光のもとに、生がある
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
よう、ミスター。生きているかい?
お互い、目の下のクマが目立つようになってきたな。この時期、何かと忙しいし、眠れない日も多いだろ?
実際、早く寝た方が身体にはいいらしいんだよ。でもさ、差し迫った仕事がなかったとしても、ついつい起きていたくならないか?
夢の中が、必ずしもストレス解消につながるとは限らん。悪夢を見て、寝覚めの気分を害し、それが次の日のパフォーマンスに影響して……ということもあるだろう。
ダメと言われようが、寝しなに飲食したり、活字を追ったり、ゲームをしたりと好きなことをしちまうのも、夢よりも楽しめる確度が高い各種娯楽を、俺たちが信頼しているからかもしれんな。
明かりのもとで時間を惜しむ。いまだに多くの場面で美徳とされる考え方だ。コンディションさえ良ければ、な。
単純に計算してみろよ。同じ8時間、合計480分を労働に充てるとして、労働者が万全な状態を1とする。1×480で480の仕事ができる。
それが疲れや精神的理由で、コンディションが半分にガタ落ちしたとする。すると0.5×480で、240の仕事しかできない。
しかもこの状態異常は、どこかで解消しない限り、重複していって、悪化の一途をたどる。それを補うため、いたずらに時間をかけて、ますますコンディションを落とす。そうなった時、同じ時間をかけて出せる成果など、健康の時とは雲泥の差だ。
俺、真の効率家を名乗りたきゃ、仕事時間以外に、休みも大事にしなきゃならんと思うんだよ。
ワーカーホリックと言われる日本。労働について、今よりももっと混沌としていた時期の、不思議な話を耳に入れた。ちょっと聞いてみないか?
基本的人権の中に、「社会権」というものがあるのは、つぶらやも知っていることと思う。労働組合を作り、交渉をしたり、ストライキを起こしたりできるのも、社会権に基づいた法律あってのものだ。
この社会権は日本国憲法に組み込まれていたが、あいにく日本は戦後復興期。オイルショックがあるまでは、経済の発展のため、身体も寸暇も惜しんで働く姿というのが、美徳として礼賛されていた、むきもあったようだな。
今回の話は、その時代に働いていたという、俺のじいちゃんの話になる。
60年代。じいちゃんは工場長を勤めていたそうだ。
実際の給与に関しては、平の工員に比べて、基本給こそあがったものの、手当てに関しては、多少は色をつけてくれたか、というレベルだったらしい。
いくつもある工場の一つに過ぎないからな。エリアを統括する上にぐちぐち言われて、下からもぶうぶう言われる。このサンドイッチによって求められる、精神的な保養に必要な額を算出したら、手当てにゼロをもう一個くらい増やして欲しいもんだ、と常々感じていたらしい。
しかし、すでに婆ちゃんと結婚し、俺のお袋も生まれている以上、仕事を辞めるわけにもいかんかったようだ。終身雇用が大半で、年功序列制だったから、長く勤めればその分、確実に給与が上がる。あれも自分なりの、滅私奉公の精神だったと語っていたよ。
減俸されたりしては、婆ちゃんたちに苦労をかけることになる。頼むから、俺の目に届かないところで、余計な損失を被ってくれるなよと、日頃思っていたらしい。
じいちゃんの勤める工場は、24時間稼働の2直2交代制。昼勤と夜勤の2つの班で24時間を働く。固定の残業をしてもらうことで、業務を回していた。
その社員の中でひとり。夜勤なのだが、日の暮れる前から工場に来て、働き続けている工員がいたんだ。固定残業の時間をオーバーしており、特に冬場なぞは夜勤の始まる、実に6時間も前から出勤していて、一体、いつ休んでいるんだとじいちゃんが心配するくらいだったらしい。
残業代をプラスして払おうと、じいちゃんは申し出たが、彼は「いえ、ここにいることさえできればいいのです」と金はいらない旨を話す。むしろ、こちらこそ早くに工場で働かせてもらうのだから、施設の電気代を払わねばならないのでは、と切り返してくる始末。
じいちゃんは頭を抱えた。イレギュラーな就労形態を、二つ返事で認められるようなポジションではなかったからだ。
書類をまとめ、契約内容までさかのぼり、エリア長に伝えて、社長から許可をもらい……と、昇進したてで慣れない仕事に忙殺されるじいちゃんには、流れを思い浮かべるだけで、心に負担がかかった。
個人的に呼び出して、頼むから時間通りに勤務してくれ、と話したこともある。自分の苦労の部分は、決して表に出さず。
しかし彼は、「いえ、そうでもしないと、ここにいられませんから」と頑なに言い張って動かない。「むしろ働かないと、俺が死にますよ」と脅しともとれる発言をしてくる始末。
平時なんだから、アホなことを言わんでくれと、心の中で嘆きつつ、じいちゃんは業務の合間を縫って、彼の勤務形態のイレギュラー化を求める、書類作成に移った。
あとからつつかれた時に、やるべきことをやっていないと、弱みと化して自分を蝕む。それはアリの一穴となって、自身の生活の崩壊にもつながりかねない。
時間を見つけては、工員たちの仕事を見て回りつつ、「君が規則通りにしてくれるだけで、不安の種が減るんだがなあ。頼むから契約通りにしてくれないかなあ」と一心不乱に取り組む彼の後ろ姿に、熱いまなざしを送ったのは一度や二度ではなかったとか。
そして、いよいよ彼の契約内容を更新できるか、という直前の夜。
工場があった地域を、大きめの地震が直撃。幸い、建物自体は奇跡的にあまり損傷を出さなかったものの、停電。24時間稼働していたラインが絶たれてしまう。
だが、それによる被害を考える間もなく、工場全体に響き渡るほどの絶叫がとどろいた。その悲鳴は彼の声だったんだ。じいちゃんは即座に、彼が働いていたブロックへ向かったんだ。
駆けつけた時、すでに彼は担架で運び出されるところだった。苦しんでいないところを見ると、意識を失っているのか。
周囲の人々に尋ねたところ、停電の直前まで、彼は他の工員と一緒に、まぶしいばかりの光をともす工場内で働いていた。ところが、停電があったとたん、件の異様な叫びと共に、その場に倒れてしまったらしい。
そばにいた工員が駆け寄ると、彼は苦しげにうめきながら、身体を縮こまらせていたらしい。「溶ける……夜の中に溶けてしまう」と怯えるような声を上げながら。
彼の言葉を聞いた面々は、暗所恐怖症だったか、と思ったようだ。
そういえば彼はいつも、陽が暮れる前から工場にいることを望んだ。光に当たらない時間を少しでも減らしたくなかったからなのではないか、と。
彼は意識不明の呼吸不全と、非常に危険な状態で搬送されたが、奇跡的に意識を取り戻したらしい。ただ、じいちゃんが見舞いに行ったところ、顔を認識されなかったらしい。
あれほど手を焼かせた相手を、とじいちゃんはむっとしたが、話を聞いてみると、初出勤直前の夜から今まで、記憶が混濁としてはっきりと思い出せない、とのことだった。
彼はこの記憶障害を含めた一連の出来事を受け止め、退職の意をじいちゃんに伝える。折った骨は無駄に終わることになったが、じいちゃんは安心半分、疑惑半分の複雑な心境だったとか。仕事から退いた今でも時々、思い出すんだってよ。
夜、トイレとかに行く時、怖いからって家中の明かりをつけた時期、お前にはなかったか?
彼に入っていたもの。もしかしたら、俺たちひとりひとりも抱えているのかも知れないな。