りこくった。
俺が魔族であることもばれなかったようだ。
やはりジャンヌのように清らかな女性の横に魔王がいるなどとは誰も思わないのだろう。
そういった意味ではこの人選は最高の布陣だったかもしれない。
歳三のような東洋人を連れてくれば目立つことこの上なかっただろう。
それに歳三ならば木ではなく、傭兵を斬っていた。
そうなれば傭兵団と大立ち回りをしなければならず、ドワーフの里どころではなくなる。
ある意味、ジャンヌを連れてきて正解だったが、気になることがある。
異世界での彼女の異名は、オルレアンの乙女。
常に前線に立ち、戦っていたそうだが、無双の戦士という記録はない。
それなのにこの強さ、どういうことだろうか。
この世界に召喚されれば誰しもが英雄になれるのだろうか。
それとも彼女は異世界にいたときから強かったのだろうか。
尋ねてみる。
彼女はきょとんとした顔をした。
年頃の少女らしい顔であったが、彼女はすぐに表情を戻すと、
「すべて神の思し召しです」
と言った。
やはり彼女は宗教狂いだ。
異世界のフランスにおいて、英雄的な働きをした彼女であったが、最後は敵方に捕らえられ、非業の死を遂げた。
その際、あれほど尽力したフランス国王にも裏切られ、共に戦った貴族にも見捨てられた。
それでも彼らを恨むことなく、祖国の平和を望んだことから、彼女は死後、ローマ教会から聖女に列せられた。
そんな少女であるからして、すべての行動が神に関連付けられるのは当然なのかもしれない。
イヴは彼女が裏切る心配をしているようだが、俺が神に背く行為をしない限り、彼女は俺の味方をしてくれるだろう。
アシュタロト軍はまだまだ弱兵の集まりであるが、それでも彼女のような強力な英雄が指揮官としていてくれることは僥倖であった。
俺はなるべく長く彼女を配下にしておくため、善政を敷くことを心に誓った。
もっとも、俺は天性の現実主義者。
尊敬する人物はマキャベリであり、韓非子。
敵に対しては容赦なく、仮借なく挑むつもりだ。
神もそれくらい許してくれるといいが。
そんな気持ちで歩みを進めた。