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リアンナのプレイが終わると、彼のほうから声をかけた。
いやあ、うまいね、いつもここで?
ええ、そうです。
失礼だけど、その格好はオフィスの仕事?
ええ、まあ。
なんだか珍しいね、オフィスレディがギターヒーローなんて。 リアンナは恥ずかしそうに笑った。 彼も笑った。 それが二人の始まりだった。
二人は数日後食事に行くことにした。 当日の朝リアンナは新鮮な気持ちだった。 退屈な生活に光が差すような気持ちだった。 朝食のトーストを食べ終えると、すぐシャワーを浴びた。シャワーを浴びた後でいつもの倍の時間をかけてメイクした。 その後はテレビを見て時間をつぶした。 テレビを見ている合間、彼女は何度も神経質症的に鏡で自分の顔を覗いた。 時間が迫るとクローゼットから服を選び始めた。 いろいろ悩んだ末、彼女は緑のワンピースを着て行くことにした。
11時30分に二人は待ち合わせた。 彼は真っ白なシャツを着ていた。 白いシャツが似合う男は限られているが、彼は本当に似合っていたし、彼自身それに気がついている着こなしだった。 その姿を見てリアンナはときめいた。 彼女の理想とするルックスだった。 二人は彼の車で移動した。 車の中はいい匂いがした。 散らかっていなかったし、とても綺麗だった。 そんなことも好印象だった。
レストランでふたりは食事した。 二人は色々な話をした。 好きな映画や音楽といったありふれた話題だった。 彼は主にフランスの映画を好み、大衆向けのくだらないエンターテインメント映画を嫌った。 好きな音楽はビートルズ、ローリングストーンズ、その他に本格的なブラックミュージックを好んだ。 特に映画の趣味が二人ともよく合ったし、話がいい具合に弾んだ。 何よりも話にユーモアがあるのが好印象だった。 自分のしたい話を一方的にするのではなく、聞き手のことを考えてちゃんと面白く話した。 時々リアンナも何かを言って笑ったし彼も笑った。 そのくしゃっとした笑顔が素敵だとリアンナは思った。
2度目のデートはボーリングだった。 その時すでに2人の距離はだいぶ近くなっていた。 もちろん負けた方が罰ゲームだからねと彼は言った。
え、嘘でしょ、とリアンナは言った。
じゃないと面白くないじゃないか。
どんな罰ゲーム?
そうだね、と言って彼は考えた。ペンで顔に落書きするのはどうだい?
いやよ、そんなの恥ずかしすぎるわ、とリアンナは言った。
決まりだね、と言って彼は微笑んだ。 大丈夫、僕は絵が上手いから。
最初リアンナが優勢だった。 彼女はほとんどスペアか9本を決めていた。 それに対して彼はに2回ガターを決めてしまった。 でも後半からは立て続けにストライクを決めて、結局でリアンナに逆転した。
彼は笑った。 まさか逆転するとは思わなかったよ、ということは君が罰ゲームだね。 冗談じゃないわよ、とリアンナは言った。 大丈夫、ヘタには書かないから。
リアンナの顔は落書き顔になった。 リアンナは顔をしかめて嫌がったが、会計の時になるとクスクス笑った。 彼も笑ったし、店員も笑ったし、子供も笑ったし、親も笑った。 彼の落書きは皆を笑顔にした。 実はおじいちゃんも汗をかいて笑っていたのだ。 店を出る前に、彼は、自分の顔にも書いていいよ、と、リアンナに言った。 リアンナは思う存分彼の顔に落書きした。 彼女が彼の顔を見てケラケラ笑うとさすがに彼はソワソワした。
ボーリング場を出ると彼は言った。 このままちょっと散歩しようか。
何考えているの?正気?とリアンナは言った。
じゃないと書いた意味がないだろ?そして二人は本当に街を歩いた。 周りの通行人は彼女達をすごい顔で見ていた。 二人はうまいこと笑おうとしたけど、笑えなかった。リアンナと彼は見つめ合いながら、お互い照れ隠しをするように、はにかんで笑いあった。 戻ろうか、と言って彼はリアンナの手を取った。 二人は手を繋いで走った。 車の中に入るとお互いの顔が改めておかしくなった。 彼はリアンナを笑い、リアンナは彼の顔を笑った。 しばらくして二人は笑うのをやめた。 それからキスをした。 おかしな顔同士だったが、素敵な口づけだった。
帰りの道、車の中で二人はビートルズを合唱した。 初めはヘイジュードだった。 とても楽しかった。 ヘイジュードが終わると、ヘルプを合唱した。 そうして二人の初めてのデートが終わった。
家帰ったリアンナは、デートの余韻を味わっていた。 音楽は綺麗に聴こえたし、テレビは楽しかった。 お風呂上りは気持ちよかったし、ワインは美味しかった。 そして目を閉じると彼がいた。
その後の二人は何度もデートした。 カフェへ行き、海へ行き、本屋へ行き、ビリヤード場へ行った。
ビリヤード場で二人はルールがわからなかったので、ひどくアタフタしていた。 よし、と彼が言った。僕がルールを考えるよ。 大丈夫なの?ルール考えるのなんて難しいわよ、とリアンナは言った。 大丈夫任せな、と彼は言った。
結論を言えば彼のルールはひどいものだった。 まず玉を無造作にばらまいて、その次に変わりばんこに玉を自由に弾きまくって、 その獲得した弾の数を競うというルールだった。 全然楽しくなかった。 でも不思議とつまらなければつまらないほど、それに反比例して二人はおかしくなった。 二人は最後の方ケラケラ笑っていた。 家族連れの女の子もそれを見て楽しそうに笑っていた。 ほら、子供が笑っているじゃないか、と彼は言った。 大人は偏見だらけでも、子供は正直だからね、僕の画期的なルールの凄さを見抜いてるんだよ、きっと。 おかしすぎて笑っているのよ、とリアンナは言った。 正論だった。
でも不思議ね、と彼女は言った。 あなたと一緒なら何をしていても楽しいの、どうしてかしら。僕も一緒さ、と彼は言った。 女の子は二人をじっと見ていた。
彼の誕生日には、彼の家で和食パーティーというのをした。 彼が勝手に提案したパーティーだ。 主に作った和食は、寿司と天ぷらだった。 寿司はなかなかに美味しかったが天ぷらはひどいものだった。 彼はデタラメに色々なものをあげるのだ。 普通天ぷらといえば、れんこんやおなすなどの野菜、もしくは穴子やイカなどの魚介類が定番だが、 彼のは全然違った。 彼があげたものは パスタやら寿司やらケーキだったりした。 天ぷらじゃなくてそのままの方がずっと美味しいわ、とリアンナは言ってしまった。 彼はびっくりした顔をした。そんなことを言うのか君は、これは天ぷらパーティーだぜ?
ごめんなさい、と彼女は謝った。 でもケーキだけは無理があるわ、ケーキはそのまま食べるためのものだもの。 実に正論だった。
ああ、分かってるさ、でもそれをあげることに意味があるのさ 、と彼は言って、ケーキの天ぷらをほおばった。うん、意外と美味しい。
思ったことを言ってもいいかしら、怒らない? 怒らないさ、と彼は言った。 今まで僕が怒った事なんてあるかい? じゃあ言わ、と彼女は言った。
まずケーキをあげることに意味なんてないし、決して美味しくもない、それはあなたがそう思いたいだけなのよ。 それも正論だった。そして彼は怒りそうになった。 それから二人はあげていない方のケーキを食べた。
リアンナの誕生日には、彼女の実家でパーティーをした。 リアンナは彼を家族に紹介した。 彼はすぐ家族と打ち解けることができた。 彼女の母も、父も、弟も、彼の人柄に好印象を持ったようだった。 彼は特に弟と仲良くした。 食事の後で彼らはテレビゲームをした。 二人ともよく笑っていた。 リアンナはそんな二人の姿が微笑ましかった。 彼を見ていると不思議と安心した。 その暫く後で彼女は彼を呼び出した。 どうしたんだい、そんな改めた顔をして、と彼は言った。
実は弟の事なんだけど……、と言ってリアンナは話し始めた。 あの子ね、もう高校2年になるんだけど大学に行こうとしないの、やりたい仕事があるのかって聞いてもちゃんと答えないし……、だからこのまま高校卒業した後のことを考えるとちょっと心配なの、大したことじゃないのかもしれないけれど、私は心配で、よかったら…-----
その途中で彼は言った。いいよ、僕の方から話してみるよ、どうなるかわからないけどね。 ありがとう、本当に助かるわ、と彼女は言った。 そして弟の部屋で二人は話をした。リアンナには二人が何を話しているのか分からなかった。 30分くらいすると彼は戻ってきた。
どうだった?とリアンナが訊くと、大学に行きたくなったって、と彼は言ったので、リアンナは信じられない顔をした。 嘘でしょ?
嘘をついてもしょうがないよ、彼にきいてごらん。リアンナは弟の部屋に入って確かめた。確かに弟の気持ちは変わっていた。 楽しそうだし、行ってもいいかな、と弟は面倒そうに言った。リアンナは狐に騙された気分になった。 一体どうやったの?
別に大したことは何もしてないよ、と彼は何食わぬ顔をした。 でも私が言っても全然効かなかったのよ。 もしかして一方的に上から言ってたんじゃないかな、と彼は言った。 リアンナは黙った。
「これはあくまで僕の意見だけど、何事も自分の言いたいことだけを言っても解決しないと思うんだ、何かを変えるためにはまず相手の立場に立たないといけない、そこから全ては始まると思うんだ、そして僕が彼を変えることができたのは、僕が彼の立場に立って話をしたからなんじゃないかな、多分だけどね」
リアンナはその日から彼との結婚を意識し始めた。 時折彼との結婚生活を何度か思い浮かべたりした。 特に問題はないと思った。 彼はおそらくギャンブルにものめり込まない。 酒癖もない 、暴力も振るわない。そして何より、自分の立場に立ってくれる。 浮気は……まあ大丈夫じゃないかしら。 男の子と女の子を一人ずつ産んで、四人で食卓を囲んでいるところを想像した。 食卓では、彼がいつも笑っている。 大丈夫問題はない。 きっと幸せ。 でもリアンナのその願望が叶うことはなかった。
思い当たる原因なんて何もなかった。 その時が来るなんて思いもしていなかった。 本当に突然の事だった。
なんとなく心が重たくなるほど、空が曇った薄暗い昼下がりの事で二人は車に乗っていた。 話があるんだ、と彼は切り出した。
少し深刻な顔に見えた。リアンナにはそれがどういう種類の深刻さなのか分からなかったし、その後彼が何を言い出すかなんて分かりもしなかった。 どうしたの、と彼女が言うと、実は……と言って彼は言葉をつぐんだ。 彼のそんな顔を見るのは初めての事だったので、嫌な感じがした。 そのまま沈黙が続いた。
別れよう……。
彼は確かにそう言った。 しかしその言葉はリアンナにとって、 あまりにも意外で、同時にあまりにも受け入れがたいものだったので、彼女の意識に上手く入り込まなかった。 だから彼女はその言葉を宙に浮かべたまま反応した。
え?
もう別れようと思うんだ。その彼の二度目の言葉は、残酷なトーンを持って、リアンナの意識の中枢にしっかりと届いた。 ごまかしょうがなかった。 でも受けれることもできなかった。 何言ってるの?嘘よね?
すまない…。
冗談はやめてちょうだいよ。
彼は何も言わなかった。その姿を見て、リアンナは、嘘ではないと自覚してしまった。でもうまく整理できなかった。 訳が分からなかった。 ちゃんと説明してちょうだいよ。しかし、彼は何も言わない。 リアンナの目から涙がこぼれた。 何がいけないの?何か事情があるんでしょう?
もう降りてくれないか、と彼は言った。 リアンナが今までに聞いたことのないトーンだった。 その声のトーンはリアンナを車の外へ追い出した。 反抗することができず、否応なく流されるようにそうなった。 彼の車が去った後、リアンナは海辺の道路に取り残される形となった。 ひどく人気のない道路だった。 風の音だけが聞こえていた。 リアンナにできることと言えば、ただ涙をこぼしながら歩くことだけだった。 時々車が通る度、彼女は彼だと期待したが、そんなわけなかった。 車はただ一定の速度を保って彼女の横を通り過ぎていくだけだった。
遊園地の敷地内で、彼との色々な事を思い出したリアンナは泣いていた。 通り過ぎる人々は時々心配そうに彼女のことを見た。 リアンナは人目など気にしていなかった。 自分がどう見られているかなんてどうでもよかった。 それから彼女は自分がなぜ彼に振られてしまったのかについて、もう一度考えてみた。 でもやはり分からなかったし、思い当たる節がまるでなかった。 やりきれなかった。涙が止まらなかった。 リアンナはそれでも遊園地を出なかった。 自分がどうしたいのかさっぱり分からなかった。 自分に説明することさえできなかった。 そんな気分のまま彼女は歩き続けた。
外はもう暗かった。
誰の顔も見えなかった。
そしてリアンナは立ち止まった。 彼女の目に何かが止まったのだ。 彼女はその何かに吸い付けられた。 まるで、はるか遠い過去に見たはず夢の中にある奇妙なオブジェに再びであったかのような体感を持ったデジャブみたいに、不思議な感覚だった。 それは意識と無意識の境目が曖昧になってシャッフルされるような感覚だった。 そこにいたのはカエルのマスコットだった。 彼は子供を見つけては必死に笑わせていた。 何故だろう、とリアンナは不思議に思った。 なぜあそこにいるカエルの着ぐるみに、私はこんなにも心を惹かれているのだろう、と。




