大津波
デカラビアの城は元々交易都市、その領地は蜘蛛の糸のように街道が整備されていた。
インフラを破壊することなく、デカラビア領をかすめ取ったので、それをそのまま利用できる。
自分の領地なので関所もない。
馬を使えば数日でタイロンの屋敷まで到着することができるはずであるが、それはひとりで早馬を使ったとき。
イヴは魔族の娘とはいえ女の子、強行軍をすることはできない。
彼女は常にメイド服であるし、用を足すときもお花畑に花を摘みに行かなければならない。男のようにその辺の木で済ますというわけにはいかないのだ。
また身体も男のように無骨ではない。早馬には耐えられないだろう。
早馬を使うと体力が消費し、そのまま死ぬこともあるのだ。
それは決して大げさな表現ではなく、医療が発達していない世界では日常の光景なのである。
「ただ、今回は急ぐ旅ではない」
俺はぽつりと漏らす。
タイロンの悩みを解決するのが目的だが、屋敷が山賊に襲われているとか、そういう緊急性はない。娘のフローラももう24歳らしいし、今さら婚期が一日延びたところで問題はないだろうと思われた。
なのでイヴとゆっくり馬に乗る。
イヴは俺の腰をぎゅうっと抱きしめていた。
乗馬が得意ではない彼女、俺の馬の後ろに乗っているが、こうも密着されると胸が押し当てられてなんともいえない気持ちになる。
無論、よこしまな気持ちは抱かないが、それでも男としては嬉しいというか、生殺しというか、なんともいえない時間だった。
さて、そのように馬を走らせると目的のタイロンの屋敷が見えてくる。
予定より数日余計に掛かったが、その間、イヴの美味しい料理も食べられたし、不満はない。
ただ、気になることがあるとすれば、その屋敷から煙のようなものが見えていることだろうか。
夕餉の用意であろうか、それにしては量が多い気がするが。
そう考察しているとイヴが声を上げる。
「御主人様、あれは竈の煙ではありません。どうやらなにものかに襲撃されているようです」
「やっぱりそうか」
《鷹の目》の魔法で屋敷を見ると、松明を持った暴徒に囲まれていることに気が付く。
一瞬、山賊の類いかと思ったが、よくよく見ると違うようだ。
彼らが持っている武器は鋤や鍬、それに棍棒だった。
「農民のようだな」
「そのようですね」
なにがあったのだろう、とは口にしなかった。
アシュタロト城でも食料品の価格が高騰していたのだ。
何度も支配者が変わり、混乱しているこの地域も食料価格が高騰しているのは容易に想像できた。アシュタロト城が周辺の商人から食料を買い付けたことも食料価格の高騰に一役買っているのだろう。
それで周辺住民が怒っているのだろう。
察した俺はイヴをその場に下ろす。
馬を早めて彼らを説得するのだ。
イヴと俺は以心伝心なので、なにも言うことなく、イヴは「うんしょ」と馬を下りると頭を深々と下げる。
「御主人様のご武運をお祈りしています」
と微笑んでくれた。
「武運は祈らなくていい。彼らは俺の領民だ。なんとか説得してみるよ」
と俺は微笑み返すと馬に鞭を入れた。
馬はいななきを上げると、本来の速度で走り出す。
俺の黒馬はなかなかの駿馬、その足はアシュタロトの城下でも一二を争うのだ。
ほんの数分で到着すると、俺は叫んだ。
「デカラビア領の民よ。なにをしている」
駿馬に乗って現れた俺をただものではないと察したのだろう、領民たちはいきなり攻撃はしなかった。
ただ、警戒心と敵愾心は隠さない。
彼らは怒気を発しながらこう言う。
「あのタイロンとか言う豪農が、食料を市中に出さず、もっと高値になるのを待っているのです。ですので我ら領民は高い食料を買わなければならない。もはや限界です。天誅を加えにきました」
「それは駄目だ。タイロンは食料を不法に買い占めているわけではない。ただ、蔵で眠らせているだけだ。それは個人の自由であるし、法に反する行為ではない」
「ですがデカラビアの民は困っている」
「だろうな。しかし、このままでは死人が出るぞ」
と街道の奥を指出す。
そこにはタイロンが雇ったと思われる傭兵団がいた。
「い、いつの間に」
「タイロンはとっくに脱出しているようだな。このままでは戦闘になるぞ」
「だ、大丈夫だ。我々には正義がある。それにあの屋敷にはやつの一人娘がいるはず。彼女を人質に取れば」
まったく、正義を声高に叫んでおいてその次は人質を取るか、矛盾もはなはだしいが、怒る気にはならなかった。
彼らは飢えて腹が立っているだけなのだ。
そう思った俺は傭兵団の元まで行くと、身分を明かし、戦闘を待ってもらった。
「これから俺は一瞬でこの諍いを納めさせる。あの領民たちを後退させるから、戦わないでくれ」
傭兵団を連れてきたタイロンは渋面を作るが、俺が魔王だと分かると、「魔王様のご随意に」と言った。ただし、と加えるが。
「もしも娘になにかありましたら、領民たちの指を一本一本へし折ってやります」
魔族の豪農らしい台詞であったが、実行しない、とは言い切れない。
娘のフローラを溺愛しているらしいし、ここは早くことを納め、彼を安心させたかった。
というわけで再び馬を返すが、その前にもう一度訪ねる。
「娘のフローラ殿は一切傷つけないが、びしょ濡れにしてしまうかもしれない。それは許してくれるか?」
どういう意味だろう? と計りかねているタイロンに対し、俺は言葉ではなく、呪文を返す。
「大気に潜む無尽蔵の水、
この世界に具現化し、
混沌の波となれ!」
俺が呪文を詠唱すると、東のほうから轟音が響き渡る。
ごごご、ごごご、と地響きが聞こえる。
豪農の魔族タイロンが東を向くとそこには壁のような白波があった。
「こ、これは!?」
と驚愕するタイロンに答える。
「これは禁呪魔法のひとつ、《大津波》の魔法だ。いや、弱めに放ったから中津波かな」
「これで弱め!?」
弱めである。本気で放てばここら辺にある建物、人間、すべてを飲み込む自信があった。
だが、ここにいるのはすべて領民、それにあの屋敷にはタイロンの娘フローラがいるのだ。
暴徒が放った炎を消すために屋敷ごと流し壊してしまったのでは本末転倒である。
俺の用意した水は、あくまで屋敷に放たれた火を消し、周りにいる暴徒どもを鎮圧するためだけに使われるべきであった。
俺は右手に魔力を込めると、津波と化した水を上手くコントロールする。
屋敷の一番頑丈そうな部分に水を当て、威力が弱まったところで火が付いた箇所に移動させる。そしてその水をさらに暴徒に向ける。
暴徒たちの多くは松明を持っていたが、それは津波で一瞬で消えると、そのまま何人も流されていく。
中世めいた異世界では泳げるものも少ない。それに津波の威力は見た目よりも遙かにあり、この急流を泳げるものなど水系の魔族くらいだ。
暴徒の中には魔族もいたが、水妖はいなかったようで、面白いくらいに津波に飲み込まれる。
このまま川や谷に流せばそのまま命を奪えそうであるが、無論、そのような真似はしない。
暴徒といえども我が領土の民なのである。
適当なところで具現化した水を異界に戻すと、民に向かって言った。
「お前たちの不満はよく分かる。しかし、不満を暴力で解決するのはアシュタロトの法に背くことだ。俺は残虐な魔王ではないが、法を破るものには容赦しない」
津波のあとの言葉だ。暴徒たちは大人しく聞く。
「もう一度言う。お前たちの不満はこの俺が取り除く。だから俺を信じてその矛を収めてくれ」
俺の説得が功を奏したのだろうか、暴徒たちは頭を下げる。
「魔王様がそこまで言うのならば分かりました」
と、武器を納め、立ち去ってくれた。
それを見ていた豪農のタイロンは安堵の吐息を漏らす。
俺のほうにやってくると改めて頭を下げる。
「魔王様ありがとうございます。九死に一生を得ました」
たしかにあのままならば戦闘になっていただろう。
もしかしたらタイロンの娘は戦闘によって死んでいたかもしれない。
そうなると俺は大恩人となるのだが、タイロンは恩人をもてなす度量を持っていた。
是非、屋敷で歓待をしたい、と申し出てくる。
無論、断ることはない。俺はタイロンと膝を交えて話し、なんとか彼の蔵の食料を市場に出してもらおうと思っているのだ。その機会をふいにする気などなかった。




