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 何故だろうとリアンナは不思議に思った。 何故あそこにいるカエルの着ぐるみに私はこんなにも心を惹かれているんだろう、と。 そのカエルの姿はリアンナの心に何かを起こしていた。 彼女自身にもそれが何なのか分からなかったけど、それは確かだった。 その証拠にリアンナはカエルから目を離すことができなくなっていた。 その感情は明らかに悪いものではなかった。 どちらかと言うと、心打たれるような感覚を持っていた。 その時リアンナは、カエルに対して自分が抱いている感情の一部が何であるかを理解した。 かわいそうなカエルくん、とリアンナは思った。 あなたは遊園地の奴隷なのに、鞭を打たれながらも、それでも子供のためにピエロを演じているのね。リアンナは憐れみを感じていたのだ。 それから彼女は、カエルに対して愛しさを抱いていることにも気がついた。 どうしてこんなに胸が苦しいんだろう、と思った。 もちろん彼女はカエルが単なるマスコットであることを理解していた。 それは生きた存在ではなく、着ぐるみの中の人の外側の殻にすぎないのだと。 でも不思議な事にそれを理解しているのにも関わらず、彼女にはそんなことはどうでもいいように思えた。 彼女にとってはそんな事情を越えて、マスコットが「愛しいカエルくん」に見えていた。

 リアンナは、愛しいカエルくんを眺め続けた。 どの動きもリアンナの心を確かに打っていた。 彼に振られたことなんてその時は忘れていた。 時間の感覚がなかった。 通り過ぎる人々を彼女はろくに目に留めていなかった。 やがてカエルはどこかに去っていった。

 その場で一人になった(人はいっぱい通っていた)彼女は、カエルの居なくなった空間を眺めていた。 少し空虚で妙な余韻のあるその空間を。

 その余韻がなくなると、リアンナはまた歩き始めた。 今度は迷いなく遊園地の出口に向かっていた。 もうその時、彼女の無意識は何も求めていなかったようだった。

 電車の切符を買って、改札を通って、揺られた。 胸の中がなんだか暖かくて、風景の全てが柔らかく感じた。 電車が移動する時になる、硬くて低い音は、全部リアンナの心の中で響いているようだった。

 家に着いたリアンナは、クタクタに疲れていた。 まずキッチンの棚からワインを取り出して、グラスに注いだ。 それを飲んでしまうとベッドに飛び込んだ。 メイクさえ落としていなかった。 かろうじて靴下を脱いだだけだった。 それから一気に眠気がやってきた。 眠気の中で愛しいカエルくんが彼女の心を愛しくさせたり悲しくさせたりした。 名前のつかない感情だった。 そのまま彼 (カエル)の夢を見るんだと、リアンナは思った。 でも実際に彼女が見た夢は、あの父親の夢だった。

 

 翌日もリアンナの頭の中にはカエルがいた。 カエルに対するその感情は、全く薄らいでいなかった。 それどころか、むしろ強まっているように思えた。仕事中リアンナはカエルがもたらすその感情の揺れをしっかりと感じていた。 あの、愛しさと哀れみが同居した恋に似た感情による揺れを。

 家に帰ってから彼女はそれについてちゃんと考えることにした。 コーヒーを飲みながら、リアンナはゆっくりと休日の遊園地でカエルと出会った時のことを思い出した。 あの時の自分の感情 を思い返して、なるべく客観的に検討してから、それに名前をつけようとした。 色々考えた結果、この感情はやはり恋なんじゃないかと結論づけた。 馬鹿馬鹿しいとは思ったけど、それ以外に考えつかなかった。 現にそう思うと、妙にしっくりきた。 それから彼女は、もう一度遊園地に行こうと思った。 いずれにせよそうすることでしか、話が進まないのだ。

 そんな訳でリアンナは休日遊園地に行った。 昼になって時間が迫ると彼女はメイクした。意外なことにいつもの倍の時間をかけてメイクして、服選びにも時間をかけた。 カエル相手にそんなことをするのはバカらしかったからやめようとした。 でも彼女は開き直った。自分はあくまでカエル君に恋をしているのだからと。 それは自分でもよくわからない気持ちだった。

 遊園地に着いてからもリアンナはよくわからない気持ちだった。 自分の恋するカエル君に会いに行くというのに、嬉しいのか嬉しくないのかはっきり分からなかった。 そんな気分で彼女はこの間カエルがいたポイントまで歩いて行った。

 そこにはカエルがいた。そこにいるのは生のカエルだった。 動く生きたカエルだった。そしてその姿を見てリアンナは、自分が嬉しい気持ちになっていることを発見しているのだった。 やっぱり恋をしているかもしれない、と思った。 そしてその彼女の疑念は徐々に確信に変わって行った。 そのカエルのどの動きを見ても、彼女はときめいていたのだ。 見飽きることがなかった。 しかし30分ほどでリアンナの心は曇っていった。 どれだけ自分がカエルの動きを見てときめいても、近づいて触れることも、言葉を交わすことも、できないのだ。 リアンナにできることは諦めて帰ることだけだった。半ばうつむき加減で、彼女は遊園地を後にした。 

 家に着いたリアンナはカエルのことを思い出した。 思い出すと胸が締め付けられるようになった。 テレビを見ても、本を読んでも、心に残った感触がリアンナを苦しくさせた。あのチャーミングなカエルくんの動きが、彼女の心を何度も何度も通り過ぎた。 どうにかしたかった。 カエルくんをどうにかしてやりたかった。 でも何もできない。 どうしようもない。

 休日が終わるとまた仕事が始まる。 カエルをどうにもできないまま仕事の日々に没頭するのが嫌だった。 そしてそんな思いが、リアンナに動きを起こさせた。 仕事が終わるとリアンナは同僚のマイクに相談した。 ねえマイク、今日空いてるかしら? おや、どうしたんだい珍しいね、君が僕を誘うなんて、でどういったお誘いかな?ちょっと相談したいことがあるの。 仕事のことかい? 違うの……。何?好きな人でもできたのかい? リアンナは恥ずかしそうにうつむいた。 まさか図星かい? 違うわよ、後で話すわ。

 会社からタクシーで15分程度の、駅から少し外れた場所に小ぢんまりとしたバーがある。二人はそこに行くことにした。

 「しかし早いな、この間彼と別れたばかりだろう?」

 「そうなんだけど」

 「で、相手は何をしている人なんだい?」

 そこでリアンナはどう言っていいか分からなくなった。 サービス業と言おうとしたけど、それは違った。 それはカエルの中の人の仕事だからだ。 リアンナは自分でもよくわからないことを言ってしまった。 「色で言えば緑、で、動きがすごいチャーミングなの」

 マイクはよくわからない顔をした。 「緑?というと?」

 どう説明すればいいか分からなかった。

 「うまく言えないの、自分でもなぜ彼に恋をしてしまったのか分からなくて」

 「どんな人なんだい?」

 リアンナは黙り込んだ。 マイクは訊いた。

 「会ったことがないのかい?」リアンナは首を振った。 「一つ言える事は」と彼女は言った。 「普通の人ではないの、うまく言えないけど普通の恋じゃないの、多分本当のことを話せばあなたは笑うわ」

 マイクはいつになく優しい目つきで、カウンターの上に置いてある二つの手を組んだ。 そしてリアンナの方にゆっくりと顔を向けた。 「どういう事情かは分からないけど、僕は君を笑ったりはしない、もちろん話したくなかったらそれで良い、ただ正直に事情を説明してくれたら何か助言できるかもしれない、少なくともスッキリするかもしれない」

 言ってることはよくわかったけど、「そうね……」と考え込んで しまった。「笑ったり、馬鹿にしたりしない?」

 「しないよ」そう言って彼はリアンナの目を見た。リアンナは話すのが怖かったけど、同時に話してしまいたくもあった。 それで彼女は結論を避けながら話し始めた。 「あのね、彼は何と言うかとても観念的な存在なの」

 「観念的?どういうことかな」

 「何と言うか、緑でチャーミングなの」

 マイクは笑いそうな顔になった。それから言った。「それはさっきも聞いたよ。緑でチャーミングなんだろう、でもそれがどういう意味かわからないよ、もしかして君は僕をからかってるだけなんじゃないのか」

 「違うの、ただ、うまく言えなくて」リアンナの真剣な顔を見てマイクは彼女の言うことをとりあえず信用した。 「人間ではない」そう言ってリアンナは付け加えた「やも」

 「やも」と言ってマイクは顔をしかめた。「つまり幽霊かい?幽霊に恋をしたって言いたいのかい?」 いっその事リアンナは幽霊と言ってしまいたかった。 カエルの方がずっとおかしい。

 「まさか本当に」とマイクは言った。

 「幽霊じゃない」とリアンナは言った。 そろそろカエルだと言いたくなってきた。 でも結論を言えなかったので、彼女は彼にヒントを与えることにした。 「幽霊じゃないの、で、緑でチャーミングなの、で、彼は遊園地の中にいるわ、で、人間ではない」彼女はやはり付け加えた「やも」

 マイクは難しい顔をした。 それからバーテンにジントニックを注文した。 「緑でチャーミングで遊園地の中にいる」それから彼は言った。 「人間やも?それが分からない、どういうこと?人間かどうかわからないのかい?」

 「半分は人間で、半分はそうじゃないの」

 マイクはイライラしているように見えた。 「全然わからないな、全然わからないよ」そう言って不機嫌そうに首を振った。

 ついにリアンナは言わなければいけないと思った。 「カエル」それから言った。「やも」

 「カエル?」とマイクは裏返った声で言った。「やも?」彼の前にジントニックのグラスが置かれた。

 「いやカエルなの、カエルのマスコットよ」

 マイクは数秒間考えているようだった。 そしてその末理解したようだった。 おそらく後彼に分からないことは、それが事実かどうかということぐらいだろう。リアンナの顔は真っ赤になっていた。 そしてその彼女の顔を見たマイクは彼女の言うことを信用しているようだった。 そして同時にマイクの顔も赤くなっていた。 笑いをこらえているように見えなくもなかった。 リアンナはダメ押しをする形で続けた。

 「動きを見ているとダメなの、胸が苦しくなるの」そう言ってリアンナは胸の方を掴んだ。 マイクは素早い動作でジントニックのグラスに口をつけた。 そしてそのまま固まった。

 「何故かは分からないわ、なぜ私はカエル君に恋をしているのか。でも本当に胸が苦しいの、家に帰ってからずっとカエル君の影がずっと私の心に写っているの、わかるでしょ?そういう感じ 」マイクは不安定な動きでグラスから口を離した。 それからクールな顔を作った。 その後でひどく不安定なトーンで言った。「わかるよ」

 「でね、一回会った後でね、私はもう一度会おうと思ったの。だってそれが恋だと決まったわけじゃないでしょ?もっと別の感情かもしれないでしょ?」

 マイクは目をつむって、胸に手を当てた。 真剣に聞いてくれているんだわ、とリアンナは思った。 「おしいことにね、私いつもの2倍かけてメイクしたの、服選びにも時間をかけたの、おかしいでしょ?」マイクの体が上下に揺れていた。 呼吸が乱れているようだ。 彼女は続けた。「 で、そんな自分でもよくわからない気持ちで遊園地に行ったわ。そしてその日もカエル君はいた。 私それまで自分がカエルくんに会いたいのかどうかわからなかったの』マイクはジントニックを多く口に含んだ。 リアンナはさらに続けた。 「でもね、カエルくんを見て私は自覚せざるを得なかった。完全に恋をしているんだとね。 だって嬉しかったのよ、愛しのカエルくんが目の前で生きているのが、分かる?マイク、ずっと私の心にカエルくんの影が写っていたわけよね、私はその影のカエル君を見てたわけよね、そんなこともあって目の前の愛しいカエルくんを見ると、なんだか生きてるわ、カエルくんが生きて動いてるわ、って思えて嬉しいの、そういうのわかるかしら?」

 マイクはゆっくりとジントニックを喉に通した。 唇から少しこぼれていた。 彼は深呼吸をしてから、ひどく不安定なトーンで言った。「もちろん、分かるさ」「でもそんな気持ちは変わっていた。なんかね、段々見ていて苦しくなってくるの、だって私何もできないのよ、カエルくんに触れることも、言葉を交わすこともできないの、それが本当に悲しいの、本当に寂しいの、カエルくんには私の姿が見えているのかしらって思えてくるの、なんだか自分がすっと消えていく感じがするの、すごい変な感じよ、怖いの、想像できないでしょ?自分が空気になっていく感じ、もちろんカエル君は愛しいわ、見ていてときめきもするわ、でもだからこそ私は何もできないのよ、時間だけが過ぎていくの、人々が通り過ぎていくだけなの。ねえマイク、どうすればいいのかしら?私どうすればいいのかわからないのよ」 マイクは頭を抱えてうずくまっていた。

 「どうしたの」とリアンナは言った。

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